第二話 ケルド
ケルドは王都から北へ馬車で9日、山の中腹に張りついた鉱山町だった。人口およそ2,000。魔石を掘る。
町に入って最初に気づいたのは、老人が多いことではなく、老人が杖をついていないことだった。彼らは背筋が伸びていて、手が震えていない。それなのに誰も働いていない。日中の坑道に入っていくのは、若い男女ばかりだった。
体はどこも悪くないのに、坑に入るのは若い者だけだった。町の老人は、歩けるのに掘れなかった。
求人を出したのは町の医師、ハウザーという60過ぎの男だった。診療所は2階建てで、2階が丸ごと書庫になっていた。
「【減衰】か」ハウザーは彼女の判定書を見て、しばらく黙った。「本物か」
「はい」
「王都で何をしていた」
「魔術団の補助術士です。編成から外されました。出力が下がるので」
「そうだろうな」ハウザーは判定書を返し、梯子を降りてきた。「こっちだ。手を見せてくれ」
彼は診療所の奥のベッドを指した。そこに男が1人、目を開けて横になっていた。40半ばに見えた。左腕が肘から先で失われていた。
「ヨナス。この町の坑夫だ。3か月前に、坑道の中で魔術が暴発した。自分の術でだ」ハウザーは言った。「この町では珍しくない。坑夫は15で坑に入って、45でつるはしを置く。置かなかった者は、こうなる」
「病気ですか」
「坑夫病、と呼んでいる」ハウザーは椅子に座った。「王立魔導院に3度、照会を出した。3度とも同じ回答だ。『検出されず』」
ニナは唾を飲んだ。
「触れてもいいですか」
ハウザーは顎で促した。
ニナはヨナスの右腕に手を置いた。手のひらの下で、魔脈が脈を打っていた。そして、その全体が——
彼女は手を引いた。
「どうした」
「粘りません」ニナは言った。「固まっています」
「固まる」
「私が魔術団で触っていたものは、水飴でした。粘るけれど、指を入れれば動く。これは」ニナはもう一度手を置いた。「石です。動きません」
「取れないのに、量は分かるのか」
「重さだけは、手に返ってきます」
ハウザーは長いこと動かなかった。それから、2階へ上がって、革表紙の帳面を持って降りてきた。
「30年分だ」彼は机に置いた。「この町の坑夫の、発症年齢と、それまでの採掘量。魔石を掘るには魔術がいる。掘った量は組合の帳簿に全部残っている。私はそれを突き合わせてきた」
帳面には、名前と数字が延々と並んでいた。
「累計採掘量が一定を超えると、必ず来る。個人差は2割程度だ。20年やって来なかった者はいない。若いうちに掘りすぎた者は、30代で来る」ハウザーは指で表をなぞった。「つまり、これは病気ではない。積算だ」
「積算」
「使った分だけ、何かが残る。残ったものは出ていかない。溜まりきると、魔脈が通らなくなる。通らなくなった脈に無理に流せば、中で暴れる」ハウザーはヨナスの左腕があった場所を見た。「私は30年、この結論に至った。だが原因物質が測れない。測れないものは、王都では存在しないことになっている」
「私は」ニナは言った。「魔術団で、それを取っていました」
ハウザーが顔を上げた。
「取れるのか」
「粘っているうちなら」ニナは自分の手を見た。「固まったものは、取れません」
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その日から2年、ニナはハウザーの診療所で働いた。
彼女がやったことは単純だった。坑道から上がってきた坑夫の腕に、順番に手を置く。粘っている者からは取る。固まっている者には、何もできないと言う。
最初の半年は、誰も彼女のところに来なかった。痛くないからだ。痛くないものに金を払う人間はいない。
最初に来たのは、ペトラという17の娘だった。坑道の仲間に賭けをさせられて来たのだと本人が言った。銅貨2枚が賭け金だったらしい。
「触るだけ?」
「触るだけです」
ニナはペトラの腕に手を置いた。粘りは薄かった。2年分。彼女は15で坑に入っていた。抜くのに4分かかった。
「終わりました」
「なんも変わんない」
「はい。変わりません」ニナは言った。「30年後に変わります」
ペトラは首をかしげて、賭けに勝った銅貨2枚を握って帰った。翌週、彼女はまた来た。今度は賭けではなかった。
「ゴルトさんが、あんたのとこ行くのは負けだって言ってた」
「ゴルトさんは」
「うちの班長。42。まだ現役だって、いつも言ってる」
ゴルトは一度も来なかった。44歳の冬、彼は坑道の奥で自分の術を撃ち、右の肩から先を失った。
ニナが呼ばれて診たとき、腕は端から端まで石だった。粘りは一滴も残っていなかった。
組合の詰所で、彼女はそれを説明しようとした。
「ゴルトさんの腕は、全部固まっています」
「全部というのは、どのくらいだ」と組合長が聞いた。
答えられなかった。彼女には、量を言う言葉がなかった。
「ヨナスさんの腕と、同じくらいです」
「ヨナスと同じなら、うちの若いのは、あと何年もつ」
それも答えられなかった。
その夜、ハウザーが帳面を開いたまま言った。
「名前をつけろ」
「名前」
「名前がついていないと勘定できん。粘りは勘定できんが、量は勘定できる」ハウザーは酒の匂いのする息を吐いた。「溜まるものだ。澱、と呼んでいる。酒樽の底に溜まるあれだ」
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ニナは、自分の手のひらに移ってくる熱の量を、一定の水を温める時間に換算した。手のひらの熱で桶の水が指一本ぶん温まるまでを、1ドラムと決めた。根拠のない基準だったが、同じ桶と同じ水を使う限り、数字は揃った。
10段階の記録を、彼女は全部そのドラム数に置き換え直した。ひと月かかった。
ゴルトの右腕は、4,300ドラムだった。
彼女はその数字を組合の詰所で読み上げた。ゴルトの採掘量の記録と並べると、ハウザーの帳面の予測から誤差3パーセントだった。
そこにいた坑夫のうち3人が、翌日、診療所に来た。
組合が採掘量の記録と彼女の記録を突き合わせはじめたのは、その頃からだ。
ハウザーの30年分の帳面と照合すると、こうなった。
坑夫が1日で受け取る澱は、およそ0.5から0.8ドラム。年に200日入坑して、年間およそ100から160ドラム。15歳から始めて45歳までで、およそ4,000から4,500ドラム。
ヨナスの右腕から彼女が読み取った固化量は、4,200ドラム相当だった。
「限界値がある」ハウザーは言った。「およそ4,000。人によって3,500から4,500。それを超えると魔脈が閉じる」
「では」ニナは計算した。「年に150ドラム溜まる人から、私が年に150ドラム抜けば」
「限界は来ない」
「1人につき、年に何回触れば足りますか」
ハウザーは帳面を閉じた。
「そこからは、あんたが決めることだ」
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答えは、20回だった。
1回の施術でニナが抜ける量には上限がある。彼女が集中して抜けるのは、一度に8ドラム前後。それ以上やると彼女自身が発熱して倒れる。
上限を確かめたのは、ペトラの父親を診た日だった。39歳、累計3,600ドラム。限界まで400。年間150溜まるから、あと3年もたない。
ニナは一度に20ドラムを抜こうとして、7ドラムを過ぎたあたりで手が震えはじめ、12ドラムで倒れた。3日、熱が下がらなかった。ハウザーは彼女の脈を取って、「あんたの中でも還元が追いつかんのだ」と言った。
4日目に起きて、彼女はまた計算した。8ドラム。年に20回、1人あたり160ドラム。ちょうど坑夫1人分の年間蓄積を相殺する。それ以上でも以下でもない。
1日に4人が限界だった。年200日働いて800施術。1人年20回だから、40人。
ケルドの坑夫は400人いた。
「十分の1しか救えません」
「十分の1は救える」ハウザーは言った。「30年、私はゼロだった」
ペトラの父親は、順番の一番に入った。3年後、42歳で、彼の累計は3,600のままだった。
「増えてないんですか」
「増えていません」ニナは帳面を見せた。「掘った分は増えています。抜いた分も同じだけ増えています。差し引きがゼロです」
彼はしばらく数字を見て、それから、自分の右腕を見た。
「じゃあ、俺は、いつまで掘れる」
「関節が保つまでです」ニナは言った。「魔術のほうは、もう関係ありません」
彼は泣かなかった。ただ、その日の夜に組合の詰所へ行き、順番待ちの名簿に自分の班の全員を書き込んだ。22人分だった。
名簿は、限界までの残余が少ない者から順に並ぶ。彼の班の22人は、400人の中ほどに散らばった。
当時、ニナが1年に診られるのは40人だった。
30年後、22人のうち順番が回ったのは7人だった。残る15人は、回ってくる前に固まった。
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