第2話「うどん屋・1」
夏。
商店街は、太陽の日差しを恐れているかのように、人通りが少なかった。
昼時のピークを越えた。
客がいない隙に、バネッサは売れ残りのお弁当を食べていた。
夏場は、お弁当の売り上げが落ちる。
近くの高校も夏休みだし。
から揚げ、こんなに美味しく作ったんだけどな。
しょんぼりする女亭主、バネッサだった。
バネッサのうどん屋は、十五時にいったん支度中となり、十七時に営業を再開する。
十五時までは、まだ少し時間があった。
たまに訪れる客にうどんを出し、手が空けば夜営業用の仕込みをする。
かき揚げ用のエビやホタテを洗い、玉ねぎなどの野菜を刻んでいく。
店の前の路地を、子供たちが笑いながら走っていった。
夏休みを満喫しているのだろう。みんな真っ黒に日焼けしていた。
仕込みを終え、バネッサはふと、壁に飾ってある大きな風景画を見る。
八十年も昔。
ギルの物置部屋を改装して作ったバネッサの部屋が、窓もなく、あまりに殺風景だと言って、美也子先生が飾ってくれた絵だ。
湖の奥に、山々が描かれている。
夏が終わる前に、山に行きたいなあ。
十五時を回る少し前。
カランコロン、と、うどん屋の扉が開いた。
高級スーツ。革の手袋。品の良い靴。
全身黒づくめのクロエが、店に入ってきた。
「ご無沙汰しています、バネッサさん。まだ大丈夫ですか」
六十歳とは思えない軽い身のこなし。
長めの銀髪を揺らすクロエは、相変わらず良い声だった。
バネッサは、横目で時計を見る。
十四時五十五分。
また、こういう時間を狙ってきた。
つまり、何か企みがあるに違いない。
しかし、客として来店した以上、断るわけにもいかない。
「……まだ、大丈夫ですよ」
「では、天ぷらうどんを一つ、お願いします」
◆ ◆ ◆
バネッサは、クロエのことを嫌いではない。
前回は、高額の報酬のおかげで、うどん屋が持ち直せた。
目の前の老人には、黒手袋や高級スーツといった威圧感がある。
だが、時折、懐かしいような、少年のような、無垢な目をしてバネッサを見ることがある。
バネッサは、その視線が少々落ち着かない。
前回の潜入調査で、バネッサはミスをした。
調査作業を、クラスメイトの少女に目撃されたのだ。
バネッサは泣きながら、彼女を殺さないようクロエに懇願した。
クロエは、今の時代、一般人を殺すようなことはしない、と大笑いした。
思い出すだけで、恥ずかしさでいっぱいになる。
クロエが目の前にいると落ち着かなくなるのは、そのせいでもあった。
◆ ◆ ◆
天ぷらうどんを提供し、店の扉に「支度中」のプレートを下げる。
「いや、相変わらず……いえ、前より美味しくなっていますね」
「はい。お出汁は日々研究して改造していますので」
「そんな棒読みで言わなくても」
その後、クロエは黙ってうどんをすすった。
どんぶりを傾け、汁まできれいに飲み干す。
「ご馳走様でした」
「はい。おそまつさまです」
クロエは、箸を置いた。
「……それで、バネッサさん。お仕事の話なのですが」
はい。分かってました。
クロエさんは、こういう人なのだ。




