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傭兵隊長クセノフォン  作者: 世間の果て
第十章:一万人の怪物
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怪物との同化

 地平線。白茶けた空と黒い大地の境界線。そこに向かって、一万の肉の塊が蠕動する。

 踏み荒らされた黒い土の帯。植物の根も、乾いた虫の死骸も、すべてがすり減ったサンダルの底で粉砕される。巨大なヤスリが地表を削り取っていく。

 クセノフォンの気管から、声が飛び出す。


「左翼、膨らみすぎだ。削れ」


 声が出た。いや、ただ空気が声帯という肉のヒダを強引に通過して、金属的な軋み音を発生させただけだ。自分の声ではない。別の何か。冷たくて硬い青銅の板がぶつかり合う排気音。彼は自分の喉仏のあたりを左手の指先で触る。脈打っている。だが、そこから出た音と自分の脳髄の命令が繋がっている感覚が完全に欠落している。

 俺はこの巨大なムカデの頭部になった。そう思っていた。

 勘違いだ。

 彼は前のめりに歩くアカイア人の背中を見る。革鎧を縛る紐の端が三本にほつれ、そのうちの一本だけが異常に短くちぎれている。歩くたびにその短い糸くずがピクピクと跳ねる。クセノフォンはその糸くずの動きからどうしても目を離せない。右足が出る。糸が跳ねる。左足が出る。糸が跳ねる。どうでもいい。だがその反復運動が、彼の脳髄を奇妙に麻痺させていく。


 横を歩くトラキア人が、鼻水をすすり上げながら口を開いた。

「俺たちはどこまで歩く。どこに行けば終わる」

 トラキア人の息はひどく臭い。腐った玉ねぎと古い血のガス。

 クセノフォンは歩幅を変えずに答える。

「世界が俺たちの胃袋を満たせなくなるまでだ。立ち止まった瞬間、俺たちは自分自身の肉を食い始める」


 (タラッタ)。アテネの白い大理石。

 脳の片隅で検索をかける。引き出しを開く。だが、中に入っているのは昨日踏み潰した老人の頭蓋骨が砕ける感触と、奪い取った羊の脂の黒光りだけだ。ソクラテスの顔。あの獅子鼻の老人の輪郭。思い出そうとする。顔のパーツがバラバラに崩れ、焼けた肉の塊にすり替わる。

 帰還の概念。それはカロリー計算の邪魔になる余分なデータだ。すでに胃液が溶かし、腸の奥へ流し込んだ後だ。


 目的の喪失。

 いや、手段が完全に目的にすり替わった。

 前へ進む。他人の麦を奪う。肉を削ぎ落とす。噛み砕く。飲み込む。

 それが明日を生き延びるための手続きではなく、それ自体が絶対的な運動法則として君臨している。

 クセノフォンは、自分の肺がこの一万の群れの呼吸と完全に同調していることに気づく。巨大な一つの肺。自分が命令を下しているのではない。この巨大な飢えた生命体が、クセノフォンの声帯を勝手に使って、自分自身を前へ進ませている。

 彼はただの神経の結節点だ。意志の主体ではない。

 足の裏の肉刺が潰れ、中の黄色い水がサンダルの底に染み出す。痛みはない。靴下の代わりになる。ただ湿っていて不快だ。


 背後。数十スタディオン後方。

 見えない。だが、ペルシャ軍の追撃部隊が巻き上げる土埃の匂いが、風に乗って確実に後頭部を撫でる。

 背中をチリチリと焼く殺意の気配。

 それが一万の肉塊の尻を物理的に叩き、歩行の速度を強制的に上げさせる。

 終わりのない追跡。

 終わりのない略奪。

 終わりのない咀嚼。


 隣を歩くケイリソポスの足音。ザク、ザク。一切のブレがない均等なリズム。スパルタの筋肉機械は、文句も言わずただ土を蹴り続けている。

 クセノフォンは槍の柄を握る手のひらの汗が、完全に乾燥して白い粉を吹いているのを見た。皮膚が木の表面に同化し始めている。指を離そうとしても、関節が固まって動かない。手首から先が、槍を保持するための単なる骨のソケットに変質した。


 俺たちはもう、市民ではない。

 傭兵ですらない。

 日当を払う雇用主は死んだ。契約は白紙。アテネの法はここには届かない。

 頭蓋骨を削り落とされた巨大な害虫。その先端で触覚を振り回す一匹のアリ。

 クセノフォンの下腹部で、またあの卑屈な快感が小さく爆ぜた。

 人間から完全に逸脱した、純度百パーセントの機能美。

 彼は顎を上げ、白茶けた空に向かって、自分の意志とは無関係な冷たい号令を吐き出した。

「歩幅を広げろ。日没までに次の村を食い尽くす」

 一万のサンダルが同時に速度を上げる。土の削れる音が一段階高くなる。

 巨大な歯車が音を立てて回る。

 前へ。

 ただ、前へ。

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