夢と目覚めと悲鳴と
夢を。
夢を見ていた。
これは決して忘れることなく覚えているあたしの記憶だ。
あたりはガレキの山。
赤錆た鉄パイプだとか、灰白色のコンクリートの塊だとかが周囲を囲むように堆く積まれていた。
空気はすごいほこりっぽくて、なのに見上げる夜空は星がくっきり見えるぐらいに澄み切っていて、そして冷たかった。
身を切るような冷気は情け容赦無く体温を奪っていく。
この時のあたしは幼稚園児ぐらいの小さな子供だった。当時からやんちゃで公園でおままごとをするよりかは男子とかけっこをして遊ぶほうが楽しいと感じる変わった子供で、元気だけは人一倍だった。今ほど馬鹿げた体力をしていたかは定かじゃない。ただ、それほど競争時の勝率は高くなかった、と思う。
どのみち小学生にもならない未熟な身体ではあったが、それを差し置いてもこの時のあたしにとってはこの寒さは致命的だった。
いや、致命的というならそれはきっとこの空気じゃなくてあたしの身体から夥しく流れていく血の方だったのだろう。体を奔る熱は空気によって奪われているのでは無く、正確には血と共に流れ出している。
――――あたしはこの時、死にかけていた。
「………………う」
こぽりと血を吐く。粘着質な液体に覆われた吐気が大きな泡になって大気へと拡散していく。
「……はぁ……あ……」
カタカタと壊れたおもちゃみたいに震えながら手を真上の月へと伸ばした。
特に意味があったわけじゃない。
心細くて、とにかく何かに縋りたかった。丁度仰向けの視界に黄色くて丸いものがあったから握り締めたら少しはこの寂しさもも無くなるかもしれないと思って腕が勝手に動いてしまっただけだ。それも結局指先を握りしめる力すら残ってなくていたずらに不安を煽るだけだったけど。
「……ゃ……だ」
口先から拒絶の言葉が零れる。
「やだよぅ。なんで? なんでこんなに寂しいの? 痛いの? 苦しいの? ……あたし、こんなところで一人ぼっち……いやだ、死にたくない。死にたく、ないよ……」
納得できなかった。納得できなかったんだ。
こんな孤独を抱えてわけもわからず冷たくなっていくなんて、認めたくなかったんだ。
もっとちゃんと生きて、友達と遊んで、美味しいものをいっぱい食べて、勉強に悩んで、時には苦しい思いをするかもしれないけれど一生懸命に、恋をして、それから死にたかった。
世界に嫌われている気がする。いいや、どころかきっと無関心なんだろう。このおっきな星の一部の島国の小さな街の片隅で人一人死んだところで別に歯車に軋み一つ与えられやしない。それがなんだか『どうでもいいから消えていいよ』って言われてるみたいでたまらなく辛かった。
本当に、辛くて――
「あ……あ……や、だ……」
あたしはいつのまにかぽろぽろと泣いていたんだ。
「寒い、よぅ……」
伸ばした腕は月を握り締めるためだけじゃない。
虚空に投げ出せば誰かが手を掴んでくれるかもしれないと淡い期待をしていたからだ。
寒くて寒くて人肌との触れ合いを追い求めずには居られなかったからだ。
『大丈夫』
はたして、虚空を泳いだその手はどこからか響いてきた声と共に暖かな感触に包まれた。
『きっと、大丈夫だよ』
あたしは生涯この時の記憶を忘れることはないだろう。
絶望の淵にあってただ手を取ってもらえた。それだけのことなんだけど。
薄れることなく、
そのぬくもりを覚えている。
◆
目が覚めた。
目端がしょぼしょぼとするような野暮ったい感じではなく、正しく覚醒と言えるような目覚めだった。その証拠にパッチリとまぶたが開いている。
視界に映るのは見知らぬ天井、というのは誰の言葉だったか。緑色の塗装が所々禿げた金属の様を見て武骨かつ年代物の建物のようだと推測する。
「い、っつう~~~~」
軋んだ身体を無理やり動かすと節々が痛んだ。特にお腹の当たりは結構な鈍痛だ。腹筋を使って起き上がる事が既にマゾい。普段は何回やったところで疲労がたまることも無いのでいつまでも続けられるのに情けないことこの上ない。
「あれ? ここは……?」
体にかけられていた毛布を取り払う。どうやらあたしが寝ていたのは簡素なベッドの上だったらしい。しかも服も普段着では無く病人が着るような薄青色の薄着だった。貫頭衣?という奴だったろうか。
なんで自分がこんなところにこんなカッコで居るのかわからず混乱していると建物の鉄臭い匂いに混じって潮の香りがほのかに鼻腔を刺激した。
「海?」
耳を澄ませれば微かに潮騒も聞こえる。寄せては返す波の営みだ。知覚できる情報から海の近くの倉庫か何かかと今居る場所にあたりをつける。
まぁ現在地に見当がついたところで自分がそこに居ることについての不思議が解決したわけじゃないんだけど。自分で歩いてきた覚えは無いから誰かに運ばれたとしか思えない
なんて、自分が寝てる間のことを考えていたら気を失う直前の光景がフラッシュバックした。
「そうだ! テアちゃん!」
こうしちゃいられない!
「探しにいかなきゃ!」
ベッドから降りて出入り口まで歩いていく。裸足でぺたぺた歩いてると冬も近づいてきた床の冷たさがダイレクトに伝わってきたがそんな程度のことは今は気にならなかった。
ドアノブに手をかけて捻るも回らない。鍵がかかっている。良かろう、そっちがその気ならと全力で力を込めてみるがびくともしなかった。おかしい、なんだこれ。乙女としてどうかとは思うがあたしの握力はやろうと思えば簡単にドアノブを引きちぎれる。しかしいくら回そうとしてもピクリとも動かなかった。
「ぬおおおおおお!」
終いには両手で掴んでみたり押したり引いたりしてもみたけど全く意味が無かった。ぜーぜー言いながら諦めて他の手段を探す。
「くっそ、それなら」
この部屋で唯一の光源となっている明り取り窓からの脱出を試みることにした。壁の上の方に実際にくぐるとなると窮屈になりそうな小さいものだがあるのだ。少々高い位置にあるためジャンプして縁に指を引っ掛けて片手懸垂の要領で身体を持ち上げる。スライド式ではなくはめ込み式のガラスのみのタイプであったため、叩き割ってやろうと息を吸って右手でガラスを殴りつけた。しかし――
「嘘おっ!?」
ゴイーン、と超固いゴムを殴ったかのような手応えと共に反作用であたしは壁から落ちた。おのれ強化ガラスか何かか? その後何回か破壊出来ないか試してみたが結局成功はしなかった。むしゃくしゃしたので壁やさっきのドアにも色々ぶつけてみたけど同様の結果に終わった。
「どうなってるのかなこれ……なんていうか、すっごく不自然……」
窓ガラスの異様な耐久性もそうだがドアノブもおかしい。普通なら鍵がかかっていようとある程度の遊びがあるはずなのにそれすら無いかのようにガチャガチャ音が鳴る感じもしない。まるでドアが開くギミックなんて元から無く、鋳型に流し込んだ只の鉄の塊のようだ。
もしやこの出入り口はフェイクなのでは?と思ったのでそこら中の壁やら床やら天井やらをペタペタやってみたけど隠し扉の存在も無かった。
「うむむ、これぞ完全な密室……」
座って考え込んで見たけれどそれで解決するなら苦労は無い。あたしは事態の解決を時の流れに任せることにした。
一刻も早く脱出したいが出来ないものはしょうがない。ちらりとこのまま進展が無かったらどうしようと不安が鎌首をもたげたがその時はその時考えることにする。今はできることをしよう。
「……あたし、あいつにボコボコにされたんだっけ?」
何はともあれ自身の状態把握だ。あとあと脱獄再チャレンジを企てるにしても身体が最大の資本となるだろうからコンディションの把握は必須だ。
眠る前のことを思い出しながら両手に目をやる。奴の爪と殴り合いを繰り広げた末にボロボロになったはずのそこには包帯が巻かれていた。掌を握ったり開いたり肩や肘を動かしてみる。よし、問題無し。
自分がどのぐらい眠っていたのかわからなかったためもう完治したのかイマイチ確証が得られなかったので包帯を取る。外していく途中で何かが舞い落ちた。木の葉? しかも青い……。青って自然界に無い色じゃなかったっけ? まじまじと見てみるも青い以外はこれといって変わったところは無かった。
「傷口に当てられてた、のかな?」
どうやら薬草?の類と思うことにした。何枚か同じものが包帯の下に隠れてたので広い集めて机の上に置いておく。
手は完治していたみたい。結構な数の裂傷があったにも関わらず跡形も無く治っていた。ここ数年怪我をしていなかったからいつの間にか治癒能力まで向上したのか、それともさっきの薬草らしきものの効能かは判断がつかないけれど、僥倖だ。
次に恐る恐ると自分の腹部に手をやる。ツキンと電気信号が駆け抜けるように痛みが奔る。いったーい。
「けど、思ってた程じゃないよね? もっとこう、のたうちまわるようなのが来ると思ってたけど」
そもそもがここまでぎこちないながらも動き回れてたのが不思議と言えば不思議。
あたしの腹には化け蜘蛛が穿った大穴が空いていたはず。けどそこまでの激痛も違和感も感じない。ありがたいことだけど逆にそれが怖くもある。
「うーん、びびってても仕方ないか」
肉眼で確かめないことにはらちがあかない。直接目で見るべくまずは貫頭衣を脱いだ。部屋の隅にやや光沢のある鉄材があったので鏡代わりにすべくその前まで移動する。
見た感じ全身包帯でぐるぐる巻だった。たぶん、さっきの青い葉も同じように共巻きされているのだろう。なぜ真っ当な病院に運び込まなかったのかはわからないけれどここまで手の込んだ事をしてくれていることからあたしをさらってきた人物は今すぐあたしに害を成そうとはしていないことがわかる。……エロいことはしようとしてる可能性が捨てきれないのはすっごく嫌だけど。というか既にされた後だったり?
ぶんぶんと首を振って最悪な想像を追い払った。人の好意は疑うべきじゃない。少なくともあたしがここに連れて来られた時はスプラッタ映画もかくやという状態だったはずだ。そんな自分に欲情するとかどんな変態だ。れーちゃんぐらいしか考えられない。
包帯を取ろうとして手が止まる。今のあたしは着衣を一切つけていない。包帯だけが頼みの綱の最後の外部装甲だ。これを取ってしまったら正真正銘すっぽんぽんである。もしもこれを外している間に人が来たらと思うと躊躇せずには居られない。
「ええい、ままよ!」
どうせこの部屋は密室もいいところなのだから誰か入ろうとしようものならすぐにわかるでしょ!と果断にも包帯を一気に取り払った。青い葉と一緒にハラハラと白い帯が舞い落ちる。
「うわー。見れば見るほど綺麗に治ったね」
お腹には鋭い痛みがあったから完治はしていないのかと思ったが見た目上は問題ないようだ。となると中身が心配になってくるけれどそこはあとでれーちゃん経由でお医者さんに見てもらうことにしよう。
「よっ、とっ、はっ」
全身くまなくチェックするべく様々な角度から鏡に映る。一番大きかったお腹の傷が塞がっていたのであまり心配はしていなかったけれど念のためだ。一応乙女なので傷残ってたら嫌だしね。
「うふふ、こうして見るとあたしもなかなか……」
不必要にも人間美を追求した体勢を交えつつ外傷が見当たらないことを確認するといつのまにか本来の目的から遠ざかり初めたわけだが、この直後、あたしはとっととやめておけば良かったと後悔する羽目になる。
ガチャリ、と。
さっきは何をしてもうんともすんとも言わなかったドアがあっさり開いた。
「おや、もう目が覚めたのかい? 予想よりも随分と早かっ――」
黒色の彼だった。
時が止まった。
そこには全裸で鉄材に向かってポージングを取る悲しい女の姿があった。
というか、あたしだった。
「うん、まずは落ち着こうか。この場合私も君も悪くない。どちらにも罪は無いんだ。そう、あるとするならたった一つ、たった一つだ。お互い運が悪かっ――」
「ひきゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
あたしの絶叫が響き渡った。




