第6話 3倍速い
【リツ視点】
イルゼさんの勘は当たった。
入学6日目の朝。言われたとおりいつもより早く教室に行くと、もう全員が席に着いていた。
30人が全員同じ紙を読んでいる。
誰もしゃべらない。紙をめくる音だけが教室のあちこちでぱらりと鳴る。
僕の机の上にも、同じ紙が1枚置いてあった。
『セレスタ学園新聞 号外 第2号』
『特集 殿方の遊戯「まーじゃん」のすべて』
麻雀の記事だった。
しかもすごく詳しい。牌の種類が全部絵つきで載っている。萬子と筒子と索子と字牌。組の作り方。上がり方。それから役。
『清一色:同じ種類の牌だけで組を作る。たいへん高い役である』
読みまで合っている。
牌の絵は昨日僕が描いたものをそっくり写してあった。九筒の丸が少しだけ四角いところまでそのままだった。
すごい。
昨日の放課後、リゼットさんは帳面を3冊使っていた。あれは全部この記事のためのメモだったのだ。たった一晩でこれをまとめたなんて、プロの仕事だ。
ただ記事の最後の一文だけはよく分からなかった。
『なお、上がりの際に殿方が発せられた「御無礼」の一言については、本紙では論評を控える』
論評を控える。
つまりすべったことには触れないでおいてくれたのだ。優しい。
これはちゃんとお礼を言わなければいけない。入学2日目の号外のお礼も、まだ言えていなかった。
僕は立ち上がってリゼットさんの席のほうを向いた。
ただ、ここで1つ問題がある。
学園長通達第1項。殿方の半径3m以内に、許可なく近づかないこと。
昨日エレオノーラ先輩に教わったばかりだ。あれは女の子の側が守る決まりだけど、決まりがある以上は僕のほうから近づくのも失礼だと思う。
僕は律儀の律なので。
リゼットさんの席までの距離を目で測って、ちょうど3m手前で止まった。
そこから教室じゅうに聞こえる声で言った。
「リゼットさん! 号外、ありがとうございました! 入学した日のも、今日のも! すごく分かりやすかったです!」
30人の紙をめくる音がぴたりと止まった。
リゼットさんはペンを持ったまま固まっていた。
「九筒の丸まで写してくれて、うれしかったです! それと、御無礼のことに触れないでくれて、ありがとうございます!」
リゼットさんの手からペンが落ちた。
やっぱりこの世界の人は落とした物を拾わない。
「……い、いえ」
蚊の鳴くような声だった。
教室の後ろでイルゼさんが額を押さえていた。
あとで聞いたら「3m離れたぶん、声が大きくなっておりました」と言われた。確かにちょっと大きかったかもしれない。
*
その日の放課後、僕はイルゼさんと学園の門のあたりを歩いていた。
夕方の散歩だ。この世界に来てから走ったり歩いたりするのが楽しくて仕方ない。門の外には出られないけれど、学園の敷地は広いので散歩には困らない。
イルゼさんは、いつも僕の3歩後ろをついてくる。僕が走り出すとイルゼさんも走る。僕が止まると止まる。足音まで、ぴったり僕に合わせてくる。
ネトゲで言うと、主人公の後ろをついてくるお供のキャラみたいだ。
そう言いかけて、やめた。たぶん騎士に言うことじゃない。
門の前に馬車が止まっていた。
真っ赤な馬車だった。
車体も車輪も扉の取っ手まで赤い。側面に金色で「V」の紋章が入っている。荷台から木箱がいくつも下ろされていて、その横にコルネリアさんが立っていた。
その少し後ろにはリゼットさんもいた。帳面を持っている。
「コルネリアさん、こんにちは」
コルネリアさんがこちらを向いた。ほんの一瞬だけ木箱の前に立ちふさがるように動いた気がした。
「……リツ殿。ごきげんよう」
「すごい馬車ですね。コルネリアさんの家のですか」
「ええ。当家の、早馬車ですわ」
早馬車。
真っ赤な早い馬車。
これは言うしかない。
前世の病室で何周も見返したロボットアニメがある。赤く塗った機体に乗った敵のエースがとにかく速くて、普通の機体の3倍速いと言われていた。入院仲間の小学生と「赤いのは3倍」というのが合言葉になっていた。
「赤いから、3倍速いんですね!」
コルネリアさんは何も言わなかった。
リゼットさんのペンが帳面の上で止まった。
馬車を引いていた2頭の馬までこちらを見ている気がする。
「あ、えっと。僕の故郷の冗談です。赤いものは3倍速いっていう。昔のお話に、そういうのがあって」
説明しても誰も笑わなかった。
またすべった。
昨日の御無礼に続いて2日連続だ。この世界の人に故郷の冗談はまったく通じないらしい。
僕は肩を落として門を離れた。
「イルゼさん。僕、もう冗談を言うのはやめようかな」
「……リツ様」
「はい」
「今、後ろで帳面に何かを書いている者がおります」
振り返ると、リゼットさんがものすごい速さでペンを走らせていた。
今朝、御無礼の件に触れないでくれた人だ。今度もきっと見なかったことにしてくれる。
そう思うことにした。
――――――――――――――――――
【リゼット視点】
学園新聞部、リゼット。部長。部員は1人。
つまり、わたし1人である。
*
号外第2号は徹夜で作った。
帳面3冊分の覚え書きを広げて牌の絵を34種類ぶん写した。九筒の丸が少し四角いのもそのまま写した。殿方の筆跡を勝手に直すわけにはいかない。記者の良心である。
最後の一文だけは30分迷った。
『なお、上がりの際に殿方が発せられた「御無礼」の一言については、本紙では論評を控える』
控えたのではない。書けなかったのだ。あの瞬間のことを文字にしようとすると、ペン先が震えてインクが紙に染みた。7枚書き直してあきらめた。
*
朝、それは起きた。
「リゼットさん! 号外、ありがとうございました!」
3m先から。
教室の全員の前で。
殿方がわたしの名前を呼んで、礼を言った。
記者というものは記事を書く側である。記事に書かれる側ではない。わたしは今日までそれを当然だと思っていた。
殿方は「九筒の丸まで写してくれてうれしかった」と言い、「御無礼のことに触れないでくれてありがとう」と言った。
触れなかったのではない。触れられなかったのだ。
そのことに、殿方が礼を言っている。
ペンが落ちた。拾えなかった。ロジーナが言っていた「耳が熱い」の意味が、そのとき初めて分かった。わたしの場合は両耳だった。
しかも殿方はわざわざ3m離れて立っていた。通達を守るために。殿方の側には何の決まりもないのに。
その結果、殿方のお礼は教室じゅうに響き渡った。
後で数えたら、その日のうちに学園の生徒の半分がこの話を知っていた。わたしの新聞より速かった。記者として、生まれて初めて負けた気がした。
*
放課後、コルネリアの家の馬車が学園に来るというので門まで見に行った。
コルネリアは昨夜商会に何かを至急で注文したらしい。それが一晩で届くという。記者として確かめないわけにはいかない。
ヴァーレン商会の早馬車は真っ赤だった。
コルネリアが木箱を受け取っていると、殿方が散歩でやってきた。
殿方は馬車を見上げて目を輝かせた。それからこうおっしゃった。
「赤いから、3倍速いんですね!」
わたしはペンを止めた。
3倍。
赤いから。
殿方は「故郷の冗談です」と付け加えられた。そして少し肩を落として去っていかれた。
冗談。
本当にそうだろうか。
記者の心得は1つ。見たものは、書く。そしてもう1つ。書く前に、確かめる。
わたしはコルネリアに聞いた。
「ねえ。あなたの家の早馬車って、実際どのくらい速いの」
コルネリアは木箱を荷車に積みながら答えた。
「普通の馬車と比べて、ですの?」
「そう」
「商会の記録では、王都の中を走ったとき、普通の乗合馬車の2.8倍ですわ」
2.8倍。
ほぼ3倍である。
わたしは帳面を握りしめた。
殿方はひと目見ただけで見抜いたのだ。一度も乗っていない。速さを測ってもいない。ただ赤い車体を見て「3倍速い」と言い当てた。
しかもそれを冗談だとおっしゃった。
見抜いたことを誇らず冗談として流す。なんと奥ゆかしい。
「コルネリア。どうして赤いの、あの馬車」
「初代が赤が好きだったから、ですわ」
「速いのは」
「馬と御者がいいから、ですわね」
それはそれ、これはこれである。記者としてここは殿方の見立てを優先する。
*
セレスタ学園新聞 号外 第3号
見出し:殿方いわく「赤は3倍速い」
本日夕刻、殿方リツ殿は、ヴァーレン商会の赤い早馬車をご覧になり「赤いから、3倍速い」と述べられた。
本紙の調べでは、同商会の早馬車は普通の乗合馬車の2.8倍の速さで走る。殿方の見立ては、ほぼ正確であった。
殿方ご本人は「故郷の冗談」とされている。
なお、早馬車がなぜ赤いのかについて、ヴァーレン商会は「初代の好み」と説明している。
*
号外第3号を刷った朝、生徒会長様が部室に来て、20部を「証拠品として」回収していった。
前回と同じ数だった。
証拠品なら1部で足りるのでは、と聞こうとしてやめた。生徒会長様の目が、記者の勘で言うと、聞くなと言っていた。
*
号外は王都にも流れた。
学園の外にどうやって出たのかは分からない。たぶん学園に出入りする商人の誰かが持ち出したのだと思う。
3日後にコルネリアが教えてくれた。
王都の馬車屋に車体を赤く塗ってほしいという注文が殺到しているらしい。乗合馬車組合は全車両を赤く塗ることを決めた。赤い塗料は王都じゅうで品切れになった。
そしてここからが記者として一番驚いたことだ。
赤く塗った乗合馬車が本当に少し速くなったという。
御者たちが「赤いんだから3倍で走らなきゃ」と張り切ったせいらしい。組合の記録では、赤く塗る前より1割ほど早く目的地に着くようになった。
3倍ではない。でも速くなった。
殿方の冗談が王都の馬車を速くした。
わたしはこの話を号外第4号の見出しにするかどうかで、今2時間迷っている。
*
その夜、コルネリアの部屋の明かりが遅くまでついていた。
次の日の朝、コルネリアが帳面を閉じながら小さくつぶやいたのを、わたしは聞き逃さなかった。
「赤い塗料は、当家の取引先から出ていますの。殿方のお言葉で売れたのですから、殿方の取り分ですわ」
何の話かと聞いても、コルネリアは答えなかった。
ただ、帳面の最後のページがちらりと見えた。
殿方取り分
現在の積立額:銀貨42枚




