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傭兵隊長クセノフォン  作者: 世間の果て
第四章:王子キュロスの甘い罠
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暴力の換金

 手渡された三枚のシグロス銀貨。掌の中心に落とされた硬質な冷気。ただの金属の円盤。ペルシャの経理役人の指先が受け渡しの瞬間に少し触れた。役人の親指の爪はひどく黄色く濁り、縦に二本のひび割れが走っている。一本のひび割れの奥には黒い垢がぎっしりと詰まっている。どうでもいい。


 銀貨の冷たさが、掌から滲み出る汗を瞬時に吸う。急速に生ぬるい粘り気に変わっていく。ひどく不快だ。他人の内臓の温度が金属を媒介して皮膚から直接侵入してくる。だが手は無意識に力み、硬く握りしめられる。指の関節の皮が白く突っ張る。

 銀貨の縁が、生命線の上の分厚い肉にめり込む。痛覚が脳の奥底に信号を叩き込む。所有の確定。

 奥歯を強く噛み締める。右の顎の付け根の奥深くで軟骨が擦れ、鈍く鳴る。ギシ。耳の裏側の神経がひきつる。


「兄王を殺す気か」


 列の隣にいたトラキア人が、口をほとんど開かずに呟いた。息の臭さが横風に乗って顔面に叩きつけられる。腐りかけた玉ねぎの悪臭。


「誰が誰を殺そうと知ったことか」


 クセノフォンの喉の筋肉が勝手に収縮した。声帯がひきつった音を押し出す。


「明日の朝飯が保証されるなら、俺は神の首でも切り落とす」


 トラキア人は短く鼻を鳴らした。黄色い鼻水が飛び散り、ブーツの先の泥の上に落ちる。しばらく丸い形を保っていた鼻水は、やがて乾いた土に完全に吸い込まれた。表面にわずかな染みだけが残る。


 キュロスの嘘。ピシディア人の山賊退治。

 馬鹿げた戯言だ。山賊相手に一万三千の重装歩兵を動かす。明らかな計算間違い。異常なカロリーの浪費。王位簒奪。ペルシャ帝国の心臓部へ向かう道。片道切符。

 クセノフォンの網膜の裏側に、血まみれの砂埃の光景がこびりついている。死の直感。だが、掌の中で生ぬるく発酵する銀貨の重みが、前頭葉の警告回路を物理的に押し潰す。胃の底が激しく痙攣する。酸っぱい胃液がせり上がり、食道の粘膜をチリチリと焼く。


 考えるな。

 市場アゴラの問答。善く生きる。うるさい。すべて燃やせ。灰にしろ。

 知性をただの算盤にダウングレイドする。銀貨三枚で何日分の麦粥が買えるか。干し肉の硬さと塩分濃度。歩幅。靴底の減り具合。隣の男を殺して奪う手間の計算。それだけだ。

 首筋の真ん中を、一筋の汗が這い下りる。背骨の溝を伝う冷たい水滴。革ベルトの裏側で止まる。革ベルトの真鍮の留め具が青緑色に錆びている。昨日も気になった。今日も気になる。錆の粉が爪の間に挟まったときの嫌なざらつき。


 騙す男。

 黄金の天幕の奥で肥大した野望を抱えるキュロス。

 騙されたふりをする一万三千の肉袋。

 完璧に成立した共犯関係。黙認。

 クセノフォンは銀貨を腰の革袋に乱暴に押し込んだ。硬貨同士がぶつかる鈍い摩擦音。チャリ。

 右足が前へ出る。足首の関節が鳴る。ブーツの底が乾燥した土を擦る。

 もう戻れない。巨大な暴力の歯車が、一万三千の空っぽの胃袋を巻き込んで回り始めている。

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