退路
※活動報告にて物語の舞台となるロワン地方の地図を公開しました。位置関係の参考にどうぞ。
「ミリナス様!」
近衛兵が焦った声を上げる。
「後退します!」
ミリナスの声が、狭い通路へ鋭く響いた。
調査員たちが即座に後退を始める。
迷いはない。
すでに退路は確認済みだった。
クヮデューゥは最後尾へ回ろうとした兵を制した。
「記録板を」
調査員が抱えていた石板束を受け取らせる。
優先順位が徹底されていた。
その間にも、奥からサンクロルの群れが押し寄せてくる。
だが、一直線に襲いかかってくるわけではない。
狭い通路へ群れ同士がぶつかり合い、互いの身体を押し合うように前へ滲み出ていた。
低い唸り声。
紫光。
重い圧。
その奥。
さらに深い暗闇から、また咆哮が響く。
空気が震えた。
その瞬間。
サンクロルたちの動きが、一斉に変わる。
奥へは戻らない。
いや――
戻ろうとしていない。
群れは押し合うように前へ滲み出てくる。
まるで。
その奥にいる“何か”から距離を取るように。
ミリナスの表情が変わった。
「急いでください!」
近衛兵たちが調査員を庇いながら後退する。
その背後。
紫光が走った。
「後方、接近!」
近衛兵の声が飛ぶ。
次の瞬間。
ゼルナの右手が静かに上がる。
右中指の“ストーン”が、淡い黄色の光を帯びた。
空気が沈む。
押し寄せていたサンクロルたちの動きが、一斉に鈍った。
まるで。
通路そのものへ、深い水圧でも満ちたかのようだった。
その横を、キリムが踏み込んだ。
青白い剣閃。
最前列へ食い込もうとしていた一体だけを、正確に断ち切る。
ほぼ同時に、ミリナスの細身のフルーグリッターが閃いた。
狭い通路の隙間へ滑り込むような斬撃。
別の個体が弾き返される。
群れの先頭が崩れる。
その横穴側へ回り込もうとした個体を、ユンタスの重い一撃が叩き落とした。
崩れた石片が飛び散る。
イストハックは半ば崩落した柱間へ踏み込み、通路脇から現れたサンクロルを強引に押し戻していた。
無理に前へは出ない。
退路を崩さない位置を保ったまま、側面への侵入だけを潰している。
「左側です!」
崩落柱脇を警戒していた近衛兵が叫ぶ。
エリムスが左手を前へ出した。
左中指の“ストーン”が淡く輝く。
次の瞬間。
群れの流れそのものが乱れた。
後方のサンクロルたちが互いの進路を狂わせ、狭路入口で激しくぶつかり合う。
まるで、群れ全体の方向感覚だけを奪われたかのようだった。
ユンタスが低く唸る。
「ほう……」
その時だった。
深部から、三度目の咆哮が響く。
通路全体が震えた。
天井から砂が落ちる。
サンクロルたちが、一斉に身を伏せる。
恐れている。
明らかだった。
イストハックの笑みが消える。
「……おい、何なんだよ、奥の奴は」
誰も答えない。
ただ。
暗闇のさらに奥。
灯火の届かない場所に。
“何か”がいる。
それだけは、全員が理解していた。
※物語の舞台となるロワン地方の地図を公開しました。イルージ砦戦の位置や、この先の旅路も分かりやすくなると思います。活動報告よりご覧いただけます。




