第8話:三股令嬢の完璧な帳簿
三人目は、後添いを探しておいでの、御隠居の伯爵様だった。
体面のリオネル様。金の鉱山男爵家。遺産の御隠居。見事に取り揃えた三股だが——分かることと、示せることは、別物だった。
「手紙はどれも当たり障りなし。逢瀬の日取りは一度も重ならない。記録所に届けが出ているのはリオネル様との婚約だけで、あとの二件は『内約』。書類がない」
「毒のうまい女は、器を残さないもんさ」エスメが言った。「で、どうする」
「帳簿を探します」
「向こうの帳簿を? あるかどうかも分からないのに」
「あります」私は言い切った。「完璧な嘘つきほど、どこかに正直な帳簿を持っています。三人分の好みと、贈答と、日取り。頭の中だけで回せる量ではありません。あの方は必ず、書いて管理している」
*
手掛かりを探しに、私はロザモンド嬢の出入りする仕立て屋を回った。三軒。それぞれ別の店で、それぞれ別の好みの注文が入っていた。派手な意匠、古風な意匠、慎ましい意匠。殿方の好みが三通りなら、ドレスも三通り。仕立て屋まで、殿方ごとに分けている。
その三軒目で、会いたくない人に会った。
「あら……あらあらあら。コーデリア様?」
栗色の巻き毛に、潤んだ大きな目。マーゴット男爵令嬢。私の元婚約者の、今の婚約者。
「まあ、お仕事中ですの? 素敵。わたくし、働く女性って尊敬しますわ。……なりたくは、ないけれど」
「ご機嫌よう、マーゴット様」
「ねえ聞いてくださる? わたくし、来月の舞踏会は侯爵家の新しいドレスで出ますのよ。あなたは——ああ、ごめんなさい。招ばれませんわよね、もう」
「ええ。おかげさまで、夜はよく眠れております」
「……は?」
「ご用の邪魔をいたしました。どうぞ、お仮縫いを」
くすくす笑いの調子を外された顔のまま、彼女は仮縫いの台へ上がっていった。嘲る相手が傷つかないと、あの手の笑いは着地に困るらしい。私は一礼して、観察だけ置いて帰った。
——観察記録。マーゴット男爵令嬢。ドレスは最新流行。ただし裾の裏に、貸衣装屋の貸し札。耳飾りは先月の夜会と同じ品の、着け直し。女将が「お代の件ですが」と言いかけるたび、早口で遮ること二度。
侯爵家の新しいドレス、というものは、貸衣装屋の判を裾に隠しては来ない。
帳尻の狂いは、印をつけておく。それが母の教えだ。あの狂いが何を意味するかは、今の依頼が終わってから数えればいい。
*
「帳簿はさ、あの侍女だよ」
ジェミマが言った。尾行の間、侍女は腰帯の物入れを、一度も手から離さなかったという。質屋でも、中の手帖を見ながら品を出したと。
「主人の帳簿を侍女が運ぶ。質入れの控えをつけるためです。……ジェミマ。市場の雑踏で、四半刻だけ借りられますか」
「あたしの指、なんだと思ってんの」
決行は翌朝の青果市場だった。
「いい? 抜くのは誰でもできんの。肝心なのは、抜かれたって気づかせない『詫び』の方」ジェミマは花売りから花束を一つ買った。「ぶつかる。詫びる。相手はあたしの顔と花しか見ない。手は、見ない」
人混みで、花束を抱えたジェミマが侍女とすれ違う。よろけて、ぶつかって、花びらを散らして、深々と頭を下げて——それだけだった。手品のように、手帖はもうジェミマの袖の中にあった。
「……見ていたのに、見えませんでした」
「でしょ。あんたの目でも見えないんだから、あたしの指、王都一」
近くの茶屋の二階で、エスメと私が手分けして写しを取る。四半刻後、ジェミマは「落とし物ですよ」と、道端で拾ったふりをして手帖を返した。侍女は青い顔で礼を言ったそうだ。
「あたしの指は嘘つかない。——ほら、言った通りでしょ。返すまでが仕事だからね」
*
手帖は、恐ろしい代物だった。
頁は三つの記号で分けられていた。盾、槌、杖。体面の盾、鉱山の槌、御隠居の杖。記号ごとに、贈答の受けと、質入れの出と、逢瀬の日取りと、殿方の好みの色から妹君の話題の避け方まで、細かい字でびっしりと。
そして「見込み」の欄。持参金、結納金——「杖」の頁の見込み額だけ、桁が一つ違った。遺産だ。
完璧だった。
完璧すぎて、これ自体が白状だった。
「三人を天秤にかけてるんじゃないね」エスメが唸った。「三人とも搾るだけ搾って、一番実りのいい枝で結婚する算段だ。……写しは取った。決め手はこれと質屋の台帳、それに指輪だね」
頷きかけて、私は手を止めた。
写しを取る間、灯りに手帖の紙を透かした時から、引っかかっていたものがある。私はもう一度、写し紙——ではなく、記憶の中の手帖の紙を確かめた。
透かしが、入っていた。
羽を広げた、一羽の白い鳩。
ヒューバートの仲介書類の封蝋と、同じ意匠。私の婚約解消の通知書と、同じ意匠。エスメが「近づくな」と言った、あの紋。
三股令嬢の完璧な帳簿は、白鳩会の様式紙に書かれていた。
「……エスメさん。この毒は、素人の毒ではありません」
調合した薬師が、いる。
お読みいただきありがとうございます! ジェミマの指が火を噴く回でした。盾と槌と杖、三股の完璧な帳簿——その紙に、白い鳩の透かし。
次回「妹いじめの現場」。断罪の前に、いちばん腹の立つ回です。
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