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傭兵隊長クセノフォン  作者: 世間の果て
第十四章:世間の果て
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検疫される暴力の束

 城壁の上。見下ろす顔。たっぷり油を塗り込んだ二重顎のたるみ。太陽光を乱反射するテカリ。その光の束が網膜を直接刺す。不快だ。油の層の下で肥え太った肉。安全な麦粥と温かい寝床で培養された無防備な脂肪。


 首を反らせて見上げる。頸椎の軟骨がギシ、と鳴る。関節の間に砂粒が挟まっている感覚。乾いた土埃が首筋の産毛にこびりつく。そこを一筋の液体が這い下りる。黒い汗。トラキアの泥、アルメニアの死体の脂、自分自身の恐怖。それらを溶かし込んだドロドロの排泄物が、背骨の窪みに沿ってゆっくりと落ちる。鎖骨の裏側で止まり、冷たく固まる。ひどく痒い。だが手は動かさない。ただ瞬きを我慢する。


「同胞を野垂れ死にさせる気か」


 声帯から絞り出された雑音。カラカラに乾いた喉の粘膜同士が擦れ、鉄の味が滲む。自分の声が、どこか他人の臓器から発せられた異音に聞こえる。

 頭上のたるんだ顎が動く。唇の端に白い唾液の泡が溜まる。プツリと弾けた。


「同胞の定義に、ペルシャの銀貨で買われた野犬は含まれていない」


 顎の肉が揺れるたび、香油の匂いが風に乗って落ちてくる。吐き気を催す強烈な甘さ。

 野犬。正しい。極めて正しい。アテネの戸籍板に刻まれた名前。法。市民権。そんなものは六千キロの泥の中に沈んだ。今ここにいるのは、銀貨の重さとカロリーだけで稼働する剥き出しの牙の束だ。


「餌が欲しければそこで伏せをして待て」


 沈黙。いや、沈黙ではない。

 背後。一万の胃袋が一斉に蠕動運動を開始する。グチャ。キュルル。空っぽの腹膜が裏返り、自分自身の粘膜を削り取る不気味な収縮音。連鎖。共鳴。巨大な一つの内臓が泥の上でのたうち回っている音。空腹という物理現象が集団の理性を食い破る前兆。胃酸の匂いがゲップとともに空中に吐き出される。酸っぱい。顔をしかめる。


 城壁は巨大な防波堤だ。

 安全圏の住人は本能で理解している。門を開け、この飢えた肉の塊を市場に招き入れればどうなるか。法。貨幣。秩序。薄皮は一万の胃袋の収縮音の前に一瞬で溶け落ちる。生存のために死肉を啜り、同胞の肉すらグラム単位で計算してきたこの一万の暴力装置は、都市の骨格を内側から食い破る猛毒だ。社会を融解させる病原菌。

 だから検疫する。壁の外。荒野。そこが野犬の指定席だ。理にかなっている。


 足の親指の付け根が痙攣する。すり減ったサンダルの底から、石畳の冷たさが神経を直接殴りつける。

 クセノフォンは足元を見た。石の隙間に、干からびたミミズの死骸がへばりついている。黒く縮れ、元の長さを失っている。誰かの踵に踏み潰された跡。踏み潰したサンダルの裏の模様まで想像できる。どうでもいい思考。すぐに消える。


 視線を再び上げる。壁の上の油ぎった顔。見下ろす瞳の奥にある、純粋な嫌悪と恐怖。

 胃袋の底で奇妙な安堵が黒く渦を巻く。

 俺たちはもう人間として扱われない。

 それでいい。交渉のテーブルは最初から腐って崩れ落ちていた。人間でないのなら、人間の法に従う義務はない。

 左手の指が勝手に動き、腰の短剣の柄を撫でる。刃こぼれした青銅の冷たさ。手のひらの汗が金属に吸い取られ、生ぬるい粘り気に変わる。

 背後でまた別の男の腸が鳴る。ひどく甲高い、悲鳴に近い擦過音。

 待て。伏せをして待て。

 首筋の痒みが限界に達する。爪を立てて激しく引っ掻く。黒い垢と血が混ざり、爪の間にこびりつく。その指先を鼻に近づける。鉄と泥と、微かな獣の臭い。俺たちの正体だ。

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