山吹の小屋 ― 大男イストハック ―
はじめまして。
本作をお読みいただきありがとうございます。
世界観重視のハイファンタジーです。長い旅の始まりですが、ゆっくりと広がる物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。
エティルーダの塔を出た後、三人はしばらく無言で歩いていた。
塔の中で交わされた言葉の重みが、まだそれぞれの中に残っていた。
獣舎の前に来ると、キリムが口を開いた。
「出発は三日後の朝ですか」
ゼルナはキリムに紫がかった青い瞳を向け、やわらかく微笑んでうなずいた。
「どこかへ行かれるのですか?」
「一行に加えたい者がいるのです」
ユンタスがキリムに視線を落とす。
長身の影が、わずかにキリムへとかかる。
「……誰ですか、それは」
キリムは顔を上げ、視線を受け止めた。
「イストハックというものを知っているかい?」
「聞いたことはありますが……」
ユンタスは眉をひそめる。
「町外れに住んでいる大男ですか?
人嫌いで、暴れ出したら手が付かない厄介ものと……その者のことですか?」
「ああ、そのイストハックだよ」
キリムは含み笑いを浮かべた。
ユンタスは小さく息をつく。
「……本気ですか」
「ああ。イストハックほど、キャラバンで頼れる者はいない」
ユンタスはそれ以上何も言わなかった。
ゼルナ、ユンタスと別れた後、キリムは一人、町外れへと向かった。
ナミの丘を通り過ぎると、キリムはケッティルを引きながら歩いた。
生い茂った木々。荒れた地面。整備されていない道。
ケッティルに乗ったままでは進めない。
この一帯は、イストハックが行政官と諍いを起こしているため、放置されていた。
ギルの木々を抜けると、やがて山吹色の小屋が見えてくる。
その前に――いた。
もじゃもじゃの髪と髭の巨躯の男。
ほこりにまみれた暗灰色の胴巻をつけた出で立ちで、砂漠の盗賊にも見える
石台の上に据えられた巨大な斧。
それを――
叩く。
叩く。
叩く。
黄、赤、青。
火花が弾け、空気が震える。
無駄が、一切ない。
ただ力任せに見えて、その一撃一撃は正確だった。
その音に、ギルの木々がわずかに揺れた。
やがて、ギョロリと――その大男が、こちらを見据えた。
白い歯が覗く。
「キリム――!!」
地を打つような声が響く。
その目が、わずかに柔らいだ。
「無事に帰ってきたかっっ!!」
ケッティルがわずかにたじろぐ。
キリムは軽く手を添えてなだめた。
歩みを止めずに言う。
「力を貸してくれるな、イストハック」
余計な説明はない。
それで十分だった。
「う――ぬっ!!」
獣のような唸り声。
イストハックは大きく肩を揺らし、笑った。
「何事だかわからんが――」
一度息を吸い、
「もちろんだぁ!!!」
理由も、事情も、いらない。
それが――この男だった。
「まあ入れ。うまいタルクとラグールがあるんだ。マリヒュートのやつは格別だ」
小屋に入ると、キリムはいつも少しだけ驚かされる。
外見とは裏腹に、内部は整然としている。
暖炉の上には、金属製の置物。
窓際の棚には、子供用の遊具。
どれも精緻な細工。
イストハックの手によるものだ。
その荒々しい姿からは想像しがたい、繊細な技がそこにはあった。
イストハックは機敏な手つきで、香ばしく焼かれたタルクを切り分け、ライカの香りが立つラグールを杯に満たした。
「こんな高価な杯を使っているのか?」
キリムはその細工をまじまじと見つめた。
「はっはっはっはっ!」
「それは俺が作ったものだ!」
「ケッティルが五頭は買えるがな!」
爆ぜるような笑い声。
卓上の食器がわずかに震える。
「まあ、食え。本当にうまいぞ!」
イストハックは、キリムが口をつけるまで立ったまま見つめていた。
「……これは、うまいな」
「だろう!! だろう!!」
「これを食ってからは、マリヒュート方面のキャラバンばかりやってるぜ!」
「ラグールもまた、うまいんだ、これが!」
豪快な声が、小屋の中に満ちる。
やがて、食事を終えたキリムが口を開いた。
「イルージの砦に出向くことになりそうだ」
「最高の装備をしておいてくれ」
「いつだ?」
「出発は三日後の朝だ」
イストハックは、ニヤリと笑った。
その口元に、わずかな昂りが浮かんだ。
「任せろぉ!!!」
ラグールを一息に飲み干す。
それだけで、すべてが決まった。
二人は、小屋の中でラグールを酌み交わしていた。
火を囲み、ぱちぱちと薪の弾ける音の中、ケッティル五頭分の価値がある杯に、芳醇なラグールが満たされている。
ライカの香りが、静かに満ちていた。
言葉は多くなかった。
それでも、二人にはそれで足りていた。
「……キリムよう」
「また、行くのか」
イストハックがぼそりと呟く。
キリムは杯を傾けた。
「ああ」
短い返答。
それ以上は語らない。
イストハックも、それ以上は聞かない。
ただ、ラグールをあおる。
火の音が、ぱちりと鳴る。
しばらくして、
「今度は、でかい戦になりそうだなぁ」
イストハックは、低く息を吐いた。
その目は、すでに戦を見ている。
「そうかもしれないな」
キリムは、わずかに頷いた。
夜は静かに更けていく。
戦の気配を孕みながらも、
その時間だけは、どこか穏やかだった。
夜が明ける。
キリムは立ち上がった。
外の光が差し込む。
扉を開け、振り返らずに言う。
「二日後の朝、クールゥ門で待っている」
その言葉だけを残し、キリムは小屋を後にした。
お読みいただきありがとうございます。
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