第33話:認可は、婚約より早い
「申請書は、非公開でございます」
登記所の書記は、三度同じ言葉を繰り返した。三度目には、こちらの顔を見なくなっていた。悪意ではない。壁というのは、たいてい親切な人の口から出てくる。
「認可の結果は公開されます。過程は公開されません。……そういう決まりでございますので」
「決まりの根拠となる条文を、拝見できますか」
書記は初めて、少しだけ困った顔をした。
*
王都であれば、ここでギデオン様の監査権が使えた。この国では使えない。監査室の紋は、国境で紙切れになる。
「押しても開かんな」
登記所を出たところで、ギデオン様が言った。声に苛立ちはなかった。壁の高さを測っている顔だ。
「開かない扉には、たいてい脇に窓がございます」
「窓とは」
「認可の『結果』は公開される、と書記どのがおっしゃいました」私は控えの紙を開いた。「結果が公開されるなら、認可された縁組の一覧は誰でも読めます。申請書は読めなくても、認可の日付と、認可された組み合わせは読める。……過程を隠して結果を出す役所は、結果のほうから読み解かれます」
ギデオン様が、ほんの少しだけ口の端を上げた。
「窓は、どこにある」
「書架の三段目から上です。梯子をお借りしますので、殿下は下でお持ちください」
「監査卿に梯子番をさせるのか」
「公務ですので」
*
丸二日、認可簿を読んだ。
認可された縁組が、日付順に並んでいる。何百件もある。読めない文字は、ニコラが横で読み上げた。読み上げた端から、ジェミマが写した。
三人で回すと、思いのほか速い。私が組み合わせを控え、ニコラが読み、ジェミマが写す。この子の写す字は、まだ形が崩れている。それでも二日で、崩れ方が揃ってきた。揃った崩れは、読める。
「あんた、これ何百件あると思ってんの」
「千二百四十件です」
「数えたの!?」
「頁数と、一頁あたりの行数を掛けました」
ジェミマは何か言いかけて、やめた。ニコラのほうは真顔で頷いている。この子は数の話をされると機嫌がよくなるらしい。
読んでいて分かったことが、もう一つある。この国の認可簿には、婚礼の日付が書かれていない。書かれているのは「認可した日」だけだ。誰と誰が実際に結ばれたかではなく、誰と誰が結ばれてよいことになったか——それだけを、この国は残している。
結ばれたかどうかは、教会と家の帳面にある。二つの帳面は、繋がっていない。
——観察記録。認可簿、許しの記録のみ。結果は追わない。……許しを取ったまま、使わずに置いておける。
そこに気づいたのが、二日目の朝だった。そして二日目の午後、同じ名前が三度出てきた。
——観察記録。メルテン大公国 家系登記所 認可簿。昨秋十一月、認可一件。辺境伯家メルヒオール様、相手方——ヴィーゼン家息女。
「……あの人、大公令嬢と婚約してるんじゃないの?」
ジェミマが手を止めた。
「今年の春からです。こちらは昨年の秋」
「乗り換えたってこと?」
「いいえ」私はもう二枚めくった。「乗り換えてはいません。まだ、こちらも生きています」
同じ冬に、もう一件。そして今年の春、大公令嬢マティルデ様。
三件。三件とも、認可は取り下げられていなかった。
*
「認可というのは、婚約そのものではないのです」
その晩、宿の卓に三枚の写しを並べて、私は説明した。
「認可は『この二人は縁組してよい』という許しです。許しを得ても、結ばないでいることはできる。取り下げなければ、許しは残ります」
「……つまり」ジェミマが眉を寄せた。「あいつ、許しを三つ持ってるってこと?」
「はい。三つの家に対して、いつでも縁組できる状態を保っています」
「なにそれ。婚約を——」
「在庫のように持っている、ということです」
言葉にすると、卓の上の空気が冷えた。メルヒオール様は、条件のよい一件を選ぶつもりでいる。相手の家格が上がれば乗り換え、下がれば別の許しを使う。どの家も、自分だけが選ばれたと思っている。そのために三年、三つの家の令嬢が待たされている。
「マティルデ様の『念のため』は、勘です」私は写しを揃えた。「勘は証拠になりません。ですから、証拠のほうを持って行きます」
*
引っかかったのは、その夜だった。三枚の写しを並べ直したとき、紙の下の隅に、同じ形の書き込みがあることに気づいた。
認可の受理を示す裏書きである。日付と、判。
——観察記録。三通の裏書き、筆跡同一。判、同一。
三件はそれぞれ別の年、別の月に受理されている。窓口の係官は入れ替わるはずだ。それが三通とも、同じ手で書かれ、同じ判が押されている。
私は判の縁を、指でなぞった。細かい欠けがある。三通とも、同じ位置に。
「殿下。この判は、どなたのものでしょう」
ギデオン様が写しを取り上げ、灯りに近づけた。しばらく見て、それから低く言った。
「登記所長の判だ。……窓口が押すものではない」
なぜ所長が、三年にわたって、同じ男の申請だけを自分の手で受理したのか。その問いは、明日の断罪には要らない。要らないけれど、控えておく。
私は帳面をひらいて、判の欠けの形を写した。線が三本、右上に。
——観察記録。備考。この判、また出る。
お読みいただきありがとうございます! 開かない扉の脇には窓がある——過程を隠す役所は、結果のほうから読み解かれます。三人で認可簿を回す場面がいちばん楽しく書けました。
次回「大公令嬢の三分間」。証拠が揃いましたので、いつもの型で読み上げます。
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