第23話:鉱脈の帳尻
ガーランド伯爵家。地方の、裕福なご老体の貴族——父への打診状には、そうあった。
「裕福、ねえ」
ジェミマが卓に、聞き込みの帳面を放った。
「下町の金貸し、三軒当たったわよ。三軒とも、ガーランドの名前で顔色変えた。貸してるんじゃないの、貸しすぎて取り立てられないの。あんたの縁談相手サマの家、外面だけぴかぴかのがらんどう。名前のまんまじゃない」
「借り先は、どこまで辿れましたか」
「一番でかい貸し元は、貴族相手の金貸し。看板は別だけど、金の出どころを遡ると——白い鳩の判子に着くんだって。下町の金貸しなんて、又貸しの又貸しの末端」
「よく聞き出せましたね」
「あたしの指と耳は嘘つかないの。……ちょっと、その顔やめてよね。あんたが行けって言ったんでしょ」
下町から見上げても、同じ鳩が見えるらしかった。
翌日、私は貴族院の縁談記録所で、ガーランド家の頁を引いた。当主は老齢。後添いの縁談が三度、いずれも破談。領地は痩せ、産物の記録は乏しい。「裕福」を裏づける数字は、どこにもない。
ついでに、と言い聞かせながら、私は自分の家の頁を初めて引いた。レインズ伯爵領。特記の欄に、短い一行。——北の丘陵に鉱脈。採掘権は当主に帰属。
当主に男子なき場合、娘の婚家に採掘権の管理を委ねた例が、隣の頁に複数あった。
うちには、男子がいない。
*
夜の監査室で、ギデオン様は写しを一枚、卓に置いた。監査室の権限で押さえた、ガーランド家の借金台帳。
「利払いだけで領地の実りの倍。当主が生きているうちに返せる見込みはない。——だが半年前から、取り立てが止まっている」
「止めた者がいる、ということですね」
「借金ごと家を買った者がな。婚礼が成れば、君の実家の採掘権はガーランド家の管理へ移る。そのガーランド家は、首輪ごと白鳩会のものだ。つまり」
「鉱脈が、白鳩の帳簿に入る」
盤面が、卓の上でつながった。
一年前。私とカルヴィンの婚約は、あの会には邪魔だった。レインズの娘が侯爵家に嫁げば、鉱脈は手の届かない側へ寄る。だから家計の傾いたブライア家につけ込み、破棄の台本を渡し、マーゴット様をあてがった。捨てられた娘は醜聞ごと、借金漬けの空き箱へ縁付ける。それで山は、鳩の巣に落ちる。
ところが娘は修道院に行かず、縁談調査人になった。盤面は一年、止まった。だからあの庭で、夫人は私の名を知っていた。だから今になって、実家へ打診が来た。計画の、再起動。
私は、捨てられたのではない。動かされたのだ。
一年前から数えられずにいた帳尻——あの会が何の得があって、うちの婚約を壊したのか。答えは恋でも醜聞でもなく、山の下に眠っていた。
「顔色が変わらないな」
「変えるところを、まだ決めていないだけです」私は写しを綴りに挟んだ。「実家へ行きます。……請求は、当主に届けるものですので」
*
一年ぶりのレインズ家は、玄関の敷石の数まで変わっていなかった。変わったのは、出迎えた使用人が、私の呼び方に迷ったことくらいだ。
書斎で、父は立ったまま私を迎えた。
「……何をしに来た。公爵家との婚約は聞いている。これ以上、家の外聞を騒がせるな」
「外聞のお話でしたら、五分で済みます」
——観察記録。父、レインズ伯爵。一年ぶり。髪の白、増。指輪、一つ減。声の張りは一年前と同じ。ただし、娘と目を合わせない癖は——一年前には、なかった。
私は卓に、三枚を並べた。
「一枚目。一年前、カルヴィン様に渡された婚約破棄の台本。二枚目、ガーランド卿からの打診状。紙の透かしが同じです。白い鳩」
「なん……だと」
「三枚目。ガーランド家の借金台帳の写し。あの家は裕福どころか、白鳩会に家ごと買われた空き箱です。婚礼が成れば、うちの鉱脈の採掘権は婚家の管理に落ちます。——お父様は娘ではなく、鉱脈ごと売られるところでした」
父の目が、三枚目で止まった。止まったまま、動かなくなった。
「わ、私は……家のためを、思って」
「ええ。ですから、家のための数字をお持ちしました」
「先方は、白鳩会は……由緒ある仲人だと、皆が」
「皆が、の後ろに隠れるのは、もうおやめください。一年前も、お父様はそこにいらっしゃいました」
言い訳の続きは、来なかった。父は椅子に、ゆっくり腰を下ろした。一年前の夜会でグラスを握って蒼白になっていた人が、今は空の手を、ただ握っている。
長い沈黙のあと、父は引き出しから便箋を出し、断り状を書き始めた。宛名はガーランド卿。時候の挨拶が三行、本題が五行。この人の型だ。型しか書けない人なのだと、一年経って、ようやく数え終わる。
「……仲介の白鳩会には、私からも一筆」
「いいえ。会への返答は監査室を通してください。王命の調査対象ですので」
「……そうか」
封をした断り状を、父は私にではなく、卓の上に置いた。手渡し方の分からない人の、置き方だった。
玄関まで、父は送りに出た。別れ際、一度だけ、私の顔を見た。
「……おまえの目は、母親に似た」
謝罪の形は、していなかった。この人の帳簿では、それが精一杯の——いえ。数えるのは、やめておく。
「帳尻は、まだ合っていませんので」私は一礼した。「——ですが、記録はしておきます」
*
帰りの馬車で、私は膝の上に二冊を置いた。母の手帳と、十七年前の、連名の調査綴り。
鉱脈の盤面は、数え終わった。私は捨てられたのではなく、山ひとつの重さで、動かされていた。帳尻は合った——盤面の側だけは。
けれど。
母の手帳の、破り取られた最後の一件だけが、まだ埋まらない。死の三日前まで、行間を詰めて追い詰めていた獲物。十七年前の綴りにも、その先だけが、ない。
窓の外を、王都の灯が流れていく。
盤面の絵は、九割まで描けた。空白は、あと一頁。
その一頁を破った手を、私はまだ、数えていない。
お読みいただきありがとうございます! 一年前の婚約破棄の「答え」と、一年ぶりの実家。父の一言は、謝罪の形をしていないぶんだけ、書いていて重かったです。
次回「空白の頁」。母が死の三日前まで追い詰めていた「最後の一件」に、いよいよ手を掛けます。
ブックマーク・★評価で応援していただけるととても励みになります!




