獣耳少女
カッチコッチと壁時計の秒針が音をたてて時を刻んでいる。
大小二つの蛍光灯が十分な光量でもって八畳ほどのスペースを照らす。
白を基調とした壁際には学習机と本棚。机の上には教科書や参考書が並んでいる他、小さめのノートパソコンが1台置かれている。その横にはペン立てとメモ帳。本棚はマンガだらけ。
ファンシーなクッションやら人形やらが部屋を埋め尽くしている。掃除をサボると母が腐った生ゴミを見るような目をしてくるので床には塵一つない。掃除は行き届いてる方だと思う。
ここは、あたしの部屋だ。
そして持ち主たる玖月歩はフローリングの上に敷かれたラグの上に胡座をかいて座り、腕を組んでしかめ面をしながらベッドの上を凝視していた。
「さて、どうしたもんかなぁ……この子……」
ベッドの上には獣耳を生やした少女が、熱にうなされるように荒い息をして横たわっていた。
◆
あの後、あたしは血だらけのキツネリスっぽい子を放っておけるわけも無く腕に抱えて帰宅した。
キツネリスっぽい子は見た目の大きさのままそれほど重たくも無く特に苦もせず抱えることができた。
ふわっふわの毛の手触りの奥に柔らかな肉の感触があって、熱くて、なんていうか生きてるんだなっていうのを、生きようとしているんだなっていうのを感じさせられた。
荒い呼吸を繰り返すのを見て動物病院に連れていったほうがいいのかと一瞬悩んだけれどその熱で家に抱えて帰ることを決めた。獣医に診せたところでこの子への正しい処置がわかるかどうかは怪しいし、何より未発見動物がモルモットにされるなんていうのはフィクションでもお馴染みだ。そんなことをされるぐらいだったらあたしがなんとかするしかない。
帰路は頼むから死なないでと祈るような気持ちだった。
人に見られたりしないかとヒヤヒヤしたりもしたが移動中は脱いだ上着で腕のあたりを覆っていたためたぶん大丈夫だったはずだ(おかげで一張羅は血まみれになってしまったけれども)。
無事に我が家まで辿りついたものの一番緊張させられたのはマンションのエレベーターに乗って10階で降りてからだった。自宅のドアノブを握る手にじんわりと冷や汗が滲む。どうか気づかれませんようにとそろりそろりとドアを開けて滑りこむように侵入し、すぐ横の自分の部屋へと潜り込んだ。マイルームへと入った時は安堵のために背をドアに預けてズルズルと座りこんだものだ。
あとで分かったことだけれどもこの時母は家に居なかった。というかしばらくは戻らないらしい。仕事でトラブルがあったらしく最低でも数日は留守にする旨の書き置きがあった。神様もたまにはいいことをする。グッジョブ。
さて、ここからが現在の状況に至った最大のターニングポイントなのだが……これまでにも怪我をした犬猫やら鳥やらを手当した経験を元に治療しようと、タオルを敷いたバスケットの上にキツネリスっぽい子を載せた途端のことだった。
最初は目の錯覚かと思った。なにせ体表が淡い光に包まれているように見えたのだ。
訝しんでいる内にどんどん光は強くなり、爆発でもするのかとあたふたしてると一瞬強い光を放って目がくらんだ。ようやく視界が復活したと思ったら目の前には不思議なことに獣耳の女の子が倒れていた。それも全裸で。
「れーちゃんに見られなくて、本当に良かった……」
しみじみと呟く。
玖月歩が自室で全裸の少女と二人っきり。こんな一文を聞くだけで彼女なら邪悪な笑みを浮かべるだろう。
「初めては私が良かったのだけれど、でも、いいわ」とか抜かしそう。ぶるるっ(怖気)。
とにもかくにも、目の前で起こった光景にしばし開いた口が塞がらないまま唖然としていたわけだが、ぐったりした少女をそのままにしてるわけにもいかず(全裸だし)、全身と傷口をお湯で絞ったタオルで拭き、絆創膏と包帯で処置をしたあと、自分のお古のパジャマを着せてベッドの上に寝かせた。
その際にドサクサに紛れて獣耳を触ってみたけれど本物としか思えない感触だった。それと、左手の手首。これまたおかしな事に小さな紫色の綺麗な石のようなものがあった。というか肉体と一体化していて取れなかった。それとこれはうろ覚えになるが傷の位置はキツネリスっぽい子とほとんど同じだ。
超手の込んだ手品だったり壮大なドッキリの可能性は捨てきれないが、もしそうでないのなら――信じられないことにこの子はやはりあの小動物と同じ存在で、しかも人間とはかなり体の作りが違うということになる。
「………………」
頭にちょこんと乗っかった少し長めのキツネミミを見る。
触り心地を思い出す。
ついっ、と手が伸びる。指先が触れるとピクン、っと動く。反射で嫌がるような素振りに若干引き気味になったけれど怖じけず更に手を伸ばす。手のひらで触れるとピクピクと連続した反応がある。もふもふのナイスな手触り。気持ちいー。
「ん、んぅ……」
少女がなんだか妙に可愛い声を漏らす。気にせず触り続ける。
「んぁ、あ」
手のひらでガッチリホールドしながら親指だけ円運動を描くように耳の入口をこしょる。親指の腹に伝わる繊細な感触。
「あっ……、あ、」
続けて今度は手のひら全体で撫でるように円運動。耳入口の毛のようなさわさわとした感触とは違う、サラサラとした毛並みに上等なレトリバーのそれをおもい出す。
「ハァ…ハァ……あっ、ん、……!」
もふりはエレクトにエキサイトを重ね、もはや天井知らずにエスカレート。
あたしは既に一個のかいぐりマシーンと化していた。
てかこの子いつの間にか可愛いを通り越してエロくない? うん、超エロい。けどやめられない。マジ気持ちいい。
「んっ、……んゅーー…」
あぁもうイイね。イイよ! 最高!
先の変身がどうのこうのという点にあっさり納得してしまったのもこの感触ゆえのこと。この熱、この感触、偽物だなんて断じてあるまい。
指先に神経が集まってるのは鋭敏なセンサーの役割を果たすためだと聞いたけれど哺乳類は素晴らしい進化を遂げたと言わせてもらおう。良くやった人間。この発展が無ければ今日の感動は得られなかった!
「ビバ! ビバ人間! ビバ進化!!」
「ビ、ビバ……?」
ビーバー?
リスはげっ歯類だけどもキツネリスちゃんは果たして同類になるんだろうか?
とか思いながら獣耳から視線を下げていくと、
――ばっちり目が合った。
「な、ななな……何をしてるんですかあぁっ!」
ガバッと跳ね起きた少女。
ベッド上で壁まで一気に後ずさり布団を片手で引き寄せて胸元から下を隠すようにする。
明らかな動揺と怯え。
「あ、っちょ、っちょ、ま、待って待って待って! 違うの違うのこれ違うの!」
「………………」
あたしの必死の弁明も虚しく、少女の警戒心は解けない。
当然だ。目が覚めたら目の前には知らない女が居て自分の耳をいじり倒していたのだ。怖くないわけがない。
「ほ、ほら! 少し珍しい形の耳してるから気になっちゃって! 触ったら気持ち良くて止まらなくなっちゃって!」
って、わー! バカバカバカ! 何言ってんだあたし、直球カミングアウトなんてしても意味無いだろ! 向こうこっち見てんぞ、めっちゃこっち見てんぞ!?
「………………」
あたふたと身振り手振りも交えて釈明を図ろうとするもまるで効果がない。少女は変わらず睨みつけるようにこっちを見ている。翡翠のような瞳の目尻には涙。
「え、えっと……あのね?」
くそう、なんでこんなことに。ううぅ、自重しときゃよかった。
後悔に打ちひしがれてもうどうしよう? 次何言おう? みたいな感じになっていたら、
きゅううううう、と、何かがすぼまるような甲高い音が室内に響いた。
少女の頬が朱に染まり、じっっとこっちを見ていた目がわずかに伏せられている。
それを見て、あたしが次に口にする言葉は決まった。
「ごはん作ってあるんだけど、食べる?」
◆
小さな口におかゆが運ばれる。
もぎゅもぎゅと何度も味を確かめるように咀嚼、飲み込む。そしてまたスプーンがおかゆをすくって口に運ぶ。
何度も繰り返されるそれを見てあたしは満足そうに微笑む。
「おいしい?」
今日のレシピは昆布でとったダシと少量の味噌、醤油、塩で味付けし、最期に玉子をといて作った自信作だ。おかゆに自信作もへったくれも無いと思う人も居るかもしれないが舐めてはいけない。雑炊系は味がぼやけやすいので難しいのである。
問いかけると声での返事は無かったし目も逸らされたけれどコクリと頷いてくれた。きっと照れてるのだと思う。
最初は毒でも入ってるんじゃないだろうかという訝しげな視線でもって差し出された食事を見ていた少女だけれど、空腹には勝てなかったのか臭いにつられてスプーンに手を伸ばした。そこからは味もお気に召したのか黙々と食べ続けている。
「あ、あの、ごちそうさまでした……」
「んふー、お粗末さまでした」
土鍋の中身が綺麗に空になった。小振りとはいえ結構な量が入っていたのが無くなる程の食べっぷりを見るとこっちまで気持ちよくなる。
受け取った土鍋と取り皿を脇に除け、少女に向き直る。
「さて、と。それじゃあ色々聞きたいことがあるんだけど、いいかな? あたしは玖月歩。キミは?」
ビクリ、と少女の体が震える。申し訳なさそうにまた目を逸らしながら
「……こうやって助けていただいて、ご飯まで頂いてしまって感謝しています」少女は続ける「でもごめんなさいです。あなたが何を知りたいのか私は知りえませんが、答えられないのです。自分が何者で、どこから来たのか、どんな目的があるのか、全て」
「名前も、ダメかな……?」
「名前ですらも、です……」
ごめんなさいと少女は再び繰り返した。目を伏せた様子は頑なだ。
「うーん」とあたしは唸る。日本語が話せる。コミュニケーションも問題無くとれる。なのに事情はすんなり聞けない。現実は上手くいかず、ナウシカのようにはなれない。
「ちなみに、それは何で?」
「…………あなたが敵かもしれないからです」
今までで最大の迷いを見せたあと、はっきりと少女は告げた。
なるほどな、と納得している自分が居る。
少女にしてみればあたしは初対面だ。いくら介抱したと言ってもそれだけで信用しろというには無理がある。
ましてや今の答えから考えるにこの子には明確な敵がいる。あたしがその敵とやらの仲間である可能性を考えるのは当然で、何も知らないフリをして情報を聞き出そうとしていると思われても仕方が無い。
でも、
「キミは優しいね」
それは恐らく建前だ。
「本当にそう思っているなら食事には手をつけない。あたしなら何が入っているか分からないものに手を出す気にはなれないよ」
「それは……」少女は言葉を探す。「その気なら寝ている間にとっくに注射でもされているから、無いだろうと踏んだだけなのです……」
素直じゃないなぁ、もう。
それなりには気を許してもらえてるみたいだと、そう思いたい。
「仮の話なんだけど、キミがあたしのことを既に疑ってないとした場合、さっきは嘘をついたことになる。じゃあ嘘をつく理由は何だろう? きっとあたしのためだよね? 下手に色々喋っちゃうとまずいっていうのは勿論あるんだろうけど、キミの持っている情報を知ることであたしが敵に狙われるかもしれない。キミはそう考えた」
そもそもが敵だと疑ってるのならそれを面と向かって相手には言わない。自分が圧倒的に優位に立っているのならともかく重傷の身だったのだ。わざわざ相手を挑発しても何の得にもなりはしない。
「正攻法で正面きってあたしを説得する手もあったけど、納得してくれないかもしれない。納得してくれないなら黙るしかない。なら恩人相手に自分が嫌われても、きつい嘘をついてでも納得してもらった方がいい。違う?」
他人のために自分が泥を被る選択をした。
だからあたしは優しい子だと思ったのだ。
「……例えそうだったとしても、何も言えないことに変わりは無いのです」
「だよねぇ」と返す。「しょうがないかぁ。いいよ、何も話さなくても。だからしばらくここに居なよ」
「え?」
少女はわけがわからないと言った表情。
「ほら、傷もまだ全然治ってないでしょ? 今日包帯巻いたばっかだから当たり前なんだけどさ。何も教えてくれないからってすぐ放り出すわけにはいかないよ」
「で、でもですね……」
「いーのいーの。寝てなさいって」
何か言おうとする少女の肩を掴んでちょっと強引に布団に横たわらせる。毛布をかけてやったあと、人差し指で額をちょんとつつく。
「子供なんだから遠慮なんかしなくたっていーんだよ? あたしもともとこーゆうタチだからさ。ゆっくりしていきなさい」
「……お姉さんだって、子供なのです」
「それでもあたしがおねーさんなのには変わりないじゃん?」
ベッドから離れてドアに向かう。
「あたしが居ると緊張して寝れないかもだからさ。リビングにでも居るよ。何かあったら呼んでね?」
「は、はい……」
「じゃ、おやすみー」
パタンと音を立ててドアが閉まる。
ペタペタとスリッパが床を踏む音を響かせながらリビングに向かう。今日はソファーでのご就寝になりそうだ。
それはいいとして結局何も聞けなかったのがやっぱりほんのちょっと悔しい。焦れる。事情ありそう、というか事情の塊みたいなコだったからそうなるかもという予感はあったけれど、いざ何も教えてもらえないとなると残念無念。
傷のことや耳のこと、手首の石、敵について。
それに、変身能力。
もし色々答えてくれるのだとしたら、あたしは真っ先にこう聞いたはずだ。「蜘蛛の姿になれる者の存在を知らないか?」と。
あの不可思議としか形容できない変身を見てしまったら連想せずにはいられなかった。
もしかすると、「人間大の蜘蛛」じゃなくて「蜘蛛に姿を変えられる人間」が居るんじゃないか?
その存在をあの子が知っているとしたら、あたしが「化け蜘蛛」である可能性はある程度否定されるんじゃないか?
少女と話している間、あたしにはそういう期待があった。
まったく汚い話だ。自分が嫌になる。最初は純粋に助けたいだけだったのにいつのまにか保身が混ざってしまっていた。あたしは最低だ。
「はぁ。疲れてるな。こりゃ」
リビングで壁に手を付きながら弱音を吐く。今日はもう寝てしまおうと考えていたら、台所を見て思い出した。
「あ、土鍋置きっぱなしだった」
引き返して自室のドアを開ける。
窓が開いてカーテンがたなびいていた。
机の上にはペンとメモ書き。「ありがとうございましたです」
少女が居なかった。
「しまった!!」
獣耳っ娘はかわいいですよね。魅力を伝えきれていない感があって歯がゆい。これからも精進しまっす(´・ω・`)




