第13話:創世
吹き抜ける風が、黄金色の波を揺らしていた。
どこまでも続く、見渡す限りの美しい麦畑。澄み渡る青空と、土と太陽の匂い。そこは紛れもなく、千年前の星空の下で彼が「いつか君に見せたい」と語った、バロウの故郷の景色だった。
その陽だまりの中心に、光の粒子を纏ったフィアは立っていた。
白く枯れた髪、深く皺の刻まれた顔。それは、命を削り尽くして彼の手の中で息絶えた、最後の老いた時の姿だった。
「フィア……っ!」
「ふふ。泣き虫な顔をしているわね、バロウ」
駆け寄るバロウを、フィアは愛おしそうに目を細めて出迎えた。
二人は手を取り合い、故郷の景色をゆっくりと歩き回った。
「見てくれ、あそこの丘から村が一望できるんだ! あっちには小川があってさ!」
「ええ、ええ。本当に風が穏やかで、素敵な場所ね。貴方がここを大好きだった理由が、よく分かるわ」
少年のようにはしゃぎ、あちこちを指差すバロウ。フィアもまた、失われていたはずの視力でその景色をしっかりと見つめ、幸福でいっぱいの笑顔を見せた。
やがて、丘の上に辿り着いた二人は、互いの体を強く、強く抱きしめ合った。
「……エルフはね、死ねば光になって、森に還るの」
バロウの広い背中に腕を回し、フィアは涙ぐんだ声で囁いた。
「でも、私は……貴方の愛のおかげで、森の中じゃなく、この場所を見ることができたわ。連れてきてくれて、本当にありがとう」
「俺の方こそ……ありがとう、フィア。俺を見つけてくれて」
二人は、とめどなく溢れる涙を流しながら、互いの温もりを確かめ合うように抱擁を交わした。
──その腕の中で、奇跡が起きた。
フィアを包み込んでいた光の粒子が、彼女の身体を満たしていく。白く枯れていた髪は、水分を取り戻し、月光を編み込んだような美しい白銀へと変わる。皺が刻まれていた肌は透き通るような滑らかさを取り戻し、小さく縮んでいた身体は、瑞々しい生命力に溢れた姿へと反転していく。
愛に包まれた彼女の魂は、千年前の全盛期の、最も美しい姿へと戻っていた。
*
精神世界で二人の魂が愛を確かめ合っていたその時。
漆黒に染まりきった世界では、その運命を決める途方もない事象が起きていた。
千年前、フィアが禁書で見つけた神代の一節
『──相反する極大の魔力が、全く同じ質量で衝突した時。それは対消滅を越え、変転、あるいは新たな創世を呼ぶ』
世界を真っ黒に染め上げ、すべての命を終わらせようとする魔王の『極大の絶望』
それに対し、バロウの掌で黄金の光を放つのは、フィアが千年間の命と五感を削り落として凝縮した『極大の愛』
世界を滅ぼす呪いと、世界を救う奇跡。
本来なら決して交わることのない、負と正の巨大なエネルギーが、バロウの肉体という一つの器の中で、正面衝突を起こしたのだ。
──ゴォォォォォォッ
音のない、だが世界中の大気を震わせる凄まじい衝撃波がほとばしる。
バロウの身体を中心にして、黒い竜巻と黄金の光柱が激しく絡み合い、天を衝く。それはもはや、人間の理解を絶した神々の領域のせめぎ合いだった。
『オオオオオオォォォォッ!!』
魔王の怨念が、鼓膜を破るような叫びを上げて光を喰い破ろうとする。
絶望の力は、あまりにも強大だった。人間の千年にわたる悪意と恐怖を吸い上げ続けたその瘴気は、フィアの純粋な愛の光を少しずつ、だが確実に押しのけ、再び世界を暗黒の底へと引きずり込もうとする。
黄金の輝きは漆黒の波に呑まれかけ、激しい明滅を繰り返していた。一歩も譲らない極限の拮抗。だが、質量の天秤は、ほんのわずかに魔王の「世界を滅ぼす絶望」へと傾きかけていた。
──その、決定的な瞬間だった。
バロウの掌で光を放ち続ける『黄金の種子』。その中心、フィアの愛を束ねる「核」となっていたパーツが、凄まじい熱を帯びて脈打った。
それは、バロウが太古の森で見つけた『世界樹の雫』。
彼自身が「フィアのために」と流した、『愛の涙』が結晶化したもの。
この極大の力の衝突は、フィア一人の愛によるものではない。
種子の核に他でもない「バロウ自身の愛」が混ざり込んでいたという事実が、闇に呑まれかけた奇跡を、爆発的に加速させる決定打となった。
直後、バロウの涙と、フィアの愛が完全な共鳴を起こし、漆黒の闇を内側から食い破るように、超新星の如き黄金の光を爆発させた。
──カァァァァァァァァァァッ……
世界を覆い尽くしていた漆黒の瘴気が、眩い黄金の光に完全に包み込まれていく。
それは、剣による物理的な破壊でも、魔法による消滅でもなかった。
千年間、絶望だけを待ち望んでいた哀れな魔王の呪いは、二人の途方もない時間をかけた愛の熱量によって優しく抱きしめられ、溶かされ、圧倒的な光によって「浄化」されていった。
やがて、すべてを白く染め上げる強烈な閃光が、世界を包み込んだ。










