闇へ消える影
はじめまして。
本作をお読みいただきありがとうございます。
世界観重視のハイファンタジーです。長い旅の始まりですが、ゆっくりと広がる物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。
外門の外では、なお激しい戦いが続いていた。
夜気を裂くように、イストハックの咆哮が響く。
緑の光を帯びた鞭が唸りを上げ、振るわれるたびに黒い影たちが吹き飛ばされていく。
巨大な戦闘獣クリルもまた、前脚を振り下ろし、大地ごと敵陣を揺らしていた。
砂が舞う。
怒号が交じる。
砦前面は、乱戦というより、猛獣の檻と化していた。
「どうしたァ!! その程度か!!」
イストハックが高らかに叫ぶ。
だが、襲撃者たちは容易く崩れはしない。
倒れた者の隙間を埋めるように、次の影が踏み込む。
間合いを見切り、クリルの脚を避け、鞭の軌道を読んで散る。
ただ数で押しているのではない。
鍛えられ、選ばれた者たちの動きだった。
それでも。
正面には、相手が悪すぎた。
イストハックの一撃は重く、速く、容赦がない。
振るわれるたびに陣形が裂ける。
クリルが身じろぎするだけで前線が揺らぐ。
精鋭であろうと、人の身で受け止められる圧ではなかった。
そこへ、外門からキリムが姿を現した。
黄金の長剣を下げたまま、静かに歩み出る。
その姿を見た兵たちの背筋が伸びる。
戦場に、もう一つの重心が現れた。
キリムは門前を一瞥した。
イストハックが押している。
敵はなお踏み止まり、撤退の機を測っていた。
崩れてはいない。
むしろ、崩れぬよう耐えている。
問題は、そこではない。
ふと、視線を上げる。
塔の物見。
闇の縁に、二つの気配が立っていた。
ひとつは赤を帯び、
ひとつは紫を沈ませている。
静かだ。
だが、あの二つこそ、この襲撃の芯だった。
次の瞬間。
二つの影は、外壁を滑るように降下した。
迷いがない。
敗走ではない。
役目の終わりを見極めた者の撤収だった。
キリムの目が細くなる。
頭が引いた。
ならば――
ここに残る者たちは、任を終えた刃にすぎない。
「イストハック!」
低く、鋭い声が飛ぶ。
乱戦の中でも、その一声だけはまっすぐ届いた。
「なんだァ!!」
イストハックが振り向きざまに鞭を払う。
緑の光が弧を描き、敵影が大きく退く。
「戻れ」
キリムは言った。
「これ以上は、無意味だ」
「まだ立ってる奴がいるぞ!」
「もう攻めてはいない」
短い返答だった。
「退く時を作っているだけだ」
その言葉に、イストハックは初めて周囲を見た。
確かに、敵影たちの動きは変わっていた。
先ほどまでの踏み込みはない。
間合いを保ち、隙を作らず、少しずつ後ろへ流れている。
崩走ではない。
訓練された撤収だった。
「……ちっ」
不満げに鼻を鳴らしながらも、イストハックは鞭を引いた。
クリルが荒く息を吐き、地を踏み鳴らす。
その巨体が止まっただけで、戦場の圧が変わった。
襲撃者たちはその機を逃さなかった。
一歩。
二歩。
間合いを切りながら、隊を乱さず闇へ退いていく。
追撃の隙を与えぬまま、静かに、速く。
兵たちが前へ出る。
盾を並べ、槍を構える。
追うためではない。
砦前面の守りを立て直すための一歩だった。
やがて、ユンタスが兵を率いて外門へ現れた。
内部通路を駆け抜けた熱気を残したまま、周囲を見渡す。
「内部は制圧しました。司令室方面の敵影も消えています」
「頭が退いた」
キリムが答える。
「全体も、それに従った」
ユンタスは塔上を見上げた。
もう何も見えない。
だが、そこに何かがいたことだけは理解できた。
「追撃は」
「不要だ」
キリムは即座に言う。
「今夜の目的は守ることだ」
ユンタスは深くうなずき、兵たちへ指示を飛ばした。
負傷者が運ばれ、門前の陣が整えられていく。
砦は、戦いの姿から守りの姿へ戻り始めていた。
その様子を見ながら、イストハックが大きく肩を回す。
「結局、暴れ足りねえじゃねえか」
「これ以上暴れれば、砦まで壊しかねん。これで十分だ」
ユンタスが淡々と返す。
「なんだと!」
兵たちの間に、小さな笑いが漏れた。
張り詰めていた空気が、そこで初めてほどける。
だが、キリムだけは笑わなかった。
視線はなお、赤と紫の影が消えた闇の彼方へ向いている。
「……始まったか」
誰に聞かせるでもなく、そう呟く。
砦の夜は静まりつつあった。
だがこの夜を境に、世界はもう静かではいられなかった。
お読みいただきありがとうございます。
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