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妖国伝エルソラーナス ― 剣と石の叙事詩 ―  作者: 美刀 尊志


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出立の命

はじめまして。

本作をお読みいただきありがとうございます。


世界観重視のハイファンタジーです。長い旅の始まりですが、ゆっくりと広がる物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。

場のざわめきが、ゆっくりと沈んでいく。


やがて、ゼフリが口を開いた。


「ギゼリオンがイルージを最後に襲撃してから二百年。安寧の時を揺るがす何事かが北方の地で起こっておるのは間違いあるまい。だが、断片的な情報のみでは、混迷を深めるばかりじゃ」


その声は低く、揺るがない。

場にいる誰よりも長くイルージを見てきた者の声だった。


「事の真相は、現地に入らねば分からぬが、それには恐らく師団級の兵力が必要じゃろう。そのことを話し合うために、南部連合ーーエピナスの”会議”が招集された」


ゼフリの眼光が増し、キリムを見つめる。


「そこでじゃ、キリム、イルージきっての剣士であるエスタリオのお前さんにもクグルスへ行ってもらいたいのじゃ」


キリムは黙って聞いている。


「万が一最前線に出ることになった場合、お前さんほどのフルーグリッターの使い手でなければ勤まらんじゃろう。

そこにおるゼルナ、ユンタスたちにも行ってもらうことになっておる」


ゼフリの一言一言は重かった。

イルージの方針そのものであった。


「引き受けてくれぬか?」


その時、スペクタルをかけているエルダーが、やや動揺しながらゼフリに囁いた。


「モナ・ゼフリ。

モナ・ゼルナはイルージ防衛の要ではないですか?

使節の一員として送り出してもよろしいのでしょうか?」


ゼフリはすぐに答えた。


「ゼルナは年は若いが、ホワイテスーー白の属性を持っておる。この二百七十年間で最も優れたレキシミリードの一人じゃ。前線では欠かせぬ存在となろう」


その言葉に反論はなかった。


「イルージはこの 二百年間全く戦の類がなかった都市じゃ。それはここがクリュージ川の支流に囲まれた丘陵地にあるからじゃ。他の都市国家もギゼリオンも容易に攻め込めるものではない」


「ここにおるエルダーたちで十分に守り切れる。

心配は無用じゃ」


ゼフリは穏やかにそう告げた。


室内は再び静まる。


そして、視線は再びキリムへ戻る。


「キリムよ。万が一戦ということになったら、お前さんに指揮を取ってもらいたいのじゃ。タリデューンにあるイルージの砦に駐屯しておる全軍を率いて良い」


ゼフリは静かに言葉を置いた。


それは、エルダーたちとの協議の末に下された決断であり、

同時に――イルージの命運そのものを、この青年に託すという宣言でもあった。


場の空気が、わずかに張り詰める。


誰もが、その意味の重さを理解していた。


キリムは――


わずかに目を伏せただけだった。


驚きも、ためらいも、表には出さない。


ただ一度、静かに息を整え、


「……承知いたしました」


とだけ、答えた。


その声音に、揺らぎはない。


この場にいる誰もが、理解する。


この青年は、すでに覚悟を終えているのだと。


「今、砦で指揮を取っておるのはエステラーザというエスタリオじゃ。その者を副将として現地に分け入ってもらいたい」


その名が告げられた瞬間――


キリムの視線が、ほんのわずかに揺れた。


それは一瞬のことだった。


だが、見逃すには惜しいほどの変化だった。


すぐに、元の静けさへと戻る。


「エステラーザなら存じております」


声音は、変わらない。


「二年前にケレス近辺を荒らしまわっていたギゼリオンを掃討する際、共に戦いました」


淡々とした報告。


だが――


その言葉の奥には、語り尽くせぬ戦場があった。


その時の光景が、キリムの脳裏によみがえる。



押し寄せるギゼリオン。

崩れかけた戦線。

焦土の上を吹き荒れる熱風。


その中心に立っていた男。


エステラーザ。


冷静沈着でありながら、剣を振るえばまるで嵐のようであった。

敵の群れに踏み込み、ためらいなく切り裂き、味方の崩れた陣をその背中一つで立て直してしまう。


彼の前では、敵が数で優っているかどうかなど意味を失う。

戦場そのものが、彼の登場によって別の相貌を帯びるのだ。



「凄まじい戦いぶりでした。まさに猛将と呼べる、感嘆すべきエスタリオです」


「うむ」


ゼフリは満足げに頷いた。


「砦の将兵八千八百の命をお前さんに預かってもらいたい」


「ともかく何ごとにつけても、万事ゼルナと諮って進めることじゃ。全権をお前さんに預けることを証明する指揮証を渡しておこうかの」


奥へと声をかける。


「これ、例のものを持って参れ」


ゼフリの声に応じ、奥で控えていた白い服の少年が一歩前に出た。


その手には、彫刻を施した木箱。

中には、水色の宝石を収めた指揮証が入っている。


少年の目は、喜びをたたえながらキリムを見つめていた。


「そうじゃ。テューリじゃ。久しぶりであろうな」


ゼフリは穏やかに微笑んだ。


「お前さんの弟も、もう今年で十五じゃ。お前さんがおらぬ間にレキシミリードになるための見習いとして塔に上がって、早三年となる。なかなかの使い手じゃ」


「お前さんの兄に渡しておいで」


ゼフリに促され、テューリはやや速足で近づいた。


古代の神々の彫像のような端正な顔立ちの少年だった。

だが、その歩みにはどこか少年らしい緊張と、再会のよろこびが混じっている。


敬々しく指揮証を差し出す。


「テューリ、元気そうだな。この三年ですっかり見違えたな。随分と背も伸びたな」


笑いながら、キリムは弟に声をかけた。


「兄さんこそ、よくぞご無事で。兄さんのことだから大丈夫だとは思ってましたが」


その言葉には、照れ隠しのような軽さと、本物の安堵が同時に宿っていた。


「お前の作ってくれた装備が随分と役に立ったよ」


キリムは口元をわずかに緩める。


「レキシミリードになるのか。俺はまた、あんなにフルーグリッターを振り回したがっていたから、エスタリオになるものと思っていたが」


ややからかうような物言いだった。

だが、その奥には弟への親しみがある。


エルダーたちもまた、やわらかな眼差しで兄弟のやりとりを見守っていた。


「お前には迷惑をかけ通しだが、あとのことはよろしく頼む」


キリムの声音は、さきほどより少しだけ柔らかい。


「よく学んで、イルージの民の助けとなってくれ」


テューリは胸を張った。


「心得ております。私は兄上を補佐したいと思ってレキシミリードになろうと思ったのです。日々勉学に励みます」


明るい朝の日差しが、静かに差し込んでいた。


白雷石の床にも、白い衣の肩にも、やわらかな光が満ちている。

その光の中で、テューリはややおどけて答えた。


それを見て、キリムをはじめ、その場にいた人々のあいだに、やさしい笑みがひろがっていく。


穏やかな空気。

守られた時間。


二百年、戦火を知らずにきたこの都市の記憶が、いまも確かに続いていると感じさせる光景だった。



だが――


ゼルナだけは違っていた。


白雷石の壁に手を触れ、じっと何かを感じ取っている。


その透き通るような面差しに似合わず、紫がかった青い瞳には、わずかな陰が差していた。


そして、その指先は、ただ壁に触れているのではなかった。


まるで、そこに刻まれた何かの“声”を聴こうとしているかのように。

お読みいただきありがとうございます。


今後も更新していきますので、よろしければブックマーク等していただけると励みになります。

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