第8話 お弁当を交換しよう
★作者より
まだ投稿を開始して間もない若輩者でありながら、この作品のランキングは
・100 位 [日間]異世界転生/転移〔ファンタジー〕
と、大変ご好評頂いており、ありがたい限りです。
たくさんの方に読んでいただけて嬉しいので、感謝を込めてスピードアップします。
今日から完結まで、毎日2話投稿にします。
少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。
【リツ視点】
入学して12日目の朝。日が昇る前に、僕は寮の厨房に立っていた。
目の前には卵が30個ある。
今日はお弁当を作る。
青春小説で読んだ。昼休みに友達とお弁当のおかずを交換する。「その卵焼き、ちょうだい」「じゃあ唐揚げと交換ね」。たったそれだけの場面なのに、何回読んでもうらやましかった。
前世の僕の昼ごはんは、ずっと病院食だった。塩分控えめで、全部同じ色の器に入っていた。
一度だけ、母さんに言われたことがある。
「退院したら、お弁当作ってあげるね。卵焼き、甘いのとしょっぱいの、どっちがいい?」
甘いの、と答えた。
その約束は、結局果たされなかった。
だから今日は、自分で作る。
*
「リツ様。殿方が厨房に立たれるのは……」
イルゼさんが僕の2歩後ろで言った。
この前の野外実習から、イルゼさんは3歩後ろではなく2歩後ろを歩くようになった。理由を聞いたら「任務の見直しです」と言われた。
「殿方の心得の第41条ですよね。料理を人に出すなら、心を込めて作れって」
「……そう、読まれましたか」
「はい。だから、心を込めて作ります」
イルゼさんは何か言いかけて、やめた。
卵焼きの作り方は病室で読んだ料理本で覚えている。全部で12冊。読むだけで、一度も作ったことはない。
知識は完璧だ。理論上は、プロの料理人と同じレベルのはずである。
卵を割る。殻が入った。取る。また入った。取る。
理論と実践はだいぶ違うらしい。
4個目からは殻が入らなくなった。
砂糖を入れて少しだけ塩を入れる。母さんに答えた甘いほうだ。
フライパンに流して、端から巻いていく。最初の1本は、巻くというよりぐちゃぐちゃになった。料理番組なら、ここで「焼き上がったものがこちらです」ときれいな完成品が出てくるのに、この厨房には誰も用意してくれていない。
2本目は少しましになった。5本目で、やっと卵焼きらしい形になった。
焦げた失敗作は全部自分で食べた。
甘くてちょっと苦かった。
でも、おいしかった。
全部で15本焼いて、形になった11本を3切れずつに切った。33切れ。
1年A組の30人の分。エレオノーラ先輩の分。イルゼさんの分。それから、僕の分。
僕と仲良くしてくれるかもしれない人が、少なくとも30人いる。1人1切れずつなら、全員と交換できる。
イルゼさんの分を先に差し出した。
「味見、お願いできますか」
イルゼさんは卵焼きを3秒見つめた。
僕は少しだけ期待していた。料理漫画だと、こういうときに食べた人の口から光が出て、空に向かって「うまいぞー!」と叫ぶ。
イルゼさんはなぜか目を閉じて受け取り、口に入れた。
光は出なかった。
「……甘い、です」
「よかった。甘いのにしたんです」
イルゼさんはそれきり、厨房の窓の外を見ていた。
洗い物をしているうちに、中庭のほうから空気を切る音が聞こえてきた。窓からのぞくと、イルゼさんが剣を振っていた。いつの間に外へ出たんだろう。
朝の素振りは毎日見ている。でも今日は、いつもよりずっと回数が多かった。僕が皿を全部洗い終わっても、まだ振っていた。
甘すぎて目が覚めたのかもしれない。
*
問題は学園長通達の第1項だった。
お弁当の交換は3m離れてはできない。
なので朝のうちに生徒会室へ行った。
「先輩。昼休みに、1年A組の教室で、お弁当の交換をしたいんです。許可証をお願いできますか」
エレオノーラ先輩は、机の向こうで固まった。
しばらくして、ゆっくり口を開いた。
「……お弁当の、交換?」
「はい。僕が卵焼きを作ってきたので、みんなのおかずと1つずつ交換しようと思って」
「……手ずから、お作りに?」
「はい! 朝の4時から焼きました」
先輩は引き出しから許可証の用紙を出した。
書き始めてペンを止めた。
もう一度書き始めて、また止めた。
3回目でやっと書き終えた。字が少し震えていた。徹夜明けなのかもしれない。
「……昼休みに限り、許可します」
「ありがとうございます! 先輩の分もありますからね」
先輩はペンを握ったまま動かなくなった。
許可証を渡してくれようとしているのは分かる。でも右手がペンを握ったまま開かないらしい。先輩は左手で許可証をつまんで、僕のほうへ差し出した。
「手、つりました?」
「……つって、おりません」
「でも、ペン」
「つって、おりません」
2回言われたので、僕はそれ以上聞かなかった。
生徒会室を出るとき振り返ったら、先輩は左手で右手の指を1本ずつはがそうとしていた。きっと、書類仕事のしすぎだ。生徒会長は大変なのだと思う。
*
昼休み。
僕は教壇の前に立って、お弁当箱のふたを開けた。黄色い卵焼きがぎっしり並んでいる。
「あの、お弁当の交換をしませんか! 僕の卵焼きと、みんなのおかずを1つずつ。生徒会長の許可はもらってます!」
30人がいっせいに手を挙げた。
前の麻雀のときと同じ角度だった。
「1つ渡して、1つもらう。等価交換です!」
前世で読んだ漫画の、錬金術の基本だ。何かを得るためには、同じだけのものを差し出さなければならない。
教室がしんとした。
30人の手が挙がったまま少しだけ震えた。
1人ずつ前に来てもらって、卵焼きを1切れずつお弁当箱のふたに載せていく。みんな、代わりに自分のお弁当から何か1つを僕にくれた。
ロジーナさんは小さな焼き菓子をくれた。指が震えていた。
コルネリアさんは薄く切ったハムを3枚くれた。1つずつの約束なのに3枚だった。商人の娘だから、おまけをつけてくれたのだと思う。等価交換は、開始1分で崩れた。ハムを置いたあと、コルネリアさんは帳面を開いて何かを書こうとした。ペン先が紙に当たったまま動かなくて、インクの染みがじわじわ広がっていった。
リゼットさんはゆで卵をくれた。卵と卵の交換になった。リゼットさんは受け取った卵焼きを見て、帳面に何か書こうとして、書けずにいた。
気がつくと机の端に小さな丸いパンが1つ置いてあった。誰がくれたのか、見ていなかった。焼きたてみたいに、まだ少しだけ温かかった。
教室の入り口にはエレオノーラ先輩が立っていた。許可を出した以上は立ち会うと言って、来てくれたのだ。
僕は取っておいた先輩の分の1切れを持って、入り口まで歩いていった。
先輩は左手で卵焼きを受け取ると、代わりに小さな砂糖菓子を1つ、僕の手のひらに置いた。素手なのに、先輩の指は一度も僕の手に触れなかった。すごい技術だと思う。
右手はまだ握ったままだった。
全員に配り終えたとき、僕のお弁当箱は、みんなのおかずで山盛りになっていた。
うれしかった。
前世で何回も読んだ場面が、目の前にある。
いや、そのままじゃない。本当なら「おいしい!」とか「甘い!」とか、そういう声が聞こえてくるはずだった。
でも誰も、何も言わない。
30人が卵焼きを載せたふたを両手で持ったまま、じっと見つめている。入り口の先輩も、左手の卵焼きを見つめている。誰も食べない。
「……あの、食べてみてください」
僕は言った。それでも誰も動かないので、少しふざけてみることにした。
前世で読んだ料理漫画の主人公が、料理を出すときに必ず言う台詞がある。自信満々で、ちょっと得意げな、あの一言。
「おあがりよ!」
31人が同時に卵焼きを口に入れた。
そして同時に止まった。
しんとした教室で、31人分の咀嚼の音だけが小さく聞こえる。
誰も、笑わなかった。
誰も、おいしいとは言わなかった。
昼休みの終わりの鐘が鳴ると、みんな静かに席に戻っていった。
僕はみんなのおかずで山盛りになったお弁当を、1人で食べた。どれもおいしかった。ハムもゆで卵も焼き菓子も、丸いパンも。
でも卵焼きがおいしかったかどうかは、誰にも聞けなかった。
*
放課後、寮に戻る廊下で、僕はイルゼさんに聞いた。
「イルゼさん。卵焼き、甘すぎましたかね」
「……いいえ」
「よかった」
「リツ様」
「はい」
「明日、婚姻院から……いえ。何でもありません」
こんいんいん。
聞き慣れない言葉だった。
――――――――――――――――――
【クラリッサ視点】
王都婚姻院、申請受付係。クラリッサ。34歳。
この窓口に座って12年になる。
婚姻院の仕事は殿方と淑女の縁を取り持つことだ。この国では、殿方はおよそ100人に1人しかいない。だから縁組みは国が責任を持って行う。殿方館の殿方1人に対して、家柄と人柄を見て、婚姻院が淑女を選ぶ。
淑女のほうから申請が来ることは、まずない。
殿方に会う機会がないからだ。
だから、この申請受付の窓口は暇である。12年で受け付けた申請は、合わせて7件。そのうち受理されたのは0件。
暇な窓口の受付係は、暇なりに仕事を工夫する。私は12年かけて、受理の印を押す角度を極めた。本物の申請書に押したことは、一度もない。練習用の紙には、完璧な角度の印が1万2千個ほど並んでいる。
その窓口に今朝、19通の申請書が届いた。
全部が王立セレスタ学園からだった。
*
最初の1通を読んだとき、何かの冗談だと思った。
友の契り 申請書
申請者:王立セレスタ学園 1年A組 ****
対象の殿方:リツ殿
申請の理由:
1.当該殿方は、入学の日に全生徒の前で「友達を作りたい」と表明された。(添付:学園新聞号外)
2.当該殿方は、本日の昼休みに、手ずから作られた卵焼きを申請者に分け与えられた。
3.当該殿方は、分け与えるにあたり「等価交換」と述べられた。生涯には生涯を、の意と解する。
4.当該殿方は、申請者がそれを口にするにあたり「おあがりよ」と述べられた。「我が家にお上がりなさい」の意と解する。
5.申請者は返礼として、自らの弁当より一品を殿方に献じた。
落ち着きなさい、クラリッサ。
お前は受付係だ。受付係は受け付けるだけだ。解釈するのは申請者の勝手で、受付係の仕事ではない。
等価交換。生涯には生涯を。
……生涯には、生涯を。
受付係の仕事ではない。
申請者の名前はここには書かない。婚姻院の受付係には守秘義務がある。12年間、一度も使う機会のなかった守秘義務である。
読み終えて2通目を開いた。
ほとんど同じだった。3通目も4通目も同じだった。違うのは返礼の一品の欄だけだった。焼き菓子、ゆで卵、干し果物、チーズ、ピクルス。
19通全部に同じ号外が添付されていた。
『殿方、入学初日に「友の契り」を公募』
私は号外を3回読んだ。
それから書庫に行った。
*
婚姻法は全部で386条ある。
その大半は婚姻院が縁組みを取り持つための手続きだ。ただ一番古い部分には、まだ婚姻院がなかった時代の条文が残っている。誰も使わないので、誰も読まない条文だ。
私は埃をかぶった原本を開いた。
くしゃみが3回出た。12年分の埃だった。
あった。
婚姻法 第3条
殿方が自ら友を求めることを公に表し、かつ手ずから作った食を淑女に分け与え、淑女がこれを口にして返礼を献じたときは、当該淑女の申請により、その者を当該殿方の婚約者とみなす。
2 前項の申請は、殿方の署名を要しない。
3 婚約者とみなされた者は、殿方の承諾を得て婚姻に至るまで、その地位を保つ。
私は条文を5回読んだ。
公に友を求める。号外がある。
手ずから作った食を分け与える。卵焼きである。
淑女が口にする。「おあがりよ」と言われて、全員が食べている。
返礼を献じる。焼き菓子。
全部そろっている。
……そろってしまっている。
殿方の署名は要らない。
つまり、受理するしかない。
落ち着きなさい、クラリッサ。もう一度読みなさい。6回目。……そろっている。7回目。そろっている。8回目を読もうとして、やめた。何回読んでも、条文は同じことを書いている。
この条文ができたのは、記録によると約400年前だ。殿方がまだ外を歩き、自分で料理を作っていた時代。殿方が自分の手で作ったものを女性に食べさせるのは、それだけで「生涯を共に」という意味だった。殿方の心得の第41条は、この条文の名残である。
400年間使われなかった条文が、今朝19回使われた。
*
昼過ぎに私は19通に受理の印を押した。
12年かけて極めた角度である。
手が震えて3通目の印が少し曲がった。
1万2千個の練習は、何の役にも立たなかった。
婚約者登録簿を開いて、新しいページに書き込む。
婚約者登録簿
殿方:リツ殿(王立セレスタ学園 保護観察中)
登録された婚約者:19名
根拠:婚姻法第3条
備考:殿方への通知は、保護責任者を通じて行う。
殿方への通知。
保護責任者の欄を見ると、2つの名前があった。王立セレスタ学園の学園長、オティーリエ殿。それから、専属護衛官のイルゼ殿。
私は2人に宛てて通知を書いた。
守秘義務を本日2回使った。12年分を、1日で取り返した気がする。
*
夕方、窓口を閉めようとしたとき、20通目の申請書が届いた。
差出人の欄には王国騎士団の紋章があった。
中を開けて申請の理由を読もうとしたとき、使いの者がもう1通の紙を差し出した。
「先ほどの申請を、取り下げるとのことです」
取り下げ?
申請書に目を落とす。返礼の欄は空欄だった。
その代わりに理由の欄の最後に1行だけ書いてあった。
『味見を頼まれ、口にした。甘かった』
その1行の上にていねいに線を引いて消してあった。
線は1本ではなかった。3本引いてあった。3本引いても、字はまだ読めた。
私は何も言わずに取り下げを受理した。
受理の印は、今度はまっすぐ押せた。押したくなかったので、まっすぐ押せたのだと思う。
*
次の日の朝、学園長オティーリエ殿から返書が届いた。
短い手紙だった。
通知、確かに受け取りました。
殿方ご本人へのお伝えは、本学園の判断により、当面は控えます。
理由:ご本人は、友の契りを「一生の友達になる約束」だと思い込んでおられます。
今「19名と友の契りが結ばれました」とお伝えすれば、「友達が19人もできた」と大変喜ばれるでしょう。
そして喜びのあまり、また卵焼きを焼かれると思われます。
申請がこれ以上増えるのを防ぐため、当面はお伝えいたしません。
私はその手紙を婚約者登録簿の間に挟んだ。
それから窓口の奥の棚を見た。
申請書の用紙の在庫は、残り41枚だった。
12年で7通しか届かなかった申請書が、1日で20通届いた。
足りるだろうか、と思った。




