第29話:白い鳩の面が割れる
布告から十日。王宮の大広間は、夜会の形をした法廷だった。
楽団は入らず、酒は配られない。燭台だけが煌々と灯り、居並ぶ正装は、どこか喪の気配をまとっている。玉座には陛下。今夜の主役は踊りではなく、一冊の報告書だった。
オクタヴィア夫人は、逃げも隠れもしなかった。
招かれ、正装で、広間の中央に立っている。鳩羽色の絹。完璧な立礼。十七年、社交界の中心にあり続けた「善意の仲人」の顔のままで。
「まあ、今夜はどんなご縁のお話かしら。わたくし、楽しみにして参りましたのよ」
私はギデオン様の隣に立っていた。部下の席ではない。婚約者としての、隣だった。
——観察記録。オクタヴィア夫人。中央にて泰然。瞬き一定、指先の迷い、零。声の温度、春。読めない項目、残り一つ。この方が本当のことを言う時の顔。……今夜、その欄を埋めに参りました。
「——監査結果を、読み上げよ」
ギデオン様の声が、広間を鎮めた。私は綴りを開いた。
「調査報告を申し上げます。対象、結婚仲介ギルド白鳩会、主宰オクタヴィア夫人。案件、王命による縁談監査」
「一つ。縁談の操作について。調査人カサンドラ・レインズの手帳に残る八年で十七件。押収した裏帳簿との突合で判明した分を合わせ、十七年で、三十七件。縁組の日付と貸付の起算日、すべて一致いたします」
「まあ」夫人は頬に手を当てた。「ずいぶんと、お調べになったこと」
「二つ。手口について。雛形の口上、白鳩の封蝋の紹介状、そして貸付と利息の首輪。裏帳簿では、貴族の家名が番号で管理されておりました。縁と借金の二本の糸で、家が数字で飼われていた」
「怖いこと」
広間のざわめきは、もう波ではなくなっていた。扇の陰で、幾人かの顔から色が落ちている。番号で呼ばれた家の心当たりが、この広間にもいるのだ。読み上げてもいない家名を、それぞれが胸の内で数え始めた気配がした。
「三つ。王家への手出しについて。先の王妃選定において、候補一名の醜聞が仕立てられました。雛形の口上、手配の日付、支払いの記録——段取り書の写しがこちらに。あの醜聞は起きたのではなく、作られたものです」
ざわめきが走った。居並ぶ重臣のどなたかが「馬鹿な」と呟き、その声の小ささが、誰より雄弁だった。玉座の陛下は、動かない。動かないことを、あらかじめ決めてきた方の動かなさだった。夫人も、揺れない。
「あらあら。証拠が、おありなの?」
「四つ」
私は頁を繰った。
「二件の『事故』について。十七年前、指示書の存在を知る証人が一人。九年前、白鳩会を追っていた調査人が一人。いずれも馬車の事故として処理され、いずれも仲人頭の証言により、夫人の指示による口封じと判明しております」
そこで一度だけ、息を継いだ。
「九年前の調査人の名は、カサンドラ・レインズ。——私の、母です」
声が低くなったのは、その一行だけだった。私は泣かなかった。九年前も、今夜も。
広間は、咳ひとつなかった。一年前、婚約破棄の余興を扇の陰で笑っていた社交界が、今夜は誰も笑っていない。笑い方を忘れた顔が、三百、こちらを向いていた。
夫人は、微笑んでいた。まだ。
「五つ。物証について」
私は油紙の包みを解き、一枚の古い紙を掲げた。
「十七年前の指示書、原本。縁談一件を壊す段取りが記され、末尾に署名がございます。あなたが、あなたご自身の名を記した、現存するただ一枚。母が九年、命に代えて隠し通した一枚です。——夫人。これは、あなたの字です」
数拍。
微笑が、割れた。
剥がれたのでも、崩れたのでもない。完璧な硝子に、髪一筋の罅が入るように——それは、割れた。
「……壊れたご縁を繕って、何が悪いの」
声は、春のままだった。春のままで、底が見えた。
「縁はね、わたくしが作ってあげなければ、皆さん、間違えるのよ。間違えた縁の、なんと醜いこと。わたくしは、正してさしあげただけ」
広間の誰も、動けなかった。脅しではない。言い訳でもない。この方は本当に、そう信じている。三十七の縁談と、二つの命の上で。
次の瞬きの後には、もう仮面は戻っていた。完璧な微笑。けれど広間は、二度と戻らなかった。全員が、罅の奥を見てしまった後だった。
私は綴りを閉じた。
「以上が調査の全てです。……最後に一つだけ、私の言葉を。——私は、嘘を見逃しません」
*
陛下のお言葉は、短かった。
「調べは尽きた。白鳩会は解散。夫人の身柄は、監査室へ」
衛士が左右に立っても、夫人は乱れなかった。連れられて私の前を過ぎる時、足が止まり、あの声が言った。
「良いご縁ですこと」
視線が、私と、隣のギデオン様との間を、一度だけ往復した。
「……あなたのそれは、わたくしの作ったご縁ではないのねえ。惜しいこと」
仲人の口調のまま、夫人は自分の敗因を自分で言い当てて、広間を出て行った。白い扉が閉まるまで、立礼は完璧だった。
扉が閉まると、広間のあちこちで、詰めていた息が一斉に漏れた。中には、安堵とは違う色の吐息も混じっている。「借り」のある顔だ、と私は胸の内で数えた。記録官の言った「何十人」は、この広間にもいる。監査室の仕事は、明日からも続くということだ。
*
散会の広間の隅で、ジェミマが待っていた。
「読み上げてる間、あんたの手、一度も震えなかった。あたし、ずっと数えてたんだから」
「観察記録は、弟子の仕事でしたね」
エスメは何も言わずに私の肩を一つ叩き、それから、閉まった扉のほうへ顎をしゃくった。
「十七年分の利子、確かに受け取ったよ。……カサンドラの取り分まで、耳を揃えてね」
人の引いた広間で、ギデオン様が隣に並んだ。
「終わりましたね」
「いや」
彼は前を向いたまま言った。
「まだ、監査が一件残っている」
「……どちらの家門ですか」
「近く、わかる」
氷の監査卿はそれきり口を閉ざした。おかしい。監査室の名簿を頭の中で三度検めても、残った案件など、一件も見当たらないのだけれど。
お読みいただきありがとうございます! 積み上げてきた証拠のすべてを注ぎ込む頂点の回でした。最後まで剥がれない仮面が「一瞬だけ割れる」——喚くより静かなほうが怖い、を目指しました。
次回「あの夜会場で、今度は」。残された最後の監査一件——物語は、すべての始まりの場所へ戻ります。
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