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傭兵隊長クセノフォン  作者: 世間の果て
第五章:内陸への一歩(アナバシス)
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歩行する肉の歯車

 ガシャン。ザク。

 ガシャン。ザク。

 青銅と乾燥した土。

 単調な打撃音の反復。


 一万。

 一万の重装歩兵が同じ歩幅で地面を蹴る。巨大なムカデの歩行。右足。左足。そこに栄光めいたものは欠片もない。ただの途方もなく退屈な肉体労働だ。巨大な生体機械。その内側に組み込まれた歯車の一つとして、クセノフォンは歩いていた。


 青銅の脛当てが歩をあわせるたびにこすれ合う。チッ、チッ、という高い金属音。耳障りだ。前の男の脛当ての留め具が少し歪んでいて、それがこすれるたびに神経の表面を削り取るような音を立てる。直せ。留め具を直せ。いや直すな。歩調が狂う。歩調が狂えば後ろの盾に背骨を砕かれる。


 革鎧の肩紐。

 右の鎖骨に、安い牛革の縁がざっくりと食い込んでいる。アテネの裏通りにいた斜視の武具屋。あの親父が革のなめし工程でミョウバンの量をケチりやがったせいで、端が硬化したままになっている。一歩踏み出すごとに、その硬い縁が鎖骨の上の薄い肉をノコギリのように挽く。鈍い痛み。そこに汗が流れ込んで、泥と混ざった塩分が傷口を焼く。

痛い。

 だが立ち止まることは許されない。

 立ち止まれば、ムカデの節は連鎖的に崩壊する。後ろから押し出されるから前へ出る。それだけだ。


「おい」

 右隣から声。

 声の主の顔は知らない。昨日からずっと隣を歩いているはずだが、一度も顔を見たことがない。見る必要がない。あご髭の先端に乾燥した無花果のカスをこびりつかせていることだけは、視界の端の周辺視覚で確認していた。

「前の奴、右足を引きずっているぞ」

 無花果のカスが言った。

 クセノフォンは視線を動かさずに答える。

「放っておけ。あいつが倒れれば、俺たちの麦粥の配分が増える」

「そうだな。昨日の夜の粥は水っぽすぎた。あいつの分が俺の鉢に回ってくれば、少しはとろみがつくかもしれない」

 軽い。

 市場(アゴラ)の魚の値段を話すようなトーン。

 右足を引きずっている男。三列前の左端。歩調のタイミングがコンマ数秒遅れている。その遅れが全体のリズムにわずかな波紋を作り出している。部品の不具合。故障だ。

クセノフォンは、その故障した部品の背中をじっと見ていた。

 倒れろ。

 早く倒れろ。

 倒れて、後ろの列のサンダルに踏み潰されて、赤茶けた土と一体化しろ。そうすれば夕食の配給表から一が引かれる。俺の胃袋に入る炭水化物がコンマ数グラム増える。

股の間が熱い。

 股擦れ。

 分厚い麻のチュニックが汗を吸い、摩擦係数を極限まで高めている。内腿の皮膚が破れ、赤い生肉が露出しているはずだ。そこにペルシャの太陽で煮詰まった汗の塩分が突き刺さる。一歩ごとに、股間で粗目の砂岩をこすりつけられているような持続的な激痛。

 痛い。痛いが、脳はとっくにその痛みを日常の背景ノイズとして処理して、意識の最下層に放り込んでいる。


 クセノフォンの網膜に張り付いているのは、ただ目の前を歩くトラキア人の背中の汚れだけだ。

 革鎧の背中部分に、古い羊脂と泥と何かの体液が混ざって黒ずんだ染みがある。

 その染みが、アテネの広場によくいた片目の野良犬の顔に見えた。

 右に揺れる。犬の顔が右へ行く。

 左に揺れる。犬の顔が左へ行く。

 犬の耳の部分にあたる染みの端っこが、乾燥して少しずつ剥がれかけている。

 俺はあの染みだ。

 あの染みを見るために生まれてきた。

 どういうわけか、そう思えてくる。強烈な日差しで頭蓋骨の中身が煮えくり返り、思考のピントが完全にイカれている。広場での問答。善く生きること。そんなものはクソの役にも立たない。俺の目の前にある唯一の現実は、あの片目の野良犬の染みだけだ。あいつが右に動けば俺も右へ動く。左へ動けば左へ。


「おい、また遅れてるぞ。三列前のあいつ」

 無花果のカスが舌打ちをする。

「さっさと倒れりゃいいのに。目障りだ。あいつが足を引きずるせいで、跳ね上がった泥が俺の脛当てを汚す」

 「お前の脛当ては元々泥だらけだ。汚れる隙間もない」

 「泥の厚みの話をしてるんだよ」

 会話はそこで途切れる。


 沈黙。

 またガシャン。ザク。

 青銅の塊がうねる。


 尊厳。

 そんなものは、サルディスを出た日の夜、排泄物と一緒に野営地の浅い穴に埋めてきた。俺たちはただの数字だ。キュロス王子のペルシャ人書記官が蜜蝋板に引いた無数の棒線。その一本一本。一万という数字を維持するために、大量の干し肉と麦粥を燃料として消費する、巨大で不格好な胃袋の集合体。


 部品が一つ壊れれば、残りの部品がそれを喜ぶ。

 剥き出しの生存競争。

 いや、競争ですらない。ただの算術だ。

 分母が減れば、分子の取り分が増える。

 クセノフォンは口の中で乾いた唾液を転がした。

 舌の裏側がザラザラする。

 前の男の背中の染み。

 片目の野良犬。

 それがまた右へ揺れた。

 クセノフォンも右足を踏み出す。

 左へ揺れた。

 左足を踏み出す。


 太陽が真上から、一万の兜の頂飾りを容赦なく叩きつけていた。

 汗の塩分が、破れた内腿の肉を焼き続ける。

 歯車は止まらない。

 止まることは、すなわち土になることだ。

 ガシャン。ザク。

 ただ前へ。

 前の部品の背中の汚れだけを見つめながら。

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