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傭兵隊長クセノフォン  作者: 世間の果て
第十二章:規律という名の神
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牙を剥く部品たち

 泥の斜面を登り切った先の窪地。そこにクセノフォンの指揮所と呼ばれる、垢と脂で黒ずんだ麻布の寄せ集めがあった。

 布の表面には、数日前に誰かが指で潰した南京虫の体液が、赤茶けたシミとなってへばりついている。なぜあの時、親指で潰したのか。人差し指ならシミの形はもっと歪で、不気味な楕円になったはずだ。シミの端がわずかに左に流れている。風のせいか。どうでもいい。忘れた。

 今はそのただの布切れの前に、およそ三百の歩行する肉袋が密集している。

 彼らはクセノフォンの天幕と、その後ろに繋がれた三頭の荷馬を完全に包囲していた。

 荷馬。皮膚の下から直接肋骨の列が突き出した、四本足の巨大なタンパク質の塊。毛並みは汚れ、剥き出しの傷口に青光りするハエが群がっている。馬の尻尾には乾燥した自身の糞がこびりつき、かすかに揺れるたびに粉となって地面に落ちる。落ちた粉が風で舞う。その粉の軌道を、クセノフォンは無表情に目で追っていた。


 暴徒たちの眼球。白目の部分がひどく黄色く濁っている。極度の栄養失調による黄疸。濁った眼球は常に小刻みに痙攣し、一点にピントを合わせる機能を完全に喪失している。

 最前列に立つアケメネス朝の古い兜を被った男。兜の右側の耳当てがひしゃげ、男の頬骨に深く食い込んでいる。食い込んだ部分の肉が青紫色に腫れ上がり、そこに黄色い膿が固まっている。男が息を吐くたび、膿の表面がかすかに波打つ。膿の下で白血球が死滅していく微細な運動。

 男の両手が握りしめる槍の柄。低血糖で神経の伝達が狂い、指先がガチガチと木製の柄を叩き続けている。自分の意志で止めることができない筋肉の反乱。神経回路が完全にショートし、ただ痙攣を繰り返す壊れた生体機械。


「お前らだけいいメシを隠してるんだろう。その馬を殺せ」


 男の口から発せられた音声。声帯が極度に乾燥し、錆びたノコギリを直接骨に擦りつける摩擦音が窪地に響く。男の唇は縦に深くひび割れ、言葉を発するたびにその裂け目から微細な血の泡が、ぷつ、ぷつ、と弾ける。血の泡が破裂する音。

 クセノフォンは、男の唇の右端から流れる一筋の血が、顎のヒゲのどの毛を伝って落ちるのかを執拗に観察していた。二本目か。いや、三本目の太い毛だ。そこから泥に落ちる。落ちた。土が直径二ミリほど黒く変色した。その黒い点から目を離せない。


「これは歩けない負傷者を運ぶための馬だ」


 クセノフォンの横に立っていた小隊長が叫んだ。小隊長の太い首筋には、恐怖から噴き出した冷たい汗が玉となってびっしりと張り付いている。汗の玉が互いにくっつき合い、重力に負けて襟元へと一気に流れ落ちる。

 小隊長の喉仏が、ひきつるように上下する。生々しい嚥下音。


「なら負傷者を先に食おう。生きたままなら肉も傷まない」


 群衆の奥から、別の濁った声が飛んだ。誰の声か判別できない。ただの胃袋の底から直接響く、酸の反響音。

 負傷者の肉。生きたまま。

 アテネの法。プラトンのイデア。市民の誇り。

 すべて空っぽの胃袋が飲み込み、ただの不快なメタンガスに変えた。

 飢えという絶対的な物理条件の前で、かつての教養も民主主義的な合意も、ただ消化不良を起こす不要な残滓にすぎない。彼らは今、ただの胃袋の集合体であり、その空洞を埋めるために目の前の「頭部」を直接噛み砕こうとしている。


「俺たちはギリシャの誇り高き兵士だ!」

 別の男が泣き喚くように叫ぶ。

「だからここで死ぬ権利はない! 俺たちを生かす義務が、お前らのそのふざけた頭蓋骨の中にあるはずだ! その脳味噌を泥にぶちまけて、代わりにその馬の肉を配れ!」

 高尚な大義を、最も卑劣な食欲の正当化のために振りかざすスキャンダル。自虐と傲慢が完全に一体化した狂った論理。彼らは自分たちを純粋な被害者であると同時に、冷酷な処刑執行人であると錯覚している。飢餓がもたらした、全能感と絶対的無力感の同時発作。

「アテネの金持ちめ。お前の腸はさぞかし脂が乗って甘いんだろうな」

 下品な笑い声。だが笑っている者の目からは、なぜかボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちている。涙腺の崩壊。悲しいのではない。ただ物理的に水分が漏れ出ているだけだ。


 男たちが一歩、前に出る。

 三百組のサンダルが、泥を踏みしめる不快な粘着音。

 ズチュ。

 三百の胃袋が、クセノフォンの肉を、小隊長の肉を、馬の肉を、均等なカロリーの塊として計算している。誰の肉が柔らかいか。誰の肉が一番脂を含んでいるか。

 クセノフォンは、兜の男の左足の脛当てを見た。青銅の表面に、鳥の糞が白くこびりついている。鳥はどこから飛んできたのか。上空には灰色の雲しかない。鳥の胃袋には何が入っていたのか。種子か。虫か。その鳥を捕まえて首をねじ切れば、わずかなカロリーが摂取できたはずだ。猛烈な後悔。


 男の震える手が、槍をゆっくりと持ち上げる。

 歯車が、自らを統率する中心の部品を食い破ろうとする致命的なバグの発生。

 指揮系統という見えない糸は、完全に腐り落ちた。彼らをつなぎ止めていたのは、明日への希望でも、帰郷への執着でもない。単なる日当という銀貨の重みだった。その銀貨でカビの生えたパンすら買えない今、彼らは契約の書かれた羊皮紙を泥の中で踏みにじり、自分自身の剥き出しの牙で直接世界を噛み千切る行為へと移行した。

 人間の理性が、内臓の蠕動運動によって完全に凌駕された瞬間。

 三百の黄色く濁った眼球が、一斉にクセノフォンを凝視している。

 いや、彼らが見ているのはクセノフォンの顔ではない。クセノフォンという形をした、およそ六十キログラムの生肉の陳列だ。首の動脈を噛み切れば、温かい液体がどれだけ喉を潤すか。彼らの脳髄はただその計算だけを猛烈な速度で回している。


 小隊長が恐怖に耐えきれず、半歩後退した。

 サンダルの踵が石を弾く、カツッという乾いた音。

 その微小な音が、極度に張り詰めた空間の引き金となった。

 兜の男の顎が外れんばかりに大きく開く。喉の奥に見える、黒ずんだ扁桃腺。

「肉をよこせ!」

 男の叫びとともに、三百の肉の波がうねり、前方へと雪崩れ込んでくる。彼らの口からは、黄色い唾液が糸を引いて飛び散っている。

 クセノフォンは動かない。

 彼の脳内では、迫り来る槍の穂先の軌道よりも、男の口から飛び散った唾液の糸が空中でどう千切れるか、その粘度の計算がすべてを支配していた。

 酸っぱい風が、顔面を強く叩いた。

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