第3話 襲撃
何秒、何分、いや何時間経っただろうか。
頭の疲れは感じるが、なかなか眠りにつけず、ただ視界を遮っているだけだった。
こういう時の定番といえば、羊を数えることだが、効果はなかったとだけ言っておこう。
外から入ってくる風が藁の匂いを巻き上げる。まるで自分が馬だと錯覚してしまいそうだった。
そうだ。羊の代わりに星を数えてみるのはどうだろうか。実際に見て、数えれば眠くなるかもしれない。
ひとりぼっちの天体観測も悪くないだろう。
「二人とも起きロ!魔物ダ!」
唐突に騒がしい声が響いた。
まるで頭をハンマーで叩くように何度も声が反復する。
ピクトが薄暗く小屋の中を照らす。
壁の窓からは空の色が窺えた。月光が眩い。夜はまだ続く。
「起きロ!早く起きロ!」
立ち上がっても、ピクトは依然として声を響かせる。
まだレンは起きていないようだ。
ダメ押しにピクトが彼女の頭の付近を飛び回る。
そしてついに、レンは目を開けた。
「むにゃ......」
腑抜けた声を出し、レンは藁の山からゆっくりと身体を起こす。
「レン!魔物ダ!早く準備しロ!」
「え、魔物!?ここ一応村の中だよ?」
「この辺は魔除けが薄かったみたいダ!」
ピクトの分析に目を擦る手が止まった。思い当たる節があったようだ。
「どうりで人がいなかったんだね」
寝起きにも関わらず、ものの数秒でレンは事態を把握し、剣と盾を構えた。
「アキラ!」
自分の名前が呼ばれ、無意識に背筋がピンと伸びた。
「大精霊に誓ってアキラのことは私が守るから」
ドクンと鼓動が一つ大きくなった気がした。
剣がピクトに照らされ、鋭利に輝く。
丸腰の俺をレンが守ってくれるらしい。
確かに彼女は武装しているし、俺が守られる側なのは道理ではあるが、まさか女の子に守ってもらうとは。
なんか、新鮮な気分だな。
なんてふざけた考えもすぐに緊張で上書きされた。
「レン!来るゾ!」
警告も束の間、壁が突如として打ち破られた。
同時に黒い影が一つ、小屋の中に入りこむ。
ピクトの光によってその姿が白日の下にさらされた。
幾千にも連なった牙が剥き出しになり、緑色の液体を滴らせている。
犬のようでいてかつ爬虫類を思わせるような体つき。
さらに全身には黒い靄のようなものを纏っていた。
それはまさに魔物と呼ぶに相応しい風貌だった。
「っ......」
ふいに、紅色の瞳と目があってしまった。
すぐさま目を逸らし、息をのむ。
頼むからこっちに来ないでくれ。
祈りも虚しく、それは口を大きく開け、こちらへ跳躍した。
(やられる......!)
咄嗟に目を閉じ、腕で頭を守る。
しかし、その鋭い歯が俺を切り裂くことはなかった。
「はっ!」
目を開けると、魔物だったはずの死骸が床に飛び散っていた。
レンの剣が背後からそれを切り裂いたのだ。
「まずは一匹!」
意気揚々にレンは剣を振り、刃についた紫色の体液を払った。
斬り捨てられた頭部は表面の筋肉が細かく痙攣している。
沸々と込み上げる形容し難い嫌悪はやがて吐き気へと変わった。
(うっ......)
全てを吐き出してしまいそうだったが、なんとか腹に押し込める。
呼吸をするだけで今は精一杯だった。
「残り四匹だゾ!」
ピクトが伝えた途端、穴からもう一匹現れた。
さっきレンが斬り捨てた個体よりも体格が一回り大きい。
大型犬ぐらいだろうか。
「しつこい!」
剣を持ち上げ、振り下ろす。
しかし今度は一刀両断、とはいかなかった。
振り下ろされた剣は小さな火花を散らし、剥き出しの牙によって弾かれた。
一瞬できたレンの隙を見逃さずに、影が飛び掛かる。
しかし、レンの盾が寸でのところでそれを阻んだ。
ここまでほんの数秒。
少しでも気を抜けば、命を刈り取られてしまう。
そんな状況に自分がいると痛いほど実感させられた時間だった。
息を忘れてしまうような空気の中、ふと頬に熱を感じた。
様々な感覚から神経がオーバーフロー気味な状況で、その熱だけはひどく鮮明だった。
壁だ。
壁の向こうから熱を感じる。
一度、瞬きをした。
ほんの一時、ただの瞬き。
ただ、この生と死のやり取りにおいてそれは十分すぎる時間だった。
新たな影が壁を打ち壊し、レンへと飛び掛かったのだ。
身体は勝手に動いていた。
レンの側へと伸ばした右手に牙が突き刺さる。
鋭い牙は肉を引き裂き、奥へ奥へと深く沈んでいく。
筋肉が焼けるような感覚と血液が溢れる感覚だけが脳を支配する。
どれほど我慢しても、どれほど抗っても、苦悶は終わらない。
途方もない時間が過ぎたようにも思えた時、ふっと腕が軽くなった気がした。
腕に食らいついていた影は退き、もう一匹の横に並んだ。
やっと行ったか。
放してくれたとはいえ、傷は残っているだろう。
処置をしなければいけない。
右腕へと目をやる。
「......っ!」
絶句した。
右腕の肘から下が、存在していなかった。
先ほどの焼けるような痛みとは一変、万物を凍えさせ、引き締めるような鋭い痛みが襲う。
腕の神経から脳へと伝達された痛みは、汗と涙に変換されるだけだった。
呼吸がうまくできない。
この痛みを叫ぶことができたら、幾分マシだっただろう。
影は連なった歯でゆっくりと噛みちぎった腕を咀嚼する。
まるで俺のことを嘲笑っているかのようだった。
目の前の現実から逃げ出すように、自然と顔を俯けてしまった。
(クソクソクソ!諦めればよかった......!)
今になってそう思う。
諦めるなんて、俺の一番得意なことじゃないか。なんでこういう時にできないんだ。
今思えば、出会って一日も経っていない人間なんて、ただの他人なのに。
コップから水が溢れるように、血が腕を伝い、床へ広がっていく。
すでに足元は赤色に染まっていた。
「アキラ!?」
自分を呼ぶ声がする。
ああ、なんだこれは。
その声で、胸が空っぽになったみたいに軽くなった。
反対に全身は鉛のように重い。
耐えきれず、両膝をついた。
俺の名前を呼ぶ声が何度も反復する。
諦めろよ俺のことなんか。
なんで諦めないんだよ。そっちの方が楽なのに。
俺のことなんてほっといていいのに。
鉄の匂いが鼻孔をくすぐる。腕から流れ出る血は勢いを弱めない。
また、俺は死ぬのか。
ついこの間、死んだばっかなんだけどな......
遠くで金属同士がぶつかり合うような音がした。
彼女は、レンは、まだ戦っているようだ。
苦戦することなく倒してたし、不意打ちがなければ問題ないだろう。
せっかく庇ったんだから、長生きしてほしいな......
瞼が徐々に下りる。
その時、ふと胸に熱を感じた。
この熱は?
この世界へ来る前のあの妙な夢が脳裏をよぎる。
熱は全身に広がり、やがてある形を作り、現れた。
身体が、火を噴いたのだ。
「ア、キラ?」
俺を見て、レンがそう囁いた。




