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婚約破棄された令嬢、縁談調査人はじめました 〜あなたの婚約者の裏の顔、お調べします〜  作者: 藤宮レイ


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第30話:あの夜会場で、今度は

招待状は、白鳩の封蝋ではなく、王家の封蝋で届いた。


——観察記録。夜会の招待、一件。日付、数週間後。会場——あの広間。


一年前、私が婚約破棄の口上を三分間聞かされた、あの広間だった。


「また夜会? あんた、懲りないわねえ」と、封筒を勝手に検分したジェミマは言った。指先で招待状をくるっと回して、返しながら。


「今度は、余興になる予定はありませんので」


「その台詞、一年前のあんたに聞かせてやりたいわ」


一年前の私は、余興になる予定すらなく、余興になった。今夜は少なくとも、予定は立っている。何の予定かは——招待状のどこにも、書かれていなかったけれど。


*


シャンデリアは同じ。楽団の位置も、磨き上げられた床も、三百人分の視線が集まる広間の中央も、同じ。


変わったのは、数えるものだけだ。


一年前の私は、あの中央でひとり、嘘を数えていた。今夜の私はギデオン様の腕に手を添えて入場し、十歩で会釈を七つ数え——それきり、数えるのをやめた。数えなくていい夜会というものを、私は初めて知った。


噂話のほうは、扇の陰にいても向こうから耳に入ってくる。


「ブライア侯爵家、領地を返上なさったそうよ。あの裏帳簿の筆頭に、家名が載っていたんですもの」


「マーゴット様? お消えになったわ。侯爵夫人になれないなら、と次のお相手に乗り換えようとなさって——経歴の嘘が三つ、まとめて割れたの。今はもう、どこの夜会の名簿にもお名前がないわ」


私は聞くだけにした。手を下す必要は、最初からなかったのだ。虚栄というのは利息の高い借金で、あの方はただ、返済の日を迎えただけ。


一年前、この広間で潤んだ瞳を作ってみせた令嬢の名を、社交界はもう、噂話の中でしか呼ばない。


「……コーデリア」


振り向くと、飾りのない旅装の男が立っていた。カルヴィン・ブライア。目は泳いでいなかった。一年前、勝ち誇りながら桟敷を気にしていた時より、ずっと。


「明日、王都を発つ。東の代官所勤めだ。……悪かった。それだけ言いに来た」


台本のない口上は、一文で終わった。三分かけた三つの嘘より、よほど彼自身の声だった。誰かに書いてもらった言葉しか持たなかった人が、最後に一つだけ、自分の言葉を持ってきた。


私は扇を閉じた。


「記録しておきます。——一年遅れの、真実として」


「……ああ。それで十分だ」


彼は一度だけうなずいて、広間を出て行った。操られた駒であったことと、駒であることを選んだことは、別の帳面に載る。免罪はしない。けれど記録はする。それが、私の仕事だから。


*


音楽が止んだのは、その時だった。


三百人分の視線が、広間の中央に集まる。一年前と同じ場所に、今夜はギデオン様が立っていて——まっすぐに、私を見た。


まだ、監査が一件残っている。あの夜、彼はそう言った。名簿を三度検めても見つからなかった、最後の一件。


「監査卿として、最後の一件を報告する」


氷の監査卿の声が、広間を鎮めた。


「最後の監査対象は、俺自身の縁談だ。相手は、コーデリア・レインズ。利害、動機、将来性——一年かけて検分したが、監査人が対象に近すぎて、結論が出せん」


ざわめきの中を、彼は私の前まで歩いてきた。周りが割れて、道になる。私は気づけば、広間の中央にいた。一年前、破棄の口上を聞かされた、寸分違わぬ場所に。


そして——彼は、跪いた。


三百人の目の前で。王弟殿下が、床に膝をついた。


「よって、結論は調査人どのに委ねる。——この縁談、通してよいか」


広間は、咳の音ひとつしなかった。誰もが知っている。この場所で一年前に何があったか。そして今、何が起きているのか。


型は、身体が覚えている。私は息を吸って、開いた。


「——観察記録。ギデオン・ヴェルクレア公爵。求婚の口上、およそ——」


およそ。


数えられなかった。口上が何分だったのか、瞬きがいくつだったのか、指先はどうだったのか。九年間、泣く代わりに数え続けてきた私の記録係が、初めて、仕事を放棄していた。


嘘を探そうにも、帳尻の狂いが、どこにもない。


「……観察記録は、ここまでです。ここから先は、調査ではありませんので」


差し出された手に、私は自分の手を重ねた。


「結論だけ、申し上げます。本件に瑕疵なし。——謹んで、お受けいたします。それから、仮の看板は今夜限りで外してくださいませ」


「最初から、掛けた覚えがない」


立ち上がった彼の手に、力がこもった。それが何拍続いたのか、私はやっぱり、数えそこねた。


拍手が、どこから始まったのか分からないほど一斉に起きた。人垣の一番前で、ジェミマが盛大に泣いていた。


「あんたが泣かないから、あたしが代わりに泣くの! 文句ある!?」


「ありません。……ありがとう、ジェミマ」


エスメは腕を組んで、実に商売人の顔で言った。


「ご祝儀は前金制だよ、監査卿さま。真実は値引きしないが、身内の縁談なら勉強しとくれ」


「善処する」と、氷の監査卿は真顔で財布の心配を始めた。


侍女のタンジーが目元を押さえ、初めての依頼人だったロッティ様が、あの日と同じ顔で何度もうなずいている。この一年、検めてきた縁の数だけ、拍手があった。


母様。見抜くことは、疑うことではありませんでした。守ることでした。——そして今夜は、私が守られた側です。


*


後日。王家縁談監査室。


日常は、拍子抜けするほど普通に戻った。監査室には決裁の山、事務所には新しい依頼人、ジェミマには綴り方の宿題。変わったのは、私の署名から(仮)が消えたことくらいだ。


「仮が取れたんだから、次は机を大きくしなさいよ」というのがジェミマの祝辞で、「提携料は据え置きでいいよ」というのがエスメの祝辞だった。監査室と事務所、二枚看板の新体制である。


その机に、一通の書状が届いた。見慣れない封蝋。隣国の——大公家の紋章だった。


「国際結婚の、身辺調査のご依頼だそうだ」


先に検めたギデオン様が、書状をこちらへ寄越した。


「国境の向こうまで、君の評判が届いたらしい。……受けるか」


「訊くまでもありませんでしょう。——監査卿どの」


彼が、ほんの少しだけ笑った気配がした。記録には残さないでおく。


私は封を切った。


——観察記録。新しい依頼、一件。……国境の向こうにも、検めるべき縁があるらしい。

お読みいただきありがとうございます! 一年前と同じ広間で、今度は数えるのをやめる——コーデリアの「型破り」を、最後の見せ場として書きました。


そして届いた、隣国の大公家からの依頼状。次回から第二部・隣国編です。国境の向こうでは、縁談は「認可されるもの」でした。——コーデリアの物差しが、一度も通じない国から始まります。


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