第2話 異世界転生?
気がつくと、闇の中にいた。
夜の暗闇などのような紛い物ではない。
全ての終わり、あるいは全ての始まりとも言える真の闇。
(ここはどこだ?)
遠くに一つ、火が見えた。
暖かくて、眩しい。
「おい!あんまボケっとしてんじゃねえよ!」
『火』が、喋った。
「チッ! こんな貧弱そうな奴で本当にいいのか?」
「私は、嫌いじゃないけど?」
「元よりわしらに選択肢なんてないんじゃよ。しょうがない」
揺蕩う『火』から次々言葉が発せられ、その度に形が揺れる。言葉一つ一つが違う人間のもののようだった。
多重人格、とは少し違いそうだ。
「おい、小僧!」
低く、荒っぽい口調の声は屈強な男性を彷彿とさせた。
「酷い生き様だったみたいだな、お前」
生き様。嘲笑を含んだ男の声は確かにそう言った。
「流石に言い過ぎじゃない?」
割り込んだのは女性の声だった。俺の親ぐらいの年齢だろうか。そう思わせる貫禄のようなものを帯びていた。
「これは俺たちの目的のために、たまたまお前が適していただけだ。ただの運だ。特別に選ばれたわけじゃない。付け上がるんじゃないぞ」
「一体何のことだよ?」
ここで俺は初めて声を上げた。
何を言っているのか。何が起きているのか、まるで見当がつかない。ただ、男の傲慢な物言いがひどく癇に障った。
「悪いが、お前さんしかいないんじゃ」
今度は老人の声だった。
三つの異なる声が目の前の一つの『火』から聞こえてくる。
非現実的な状況に脳は限界を迎えようとしていた。
再び現状を問いただそうとした次の瞬間、目前の『火』が胸へと入り込んだ。
「......っ!」
『火』は内側から身体を灼き、声にならない絶叫が俺だけの空間に溶けていく。
呼吸のたび肺が疼き、痛みでどうにかなってしまいそうだった。
皮膚、肉、骨を灰へと変容させていく。
肉体全てがただの灰に成り果てた時。
意識はプツンと途切れた。
*
揺れる。
揺らめきは肉体だけでなく魂もその所在を曖昧にする。
まるで海の上に漂う流木のような感覚だった。
(ん?確か、俺は......)
不規則な動きに身を委ねる中、ふいに俺は自分の身に起きたことを思い出した。
はっと目を開ける。
「うわっ......!」
思わず声を上げてしまった。
「あっ、やっと起きた!」
反射的に飛び起きた俺を見て、少女は安心した表情を見せた。
「こんなところで寝てたら大変だよ!この辺は魔物がよく出るから」
ま、魔物?
思わず自分の耳を疑う。
魔物ってあの漫画とかアニメに出てくるやつか?
混乱したまま、彼女に目をやる。
透明感のある肌に、凛とした瞳。
落ち着きと温かみを感じさせる茶色の髪をなびかせていた。
美少女と呼ぶに値する容貌だったが、特筆すべき点は彼女の服装だった。
金属製の防具を身に纏っており、腰には剣を、左腕には盾を携えている。
離れていても重厚さを伺わせるそれは到底現実のものではないように見えた。
「そんなジロジロ見ないでよ」
「ん、ああ。ごめん」
頬を薄く赤らめた彼女から視線を逸らし、頭を最大限に回す。
確か俺はトラックに撥ねられて......
……死んだはずだ。
しかし、試しに手足を動かしてみても、何も問題はない。
加えて身体中の痛みも綺麗さっぱりなくなっている。
自分の死に際の記憶。馴染みのない世界。
う〜ん。
記憶の引き出しを片っ端から開けていく。
これはもしや。
俗に言う異世界転生ってやつなのか?!
一度頭に浮かんだら、もはやそうとしか考えられなくなっていた。
「私はレン。あなたの名前は?」
武装した美少女は問うた。
「俺はアキラ」
「ふーん。アキラ...... アキラ...... 良い名前だね!」
おお。名前で初めて褒められた。
存外悪くない気分だ。
「いやー、嗅いだことのある匂いだと思ってきてみたら、人が倒れてるんだからびっくりしたよ」
「そんな犬みたいな......」
「よくわかったね!私、犬の因子なんだ!」
反射的に出てしまった言葉にレンはここぞとばかりに食いついた。
まじで犬なのかよ。
因子、というのは固有の能力のようなものだろうか。
「その因子ってのは何なの?」
唐突ではあるが、尋ねてみた。
「えぇ〜、因子知らないの?そんな人、この世界にいないよ」
なんか酷く馬鹿にされたような気がしたが、後半に関しては特段間違いではないので、言い返しづらかった。
「因子っていうのは、人が生まれた時に精霊から授かる力のことだよ。動物や道具とかに関する力が使えるんだ」
「例えば私の犬の因子。すごく鼻が利くんだよ」
「なるほど」
なかなか便利そうなものだ。
例えば、ここが異世界なら、竜の因子みたいなのもあったりするのだろうか。
「まあでも、嗅いだことあるっていうのは気のせいだったのかな。私、あなたことは知らなかったし」
しばし親指を顎に当て、考えているようだったが、思い出したように目をパッと開け、こちらに顔を寄せた。
「と、に、か、く!ここは危ないから一旦近くの村まで行くよ!このままだと私も野宿することになっちゃうし」
艶やかな茶髪を揺らし、レンは背を向け歩き出した。
行くあても情報もないので、とりあえずついて行ってみることにした。
*
あ〜、異世界転生か〜。
村に向かうレンの後ろを歩きながら、ふと考える。
目に映る青空も、肌に感じる風も元の世界と何も変わらない。
それが何よりの生の証拠だった。
転生してしまったからには、再度人生を始めなければならない。
元の世界ならば社会のレールに乗っかっていけば、無駄にエネルギーを使わずに生きていけたが、この世界では違う。身寄りがなく、発達したテクノロジーに頼り切っていた俺が、はたしてこの世界で安定した生活を手に入れられるだろうか。
いや、絶対無理。
何気なく空を見上げる。
日差しの暖かさに、あることを思い出した。
この世界で目覚める前。
妙な夢。
あれは何だったんだ?
真っ暗な世界に、喋る『火』。
彼らの言葉の真意はまだわからない。
このまま記憶の片隅に追いやってしまった方が楽な気がした。
異世界転生の定石だったら何というかこう、便利な能力とかもらえるはずなんだけどな。
今のところその兆候は一切みられない。
さて、どうしたものか。
「ところでアキラはどこから来たの?」
レンは足を止めずに、尋ねた。
ここは怪しく思われないためにも適当にはぐらかしておいたほうが良さそうだ。
「覚えてない」
「じゃあ浮浪者、だね」
今度こそは悪口としか思えない言葉をきっぱりすっぱりあっさりと言った。
「浮浪者ってひどいな......」
「別に孤児って年齢でもなさそうだよねぇ?」
「なっ......!?」
口をニヤつかせ、ジト目でこちらを見つめる。
この子、もしかして結構いい性格してる?
この独特な距離の詰め方も因子によるものなのだろうか。
「俺は十九歳。そういうレンは何歳なんだよ」
「私は十五歳だよ。ちょうど成人したばかり」
この世界での成人年齢は十五歳なのか。
不意に中学時代の歴史の授業を思い出した。確か中世の頃の日本では同じぐらいの年齢だったか。
当たり障りのない世間話をしていると、前方で道が二手に分かれていた。
「こっちが村の方だね」
レンは左の道を指差し、歩みを進めた。
二時間ほど経っただろうか。
俺たちを照らしていた太陽は色を変え、その姿を隠しつつあった。
「あとどのぐらいかかるの?」
「もうちょっとだよ。ほら見えてきた!」
ちょうど正面に密集した建物が見えた。
どうやらあれが村みたいだ。
村に入り、周りの家の二回りほど大きい建物の前でレンは足を止めた。
「ここがこの村の宿だね」
レンはそう言ったが、建物の見た目からして簡単には飲み込めなかった。
壁のところどころがひび割れ、木の柱の一部が欠けてしまっている。
差し込む夕日がそれらの影を一層深くみせた。
(ここ、本当に宿だよな......)
「アキラはお腹空いてる?」
「いや、空いてないけど」
随分と長い時間歩いてここまで来たが、なぜか空腹感はなかった。
「じゃあご飯は後にして...... よし、入ろっか!」
「え、入るって、俺お金持ってないよ」
「大丈夫だから、ね!」
ためらう俺の手を半ば強引に引っ張り、レンはドアノブをひねる。
ドアの向こうは、開けた空間だった。
吹き抜けの構造になっており、向かって左の階段から二階へ行く作りになっている。
二階の廊下はロフトのようになっていて、各部屋のドアは入り口からでも見ることができた。
どうやら一階が受付で、二階が部屋のようだ。
「いらっしゃい!」
受付に立つ大柄な男が、そう言ったのだった。
「すみません。部屋をお借りしたいんですけど」
レンは何かをポケットから取り出し、机の上に置いた。
男はそれを入念に確認すると、ため息をつき、切り出した。
「勇者様ねぇ...... 好きに部屋を使ってもらって構わないさ」
振り返らずに二階の部屋を指差した。
「ただし、後ろの兄ちゃんは別だ。一部屋金貨一枚だな」
男の言葉にレンは思わず目を剥いた。
「金貨一枚って、ぼったくりにも程があるよ!?」
「文句があるんだったら、他に行くんだな」
この文言を皮切りに、互いの言い分が空中を飛び交い始めた。
自分のことではあるが、険悪な空気に割って入る勇気は出なかった。
金貨一枚がどの程度の価値かはわからないが、彼女の反応からして、おそらく相当常識外れの金額なのだろう。
しばらくしても、どちらも一歩も引く気配を見せない。
一つ、深呼吸をして覚悟を決める。
口論が膠着したところで、俺はレンを横に退けて、口を開いた。
「わざわざ対応してくださってありがとうございます。他の所に泊まるので大丈夫です」
それはこの世界に転生して、初めての『諦め』だった。
これで不必要な争いはこれ以上起こらないし、変に気を使う必要もなくなった。
まあ、泊めてもらえたら一番良かったが、しょうがないだろう。
素早く踵を返す。
宿を出ると、夕日に染まっていたはずのあたりはすっかり夜に包まれていた。
かろうじて月の光が照らしているが、この闇を明かすにはいささか力不足のようだ。
勢いで宿を飛び出したはいいものの、彼女の顔が頭に張り付いて離れない。
もしまた会う機会があれば、何かお詫びしないとな。
しかし、今はとにかく寝床を探さねばならない。
外を少し歩くと、目は慣れ、あたりの輪郭を把握できるようになっていた。
道なりに進んでいくと、馬小屋のような建物が目に入った。
扉を開けてみる。
床には藁が満遍なく敷かれており、壁などもほぼ傷がなく、夜を過ごすには申し分ない。
すぐ隣に家もあったが、生活用具は軒並み存在しておらず、生活感はなかった。
理由はわからないが、持ち主はいなくなってしまったようだ。
少し不気味だが、ここを使わせてもらおう。
扉を閉め、藁の上に腰を下ろす。
少し肌がチクチクするが、全体的な感触はフカフカしていて心地いい。
藁をかき集め、肩から被せる。じっくりと温まっていくのが感じられた。
保温性もバッチリだ。
今晩はここで過ごそう。
そう改めて決めた時。
ふと、扉を開ける音がした。
持ち主が帰ってきたのか?
灯りはないし、全身を藁で覆っているので、見つからないだろうとは思いつつも、鼓動は速くなる。
「あ、いた!」
声に少し遅れて、パッと目の前が照らされた。
まばゆい光の先にいたのは、先に宿で別れたはずのレンだった。
ふっと全身の力が抜け、ため息が口元から溢れる。
けれど、緊張はまだ安堵へは切り替わらない。
全身の汗が一斉に体温を奪っていくのが感じられた。
「なんで来たんだよ。レンは宿に泊まれただろ」
「あんな所に泊まりたくないよ!へ、部屋だってめっちゃ汚かったし!」
身を乗り出して彼女は言った。
あ、受付の男に対しての反抗ではなかったのね。
ほんの少しだけ身勝手に寂しく思っていると、
「本当は心配でたまらなかったんだゼ」
俺たち二人のどちらでもない声が、小屋に響いた。
「ちょっとやめてピクト!」
その声に唇を尖らせ、レンは顔をかっと赤くした。
しかし、周りを見ても声の元らしきものは見当たらない。
「こっちだゼ、こっちこっチ!」
再び同じ声がすると、俺を照らしていた光球が小屋の中を飛び回ったのだ。
レンが手を広げると、その光は速度を緩め、彼女の手の平へと降り立った。
「これは私が契約している精霊のピクト」
「昼間は眠ってたから出てこなかったんだけどね」
「よろしくナ!あ、ちなみに一応男ダ!」
どこか子供っぽくも感じる声は、確かに光球から発せられていた。
(この光がそうなんだよな......)
実際に常識外のものをこの目で見ると、圧倒されてしまい、言葉がうまく出ない。
それは多分、大昔の人が初めて車を見た時にする反応と同じだろう。
「よ、よろしく......」
たじろいだ挨拶を済ませると、再びピクトは飛び上がった。
しかし今度はあちこちにいくことはなく、そのまま天井に張り付いた。
さながら電球のようだ。
「それじゃあ、事情も説明したし、私も今晩はここで寝ようかな」
レンは藁を集め、彼女自身に被せ始めた。
「え!?」
「さっきも言ったでしょ。あそこの宿汚いんだって。こっちの方が何倍もマシだよ」
「それに私も勇者だから。あなたみたいな人がいたら放ったままじゃいられないよ」
「それに......」
彼女は言いかけた言葉を飲み込む。
なんだよ。気になるじゃないか。
けれど、それ以上踏み込む気力はもう使い果たしていた。
彼女の鼻がぴくりと動いていたように見えたのは、そんな疲れのせいかもしれない。
勇者。
さっきもそんなことを言っていたような気がする。
確か、宿の男だったか。
異世界もので、お決まりといってもいい概念だ。
勇者が仲間を引き連れ、魔王を倒す。
これも何千、何万回と繰り返されてきたパターンだ。
けれど、彼女は俺が思い描く勇者像の型にははまらなかった。
「勇者ってことはやっぱり、魔王を倒しに行くのか?」
「そうだよ。その旅の途中でアキラを見つけたんだよ」
勇者には見えないものの、やはり目的は魔王を討伐することのようだ。
「よし、寝ようかな」
「あ、ちなみに何か変なことしようとしたらピクトが気づくからね」
「そうだ監視してるゾ」
チカチカっとカメラのフラッシュのように数度、ピクトの輝きが目に突き刺さる。
悪いことなど何もしていないのに、なんだかバツが悪い。
「し、しないよ。そんなこと」
(なんだと思われているんだ......俺は......)
ああ、そういえば浮浪者だと思われてるんだった。
目の前の少女によって刻まれた心の傷がここぞとばかりに顔をみせる。
くそ、忘れていたはずなのに。
「ならいいけど。じゃあおやすみ」
レンはひょこっと顔だけを出し、瞼を閉じた。
はあ。俺も寝るか。
背中を藁に委ねると、今日起きた事柄が泡のようにぷかぷかと湧いてきた。
一体、元の世界の俺はどうなってしまったのだろうか。
そもそもこの世界の時間は元の世界と対応しているのだろうか。
今は遠き世界に想いを馳せる。
考えれば考えるほどに、様々な想像が木の根のように広がっていく。
ギュッと頭が締め付けられたような気がした。
きっと頭を使い過ぎたのだろう。
さあ、さっさと寝よう。
もしかしたら何事もなく元の世界で目覚めるかもしれない。
そんな根も葉もない希望を抱き、俺も瞼を閉じた。




