第40話:血の物差し
家系登記所長ザーラント様は、思っていたより小柄な方だった。眼鏡の弦が古い。袖にはインクが付いている。机の上に書類が積んであるが、積み方が揃っていて、どこに何があるか本人には分かる積み方だった。
——観察記録。登記所長ザーラント様。五十代半ば。眼鏡、修理跡。袖、インク。書類、山だが整列。……働く人の机である。
「ようこそ、調査人どの」
立ち上がって、椅子を引いてくださった。私が名乗る前に、その呼び方をされた。
「わたくしのことを、ご存じでしたか」
「昨日、認可の要件をお尋ねになったと聞きました。窓口の者が、ずいぶん困っておりましたよ」ザーラント様は笑った。「例外はあるか、不服の申し立てはできるか。……あの子には難しい質問です」
「失礼いたしました」
「いえ。良い質問です。誰も訊きませんから」
*
「三代の登記、という要件について伺いたく存じます」
「はい」
「これは、いつから運用されておりますか」
ザーラント様は眼鏡を押し上げた。
「わたくしが所長を拝命する前からでございます。二十年、この形でやっております」
「その前は」
「その前は……さて。もっと緩やかだったと聞きますが、緩やかというのは、要するに担当者の匙加減ということです」彼は書類の山を撫でた。「匙加減で決まる縁談と、条文で決まる縁談。どちらがよろしいですか」
「条文でございましょう」
「そうです。そうなのです」
彼は嬉しそうだった。演技には見えなかった。演技かどうかは、褒められたときより、同意されたときに出る。
「調査人どの。血というものは、放っておくと嘘をつきます。誰もが自分の家を古く言い、他家を新しく言う。……証す者がおらねば、貴族などただの人の集まりでございます」
「証すために、三代を数える」
「数えるのです。数えられるものだけが、公平でございましょう」
私は、この方の言葉の運びを聞いていた。嘘をつく人は、自分の仕事を「必要悪」と言う。この方は「公平」と言った。
*
「では、もう一つ」
「どうぞ」
「三代を持たぬ家は、どういたしますか」
ザーラント様は、少しだけ間を置いた。
「持てるようになるまで、お待ちいただきます」
「三代は、待っても増えません」
「増えますよ」彼は静かに言った。「一代目が登記されれば、三代目のお孫さんが結ばれます。……われわれは百年の単位で仕事をしております」
「その百年のあいだ、待つのはどなたですか」
初めて、彼の目がこちらを見た。
「待つ方がいらっしゃるのは、存じております」
否定しなかった。彼は本当に、それを知っていて、それでも数えているのだった。
——観察記録。所長。要件について、動揺なし。「待つ者がいる」ことを認める。……この方も、嘘をついていない。
二人目だ、と思った。ゼルマ様に続いて、二人目である。嘘をつかない相手が二人。私の商売道具は、どちらにも刺さらない。
*
条文の写しをいただいて、宿へ持ち帰った。灯りの下で、三度読んだ。
「婚姻の認可は、両家いずれについても、三代の登記を有する場合に限り、これを与える」
一度目は意味を。二度目は言い回しを。三度目は——紙のほうを見た。
「ジェミマ。これ、どう見えますか」
この子は写しを取り上げて、灯りに透かした。写す仕事を三日やった目は、もう字を絵として見る目になっている。
「……ここ、字の大きさが違う」
「どこですか」
「『三代の登記を有する』のとこ。前後より、ちょっとだけ詰まってる。行の終わりも揃ってない」
私は指でなぞった。条文の綴りは、一行あたりの字数が決まっている。書き足すと、そこだけ詰まる。
「あんた、これ」
「はい」
「あとから足したってこと?」
「まだ分かりません」私は写しを畳んだ。「写しですので。元の綴りを見なければ、断定はできません」
言いながら、指先が少し冷えていた。もし足したのなら、足した人がいる。足した日がある。
そして——足す前に結ばれた縁と、足したあとに壊れた縁が、この国のどこかにあることになる。
*
「殿下」
「なんだ」
「二十年前の認可簿は、閲覧できますでしょうか」
ギデオン様は書類から顔を上げた。
「できるだろうな。だが、君が見たいのはそれではない」
「と、申しますと」
「条文の原本だ。認可簿は結果で、条文は物差しだ。……君はいま、物差しのほうを疑っている」
私は少し驚いて、それから、うなずいた。
「殿下は、ときどきこちらの手の内をお読みになりますね」
「一年見ていれば読める」彼は書類を置いた。「言っておくが、君のほうが速い。俺は君が三度読んだのを見てから考えた」
「それは、褒め言葉でしょうか」
「事実だ」
事実の言い方で、この方はときどき、事実ではないものを渡してくる。私はそれを記録に残さないことにしている。
お読みいただきありがとうございます! 嘘をつかない相手が二人目です。登記所長ザーラントは、悪人ではなく「数えることを信じている人」として書きました。
次回「ヴィルデ男爵の売り物」。三代が足りないなら買えばいい——そう囁く男が出てまいります。
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