戦う理由
現状を把握しよう。
今この場に居るのはあたしとテアちゃんと化け蜘蛛の2人と1匹。救出対象であるテアちゃんは四肢を白い糸――おそらく粘着性の高い蜘蛛糸――で拘束されている。自力での脱出はほぼ不可能と見ていい。そして目の前の化け蜘蛛はあたしが彼女を助け出す時間をくれたりはしないだろう。ただでさえ取り払うのが厄介そうな蜘蛛糸だ。ちょっとやそっと奴の隙を突いたくらいで断ち切ることができるとは思えない。この時点でテアちゃんを救出しての脱出案は放棄する。
そっと、敵から目を離さないようにポケットに手を忍び込ませる。携帯の短縮ダイヤルを押す。これで時間さえ稼げば助けが来てくれるかもしれない。
しかしそこはかもしれないだけだ。期待しちゃいけない。なにせあんな図体のでかい化物がこんな街中に居るってのに人っ子一人騒ぐ気配が無い。深夜だから屋内の灯りが少ないのはともかく皆無というわけじゃないのだ。にもかかわらずあれだけあたしが声を張り上げたのに誰も外を覗こうとしない。何かカラクリがあってここにはあたしたち以外の人間は来れないと見るべきだ。
ならばやはり目の前の障害を撃破しなければならない。
目標達成に役立ちそうなものを確認する。武器は無い。素手だ。左には壁。道幅がそこそこ広いから邪魔にはならなさそう。右には公園。アスレチック遊戯やら砂場が見える。更にその向こう側に道路標識、止まれがある程度。視線を自分の下へ。地面には小石がいくつか。小さすぎてきっと牽制にすら使えない。身につけてるアクセやらも投擲物としての機能は果たすまい。くそ、何も無い。やはり素手であんなのと殴り合うしか無いのか? 無茶だ。何か、何か武器が欲しい。
「あっ」
「どうした? 意気込んだ割にはもったいつける。この身の体液、ぶちまけてくれるのではなかったか?」
「……まあ焦んないでよ。今どうやってあんたを攻略してやろうか作戦練ってたところだからさ。ていうかそっちこそ随分と悠長だよね? 何してんの? こっちに考える時間なんてくれちゃって」
「興味があるのだ。貴様がその非力極まりない矮躯でどうやって我を裂いてくれるのかがな」
「ハッ、そーかい。そりゃどうも。あんまりハードル上げられるとおっかないね。期待してくれてるとこ悪いんだけどとりあえず……」
大丈夫だ。
奴はまだ気づいていない。
武器ならある。
確かに、ある。
だけど手に入れるだけじゃ有効打となるかはわからない。
奴の意表を突くタイミングで入手して、度肝を抜くタイミングでぶちかまさなければならない。
そのためにまずは……
「無策で突っ込ませてもらう!」
自身で無茶と断言した素手での激突を敢行する!
「っつ、らああああああああああああああ!」
爪が食い込むほど握りこんだ拳を渾身の力で振り抜く。
化け蜘蛛はそれに対し前脚の先端――爪で迎撃。衝突。衝撃。鉄でも殴ってるような感触。鈍い音。軋む骨。そしてあっさりとパワー負け。あっさりとだ。
熟達のプロレスラーの腕を余裕で引き剥がせるあたしが全力を込めたのにも関わらずたやすく弾かれる。肩から後ろに吹き飛ばされそう。まだだ。足裏に力を込めて踏みとどまる。力比べじゃ勝てないってわかっていたはずだ。わかりきっていたことをやったんだ。ここで引き下がったら何にもならない。だから、まだだ。
「まだまだあああああ!」
懲りもせず再び殴りかかる。片手じゃ足りない。両手だ。行け。通じないのがわかっていてもひたすら殴れ。殴れ殴れ殴れ殴れ殴れ殴れ。歯ァ食いしばって殴れ!
電光石火のごとくぶつかり続ける左右の腕。裂傷。皮が裂けて血が弾ける。こんな時になんだけれど、頑丈な身体で本当に良かった。この程度で済んでいる。常人なら初撃で肩から先が失くなって決着しているはずだ。
「あああ!」
一際大きな激突音の後に後方へ飛ばされる。滞空中に後方宙返り1回転。勢いを抑えきれず地についた靴裏と手のひらが擦れていく。数メートルも引き摺ったあとでようやく静止。追撃を想定して顔を上げる。
「…………なんだ貴様は?」
化け蜘蛛が喋る。8つの眼球がこちらを注意深く観察している。
「身の程知らずのただの小娘かと思えば未だに両の足で立っている。常ならば肉が潰れ骨がひしゃげているはずだ。それが少し小突いてやろうという程度の力しか込めていないとはいえ我と渡り合った。人の身でできることではない」
ハッ、初撃で決まらなくて驚いてる。ざまあみろ。あたしもびっくりだ。
「……貴様『アルヴィアン』か?」
「ある? 何? 知らないよそんなの。人間語で喋んなよ、もう……」
肩を上下させながら答える。人にものを訪ねようってのに礼儀のなっちゃいない化け蜘蛛だ。
「惚けても無駄だ。これで貴様のこやつへの肩入れに納得がいった。……敵対勢力と見なす」
よし。
まずは成功だ。
アルなんとかの話はさっぱりだけどそれはこの際どうでもいい。これで奴の中であたしは『面白い小娘』から『邪魔者』へとランクアップした。もう無視できる存在ではなくなったはずだ。テアちゃんに何かしようとしてもあたしを先に排除すべきと考えるだろう。テアちゃんが先に脅威にさらされる線は薄くなった。
同時に、あたしの攻撃が現時点で通じていないと認識させることで油断を誘いやすくもなる。後々の布石だ。
代償は左右の腕の傷と、
奴を、その気にさせてしまったことだ。
「な、はっや――」
――い、と続けようとして続けられなかった。
戦闘が始まってから初めて奴が動いた。その図体の大きさと歩脚の太さからあたしは蟹のような鈍重な動きを想像していた。
とんでもなかった。動いた、と思ったらもう目の前に居た。前脚を振りかぶられていた。
その光景を見ながらこれ走馬灯なんじゃないの?っていうぐらい脳が高速回転して、そういやアシダカグモってゴキブリより早かったな、なんて思い出していた。
死ぬ間際に思うことがアシダカグモとゴキブリだなんて嫌すぎる。あたしは全反射神経を駆使して腕を上にあげてガードの態勢に入り、そして奴の前脚は振り抜かれた。
――あたしの左脇腹に向かって。
「げっぁっ!!」
化け蜘蛛の太くてごつごつとした前脚は吸い込まれるようにあたしの剥き出しの人体急所へ激突した。
ぶつかった瞬間に何かが砕ける音と何かが潰れる音がする。「く」の字になって真横にブッ飛んでいく。血反吐をまき散らしながら視界が並行移動。新幹線に乗っているみたい。ろくに受け身もとれずに公園の砂場へ着弾する。
「うっ、ぐ、……があああああああああああああああああ!!!」
左脇を右手て抑えながら立ち上がろうとしたところで痛みが襲ってきた。
内蔵特有の鈍く、重く、のしかかられるような痛みだった。
痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いい痛い痛い痛い痛い痛いい痛い痛い痛い痛い痛い。
砂の上でのたうちまわる。ぐりんぐりん右へ左へ転がる。転がった時に脇腹に添えていた手で胴体が圧迫されて口腔から更に血を吹く。鉄臭い。胃液も混じってるせいで喉が焼ける。
嘘だ、と思った。あたしの中にこんなに一杯血液があったんだなって思った。それが信じられなかった。
「ふっ、う、ふうううううううううう」
痛覚を吐き出すように長く息を吐く。涙腺が痛覚に反応してじわりと雫を零す。駄目だ。この程度で泣いてなんていられない。そんな場合じゃない。次の一撃を貰ったら終わってしまう。
砂を掴んで上体を起こす。ふらふらとよろけながら立ち上がる。致命的な隙。奴はどうした? 何故来ない?
あの速度ならとうにあたしに5擊は加えられてるはずだ。来るはずの衝撃が来ない。何があった?と明滅する視界を巡らせる。
化け蜘蛛はあたしのすぐ横に居た。
じっ、とこちらを見ている。
さっきと同じように、ただただこちらを観察している。
「こ、の――――」
その余裕っぷりに、あたしはキレた。
「舐めやがってーーーーーーーーーー!」
手で通じないなら足だ。
人間台の氷柱を叩き折ったこともある上段回し蹴りを繰り出す。
しかしここでもあたしはミスを犯した。
上段回し蹴りなんて不安定な体勢でしか打てない技なわけで、
いなされるなり躱されるなりしたらそれはもう大きな隙を生むわけで、
自信満々に烈火のごとき怒りを込めて放ったあたしの蹴りは奴の前脚1本で悠々と弾かれ、
今度は正面からさっきと同じ一撃をぶちこまれた。
化け蜘蛛が遠ざかっていく。あ、違う。これ、離れてってるのあたしの方だ。げぽ。でも距離が広がるってことならどっちでも一緒のことか? げぽげぽ。いやいや、速度がどっちに発生してるのかってのは大事でしょ。やり直そうよ古典物理学。げぽぽ。
空中で体勢を整えるだけの余力なんて衝撃で吹っ飛んであるわけもなく横倒しでコンクリートを2度3度4度とバウンドする。メシ、ミシ、ビキとその度に身体のどこかがイカれるのがわかる。ちきしょうこんな音聞きたく無かった。ホラーでスプラッタだ。
5度目のバウンドを経て公園を飛び越えて壁にぶつかり、そこであたしはようやく止まった。
「う゛、お、あ゛……げぇっ……お゛え゛っ……」
吐血が止まらない。
脇腹に喰らった時点で決定的だったのに今ので致命的になったみたい。
くそぅ。
痛いなぁ。
本当に痛い。
こんなに本気で痛いなんて感覚何年ぶりかな?
すっかり忘れてしまっていた。
思えばここ最近の私は調子に乗っていた。
自分の身体の能力を過信しすぎていた。
しばらく怪我をして血を流すどころか痛覚というものとご無沙汰だったとはいえ。
奢るべきではなかった。
当然の報いだ。
「解せぬ」
気がつけばまた化け蜘蛛が近くにいた。
8つの眼球がしげしげと訝しむようにあたしを睥睨している。
「ううう、うーーーーっ、んーーーーっ」
動かせる箇所を総動員してあたしができたことは這いずることだった。
ただただひたすら地面を這いつくばって芋虫みたいに動くことだった。
「……無様だな」
なんとでも言え。
ここじゃないんだ。
ここじゃ駄目なんだよ!
襲われても抵抗のしようの無い現状は蜘蛛の巣に囚われた獲物に似ていた。満身創痍のこの身では逃げることすらままならない。何もできなければあとは止めを刺されて死ぬだけだ。
ずりずり、ずりずり。
お願いだから、あと少しだから、そのまま侮っていてくれと、祈るような気持ちで手足を動かして、ようやく目的地にたどりつく。ほんの2、3mだったのに星よりも遠く感じた。奴の爪が振り下ろされなかったのは奇跡だ。神様に感謝したっていい。
壁に寄りかかりながらどうにか身体を起こす。奴に向き直り、一息つく。
自分が当初組み立てた作戦とは大分流れが食い違ってしまったが、何はともあれ、これで状況は整った。
初撃で飛ばされたのが砂場だったのも僥倖だった。あそこにはここに来るまえに寄るつもりだったからだ
「アルヴィアンかと思えば手応えが無さすぎる。かといって一般人として括るには無理がある。同胞にもあらず。故に分からぬ。……改めて問おう。小娘、貴様はなんだ? どういった存在だ。あのアルヴィアンの小娘とどういった関係だ?」
そうゆうことか。一度は結論を見たあたしの正体がまた霞んでぼやけてしまったらしい。だからこそ執拗に追い討ちをかけたりせず奴は様子見に徹していたんだ。
息も絶え絶えにあたしは答える。
「あたしのことなんて……自分にだってわかんないよ。そ、んで……どういった関係も何も、あの子とは、今日会ったばかり。正真正銘の……初対面」
喋ってる間にも奴は不用意に近づいてきた。でかい図体だ。座ってるから見上げる形になるので尚更大きく見える。威圧されてるみたいでムカつく。もう何も出来ないとタカをくくってるのか。ハッ、無駄に多いその8個分だけ目にもの見せてやる。
「何だと? ならばなぜ貴様はあれに肩入れする? そのような有様になることは想像出来なかったのか? それとも分かっていてやったのか? だとしたら理解できぬ。そこまでする理由は何だというのだ?」
「あはっ」
奴が射程距離に入った。
自然、笑みが零れる。
こんなイチかバチかって時に、だ。
「そんなの決まってる」
左手で握っていた砂を、奴の8つの眼球に向かって思いっきりバラまく。あたしは奴に必殺の一撃を加えるためにこれを確保しなければならなかった。
そして砂が完全に奴の視界を塞いだのを確認して。
あたしは、右手に渾身の力を込めて地面から引き抜いた。
――――『止まれ』の標識を。
「あたしが、あたしであるためだ!!」
この場で有効足り得る唯一の武器は、奴の脳天へと振り下ろされ、そして狙い誤たず直撃した。




