緑琥珀
流れる水の傍で横たわる小さな草原。混じり気のない緑だけが生い茂り、刻々と流れる川の水飛沫を身に纏って静音すら吸い込んでいる。野原の中に身を曝け出した緑琥珀が、じっと川の流れを眺めている。少し離れただけで見失ってしまいそうなほど、周囲の緑を侍らせて静かに横たわる。黄緑色の葉先、滲むような黄色の根元、葉を葉たらしめる緑の鮮やかなこと。それらを取り込み複雑に散乱しながら、まっすぐに清らかな水を観察する緑琥珀の幻想的で非現実的なこと。陽に透かすほど深い緑を揺らめかせるその人は、ただ透明な粒を追いかけて暇を潰している。緑琥珀、どうか不安を晴らしてくれ。どうか、青空の下でのみ膨らむこの不安を、おまえの色で打ち消してくれ。俺はもう何度もそう懺悔した。時に空に、時に地面に、時に流れを急にして走るその川に。なんてことない穏やかな自然の中で悠然と座る緑琥珀に、何度も懺悔した。心許ない日陰の主である木の枝に吊り下げられ、太陽の色、木の幹の色、俺の顔を透かして緑に塗りつぶす緑琥珀。樹液のように重たく吊られた緑琥珀は、ただ俺の言葉を背景に水の遊ぶのを眺めている。何も背負わない旅人のように、緑琥珀は空気を吸い込んで足を組み替えた。俺はいつまでもその足元にいる。伸ばせば届く手を伸ばせないまま、緑琥珀を呼び続ける。
『どうにもならない』
緑琥珀はまた一度、小さく否定した。川に浮かべられた笹舟が、ほんの小さな波で簡単にひっくり返された。風に追いやられて船底は水へ沈んでいく。聞かないふりをしようとした俺へ向けて、緑琥珀は次に首を横へ振って見せる。その否定に胸が押しつぶされそうになっては、差し込んだ日差しと緑琥珀のゆらめきに胸が動かされる。日差しよりも辛く、風よりも無関心な緑琥珀の輝きが俺の両肩、全身にのしかかる。緑琥珀は俺へ一瞥もくれずに、何の責任も持たずに首を振る。
『君には無理だ』
夏の風のような否定が胸を通り過ぎ去って、空い冷たさの感触を残していく。呆れられているのだろう、馬鹿にされてもいるのだろう。こんな惨めで馬鹿らしい悩みなどあるものかと、俺ですら自分を笑っている。それでもなお懺悔をやめられない。もはや何を吐露しているのかはわからない。ただ緑琥珀を前にすれば懺悔せざるを得ず、そうなるべき不安が青空によって延々と注がれるのだ。とろりと露のような光沢で光る深緑色の玉。木々の若葉に紛れながら、葉とは異なる光の屈折によって眩い光線を放つ緑琥珀。生き生きとした色を纏う琥珀はあいも変わらず視線を川に注ぎ、声だけを上から落として時間を消費する。緑琥珀、どうか話をしてくれ。声を落とすだけでいい、どうか俺を忘れないでくれ。無為な消費と思ってくれていい、だがどうか眠ったりして俺を忘れないでくれ。
『忘れるか?足元でこうも騒いでいるのに』
緑琥珀が呟く。旅人、詩人の呟き。煩わしいものに苛まれる宝石の呟き。それはあまりにはっきりと、俺が緑琥珀を不快にしているのだと告げている。だが俺は忘れられたくないのだ。どうにも不安な俺はこの場に似つかわしくなくて、それでもなくなるのだけは嫌なのだ。この場の全てを支配する緑琥珀に一言肯定されれば、それだけで何か不安が配慮してくれるような心持ちになる。その浅ましささえ不安に打ち勝つことはできなくて、緑琥珀の光を浴びることに安らぎを見出す。空気というセロファンに透かされた緑の陽光、俺の肌に降り注ぐ美しい宝石の輝き。太陽の下にあってこそ不思議と煌めき、堂々たる光の玉を泳がせる体。その美しさに精神が取り込まれたように目を縫い付けられ、緑琥珀以外を見ることができない。不安を増幅するのはお前だというのに、お前から目を逸らすことができない。晴らす方法が見つからない。
『ならば懺悔すればいい』
そう、ひたすらに懺悔すればいい。流れる川のように押し寄せてくるこの不安、五月雨のように打ち寄せるこの不安、だれにも理解されないこの不安を。緑琥珀、どうか、どうか俺を。懺悔は堰を切ったように溢れ、言葉が追いつかない代わりに涙となって足元を濡らす。
『ただひたすらに縋ればいい』
それを許してくれるのは俺が惨めだからか?それとも何も背負わない旅人にとってやはり背負うものではないからか?声にならない叫びが、言葉にできない呻きが原動力となってあたりの雑草を巻き上げる。緑琥珀が視線を落とす。俺に落とす、俺を見る。緑の視線が、樹液の固まった視線の定まらない瞳が、琥珀に透かされた光線が俺に落ちる。
どうか、どうか、どうか。
緑琥珀は俺を見る。俺のことだけをまっすぐに、だがまた同時に俺だけを見ないでいる。この場の俺以外の全てを見て、俺を見ないでいる。広がる野原、川の流れ、時折吹く風。あまねく自然を眺めていながら、俺だけは見ないようにと目を逸らす。
緑琥珀、俺をどうかその緑色で晴らしてくれ。その深く透き通った緑色で。緑琥珀は風に身を揺らして、足元の草原に影の光を落として散らす。こっくりと深い緑色を、俺以外に優しく降らして川を眺めている。川が穏やかに流れ、緑琥珀には到底届かない水飛沫を上げる。その水飛沫、水滴に映る緑琥珀はとても小さいのに、その辺の雑草とは異なる緑が映っていた。




