エンカウント
てってって――コンクリートの上を跳ねるように駆ける。
肌には上下の薄着が1枚ずつ。スースーしていて夜風が気持ちいい。
「これがパジャマ……?」
フンフンと鼻にかかる吐息混じりに匂いを嗅いでみる。
柑橘系の爽やかな香りがした。
「いい匂いです……」
勝手に拝借してきてしまったのでいつかちゃんと返しにいこうと思う。
それにしても、
「あのごはん、美味しかったのです……」
本音を言うともっと食べたかった。
全然足りていない。
腹八分目にも届いていないような感じだ。
恥ずかしくて言えなかったけれどおかわりを作ってほしかったぐらい。
「けど、ダメですね……テアは、追われちゃってます……」
長居は危険だ。
あの人に迷惑がかかる。
今でも充分にかけてしまっているけれど、それとは比較にならない迷惑が。
そんな目にはあって欲しくない。
あのおねいさんには本当にお世話になった。
傷の手当もそうだし、ご飯も、服もそうだ。
何よりテアを怖がらないでくれた。
それが一番嬉しかった。
これから先のことに希望が持てた。
いつか、どれくらい先のことになるかわからないけど、いつか
「お礼を言いに行こう……」
てってって――変わらないペースで跳ねる。
クロ様達も心配している。
早く合流しよう。
てってって――ベチャ
ベチャ?
「あ、これ――?」
瞬間、視界が白い線で塗りつぶされた。
◆
「ああっ、もうっ。どこ行ったの幼女!」
あたしは目下自分の勘のみを頼りに獣耳少女を探し続けていた。
中年のおじさんが叫んでたら捕まりそうなセリフを吐いた気がするけれど、見失ってイライラしているのでしょうがない気にしない。
「まさか10階の部屋をあんな方法で脱出するなんて……」
あの後、慌てて窓に駆け寄ると雨樋伝いにスルスルと降下して危なげなく着地し、走り去るあの子の姿を見た。
自分ですらおっかなくて出来ないことを簡単にやってのけた少女に一瞬驚愕し、「獣耳生えてるんだった!」と良くわけのわからない納得をした後、大急ぎで外に飛び出した。
エレベーターを待つのももどかしく五段飛ばしぐらいで階段を駆け下りてきたのだけれど、10階からともなるとタイムロスは大きく、既にあの子は影も形も見当たらなかった。
少女が去った方向に向かってセンサー(勘)全開で疾走してるけど、未だに発見できない。
「本当に、どこ行ったんだよあの子……」
ぬかった。失敗した。
もっと注意を払っておくべきだった。
怪我人だと思って油断したのだ。
「怪我人……」
そうだ。
あの子は大怪我をしている。
いくら10階の窓から出て行くような身のこなしができるとはいえ、本来安静にしていなければならないのだ。歩くのだって辛いはずで、身体中が痛みを訴え続けているはずなのだ。
そしてふとその事実に気づく。
あたしは何を基準にしてあの子を医者に連れて行かなくても大丈夫、だなんて考えていたんだろう?
犬猫にするように包帯を巻いておけば治るとでも思った?
今までがそうだったから? 医者に連れて行くと実験台にされるから? 意識がはっきりしていて会話も出来ていたから?
冗談じゃない。
どんな理由があって出て行ったのかはわからない。やっぱりあたしのことが信用できなかったのかもしれないし、逆にあたしに迷惑をかけたくなかったのかもしれない。
でも知ったことか。
擦り傷や打撲だけじゃない。骨だって折れてるかもしれない。もしかしたら脳や内蔵にだって損傷があるかもしれない。そんな状態の女の子を放っておくなんてあたしの信条に反する。あの子は絶対にちゃんとした医者に見せる。
それこそ町医者が信用できないんだったられーちゃんに口の固い人を紹介してもらえば――
「あっ、れーちゃん!」
自分で見つけられないなられーちゃんに頼めば良かった。悪党探しの時に索敵能力の無さを自覚していたはずだったのに教訓が全然生きてない。
最初から医者も相談しておけば良かったのだ。そうしたら今とは状況も変わっていたかもしれない。
「連絡しなきゃ……ッ!」
走りながら携帯を取り出そうと上着のポケットに手を伸ばした時だった。
視界の端に、見覚えのある何かが映った。
「あれは……」
あの子だ!
ようやく見つけた。
良かった。
……けど、何だ?
安堵する間も無く気づく。
何かがおかしい。
「どうゆうこと?」
宙に浮いている。
四肢をじたばたと動かして、必死にもがいている。
見れば、彼女の全身に白い糸の様なものが張り付いている。
何がなんだかわからなくて立ち尽くしていると、向こうがこっちに気づいた。
「――っちに――ちゃダメです!」
「え? なん――」
あ。
何か、居る。
のそりと、それは暗がりから姿を現した。
最初に見えたのは灰色の脚だ。先端部が鋭利な杭状になっているものが最前部に1対。残る3対6本は鋼糸のような毛束で覆われた歩脚。毛の隙間から見える甲殻は黒光りしていて重金属を思わせる質感。
続いて頭胸部。サーベルタイガーの牙を真横にしたような巨大な顎。噛み付かれたら最期、骨の髄まで溶かされそうな毒をイメージさせる。その口の上には二列に並んだ8つの目。紅い眼球がクリクリと忙しなく動いている。
歩脚の基部となっている胴体の後ろには一際大きな球状の腹部があった。ここからでは見えないが恐らく末端には糸を出すための器官があるはずだ。
ここまで細部を把握できたのには理由がある。
それは人ほどのサイズもあった。
蜘蛛。
私の身長と同じくらいの巨きさの、化け蜘蛛だった。




