第4話 炎
炎が全身を包んでいく。
激痛に支配されていた脳は、瞬時にこの身を灼く炎によって上書きされた。
内と外の両方から炎は俺という存在をじっくり、そして激しく追い詰める。
(熱い!熱い熱い熱い!)
溢れた汗と涙は瞬時に蒸発し、大気へ溶けていく。
火が、弱音を吐くことさえも許していないようにも思えた。
やがて焼けるような痛みは痒みに似た違和感へと変わった。視線を落とすと、そこには食いちぎられたはずの右腕があった。
この肉体に、一体何が起こってしまったのか。
しかし、今はそんなことを考えている暇はない。
(周りはどうなった?)
ちらりと目を向けると、レンはあんぐりと口を開け、呆然と立ち尽くしていた。
目の前で人が燃え出したら、そうなるのも無理はないだろう。
一方で、影たちはなぜか無防備なレンではなく、俺の方へ敵意を向けているようだった。
彼らの本能がそうさせたのだろうか。
考える暇はすぐに消し飛んだ。
「アキラ!来るゾ!」
呆然と立ち尽くすレンに代わって、ピクトが警鐘を鳴らす。
先に右腕を奪った影が床を蹴り、一呼吸の間に、俺との距離を詰めた。
人間の限界を超えた速さに身体の反応が遅れる。
再び鋭い牙が筋肉を穿った。
奇しくも、また右腕だった。
肉が裂ける痛み。
再び訪れたこの感覚は間違いなく俺自身のものだった。
牙が骨へと到達したかという時、右腕に宿った炎が影に触れた。
刹那、影の全身が炎を発した。
顎を右腕から離し、その場でのたうち回る。
その姿から脅威はもう抜け落ちていた。
数秒は動いていたが、次第に勢いを失い、ついには止まってしまった。
炎は変わらず、影だったものを焼き続けている。
暴力的な赤色の瞳はすでに輝きを失っていた。
し、死んだ?
俺が、殺した......?
こちらの命を奪おうとしたのだ。当然の報いだろう。そうやって心に言い訳をしても、飲み込み切れない蟠りが喉につっかえるようで、息が苦しかった。
「もう片方は?」
はっと顔を上げる。
たしか小屋には二匹、侵入してきていたはずだ。
「とりゃ!」
どこか拍子抜けする声だったが、それとは反対に美しい剣筋。
振られた刃は真っ直ぐに影の首を断った。
もう一匹を、ちょうどレンが仕留めたところだった。
「残りは逃げたみたいだナ」
「ふー、疲れたー!」
一息つき、レンは剣を鞘へと収める。
(終わったのか?)
気が付けば、戦いを終えた俺たちを寿ぐかのように、窓から朝日が差していた。
それでも、動悸は落ち着かない。
くらりと、めまいがした。頭が振り子のように右へ左へ揺れる。その反動で足元がぐらついた。
「大丈夫?」
倒れかけた俺を、レンが支えてくれた。
全身にわたって揺らめいていた炎はすでに消えている。
「ありがとう。そっちは怪我ないか?」
「うん、大丈夫」
レンは頷き、続ける。
「さっきは助けてくれてありがとね」
彼女のはにかんだ笑顔は、朝日と相まってとても輝いて見えた。
「あ、ああ」
それに反して、気のない返事だった。
無愛想なことはわかっている。
しかし、そんな余裕がないほどに、身体的にも精神的にも疲労困憊だ。
結局、昨日の夜もまともに寝られなかった。
その眠気が今になって、決壊した洪水のように迫ってきていた。
正直今からここでもう一度眠ってしまいたい。
重なった藁に腰を下ろす。
硬い。昨日の柔らかさはどこへ行ってしまったのだろうか。
色の変わった藁に触れると、パラパラと灰になって指先で解けた。
「あの炎って、アキラの因子、だよね?」
顔を上げると、レンが目を輝かせて、こちらを見つめていた。
その姿は尻尾を振り、主人の合図を待つ犬のようにも見えた。
これも因子の影響なのだろうか。
「自分でも、分からないんだ」
思い出す度に脳裏を過るのはあの『火』だった。何かしらの鍵を握っているのは間違いない。憔悴しきった頭でもそう確信できた。
脳の中心からじんわりと熱が広がる。
そろそろ疲労の限界かもしれない。
「ピクトは何か知らない?」
天井から降りてきた光球にレンが問う。
「んー、俺も初めて見たナ」
世界の明度が上がっているからか、ピクトの光が弱くなっているように思えた。
因子を司る精霊である彼にも、俺の力の正体はわからないらしい。
「そっかー。腕がまた生えてきただけでもすごいのに、火も出せちゃうんだから、何の因子なのか知りたかったんだけどな」
残念そうに肩を落とし、小さく息を吐いた。
冷えた身体を溶かすように日差しが照らす。
「アキラ?」
最後にそう聞こえた気がした。
*
一点、ぼうっと火が灯った。
広がる暗黒に、揺曳するたった一点の焔光。
間違いない。
ここはあの夢の中だ。
「ちっとはマシな顔になったか?小僧」
聞き覚えのある男の声が確かに『火』から聞こえた。
「マシも何もあるもんか!」
「転生したと思ったら、魔物に襲われて、また死んだかと思ったら、身体がいきなり燃え出して......」
思わず、胸に抱えていたものを全てぶちまけた。
傍から見れば、癇癪を起こした子供のように見えただろう。外面を気にする余裕がないほどに心は衰弱していた。
そんな俺に対して、男は小さく、笑いをこぼした。
「そういう顔だ。そういう目だ。俺が好きなのは」
一瞬、何を言っているのか理解できなかった。
奥歯にグッと力が入る。
なんだこいつ。イかれてるのか?
こめかみに熱がこもり、頬が引き攣る。このまま怒りに身を任せてしまいそうだった。
「そこまでじゃ」
ひどく落ち着いた老人の声だった。
積み重ねた経験からだろうか。その端然とした雰囲気に、こみ上げてきた怒りの発露は一時停止し、空気も幾分沈静したように感じた。
「そうか?こんな奴にはこれぐらいでちょうどいいと思うが」
「今、やるべきことではないでしょ?」
男の軽口を、次は女が嗜めた。
そのまま女の声が続く。
「彼は君を前にするとどうも気が立ってしまうみたい」
「こうして話すのは二度目だね。前回は話す余裕がなかったから、君が混乱してしまうのも無理はないよ」
「私たちは君に説明をする義務がある。できる限り君の疑問に答えたいと思う」
毅然とした口調で女は語る。
思いがけない好機だ。聞きたいことが山ほど溜まっている。
そういうことであれば、知っていること全てを聞かせてもらおう。
「俺の身体からいきなり出てきたあの火は何なんだ?」
手始めに、あの馬小屋で起きたことについて、俺は尋ねた。
「因子についてはもう知っているかな? 君のその力は私たち、不死鳥の因子によるものだ」
因子。
この世界で精霊から人間に与えられる力。
レンは、モチーフとする動物や道具などに関する能力と言っていた。
その中でも、身体に纏っていたあの炎は不死鳥の因子だという。
「あらゆる傷を癒す不死鳥の炎が君の危機に反応したってわけだね」
たとえ身が滅びようとも、炎を纏い、蘇るとされる伝説の鳥。
以前の世界でも十分有名な存在だったが、こちらの世界でも存在しているらしい。
「なんで、俺がそんな力を?」
至極当然の問いだと自分でも思う。
ここまで来たら、自分がある種の祝福を授かるような、出鱈目な形でこの能力を得たわけでないことは薄々気づいていた。
「察しが良くて助かるよ。そしてここからが本題」
「君を助けたのは、私たちの目的に君が必要だからだ」
一段、声のトーンが落ちた。
「今この世界は人間と魔族に二分されている。人間が大きく遅れを取っていてね。 一対九、いや今は一もないかもしれない」
「私たちの悲願は一つ。魔族を滅ぼし、人間勢力を復権させること」
「そのために、君には魔族の首魁、魔王を討ってもらいたいんだ」
『火』は確かに、俺に魔王を倒せと、そう告げたのだった。




