北の異変 ― タラサの報告 ―
はじめまして。
本作をお読みいただきありがとうございます。
世界観重視のハイファンタジーです。長い旅の始まりですが、ゆっくりと広がる物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。
キリムはそこで、ほんのわずかに言葉を切った。
「ただ――」
その一語だけで、場の空気が変わる。
「ただ、ベカリオンを発つ三日前、都市の往来が不自由になっているという話を耳にしました」
キリムは静かに続けた。
「その半月ほど前に、タリデューサ山脈の北側で何かが起こったということでした」
その声は落ち着いている。
だが――
その報告が意味するものは、決して穏やかではない。
小部屋にいたエルダーたちの視線が、一斉に集まるのを感じる。
「最初は、ただの噂に過ぎませんでした」
キリムは、エルダーたち一人一人に視線を向けていった。
「しかし、ベカリオンを発ってみると、明らかにキャラバンの数が減っていました」
人の気配が、途切れている。
街道そのものが、どこか死んでいるようだった。
「途中、いつもの旅よりギゼリオンに遭遇することが多くなりましたが……」
キリムは、そこで再び言葉を切る。
その間が、かえって次の言葉の重さを際立たせた。
「その動きは、これまでとは明らかに違っていました」
単に数が増えただけではない。
群れを離れ、散発的に現れ、
まるで何かに追われるように――南へ流れていた。
「途中の都市ではギゼリオンが暴れまわり、都市間の往来はとてもできる状況ではない」
キリムは、そこで言葉を切った。
その場にいた誰もが、次の言葉を待った。
「そう聞いていましたが――」
わずかな沈黙。
「タラサでスカードルに遭遇しました」
一瞬、室内の空気が止まる。
誰も、言葉を発しない。
ただ、その名だけが残った。
スカードル。
それは、ただの妖獣――ギゼリオンではない。
北方の混乱と、崩壊の気配。
その名そのものが、それを意味していた。
「タラサにスカードルとな?」
ゼフリが、わずかに息を呑む。
遅れて、ざわめきが広がった。
だが、そのどれもが小さい。
誰もが理解していた。
これは、ただの異変ではない。
「はい」
キリムは一同を見渡しながら、続ける。
「クリュージ川の北岸までスカードルが南下しているのを見たのは初めてです」
その一言で十分だった。
境界が――崩れたのだ。
ゼフリは静かに口を開いた。
「スカードル――」
「北方に棲まうギゼリオンの中でも、とりわけ都市を焼き尽くすと恐れられてきた異形じゃ」
エルダーたちの視線が、わずかに揺れる。
「かつて、このイルージ北側のクールゥ門の神鋼石を焼こうとしたことがある」
「その企みは、ホワイテス――白のレキシミリードによって退けられたがな」
わずかに、声が低くなる。
「……北の騒乱の象徴じゃ」
その言葉を受けて、場のざわめきはさらに深くなる。
いつの頃からか、キャラバンたちはそれを「タリデューン回廊」と呼ぶようになった。
タリデューサ山脈に穿たれた、唯一の北方への出入り口――タリデューサ隘路。
その先にあるのが、回廊北側の二つの都市国家。
フォローザと、ギャリス。
フォローザは、回廊を北へ抜けた先、その西方に位置し、二百年にわたり北からの妖獣――ギゼリオンの防波堤を担ってきた軍事大国である。
元々は回廊南側の出入り口西方に位置する都市国家ベルネの軍事要塞であったが、交易拠点となり発展した。
百五十年前、賢人王イリヤスの時代。王の子ファリスは北方に封じられ、フォローザは独立国家として成立した。
そして――
回廊を北へ抜けた先――その東方に位置するのが、もう一つの都市国家ギャリスである。
フォローザが防衛と統治によって築かれた国家であるのに対し、ギャリスは鉱山によって発展した都市であった。
山脈北側に点在する鉱脈を背景に、富と兵力を蓄え続け、やがてフォローザに拮抗する軍事大国へと成長した。
その軍備は、防衛のためというよりも、力そのものを誇示するかのように拡張されてきたものである。
北方において、二つの国家は均衡を保ち続けてきた。
だが――
もし、北で何かが動き始めているのだとすれば――。
キリムは最後に、静かに問いを置いた。
「フォローザのレキシミリードはどうなったのでしょうか……」
問いはそのまま、誰の胸にも重く沈んだ。
それに答えられる者は、まだいなかった。
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