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婚約破棄された令嬢、縁談調査人はじめました 〜あなたの婚約者の裏の顔、お調べします〜  作者: 藤宮レイ


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20/27

第20話:公爵の婚約者(仮)

その手紙は、朝一番の便で事務所に届いた。


レインズ家の封蝋。一年ぶりに見る、実家の印だった。


「珍しいね。読まないのかい」


「読みます」


父の字は、事務的だった。時候の挨拶が三行、本題が五行。曰く——白鳩会の仲介で、良い縁談の打診があった。相手は地方の、裕福なご老体の貴族である。醜聞のあった娘には過ぎた話。家のためを思うなら、心得違いをせぬように。


——次の良いご縁は、あなたの番よ、コーデリアさん。


あの茶会の、別れ際の声が重なった。予告は、社交辞令ではなかった。


私は手紙の中の嘘を数えた。「良い縁談」がひとつ。「おまえのためを思えばこそ」がふたつ。……三つ目を数えかけて、指が、一度だけ止まった。


嫁げば、調査人は終わる。監査室も、この帳面も。縁談は、祝いの形をした首輪にもなる——それを私は、この半年でいやというほど数えてきたのだった。他人の首に掛かるのを、いくつも。


自分の首に寸法を合わせられたのは、初めてだった。


「顔色が変わらないねえ、あんたも」エスメは茶器を置いた。「……で、どうすんだい」


「調べます。いつも通りに。ただ——今回は、報告する先を選びます」


私は手紙を畳んで、外套を取った。


「エスメさん。今夜、王宮に上がります」


「ああ。行っといで」


*


夜の監査室は、ランプが二つだけだった。


手紙を読み終えたギデオン様は、それを卓に置き、長くは見なかった。


「雛形どおりだ。断れば醜聞、頷けば首輪。……君を、盤から下ろす気だ」


「わかっています」


「なら、先にこちらの話を済ませる。——続きは資料を見せてからだと、そう言った。資料は見せた。残りは、話だ」


彼は鉄格子の棚を開け、あの古い綴りを卓に置いた。先の王妃選定の、監査記録。


「候補は三人いた。うち一人が、ご成婚の三月前に、出所の知れない醜聞で消えた。繰り上がった方が、今の王妃陛下だ」


短い言葉が、順番に置かれていく。感情の載らない、報告の声で。


「消えた候補の醜聞の段取りは、雛形の口上、封蝋の紹介状、借金の首輪。——白鳩会の型と、同じだった。それを追っていた協力調査人が、カサンドラ・レインズ。彼女は『事故』で死んだ」


「……母が最後に追っていた一件は、これだったのですね」


「破られた頁の中身は、俺も知らん。ずっと、探している」


「陛下は、ご存じなのですか」


「兄上は、いまの王妃陛下を大切にしておられる。それは嘘ではない。だからこそ——その始まりに細工があったなら、知らずに済ませていい話ではない。俺は、そう思っている」


彼は綴りの上に手を置いた。


「以来、俺は縁談というものを信じていない。信じていないから、監査卿を引き受けた。壊される縁を、せめて検分できる場所に、いるために」


氷の監査卿の声は、最後まで温度を変えなかった。変えないまま、置かれる中身だけが重かった。


「君を監査室に入れたことに、母君の名が無関係だったとは言わない」


綴りを閉じて、彼は私を見た。


「だが、いま隣に置きたいのは、カサンドラの娘じゃない。嘘を数える君だ。君の目は、母君のものじゃない。——君のものだ」


返す言葉を、私は三つ用意して、三つとも使えなかった。


「そこで、だ」


ギデオン様は立ち上がり、卓を回って、私の前に手を差し出した。


「白鳩会の縁談から君を守り、なおかつ社交界の奥へ入る名目は、一つしかない。——俺と婚約しろ。……仮に、だ」


「……仮に」


「王族の縁談は、すべて監査を通る。俺の婚約者になれば、白鳩会の仲介は君に指一本届かん。実家も断れん。婚約者であれば、夜会の奥の扉まで入れる。実務の話だ」


実務の話だ、と言った人の「仮に」の前の間が、書類を読む時より半拍長い——気がして、私は確かめるために、差し出された手袋の縫い目を数えようとした。


——観察記録。ギデオン・ヴェルクレア公爵。手袋の縫い目、数えられず。以下、記録不能。


数えられなかった。観察者、失格である。


「返事を急がせるのは、良い縁談の作法に反する」ギデオン様は手を差し出したまま、言った。「だが、白鳩会は待たん。……三日やる、と言いたいところだが」


「三日は、要りません」


私はその手に、自分の手を載せた。


「お受けします。ただし、調査は前金制ですので。対価は——白鳩会の帳尻で、いただきます」


「高くつくな」


「ええ。王都で一番」


彼の口元が、かすかに動いた気がした。それから監査卿の顔に戻り、窓の外の王都へ向けて、宣告した。


「王命の名の下に。白鳩会の仲介する縁談の全件を、明日より監査室の正式な調査対象とする。——仲人の善意の、帳尻を検める」


宣戦布告だった。白い鳩の庭の、その主に向けての。


*


「はあ!? 仮って何よ、仮って!」


翌朝の事務所で、ジェミマは椅子ごと立ち上がった。


「婚約なら婚約でしょ! 仮ってことは何、終わったら返品すんの? あんた、それでいいわけ?」


「実務ですから」


「じ、つ、む〜?」ジェミマは思い切り顔をしかめて——それから、にやけるのを隠すのに失敗した。「……ま、いいけど。あんたを地方のじじいにくれてやるより、百倍いいけど」


「ジェミマ」


「なによ」


「お祝い金は出ませんよ」


「ちぇっ」


舌を出して、それでもその日一日、ジェミマの鼻歌は止まらなかった。エスメは帳簿を繰りながら一言、「王弟殿下相手じゃ、詫び金の桁が変わるねえ」と笑った。


*


後日。王宮の大夜会。


「ヴェルクレア公爵殿下、ならびに——ご婚約者、コーデリア・レインズ嬢」


先触れの声が、大階段の下の広間へ落ちた。ざわめきが、波になって返ってくる。


一年前、私はあの広間の床の上で、婚約破棄の口上を数えていた。口上三分、嘘三つ。あの夜の私に教えてやりたい。あなたはいずれ、この階段の上に立つ、と。


見上げる顔、顔、顔。扇の陰の囁き。「あの、レインズ家の」「破棄された方でしょう」「まさか殿下が」——聞こえる分だけで、十二。


「怖いか」


腕の主が、前を向いたまま訊いた。


「いいえ」


扇を、胸の高さに開く。


「数えるものが多くて、うれしいくらいです」


ざわめきの中の嘘と、悪意と、好奇と。今夜はまだ、数えきれないほどある。


——けれど私はもう、知っている。数えきれないものは、二人で数えればいい。


お読みいただきありがとうございます! 第三章はここまで。「仮に、だ」の半拍の間に、実務と実務でないものが半分ずつ入っています。数えられない観察記録、初めて書きました。


次回から第四章。次の調査対象は、私自身の婚約破棄。依頼人は——私です。


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