王子の金メッキ
左側の土煙。
茶褐色の壁が突如として内側から破裂した。
鼓膜を圧迫する重低音。無数のひづめが地面を粉砕する乱打。ザク、ザクという歩兵の歩調、その泥臭いメトロノームのリズムが、暴力的な質量によって強制的に上書きされる。
騎兵の突撃。
土埃の向こう側から、網膜を物理的に焼くような下品な閃光が突き抜けてきた。
黄金。
キュロス王子。六百の重装騎兵の中心。
雇い主の登場だ。
純金で打ち出された分厚い胸当て。それが真上の太陽光を一切の遠慮なく反射し、無差別な凶器として周囲の視神経を攻撃している。クセノフォンの右目に、その暴力的な光の矢が突き刺さる。眼球の裏側で鋭い神経痛が弾けた。
思わず目を細める。汗と他人の体液が混ざった塩分が、まぶたの縁から目の中に侵入する。猛烈に染みる。
巨大なニサイア馬。馬の口に噛ませた金属のハミが、動物の口角を極限まで後方へ引っ張り上げている。黄色い巨大な歯茎の露出。
そこから、削りたての羊毛のように真っ白な泡が大量に噴き出している。
赤と茶色と臓物の灰色しかないこの解体現場で、その泡の白さだけが異様に浮き上がっている。風にちぎれた泡の一塊が放物線を描き、クセノフォンがたった今踏み越えたばかりの首のない死体の、泥まみれの肩口にべちゃりと張り付いた。
なぜあんなに白いのか。
どうしてこの排泄物と酸化した血の海で、馬の唾液だけがあんなに清潔な色を保っていられるのか。
クセノフォンの脳が、明日の生存とは一切関係のない不条理な疑問に数秒間ハイジャックされる。
キュロスが何かを叫んでいる。
声は聞こえない。耳穴に詰まった自分の汗と、戦場の巨大なノイズの壁。
だが、振り回されるペルシャ製の曲刀が空気を切り裂く音だけは、ヒュン、ヒュンと奇妙に高い周波数で耳に届く。
高価な金属が風を切る、金持ち特有の耳障りな音だ。
骨を砕き、肉をすり潰す歩兵たちの鈍い労働音とは根本的に波長が違う。
「雇い主が随分と張り切ってるな」
隣のイボ男が、手元の槍を敵の太ももから引き抜きながら鼻を鳴らした。彼の自分の左太ももに刺さった矢の羽が、馬の足音の振動に合わせてブルブルと滑稽に震えている。
「自分の財布のデカさを証明したいだけだ。放っておけ」
クセノフォンは口の中に溜まった泥の塊を吐き捨てた。
キュロスの突撃の先。敵陣のど真ん中。兄王アルタクセルクセスの本陣。
巨大な権力の中枢へ向かって、一人の人間が一直線に突っ込んでいく。歴史の転換点。一個人の野心が世界地図の国境線を書き換えようとする極限の自己顕示。
だが見上げている労働者たちの網膜には、ただの巨大な歩く銀貨の塊にしか映らない。
あの金メッキの胸当てを一つ溶かせば、俺たちのすり減ったサンダルが何万足買えるのか。配給の腐ったワインを、何日分上等なものにすり替えられるのか。
脳の裏側で、そろばんの珠がカチカチと乾いた音を立てる。
風向きが変わる。
馬の汗の饐えた臭いに混じって、キュロスの髪に塗りたくられた没薬の甘ったるい香りが漂ってきた。
香油。
先ほどから鼻腔を支配している、敵の破裂した腸のアンモニア臭に、その高級な花の香りがべっとりと覆いかぶさる。
砂糖で煮詰めた腐肉の匂い。
クセノフォンの胃袋が痙攣を起こす。本気で吐き気がした。
血と泥の臭いだけなら耐えられる。それは労働の臭いだ。だが、この場違いな甘さは神経を直接逆撫でする。
キュロスの乗る馬の首を守る黄金の鱗甲。その一枚がわずかに外側にめくれ返っているのが見えた。
そのめくれた一枚の鱗が、馬の上下運動に合わせて四十五度の角度で太陽光を切り取り、チカッ、チカッと狂った灯台のように光を明滅させている。
その規則的なフラッシュが、ただひたすらに目障りだった。
歴史の行方などどうでもいい。
ただ、手元のトネリコの槍を力任せに投げつけて、あのひしゃげた一枚の鱗を叩き潰してやりたい。そうすればこの目の奥の神経痛は治まるはずだ。
純粋な破壊衝動。
視神経の疲労が、論理の回路をショートさせる。
だが腕は上がらない。
右隣のイボ男の盾と、左の自分の盾の間に挟まれたまま、密集陣形の巨大な圧力がクセノフォンを前方へ押し出し続ける。
土煙が巻き上がり、黄金の塊はあっという間に前方の敵の海の中へ飲み込まれていった。
匂いも光も消える。
後に残されたのは、再び元の地味な歩調を取り戻した歩兵たちの、単調な金属音だけ。
ザク。ザク。ザク。
上層部の見世物は終わった。
一兵卒の作業に戻る時間だ。
クセノフォンは痛む右目を瞬きし、足元の、今度はまだ生きて痙攣しているペルシャ兵の足首をサンダルで踏み砕いた。
骨が折れる、湿った良い音がした。




