第44話:誰が書いたか
朝、私はいつもの時刻に起きた。顔を洗い、髪を結い、控えの紙を鞄に入れた。ジェミマが階段の下で、こちらを疑わしそうに見ていた。
「寝た?」
「三刻ほど」
「嘘」
「二刻です」
「まだ嘘でしょ」
「一刻半です」
ジェミマは大きな溜め息をついて、それから私の鞄を取り上げて、自分で持った。「行くんでしょ。登記所」
「はい」
「じゃ、あたしが持つ。あんた、今日は手が余ってるほうがいいわよ」
持ち上げて、この子は眉を寄せた。「重っ。……なにこれ、条文の綴り? あんた、こんなの入れた?」
「入れておりません」
「あたしでもないわよ」
二人で顔を見合わせて、それから同時に、同じ人の名を思い浮かべた。この宿で、この国の条文の写しを一晩で揃えられる方は、一人しかいない。
*
理由の欄を埋めるのは、当国の係官の仕事である。ザーラント様はそう説明した。ならば、埋めた係官がいる。
「相互登記の書き足しは、どなたが」
窓口で尋ねると、若い係官は帳面をめくった。「担当は日ごとに割り振られます。……一年前の秋でしたら」
「はい」
「エーベルトでございます。十年、相互登記の係を務めております」
——観察記録。相互登記係、エーベルト。在任十年。
拍子抜けするほど、簡単に出てきた。隠す必要がなかったからだ。この国の役所は、誰が書いたかを几帳面に控える。書いたことを、悪いと思っていない役所である。
*
エーベルトは、二十代後半の痩せた男だった。私が名乗ると、ペンを取り落とした。取り落としたペンを拾うのに、二度手が滑った。
——観察記録。登記官エーベルト。指、インク。爪、深爪。名を聞いた瞬間、瞬き五回。……知っている。
「一年前の秋、相互登記のレインズ伯爵家の頁に、理由をお書きになりましたね」
「……手続きです」
「どのように調べてお書きになりましたか」
「え」
「理由の欄は、調べて埋めると伺いました。あなたは何をお調べになって、あの五文字をお書きになりましたか」
エーベルトは、机の上の書類を意味もなく揃え始めた。「……照会状が、参りましたので」
「どちらから」
「王都の、仲介の——」
そこで、彼は口を閉じた。私は待った。待つのは得意である。この一年、私は待つことで七件の自白を取った。
「白鳩会でございます」
*
「あの当時、当国の登記所には、王都の仲介ギルドから照会状がよく参りました」
エーベルトは、机を見たまま話した。
「向こうの縁談の実情を、こちらの理由欄に反映してほしいと。……先方は王都で一番の元締めでございましたし、書式も整っておりました。疑う理由が、ございませんでした」
「照会状は残っておりますか」
「破棄いたします。理由欄に写した時点で、用済みですので」
「では、あなたがお書きになった一行だけが残ったのですね」
「……はい」
「あなたは、その方に会ったことがおありですか」
「どなたに」
「私にです」
エーベルトが、初めて顔を上げた。
「あの頁の名前の人間に、お会いになったことは」
「……ございません」
「会ったことのない人間の不貞を、あなたはお書きになった」
彼は答えなかった。答えの代わりに、深爪の指が机の縁を掻いた。
「悪意はございません」
「存じております」私は控えの紙を閉じた。「悪意があれば、まだ楽なのですけれど」
*
出る前に、窓口へ寄った。
「相互登記の理由欄について、伺いたいことがございます」
「はい」
「あの欄が設けられたのは、いつでしょうか」
若い係官は、条文の綴りをめくった。めくって、少し困った顔をした。「……二十年前でございます。運用の明確化のため、と」
——観察記録。理由欄の新設、二十年前。
礼を言って、私は外へ出た。
二十年前。この国では、その数字が何度も出てくる。三代の要件も、理由欄も、いまの所長の在任も、みな二十年である。出てくること自体は、まだ何の証拠にもならない。ならないが、控えておく。
*
登記所を出て、石段に座った。ジェミマが隣に座って、鞄を膝に置いた。
「白鳩会、潰れたんでしょ」
「潰れました」
「じゃ、あの女も、あいつらも、みんな捕まったのよね」
「捕まりました」
「なのに、なんで残ってんの」
私は、しばらく答えを探した。
「……人を裁くのと、紙を直すのは、別の手続きだからです」
一年前、私たちはオクタヴィアを断罪した。三十七件の縁談操作と、二件の「事故」を読み上げた。仮面は割れ、白鳩会は解散した。
けれど、あの人たちが書かせた一行一行までは、追わなかった。追いようがなかった。書かせた先は王都だけではなかったのだ。紙は、書いた人が消えても残る。残った紙は、読んだ人によって事実になる。
「あんた」ジェミマが言った。「あの女、まだ勝ってるってこと?」
「いいえ」
私は立ち上がった。「あの方は、もう何もできません。書き足すことも、消すこともできません。……できるのは、こちら側だけです」
*
その晩、控えの紙に、私は一行だけ書いた。
——観察記録。一年前の秋、私の頁に五文字を書いた人。悪意なし。動機なし。ただ、書式が整っていたので書いた。
書いてから、しばらく眺めた。これを憎むのは難しい。憎めない相手に、私はどうやって勝てばいいのだろう。
紙の隅に、もう一行足した。
——備考。この国の登記所は、二十年前から所長が同じ。
お読みいただきありがとうございます! 書いた人には悪意がなく、書かせた人はもう獄にいます。それでも一行は残っている——第二部の敵の形が、ここで見えてきます。
次回「母の名は、二度出てくる」。この国の古い綴りに、カサンドラの名がありました。
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