第5話 御無礼
【リツ視点】
入学して5日目の放課後。僕の机の上には手作りの麻雀牌が136枚並んでいた。
厚紙を切って、1枚ずつ絵を描いたものだ。萬子と筒子と索子が各36枚。字牌が28枚。3晩かかった。
厚紙を用意してくれたのはイルゼさんだ。
「厚紙を200枚、ですか」
「はい。麻雀を作るので」
「……まーじゃん」
「僕の故郷の遊びです」
イルゼさんは何も聞かずに、次の日の朝には厚紙を200枚抱えて寮の前に立っていた。護衛官というのは何でも用意してくれる仕事らしい。
筒子の丸を描くのが一番大変だった。一筒は大きな丸を1つでいいけれど、九筒は丸を9つ描かないといけない。それが4枚。途中で丸が四角くなってきたので何枚か描き直した。
でも楽しかった。
前世で僕が打っていたのはネット麻雀だ。対戦相手は、画面の向こうにいる顔も知らない誰か。病室のベッドでタブレットを見ながら何千局も打った。
麻雀を好きになったのは、強くなりたかったからじゃない。
ネット麻雀には、卓ごとにチャット欄があった。1局終わるたびに「ナイス」「うわー、そこ待ちか」「次こそ」と短い言葉が飛び交う。麻雀は4人でやるゲームだ。1つの卓に座れば、知らない3人と話せる。半荘が終われば卓を替えて、また別の3人と話せる。
病室から出られない僕にとって、あそこが一番たくさんの人と話せる場所だった。
一度でいいから、本物の卓を囲んで顔を見ながら話してみたかった。
その夢が、今、机の上に並んでいる。
136枚の牌を見下ろして、僕は小さく息を吸った。走れる体がある。通える学校がある。教室には30人のクラスメイトがいる。病室のベッドからは、どれも画面の向こうにしかなかったものだ。
足りないのは、あと3人だけ。
*
問題は、その3人をどう集めるかだった。
僕は放課後の教室で立ち上がった。
「あの、今から麻雀をやるんですけど、一緒にやってくれる人いませんか。あと3人なんですけど」
30人がいっせいに手を挙げた。
全員が無表情だった。腕の角度まで全員同じだった。音もなくまっすぐ、天井に向かって。
すごい。この学園の授業は挙手の練習までしているのかもしれない。
「えっと……じゃあ、くじで決めますね」
紙に名前を書いてもらって、箱に入れた。箱はイルゼさんが職員室から借りてきてくれた。
1枚目。
「コルネリアさん」
金色の巻き毛の子がすっと立ち上がった。顔色ひとつ変えない。ただ立ち上がるときに椅子が後ろに倒れた。
2枚目。
「リゼットさん」
短い黒髪の子が立ち上がった。手に帳面とペンを持っている。たしか新聞部の子だ。号外のお礼を言わなきゃいけない。
3枚目。
「ロジーナさん」
ロジーナさんが立ち上がって、そのまま一度座ってもう一度立ち上がった。
くじ引きが終わると残りの27人が静かに手を下ろした。手を下ろす角度まで全員同じだった。
*
机を4つ寄せて真ん中に牌を広げた。
そこへ教室の入り口から声がした。
「お待ちください」
エレオノーラ先輩だった。
この前、廊下の角を曲がって帰っていった先輩だ。今日は教科書を正しい向きで持っている。
「殿方の半径3m以内に、淑女が着席すること。学園長通達第1項に抵触します」
さんめーとる。
そんな決まりがあったなんて初めて知った。だから休み時間に誰も近づいてこなかったのだ。入学した日からの謎がようやく解けた。
嫌われていたわけじゃなかった。決まりだったのだ。ちょっとほっとした。
でも麻雀の卓は3mもない。
「あの、麻雀は4人で同じ卓を囲む遊びなので……」
エレオノーラ先輩はしばらく黙っていた。
それから懐から紙を1枚取り出して、さらさらと何かを書きつけた。
「通達第1項には『許可なく』とあります。生徒会長として、本日の放課後に限り、この卓での着席を許可します」
許可証だった。
生徒会長がその場で許可証を書いてくれた。なんて話の分かる先輩だろう。
「ありがとうございます、先輩!」
「……ただし、生徒会長として立ち会います」
エレオノーラ先輩は卓からきっちり3m離れた場所に椅子を置いて座った。背筋が定規みたいにまっすぐだった。
*
ルールの説明はちょっと大変だった。
「同じ牌を3枚とか、数字の続いた牌を3枚とかで組を作るんです。4組と、同じ牌2枚で上がりです」
3人とも無表情で聞いていた。
リゼットさんだけはものすごい速さで帳面に何か書いている。
「それで、上がり方に『役』っていうのがあって。役によって点数が違うんです。たとえば全部の組を同じ種類の牌で作ると、清一色っていって、すごく高い役になります」
「……ちんいーそー」
コルネリアさんがぽつりと繰り返した。
初めての反応だった。少しでも興味を持ってくれたのかもしれない。
「とりあえず1回やってみましょう。分からないところは、その都度聞いてください」
*
1局目。
3人とも手つきがぎこちなかった。厚紙の牌は少し反っていて並べにくい。それでも誰も何も言わない。黙って牌を取って、黙って捨てる。
表情がまったく動かない。
前世のネット麻雀では、相手の顔は見えなかった。それでもチャットの短い言葉で、相手が楽しんでいるのは分かった。
今は顔が見えている。なのに、楽しんでいるのかどうか分からない。
8巡目。コルネリアさんが索子の七を捨てた。
僕の手はちょうどその牌を待っていた。
これは言うしかない。
病室で何度も読み返した麻雀漫画がある。その主人公が相手から上がるときに必ず言う決め台詞。いつか本物の卓で言ってみたいと、ずっと思っていた。
僕は手牌を倒した。
「ロン。……御無礼」
教室が静まり返った。
コルネリアさんの手から次に捨てるつもりだった牌が落ちた。リゼットさんのペンが止まった。ロジーナさんは自分の手牌を見つめたまま動かない。3m向こうでエレオノーラ先輩の椅子がかたんと鳴った。
誰も笑わなかった。
「……あ、えっと、今のは故郷の、麻雀の決め台詞みたいなもので。上がったときに言うんです」
説明しても反応がない。
すべった。
完全にすべった。
ネタが分からない人の前で漫画の台詞を言うのは、前世のネトゲでもやってはいけないことだった。分かっていたはずなのに浮かれていた。
*
それから3局打った。
3人とも最後まで一度も笑わなかった。
コルネリアさんは2局目から急に強くなって、3局目ではもう少しで清一色を上がるところだった。リゼットさんの帳面は、もう3冊目だ。ロジーナさんは牌をつかむたびに僕の描いた絵をじっと見ていた。
夕方の鐘が鳴って、僕たちは牌を片付けた。
「今日は、ありがとうございました。……あの、つまらなかったですよね」
「いえ」
コルネリアさんが短く答えた。
「……また、やりましょう」
「はい」
3人の声がそろった。無表情のまま、まったく同じ音程で。
たぶん礼儀で言ってくれたのだ。
寮に帰る廊下で僕はため息をついた。
「イルゼさん。麻雀、この世界の人には合わなかったみたいです」
イルゼさんは少し黙ってから言った。
「……リツ様。明日の朝は、少し早めに教室へ行かれたほうがよいかと」
「え、どうしてですか」
「勘です」
騎士の勘というのはよく当たるのだろうか。
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【コルネリア視点】
ヴァーレン商会の三女、コルネリア。
本日の放課後、わたくしは人生で初めて相場で負けた。
負けたのに帳簿は黒字だった。
*
くじに名前を書いたとき、わたくしは自分の名前を3枚書こうとしてリゼットに止められた。
「1人1枚って言ったでしょ」
「商人は、機会を逃さないものですわ」
「リツ殿の前で不正はやめなさい」
結局1枚だけ入れた。それが1枚目に引かれた。
商人の娘として言わせていただくと、これは運ではない。日頃の行いである。
立ち上がったとき椅子を倒したのは計算外だった。
*
卓に着いてまず牌を見た。
厚紙に手描き。萬子と筒子と索子。それに字牌。
殿方が1枚ずつ手で描いたもの。
つまりこれは殿方の手作りの品である。殿方の心得第41条にいう「手料理」ほどではないにしても、殿方が手ずから作った物に淑女が触れるのは、この国ではたいへんなことだ。それが136枚。
わたくしは1枚目の牌をつまむ前に心の中で値をつけた。
1枚につき金貨1枚。いや、殿方の手描きである。3枚。いや。
計算を途中でやめた。値がつかないものというのを、わたくしは初めて見た。
九筒の丸が少しだけ四角かった。
殿方が途中で疲れたのだと思うと、もう駄目だった。わたくしは淑女の平静を総動員して無表情でその牌を手元に並べた。
*
ルールはすぐに分かった。
そろえる。組を作る。早く上がる。高く上がる。
これは商いだ。
手元の牌は在庫。捨てる牌は処分品。相手の捨てた牌は市場の動向。そして「役」は同じ品でも組み合わせ方で値が変わるということ。
清一色。同じ種類だけで固めると値が跳ね上がる。
それは専門店だ。
わたくしは胸の内で叫んだ。この遊びを考えた人は商売の神様に違いない。殿方の故郷にはなんという遊びがあるのだろう。
顔にはもちろん出さなかった。
*
8巡目のことだった。
わたくしは索子の七を捨てた。
殿方が手牌を倒した。
「ロン。……御無礼」
ごぶれい。
御無礼。
謝っておられる。
わたくしの牌で上がりながら、殿方はわたくしに詫びておられる。
この国の殿方は決して淑女に頭を下げない。殿方の心得にそう書いてあるわけではないけれど、そういうものだと誰もが思っている。
その殿方が勝負に勝ったその瞬間に、負けた相手に「御無礼」と。
なんと慎み深い。
いや、慎み深いという言葉では足りない。勝ってなお相手を立てる。それは商人が最も大切にする心得そのものだった。「儲けたときこそ、客に頭を下げよ」。ヴァーレン商会の初代の教えである。
手から次の牌が落ちた。
拾えなかった。指が言うことを聞かなかった。
隣でリゼットのペンが止まった。向かいのロジーナが静かに石になった。3m向こうでは生徒会長様の椅子が鳴った。あの「学園の彫像」の椅子が。
殿方は少し困った顔で説明を足された。
「今のは故郷の、麻雀の決め台詞みたいなもので。上がったときに言うんです」
決め台詞。
つまり殿方の故郷では、勝った者が負けた者に必ず詫びるのだ。それが作法として遊びに組み込まれている。
この遊びは売れる。
確信した。
*
2局目からわたくしは本気を出した。
3局目で清一色まであと1枚というところまで迫った。上がれなかったのは、最後の1枚を殿方が握っておられたからだ。
殿方はその牌を切らなかった。
「それ、たぶん待ってますよね。コルネリアさん、強くなるの早いなあ」
殿方に名を呼ばれて、褒められた。
わたくしは無表情のまま卓の下で自分の太ももをつねった。商人の娘が勝負の最中に頬を緩めるわけにはいかない。
局が終わったとき、殿方は「つまらなかったですよね」とおっしゃった。
つまらなかった。
わたくしは生まれてから一番楽しかった。
でもそれを顔に出すことはできない。淑女だから。
「いえ」
それだけ言うのが精一杯だった。
*
その夜、わたくしは寮の部屋で手紙を2通書いた。
1通目は王都のヴァーレン商会本店への発注書である。
発注書
宛先:ヴァーレン商会本店 工房部
品名:まーじゃん牌(殿方考案の遊戯)
数量:試作4組
材質:骨と竹。厚紙ではなく、長く使えるもの
図案:同封の写しのとおり。九筒の丸は、少しだけ四角く
備考:上がるときの掛け声「御無礼」を作法として添えて売り出すこと
至急
2通目は帳面の最後のページに書いた。誰にも見せない、わたくしだけの帳簿である。
殿方取り分
まーじゃん関連の売り上げのうち、3割を殿方の取り分として積み立てる
現在の積立額:0
商人は儲けの出どころに礼を尽くすものだ。それに殿方は勝って詫びる方である。わたくしだけが黙って儲けるわけにはいかない。
書き終えて引き出しを開けた。
入学2日目に婚姻院の窓口でもらってきた封筒が、まだそこに入っている。
中身はまだ白紙だ。
商人の心得はもう1つある。
本当に欲しいものほど、相場をよく見てから買うこと。
わたくしは封筒をそっと戻して引き出しを閉めた。




