第5話 もう一度
俺が魔王を倒す?
フィクションでは数えきれないほど体験してきた王道な展開だったが、今はその文言を聞いただけで足がすくんでしまった。
あの小屋での死闘を経た後では。
「そんなのできるわけないだろ!俺は戦えないし、何より......」
そんな他人事に俺を巻き込むな。
そう続けたかった。
しかし、男の声が余白を喰らった。
「まあでも、そうは言ってらんねえと思うぜ?」
「お前、死んだままだぞ」
「......え?」
男の言葉が心臓を貫いたようだった。
呼吸が一瞬止まり、滲んだ汗が、肌を這う感覚だけが残った。
死んだまま?
茫然自失となり、一音さえ出せなくなった俺に対し、女は切り出す。
「結論からいうと、君は異世界転生していない」
「君がいた世界から見れば、確かにこの世界は異世界だよ。けれど君は生まれ変わってなんていない」
「君はあの時、鉄の塊に撥ねられ、死んだままなんだよ」
言葉は淡々と心を外皮から削り取っていく。
「も、もしそうだったとして、さっきまで魔物と戦ってた俺は何なんだよ?」
だとするなら、レンに起こされ、村へ行き、宿でふっかけられ、小屋で魔物に襲われた今の俺は一体何なんだ?
俺は、誰だ?
「それも、間違いなく君だ」
「じゃ、じゃあ死んでなんかいないじゃないか!」
自然とわずかに口角が上がっていた。
そうだ。死んでなんかいない。
息をして、歩いて、言葉を交わして、俺は生きていたはずなんだ。
女は考え込むように唸り、話を再開した。
「君の損傷した身体を修繕して、無理やり魂を縛り付けていると言った方がわかりやすいかな?」
難解なパズルを丁寧に紐解くようだった。理解が進むほどに、残酷で直視し難い現実を突きつけられるような気がして、胸が重たい。
「気づかなかったか? お前、この世界に来てから寝ようとしても寝れなかったし、腹も減らなかっただろ。死人はその二つを必要としないからな」
ここで男が更なる証左を突きつけたのだった。
この半日を思い起こす。目覚めてから今の今まで、水すら口にしていない。口にしようとすら思わなかった。あれだけ疲弊していたのにも関わらず、一睡もできやしなかった。
それらは俺が死んでいるからだと、『火』は言う。
今この時も死んでいると。
どうにもできない確定した現実が、大波のように一気に押し寄せてくる。
俺という存在を飲み込み、口から肺へ、肺から全身へ、現実は根を広げ、そして余すことなく満たしていく。
内にも外にも、もはや逃げ場などない。
呼吸が、うまくできなかった。
この感覚でさえ、幻覚なのかもしれない。
俺は、死んでいるのだから。
「けれど、君を生き返らせる手立てがないこともない」
声の主は女から老人へと変わった。
それを聞いて、ほんの少しだけ息ができた。
「さっきも言ったようにわしたちは不死鳥の因子じゃ。持ちうる全ての力を使い果たせば、人一人ぐらいは蘇生できるだろうよ」
「だが、それはこちらの目的が為された後じゃ」
「さっきも言ったが、お前の魂を俺たちが無理やり縛り付けている状態だ。もし降りようってんなら、お前に用はない。お前の身体から退散させてもらうさ。ここまで言えば、もう予想はつくだろ」
思わず息を呑む。
口調は先刻までと何ら変わりないのにも関わらず、男の声にはいざとなれば、迷わず実行するという覚悟が透けて見えた気がした。
「私たちの目的が達成されたなら、この力を君の蘇生に使うと約束するよ。今度こそ文字通り転生だ」
「君は生き返りたい。私たちは魔王を討ちたい。互いに目的は異なれど、手段は同じだと思う」
「生き返りたいだなんて......」
「おや、違うのかな?そうなってくると、もはや前提が崩れてきてしまうけど」
女は俺を試すような口調で言う。
ああ、今すぐにでも諦めたい。
全てを投げ出したい。
魔王討伐なんて俺には無理だ。
あんなちっぽけな魔物相手でさえ、圧倒されてしまった。
思い出すだけで恐怖に足がすくみ、心臓の鼓動を抑えられない。
それに元々トラックに撥ねられ、あの場で終わりを迎えていたはずの人生。このまま終わればそちらの方が自然だ。道理だ。
そうだ。諦めるなんて簡単じゃないか。俺が一番得意なことじゃないか。何度だってやってきた。信条にだってしてきた。
……
…………
……ああ。
でも、それでも。
あの感覚を。
あの全てを失う感覚を。
死を、もう体験したくない。
もう一度。
もう一度、あの選択をやり直せるのなら。
今度こそは、もう片方の選択を。
『火』をじっと見据える。
『火』が揺らぎ、その形を大きくしたように見えた。
「君の意思は確認できた」
女はふっと鼻で笑い、一言だけ告げた。
次の瞬間、揺蕩っていた灼光が視界を真っ白に埋め尽くした。
*
「はっ!」
目を覚ました瞬間、鼻孔に香ばしい藁の匂いが広がった。
薄い黄金色の藁が、肌をチクチクと刺激する。
「やっと起きたカー」
眼前の光球が呆れた声で投げかけた。
橙色の陽の光が、藁の山にもたれる俺の足を照らしていた。
もう夕方だ。
「レンは外に出ているゾ。食料を買ってくるんだとサ」
「そ、そうか」
静寂が訪れ、間の悪い空気が広がる。
目覚めたばかりだからか頭がろくに働かない上に、ピクトとは一対一で話したことがほとんどない。
ピクトは変わらず、俺の前に浮遊したままだ。
彼の視線こそわからないが、そこにいるだけでじっと監視されているような気分だった。
一秒、一分、はたまた一時間か。いずれかの末に耐えられず、口を開いた。
「俺、どのくらい寝てた?」
「半日ぐらいだナ。昨日は寝れなかったとはいえ、流石に寝過ぎだゾ」
「ご、ごめん」
ピクトの調子の変わらない口調に、思わず謝ってしまった。
再び、場が静寂に包まれそうになると、
「ただいま〜!食べ物買ってきたから、食べよう!」
両手に果実や干し肉などの食材を抱えたレンが扉を開けたのだった。
「アキラ、目が覚めたんだね。よかった!」
そう言うと、レンは抱えている袋の中をガサガサと漁り、拳程度の大きさのりんごに似た果実を差し出した。
「昨日から何も食べてないでしょ?」
「俺は大丈夫」
実は俺は死人で食べる必要がないんだと言える気がしなかった。
「しっかり食べるんダ!」
追い討ちをかけるように、ピクトがせっつく。
仕方なくレンの手から果実を取り、一口齧った。
シャクシャクと音を立てて噛むたびに、果汁が口の中に溢れる。
けれど味がしない。
これがあの『火』が言っていたことか。
レンも果実にかぶりつく。ピクトはレンの噛み跡から食べていた。
レンの頬がふと緩んだ。ピクトも顔こそは見えないものの、どこか光の発色が暖かくなっていた気がした。
人は何か食べた時には自然と笑顔になってしまうものだ。生きる上で必要な食事にありつけ、生きながらえることに対しての喜び。知性ではなく、本能からくるものであるに違いない。
そんな彼らをみても、それでも、味はしなかった。
「アキラは、この後どうするの?」
レンは果実を片手に尋ねる。
以前は安定した生活でなんとなく生きていければいいと思っていたが、今は違う。
大きすぎる目的ができてしまった。
自分の命を取り戻すために。
「レン達は魔王討伐の旅をしているんだよな?」
「そうだよ」
彼女達は、旅の最中に俺を見つけた。
そう言っていたはずだ。
「俺もそれに同行させてもらえないか?」
「えっ!?」
手にしていた果実を地面に落とし、ひどく驚いた表情を浮かべた。
もし断られてしまったら、諦めて一人でコツコツ行くしかないな。
そんなことを思いつつ、彼女の答えを確かめる。
「ダメかな?」
レンは何度か瞬きした後に、かぶりを振った。
「ううん、逆だよ!仲間は何人もいた方がいいし。ピクトもいいでしょ?」
「......まあ、アキラには助けられたしナ」
よかった。ほっとした。
手のひらに汗が滲む。
さらっと同行させてくれなどと言ってのけたものの、こうして後になると実際はとても緊張していたのだと身体が強く訴えかけた。
果実に齧りつくレンとピクトを見ている間に、陽はその身を隠し始め、僅かな残光が物の輪郭をなぞっていた。
藁のベッドで体を包み、床に就く。
「魔除けを新しくしたから、安心して寝れるよ」
「ありがとう」
彼女の親切心への罪悪感が胸をついた。
自分がこの罪悪感をいつまでも耐え続けられるとは思わない。
いつかは伝えなきゃいけないな。
「おやすみ!」
目を瞑る。
眠れはしないけれど、視覚情報を遮断するだけで、頭への負荷は抑えられる。
新しく情報が入ってこない代わりに、記憶が脳裏を今から過去へと次々と巡る。
巡り行く記憶の中、唐突にその流れがつっかえた。
あの時。
俺がレンに同行したいと言った時。
一瞬、ピクトが言い淀んだ気がしたのは、気のせいだっただろうか。




