第50話:訂正の一行を、書かせます
四十八日目の朝、私は窓口へ行かなかった。代わりに、卓の上に紙を三枚並べた。
一枚目——メルヒオール様の三通の申請書の裏書き。判の欠け、右上に線が三本。
二枚目——ヴィルデ男爵の帳面に挟まれていた、偽造の見本。同じ欠け。
三枚目——条文の写し。「三代の登記を有する場合に限り」の一句だけ、前後より字が詰まっている。
——観察記録。三枚。別々の事件の紙。同じ人の手が、三枚とも触れている。
*
「あんた、ずっとそれ見てるけど」
ジェミマが茶を置いた。「何が見えるの」
「順番です」
「順番?」
「私はこの四十八日、順番を間違えておりました」私は一枚目を指した。「訂正を求めて、断られて、また求めて。……相手の土俵で、相手の規則に従って並んでおりました」
「だって、それ以外にないでしょ」
「ございました」
私は三枚目を、真ん中に置き直した。「規則そのものを、検めればよかったのです」
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条文には、制定の日付が入る。この国は、いつ決めたかを必ず書く。書いてあるものは、いつでも検められる。
『第百四条 婚姻の認可は、両家いずれについても、三代の登記を有する場合に限り、これを与える』
——制定、二百七年前。
二百七年前の条文である。それは動かない。ただ、この条文が二百七年前から今の形だったかどうかは、別の話だ。
「殿下。二百年前の条文の綴りは、どこにございますか」
「原本は、登記所の地下だろう」ギデオン様が言った。「だが、写しなら宮内府にもある」
「大公家には」
「ある」彼は少し目を細めた。「大公は、貸すと思うか」
「思いません」私は立ち上がった。「ですから、貸してくださる方に頼みます」
*
マティルデ様は、二つ返事だった。
「わたくしの縁を通してくださった方のお頼みでございます」
「ご迷惑がかかるかもしれません」
「かかりましたら、そのときは一緒に叱られます」
彼女は笑った。半年前には、たぶんできなかった笑い方だった。九年ぶんの花嫁教育に、叱られる練習は入っていない。
大公家の文庫から出てきたのは、六十年前に写された条文の綴りだった。虫食いがあり、革が割れている。ニコラが読み、ジェミマが写し、私が並べた。三人でやると、思いのほか速い。
六十年前の第百四条は、こうだった。
『婚姻の認可は、両家いずれについても、登記を有する場合に限り、これを与える』
三代が、無い。
——観察記録。六十年前の条文、「登記を有する場合」。現行、「三代の登記を有する場合」。差分、三文字。
「……三文字?」ジェミマが写しを二枚重ねた。「たった三文字で、あの人たち全員?」
「三文字です」
四十年前に城を出た三人の娘。十七年前の商家の娘。三年待たされた令嬢。買われた祖父、三十四件。全部、この三文字の下にある。
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いつ足されたのかを確かめるのに、四日かかった。改正の記録は、登記所の官報に載る。官報は公開されている——公開されているものは、隠されているものより探しにくい。誰も読まないからだ。
二十年前の官報に、一行あった。
『第百四条 運用の明確化のため字句を整理』
改正ではなく、整理。字句を整えただけ、という書き方である。提案者の名は、当時の次席登記官。
ザーラント。
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「殿下」
私は控えの紙を閉じた。「この方は、嘘をついておりません」
「……いま、そう言うのか」
「はい。この方は、二十年『三代の登記』を公平に運用してこられました。運用については、一点の曇りもございません」
「では何が問題だ」
「その要件を、ご自分でお作りになったことです」
私は三枚の紙を揃えた。「物差しを作った人が、その物差しで測り、測った結果に判を押しています。……そして、押すまでに必ず二日、間を置いておられます」
メルヒオール様の三通。ヴィルデ男爵の見本。三十四件の礼。どれも、その二日の中で形になっている。
「制度が腐っているのではございません。制度を、お一人で握っておられるのです」
*
婚礼認可の場が、十日後にあると聞いた。マティルデ様とティルマンの婚礼である。大公家の広間で、登記所長が認可状を読み上げ、判を渡す。この国でいちばん人が集まる、公の場だ。
私は、ヴェンデル大公にお目通りを願った。
「婚礼の場を、監査にお貸しいただきたく存じます」
大公は、長いあいだ黙っておられた。娘の婚礼である。それを、と言われて頷ける親はいない。
「……娘に、訊く」
その晩、マティルデ様が答えを持ってきた。
「お貸しいたします」
「よろしいのですか」
「わたくしの婚礼は、あなたが通してくださったものです」彼女は言った。「通していただいた場を、次の方のために使っていただけるのでしたら、これほどのことはございません」
*
宿へ戻って、私は控えの紙をひらいた。
——観察記録。婚礼認可、十日後。場、大公家広間。
一年前、私は広間の中央で三分間、嘘を聞かされた。半年前、私は別の広間で、三分間かけて嘘を読み上げた。十日後は、どちらでもない。読み上げるのは嘘ではなく、二十年前に足された三文字である。
私は最後に、一行だけ書き足した。書いてから、控えの紙をひらいたまま灯りを消した。
——訂正の一行を、書かせます。
お読みいただきありがとうございます! 相手の土俵で並び続けた四十八日を捨てて、物差しそのものを検める側に回りました。三文字を足した人の名前が、ここで揃います。
次回から第八章。婚礼認可の場までの十日で、包囲を組み上げてまいります。
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