第57話:血を証す者の判
大公家の広間には、樫の葉の意匠が三十七枚ある。数え終えたところで、扉が開いた。
婚礼認可の日である。花嫁と花婿が中央に立ち、登記所長が認可状を読み上げ、判を渡す。この国でいちばん人の集まる、公の場だ。
三百人ほどだろうか。一年前、私を見ていた人数と、だいたい同じである。
列の端に、ギデオン様が立っておられた。椅子はない。この国に、監査卿の席はない。それでも、席のない場所に、立っておられた。
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ザーラント様は、定刻に来られた。眼鏡の弦は古いままで、袖にはインクが付いていた。認可状の筒を抱えて、まっすぐに歩いて、中央に立たれた。そして、私を見て、軽く会釈をなさった。
——観察記録。所長。定刻着。歩幅、常と同じ。手、震えなし。
逃げない人である。
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認可状は、先に読まれた。マティルデ様とティルマンの婚姻を、条文どおりに認可する旨。判が渡され、拍手が起きた。マティルデ様は姿勢を崩さずに泣き、ティルマンは手袋をしていない手で受け取った。
拍手が収まったところで、ヴェンデル大公が前へ出られた。
「これより、当国の婚姻認可の運用について、王家縁談監査室の監査結果を聞く」
広間が、静まった。婚礼のための静けさが、そのまま別の静けさに変わった。
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「一つ」
私は控えの紙を開いた。手が、一年前と同じ角度で止まる。
列の端は、見なかった。見なくても、そこに立っていると分かる方を、私は一人だけ持っている。
「現行第百四条の『三代の登記』の要件は、二十年前、当時の次席登記官ザーラント様の発案により追記されたものでございます。原本に書き足しの跡があり、承認欄に同氏のご署名がございます」
写しが回された。前の列から後ろの列へ、紙の音だけが移っていく。
「二つ。同要件が追記された年は、大公家の帳面において、縁談に係る収入がはじめて計上された年と一致いたします」
「三つ。過去四年、外国からの照会状は全て所長室で開封され、係へ回されるまでに二日を要しております。二百十一件中、百九十七件が二日後。……この二日の意味を、控えの間で三年待った者が聞いております」
グレーテルさんが、前へ出た。声は震えていた。震えたまま、最後まで言い切った。
「『どちらが早いか、確かめてからだ』と、所長さまはおっしゃいました」
「四つ」
私は次の紙をめくった。「両替商三軒の受付簿と、ヴィルデ男爵の帳面。三十四件の礼が、三年前十一月十四日を含め、日付まで一致いたします」
「五つ。二十年ぶんの認可、千二百四十件を数え直しました。三代の登記が揃わぬまま認可されたもの、百三十四件。三代が揃っていながら却下されたもの、十一件。——合わせて、二百四十五件」
広間が、ざわめいた。二百四十五という数だけが、あちこちで繰り返されている。
「六つ」
私は、いちばん下の紙を取った。「十一件のうち、最も古いものは十七年前でございます。申立人は、王都の縁談調査人カサンドラ・レインズ。当時の担当は登記官エーベルト、上席はザーラント様。……訂正の申し立ては申立人の名を残さぬ決まりですので、公の記録には、却下の一行しかございません」
私は、母の綴りを開いた。「残っておりますのは、こちらだけでございます。——『通らず。持ち帰るものなし。』」
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ザーラント様は、最後まで動かなかった。否定もせず、遮りもせず、眼鏡を押し上げることさえしなかった。
読み終えたところで、彼は口を開いた。
「よく数えられました」
「恐れ入ります」
「本当に、よく数えられた」彼は認可状の筒を卓に置いた。「わたくしは二十年、この国の血を証してまいりました。……誰かが証さねば、貴族などただの人の集まりでございます」
「はい」
「あなたは、それを壊しにいらした」
「いいえ」
私は、首を振った。「壊しには参りません」
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「第百四条は、必要な条文でございます」
私は言った。「匙加減で決まる縁談より、条文で決まる縁談のほうがよろしい。……先日、あなたがそう仰いました。私も同じ意見でございます」
ザーラント様の眉が、わずかに動いた。この方が今日はじめて見せた、予想の外の顔だった。
「制度は、残ります。残さなければ、次に匙加減で決める者が出ますので」
「では、何を裁くと」
「あなたお一人でございます」
私は、控えの紙を閉じた。「物差しを作った方が、その物差しで測り、測った結果に判を押しておられます。……三つのうち、どれか一つでも別の方の手にあれば、二百四十五件は起きておりません」
「わたくしが、一人で持ちすぎたと」
「はい」
「金は、一枚も受け取っておりません」
「存じております」私は、うなずいた。「あなたは、何もなさいませんでした。ただ、二日お待ちになった。……その二日に、家令どのが値をお付けになった」
「わたくしは、待っただけでございます」
「待つことのできる立場が、あなたお一人だけでございました」
彼は、そこで初めて、眼鏡を押し上げた。「……なるほど」
「二日を作れる方が、二十年、お一人だったのです。作ったご本人が使わなくとも、必ず誰かが使います。——ヴィルデ男爵も、家令どのも、あなたの二日の上で商売をしておいででした」
*
「以上が調査の全てです」
私は顔を上げた。「……最後に一つだけ、私の言葉を」
広間の、三百人が静まった。
「私の母は、四十日この国の窓口に並んで、何も持ち帰れませんでした。母は、負けたその頁を破りませんでした。破らずに綴じて、担当者の名を控えて、十七年、金庫の中に置いておりました」
私は、綴りを胸の高さに掲げた。
「記録は、書いた者の手を離れます。書いた者が忘れても、消えません。……それは、恐ろしいことです。私の頁に一年残った五文字も、そうでございました」
一度、息を吸った。
「けれど、恐ろしいから消してよいものではございません。残るからこそ、十七年前の一行が、今日ここに届きました」
そして、いつもの一行を。
「——私は、嘘を見逃しません」
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ザーラント様は、判を懐から出された。出して、しばらく掌に載せておられた。縁の欠けた、線が三本入った判である。
「……これは、わたくしの手にあってはならぬものでございましたか」
「はい」
彼は、うなずいた。そして、判を卓の上に置いた。置いた音は、ずいぶん小さかった。
拘束の役人が両脇に立っても、彼は抵抗しなかった。歩き出す前に、一度だけ振り返って、こう言われた。
「調査人どの。……あなたのお母上に、お伝えください」
「はい」
「四十日、こちらが数えておりました。四十日目に、諦められると思っておりました」
「母は、諦めませんでした」
「存じております」ザーラント様は、静かに言った。「……娘御が、いらしたのですから」
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広間の扉が閉まったあと、ヴェンデル大公が前へ出られた。老いた声で、しかしはっきりと、閣下は言われた。
「訂正登記の申請を、受理する」
お読みいただきありがとうございます! 第二部の頂点です。制度は壊さず、一人で持ちすぎた個人だけを切りました。母が四十日で持ち帰れなかったものを、娘が広間まで運びました。
次回「訂正の一行」。書架の前で、コーデリアはあの五文字を消すか残すかを決めます。
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