第4話:逆恨みの子爵子息と、白い鳩の封印
断罪の翌々日から、事務所の周りに変な男たちがうろつくようになった。
「三人ね」ジェミマが窓の隙間から数えた。「質屋の前に一人、角に二人。柄悪ぅ」
「四人です」私は帳面から顔を上げずに言った。「向かいの二階の窓。カーテンの畳み方が、昨日と違います」
「……あんたのそれ、ほんと何なの」
男たちだけではなかった。社交界に、噂が流され始めていた。いわく——ハトリー縁談調査事務所は、良縁に難癖をつけて貴族を強請る詐欺の巣窟である。雇われているのは、婚約破棄された逆恨みの令嬢である。
「後半は事実だから、性質が悪いね」エスメは笑ったが、目は笑っていなかった。「依頼が二件、取り消された。噂の出所は」
「ヒューバートです。裏は取りました」
潰れかけの子爵家にしては、意外にしぶとい反撃だった。おかしいのは、その手際だ。噂の文言は練られていて、流す先の夜会も選ばれている。借財で首の回らない坊ちゃんの独力にしては、出来が良すぎる。
(また、台本の匂いがする)
「どうする、お嬢さん。あんたの初仕事の尻だ。拭き方も覚えてもらうよ」
「拭き方は、もう決めてあります」
私は帳面を閉じた。
「彼の反撃は、噂と嫌がらせ。つまり『証拠の出ない手』です。ならばこちらは、証拠の出る手だけで参ります」
*
一日目、私はウォルシュ商会を訪ねた。
リズベットの父、ウォルシュ氏は娘の縁談に浮かれず、手付金代わりの「支度金」をヒューバートに渡した際の受取証を、きっちり保管していた。商人は書類を捨てない。
二日目、ロッティの父君に、婚約時の仲介書類一式を出していただいた。
三日目、二家の書類を揃えて、私は子爵家に書状を送った。内容は簡潔に、三行。
——二重婚約の証拠一式が揃っています。
——ウォルシュ商会は支度金の返還と利息を請求します。ロッティ様のご家門は婚約不履行の違約金を請求します。
——不服でしたら、貴族院の縁談記録所で全てを開示のうえ、争いましょう。
縁談記録所での開示。それは子爵家にとって、二重婚約が社交界の公式記録に残るということだ。噂は消せても、記録は消せない。
四日目、子爵家から返書が来た。
支払いに応じる。ついては内密に願いたい——署名は、ヒューバートではなく子爵本人。そして五日目、ヒューバートが領地での「静養」を命じられたという報せが、社交界を駆け抜けた。噂というものは、流した本人が転ぶ時、一番速く走るらしい。
事務所の前の男たちは、四日目の朝には消えていた。
「見事なもんだ」エスメは返書を検めながら言った。「腕尽くでも、口喧嘩でもなく、書類三枚で黙らせた。カサンドラの娘だよ、まったく」
「……母を、ご存知なのですか」
エスメの手が、止まった。
しまった、という顔だった。この人の顔から表情を読めたのは、初めてだった。
「その話は、いずれね。今は目の前の帳尻だ」
はぐらかされた。けれど「いずれ」と言った以上、この人は嘘はついていない。私は引き下がって、代わりに、ずっと引っかかっていたものを机に置いた。
ロッティの縁談の、仲介書類。
「エスメさん。この封蝋、どこのギルドのものですか」
書類の綴じ目に、白い蝋の封印が押されている。意匠は、羽を広げた一羽の鳩。
「ヒューバートの縁談は仲介ギルドを通した良縁だった——ロッティ様はそう言いました。つまりこの鳩の紋のギルドは、借財八百枚の家を『申し分のない縁組み』として仲介したことになります。調べもせずに、か。調べた上で、か」
「…………」
「それだけでは、ありません」
私は、自分の記憶の抽斗を開けた。
「婚約破棄の翌朝、レインズ家に婚約解消の通知書が届きました。父の机の上で、一度だけ見ました。——あの綴じ目にも、これと同じ白い鳩がいました」
ロッティの縁談を仲介したギルドと、私の婚約の後始末をしたギルドが、同じ。
偶然かもしれない。王都の縁談の多くが、どこかのギルドを通るのだから。けれど、帳尻を数える者として、同じ紋が二度出てきたら、印をつけておくのが母の教えだった。
エスメは長いこと黙っていた。それから、私がこれまで聞いたことのない、低い声で言った。
「——白鳩会。縁談仲介の、王都で一番大きな元締めだ」
「白鳩会」
「いいかい、お嬢さん。一度だけ言うよ」
エスメは私の目をまっすぐに見た。
「その封印には、近づくな」
商売人の顔でも、雇い主の顔でもなかった。あれは——何かを、一度失ったことのある人の顔だった。
私が問いを重ねる前に、階段からジェミマの声が降ってきた。
「ねえ、エスメ! 表に馬車! でっかい黒塗り! ……うわ、王家の紋章ついてる!!」
お読みいただきありがとうございます! 書類三枚の返り討ち、お楽しみいただけたでしょうか。そして出てきました、白い鳩の封印。エスメ所長は何を知っているのか。
次回「氷の監査卿のスカウト」。桟敷の銀髪の男が、扉を叩きます。
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