第34話:大公令嬢の三分間
大公家の広間には樫の葉の意匠が三十七枚あった。天井に十二枚、壁に二十枚、暖炉の飾りに五枚。数え終わったところで扉が開いた。
——観察記録。報告の場、大公家広間。列席、ヴェンデル大公、マティルデ様、女官長ゼルマ様、家令シュトルム殿。……そして、対象。
メルヒオール様は、今日も新しい手袋をしていた。縫い目の白さが、暗い色の卓の上でひとりだけ浮いている。
「調査の報告と伺いましたが」彼は感じよく笑った。「わたくしが同席する必要が?」
「ございます」
「なぜ」
「報告の対象が、あなただからです」
広間の空気が一段下がった。
*
「一つ」
私は控えの紙を開いた。この型は身体が覚えている。
「昨年十一月、家系登記所において、辺境伯家メルヒオール様とヴィーゼン家息女の縁組が認可されております。認可番号、四百二十七。取り下げの記録は、ございません」
「……古い話です」
「二つ。同じ年の冬、ネーベル家息女との縁組が認可されております。認可番号、四百五十一。こちらも、取り下げの記録はございません」
メルヒオール様の笑みが、笑みのまま止まった。
「三つ。今年の春、アイヒェン家息女マティルデ様との縁組が認可。認可番号、五百三。……三件、いずれも生きております」
ヴェンデル大公が椅子の肘を掴んだ音がした。木の軋む音だった。掴んだきり、閣下は最後まで手をゆるめられなかった。
「四つ。三家いずれにも、あなたは『備えあれば』と説明しておいでです。ヴィーゼン家の令嬢は三年お待ちです。ネーベル家の令嬢は二年。……お二方とも、ご自分だけが選ばれたと信じておいでです」
「言いがかりだ」
「五つ。あなたがお待ちなのは、時機ではなく相場です」
私は次の紙をめくった。
「昨年の秋、ヴィーゼン家の領地に街道が通る話が出ました。今年の春、その話は流れています。三件目の認可の日付は、話が流れた月の翌月です」
彼は口を開いて、閉じた。反論の形を探して、手元に無いことに気づいた顔である。この方は嘘をつくのが上手い。上手い方ほど、用意していない嘘は出てこない。
「六つ。あなたは、この三年で仕立てを三度替えておられます」
「……仕立てが何だというのだ」
「新しい手袋。新しい靴。新しい時計の鎖。どれも、三家それぞれの土地の職人のものです」私は紙を置いた。「相手の家の好みに合わせて、身の回りを替えておいででした。三通りの装いを持ち歩く方が、備えのつもりで許しを取ったとは、私には思えません」
広間の端で女官長のゼルマ様が目を伏せた。責めるふうでも、驚いたふうでもない。知っていたことを確かめた人の伏せ方だった。
「あなたは、縁を三つ持っておいででした。持つこと自体は、この国では違法ではないそうです」
「ならば——」
「ですから私は、罪を数えておりません。待たされた年月を、数えております」
*
「以上が調査の全てです」
私は紙を閉じた。
「……最後に一つだけ、私の言葉を」
広間が静まる。
「三年と、二年と、半年。三人の令嬢が、あなたの返事を待って過ごした時間です。その時間は、どの帳面にも、どの認可簿にも記載されません。記載されないものは、無かったことになります。——けれど、無かったわけではない」
私は顔を上げた。
「私は、嘘を見逃しません」
*
崩れ方は、逆上だった。
メルヒオール様は椅子を鳴らして立ち、紙を叩き、こちらの家格を数え上げた。よそ者の調査人、認可も持たぬ国の女、雇われの、と続けて——最後にこう言った。
「わたくしは、認可されているのだぞ!」
広間の誰も答えなかった。答えの代わりに、ヴェンデル大公が短く言った。
「取り下げよ。三件とも」
*
彼が広間を出るまで、三分かかった。私はそれを数えていた。
一年と少し前、王都の広間で私は三分間の口上を聞かされた。相手は台本を読み、周りは笑い、私は数えるほかにすることがなかった。
今日の三分は、こちらが読み、向こうが数えられていた。同じ長さの三分が立つ場所ひとつでこれほど違う。
——観察記録。退場までの所要、三分。……一年前の私に、教えてやりたい数字である。
*
広間の人が引いたあと、マティルデ様はまだ椅子に座っていた。背筋は伸びたままで、手袋の指が膝の上で組まれている。
「……ありがとうございました」
「お役に立てたのでしたら」
「ええ。ええ、本当に」
言葉は正しかった。声の高さも、間の取り方も、手本どおりだった。
——観察記録。依頼人、報告後。声、平静。指、膝の上で組む。瞬き、通常。……喜色、なし。
依頼人の顔というものを私はそれなりの数だけ見てきた。真実が望まぬ答えだったとき、人は泣くか、怒るか、黙る。望んだ答えだったとき、人は——たいてい、息を吐く。
マティルデ様は息を吸ったまま、吐かなかった。
「マティルデ様」
「はい」
「ご依頼は、これで完了でよろしいですか」
彼女は初めてこちらを見た。そして、たいそう美しい所作で微笑んで、言った。
「……これで、わたくしは自由になれません」
言い終えてから、口を押さえた。言うつもりのなかった一文だと、その手の動きで分かった。
お読みいただきありがとうございます! 一年前は数えられる側だったコーデリアが、同じ三分間を数える側で使う——第一話との対の場面を書きました。
次回「依頼の続きがあります」。断罪は終わったのに、依頼人だけが救われていません。
続きが気になりましたら、ブックマークに入れておいてくださいませ。




