第54話 椅子取りゲーム
【リツ視点】
入学して233日目の午後。大講堂で部活紹介があった。
遊戯部の番は最後だった。
壇に上がると、1年生の60人がいっせいに背筋を伸ばした。壇の横には生徒会長のエレオノーラ先輩が巻き尺を持って立っている。僕と1年生の間が3m空いているか、確かめる係だ。
「遊戯部です。部長のリツです」
前から3列目の子が両手で口を押さえた。号外のせいで、僕は「伝説の殿方」ということになっているらしい。
部室の壁から外してきた、やりたい遊びリストの2枚目を広げる。
「今年やりたい遊びです。花いちもんめ、椅子取りゲーム、缶けり、にらめっこ、宝探し、釣り、肝試し、借り物競走、将棋。いちばん下の1行は、まだ秘密です」
それから、いちばん大事なことを言った。
「部室の中は、遊んでいるあいだは3mの決まりがありません。だから入部してくれたら、すぐ近くで一緒に遊べます!」
講堂の空気が止まった。
60人が同時に息を吸って、誰も吐かない。最前列の子の手から号外がはらりと落ちる。2列目では1人が背もたれにゆっくり倒れかかって、隣の子に支えられた。
5列目の子が勢いよく立ち上がった。
「さあさあ、第6号! 『殿方、部活を創設 その名も「遊戯部」』!」
1年B組のウルリケさんだ。王都で号外の写しを売る店の子で、何かあるたびに号外を暗唱する。言い終えると、すとんと座った。
壇の横では、エレオノーラ先輩の巻き尺がぎしっと鳴った。
「……一緒に遊んでくれる人、待ってます!」
頭を下げても拍手は起きなかった。60人全員が両手を胸の前で握りしめている。
みんな真剣に聞いてくれていた。部活紹介は、どこの世界でも緊張するものなのだと思う。
*
234日目の朝。部室の扉を開けると、床が白かった。
扉の下の隙間から、入部届が床いっぱいに差しこまれていたのだ。
「58枚ですわ」
コルネリアさんが帳面に数を書く。数え間違えていないのに、インクの染みが1つ増えた。
「1年生の淑女は60人ですから、2人足りませんわね」
「残りの2人は?」
「入部届を書いている途中で倒れて、医務室です」
リゼットさんはもう確かめてきたらしい。
部室は寮の裏の旧物置で、あと5人も入ればいっぱいになる。58人が入ったら、たぶん58人とも倒れる。
「入部試験をするしかありませんわね」
椅子の数で決めるなら、ぴったりの遊びがある。
「椅子取りゲームにしましょう。リストの2番目です」
説明しながら前世のことを思い出した。小児病棟のプレイルームで、小さい子たちがこれをやっていた。点滴の台を引いている僕は入れてもらえない。椅子は足りていたのに、僕の座る椅子だけがなかった。
「……負けた人は、どうなるのですか」
リゼットさんに聞かれて、僕は答えられなかった。
「その件は、わたくしに預けていただけますかしら」
コルネリアさんの帳面から、厚紙の束が少しはみ出していた。
*
放課後の中庭に、食堂の椅子が57脚、大きな輪になって並んだ。生徒会書記のヘルガさんが、黙って運んでくれたものだ。
「受験者は58名。生徒会が立ち会います」
エレオノーラ先輩が輪の真ん中から巻き尺を伸ばしている。
芝生の端の木箱には、ノルベルトくんが入っている。殿方館から来た1年生の殿方で、落ち着かないときは箱に入るのだ。3歩後ろには護衛の騎士のエルナさんが立っている。
「ノルベルトくんは殿方なので、試験なしで入部です」
箱が少しだけ揺れた。うれしいらしい。
手拍子はロジーナさん。止めの合図はイルゼさん。最初の1回だけは、見本で僕も入ることにした。
輪の中で右手を上げる。前世の歌番組の司会の人は、曲の前にいつもこうしていた。
「ミュージック、スタート!」
中庭が静まり返った。
少しして、ロジーナさんが手を叩き始めた。ぱん、ぱん、ぱん。58人と僕が椅子の輪の外を歩き出す。
「止め」
僕はいちばん近くの椅子に座った。
その瞬間、輪がぐにゃりとゆがんだ。
僕の右の椅子に向かっていた子が、直前で急に向きを変える。左の子も変えた。2人は輪の外でぶつかって、そろって芝生に尻もちをつく。
顔を上げると、僕の右の椅子も左の椅子も空いている。その隣も、その隣も。
淑女は殿方の3m以内に近づけない。だから僕のまわりの椅子には誰も座れないのだ。
座れなかった子は6人。本当なら2人のはずだった。
僕の椅子は誰も取りに来ない。僕だけ絶対に負けない。前世のネトゲでは、こういうのをチートと呼ぶ。いちばん嫌われるやつだ。
「……僕、抜けます」
*
審判席は輪の真ん中に置いた。
「時間がないので、1回に5脚ずつ減らします。ミュージック、スタート!」
抜けた子の1人が、芝生の木箱に腰を下ろしかけた。
「ちがうよ。箱だよ」
その子は飛びのいた。
座るたびに規則集を開いて白い付箋を貼っているのは、1年B組のハンネローレさん。男性保護局長さんの姪で、入部届の理由の欄は『監察のため』だった。
干した小魚をかじりながら歩いているのは、南の港町から来た1年A組のユッタさんだ。
それから銀色の髪の子。エレオノーラ先輩の妹の、ヴィオラさんだ。
顔立ちは先輩にそっくりなのに、表情は全部顔に出る子だ。
座れたら顔じゅうで笑う。座りそこねると眉がぎゅっと寄る。
*
10回目くらいで気がついた。
「イルゼさん。止めの合図、毎回手拍子の37回目じゃないですか」
「……見張りの記憶術でございます。一度刻んだ間は、体が覚えてしまいまして」
ヴィオラさんだけが目をまん丸にしていた。顔に「知らなかった」と書いてある。
「次から変えられますか」
「変えます」
次の回も、イルゼさんは37回目で「止め」と言った。
「……変えたつもりで、ございました」
*
椅子が4脚になった。
残りは5人。ウルリケさん、ハンネローレさん、ユッタさん、ヴィオラさん。それからB組の背の高い子だ。
輪の外のエレオノーラ先輩は、さっきからヴィオラさんばかり見ている。
僕は審判席から5人に声をかけた。
「最後です。がんばってください。座れた人とは、明日から毎日、部室で遊べます!」
5人の背中が、そろってびくっと跳ねた。
ハンネローレさんの規則集から付箋が1枚はがれて飛んでいく。ウルリケさんは「さあ……さあ……」と言ったきり続きが出てこない。ユッタさんは小魚を2匹いっぺんに口に入れた。ヴィオラさんの顔は首まで真っ赤だ。
励ましたつもりだった。かえって緊張させたかもしれない。
「ミュージック、スタート!」
ぱん。
「止め」
1拍目だった。
前世のスポーツアニメなら、ここで画面がゆっくりになる。汗のしずくが空中で止まり、叫び声が低く長く伸びるのだ。
本当にゆっくりに見えた。
ハンネローレさんが規則どおりの姿勢で座る。ウルリケさんが「さあっ!」と言いながら座る。ユッタさんは小魚をくわえたまま座る。
残りは1脚。ヴィオラさんと、背の高い子。
背の高い子が、ヴィオラさんの顔を見て一瞬止まった。
ヴィオラさんが跳んだ。
スカートの裾がふわっと広がる。顔に全部出したまま、横から滑りこむように椅子に着いた。椅子がきしんで芝生の上を少しずれる。
中庭が、しんとした。
前世のオーディション番組では、審査員は結果を言う前に長く黙る。黙れば黙るほど、みんなが息を止める。
僕も黙った。
4人が息を止める。輪の外の54人も止めた。箱の中も、たぶん止めている。
「……リツ様。溜めが、長うございます」
2歩後ろからイルゼさんが言った。
「合格です!」
4人が椅子の上で同時にくずれた。ウルリケさんは背もたれに頭を預けて空を見上げ、ユッタさんは小魚の袋に顔をうずめる。ヴィオラさんは両手で顔を覆ったのに、指の間から笑顔がはみ出していた。
輪の外では、54人のうち何人かが静かに倒れた。
*
コルネリアさんが前へ出て、厚紙の束を扇のように広げた。
「入部できなかった皆様には、こちらを。遊戯部の見学員証ですわ。部室の窓から見学できますの。窓は1つですけれど」
第1番から第54番まで、1枚ずつ名前が入っている。
54人は見学員証を両手で胸に抱えた。抱えたまま、何度も番号を確かめていた。
全員に、座る場所があった。
*
ヴィオラさんがまっすぐ審判席へ走ってきた。
3mの線の手前で、ぴたりと止まる。
「1年A組、ブランシュ公爵家の次女、ヴィオラですっ!」
知っています、と言いかけてやめた。本人に名乗ってもらうのは、これが初めてだ。
「お姉さまが、いつもお世話になっておりますっ」
ヴィオラさんは深く頭を下げてから、顔じゅうで笑った。
「これからよろしくお願いいたしますっ。お義兄さま!」
輪の外でエレオノーラ先輩が固まった。巻き尺を持ったまま、まばたきもしない。
「この国では、お姉さんの友達のことを、おにいさまって呼ぶんですか?」
「はいっ!」
そうなんだ。この国の言葉には、まだ知らないことが多い。
僕は笑ってうなずいた。
「分かりました。じゃあ、おにいさまで大丈夫です。よろしくお願いします」
かしゃん、と音がした。
エレオノーラ先輩の手から巻き尺が落ちていた。石畳の上で、帯がしゅるしゅると伸びていく。落とした右手は、何もないところで拳になっていた。
コルネリアさんのペン先が帳面に刺さったまま止まり、インクの染みが広がっていく。リゼットさんの帳面は大きな字1つでページが埋まった。ロジーナさんは手拍子の形のまま固まっている。2歩後ろでは、イルゼさんの手袋の革がきゅっと鳴った。
「先輩、手、つりました?」
「……つって、おりません」
「でも、開いてないです」
「……つって、おりません」
ヴィオラさんが先輩を見た。それから急に背筋を伸ばす。
顔から表情が消えていく。消えきらずに半分くらい残った。両手を体の横にそろえて、まっすぐ前を見る。
先輩とそっくりの立ち方だ。ただし、閉じたのは左手だった。
「妹さんも、手、つりました?」
「……つって、おりませんっ」
先輩は右で、ヴィオラさんは左。鏡みたいだ。
姉妹そろって手がつるなんて、体質が似ているのだと思う。
――――――――――――――――――
【ヴィオラ視点】
ブランシュ公爵家の次女、ヴィオラ。15歳。1年A組。
本日、わたしは椅子を1脚取った。
お義兄さまの部の、椅子ですっ。
*
淑女の平静の型を、わたしは習っていない。
ブランシュ家では9歳で型を習い始める。わたしが9歳になった春、お姉さまはお母さまにこう言ったそうだ。
「ヴィオラには要りません。ブランシュ家の平静は、私が引き受けます」
だから、わたしの顔には全部出る。屋敷ではそれで困らなかった。学園に来て困っている。皆さんは殿方の前でちゃんと固まるのに、わたしだけ固まれない。
*
お義兄さまのことを知ったのは、入学式の日の朝だ。
生徒会室へお姉さまに会いに行くと、ヘルガしかいなかった。うちの庭師の娘で、昔からお姉さまの2歩後ろにいる人だ。そのヘルガがしまいかけた引き出しの奥に、白い紐がたたんで入っていた。
「ヘルガ。それは?」
「……二人三脚の紐です。会長と、殿方の」
古い恋歌に『結び紐』という歌がある。祭りの夜、殿方が自分の足首と淑女の足首を1本の紐で結んで「ほどけるまで、そばに」とおっしゃる歌だ。わたしは寝る前に12回読んだ。
お姉さまは殿方と足首を結んだ。ほどいたあとも、その紐をしまってある。
それから、屋敷の侍女の噂があった。侍女の従姉妹が殿方の婚約者の1人で、婚約者の会という集まりに出たそうだ。そこでお姉さまが壇に上がって、殿方にこう言ったという。
「私を、選んでいただけますか」
殿方の答えは「はい」。
侍女は春休みのあいだにその話を17回した。わたしは17回とも最後まで聞いた。お姉さまに聞いても何も言わない。大事なことほど言わない人なのだ。
選んでいただけますか。はい。ほどけるまで、そばに。
答えは1つしかない。
殿方はお姉さまの婚約者。わたしの未来のお義兄さまだ。
*
部活紹介の日、お義兄さまは壇の上でおっしゃった。
「入部してくれたら、すぐ近くで一緒に遊べます!」
すぐ近く。お義兄さまの、すぐ近く。
落ち着いて、ヴィオラ。……無理だった。型を習っていないのだ。顔が熱くなって、冷たくなって、また熱くなる。隣の子に「ヴィオラさん、お顔が忙しいです」と言われた。
その夜、入部届を3回書き直した。2回目は理由の欄に「お義兄さま」とだけ書いてしまった。
*
椅子取りゲームは思ったより難しかった。
止めの合図を出すのは護衛官の騎士様で、顔には何も出ない。だから手拍子を数えることにした。
「……ヴィオラさん、今、30です」
隣の子が教えてくれた。わたしが数えると顔に数が出るらしい。周りの子はわたしの顔で数えていて、わたしだけ途中で分からなくなる。
合図が毎回同じ拍だったことにも、わたしだけ気づいていなかった。
顔に出た。
*
最後の5人になった。椅子は4脚。
輪の外で、お姉さまが巻き尺を持ったままわたしを見ている。
歴代当主を数えて落ち着こうと思った。体育祭の日、お姉さまがそうしていたとヘルガに聞いたのだ。
初代様。2代目様。
3代目様は、どなただっただろう。
型を習っていないので、わたしの頭の中の画廊には初代様と2代目様とお姉さましかいなかった。
そのとき、お義兄さまが輪の真ん中からおっしゃった。
「座れた人とは、明日から毎日、部室で遊べます!」
画廊が消えた。
初代様も2代目様もお姉さまも、どこかへ行ってしまった。残ったのはお義兄さまのお顔だけだ。毎日。部室で。お義兄さまと。
落ち着いて、ヴィオラ。あなたはお姉さまの妹よ。妹は、お義兄さまの前で首まで赤くなったりしないの。
首まで赤くなった。
「最後です。みゅーじっく、すたーと!」
何の呪文かは分からない。でも聞くと足が動く。
ぱん。
「止め」
1拍目。
3人が座った。残りは1脚で、わたしの右にB組の背の高い子がいた。
その子が、わたしの顔を見て一瞬止まった。
何が出ていたのかは分からない。たぶん「お義兄さまと毎日遊びたい」と大きく書いてあったのだと思う。
わたしは跳んだ。
淑女は殿方の前で跳ばない。裾を広げない。全部、型の教本に書いてあるそうだ。わたしは読んでいない。
椅子にはお尻が半分しか乗らなかった。椅子ごと芝生の上を少し滑って、止まる。
お義兄さまは長いこと黙っていた。そのあいだ、わたしの心臓は手拍子よりずっと速かった。
「合格です!」
両手で顔を覆った。覆っても、指の間から全部出た。
*
お義兄さまの前まで走って、3mの線でちゃんと止まれた。名乗りもお辞儀もできた。
「これからよろしくお願いいたしますっ。お義兄さま!」
「この国では、お姉さんの友達のことを、おにいさまって呼ぶんですか?」
友達。
王都で、号外第1号の写しを読んだことがある。殿方の「友達」は「友の契り」のこと。古い求婚の言葉だ。
お義兄さまは照れておられるのだ。婚約者を「友達」とおっしゃるくらいに。
「はいっ!」
「分かりました。じゃあ、お義兄さまで大丈夫です。よろしくお願いします」
大丈夫です。
お義兄さまとお呼びしていい。認めていただいた。わたしは今日、この方の妹になったのだ。
落ち着いて、ヴィオラ。今日はもう何回そう言ったか分からない。1回も落ち着けていない。
かしゃん、と音がした。
お姉さまの足元に巻き尺が落ちている。お姉さまが物を落とすところを、わたしは初めて見た。右手は何もないところで閉じていた。
はっとした。殿方の前で跳んで、走って、裾を広げて、顔に全部出している。お姉さまの妹なのに。
今からでも、お姉さまの真似をするのよ。
春休みに、鏡の前で何度も練習したのだ。
背筋を伸ばす。
手が閉じた。左手だった。
鏡の中のお姉さまは、いつも左手を閉じていたのだ。
「妹さんも、手、つりました?」
「……つって、おりませんっ」
お姉さまと同じ答えを言えた。
語尾だけは、どうしても跳ねてしまった。
――――――――――――――――――
【エレオノーラ視点】
ブランシュ公爵家の長女、エレオノーラ。17歳。3年A組。生徒会長。
本日、私は妹の入部届を承認した。
*
夕方の生徒会室に、ヴィオラが入部届を持ってきた。
右手は中庭からずっと閉じたままである。承認の印は左手で押した。少しだけ傾いた。
ヴィオラは机の前で背筋を伸ばしている。左手は閉じたまま。顔には「うれしい」と大きく出ていた。
「お姉さま。わたし、明日からお義兄さまの部の部員ですっ」
お義兄さま。
中庭で、殿方は「お義兄さまで大丈夫です」とおっしゃった。
大丈夫とは、何が大丈夫なのか。
落ち着きなさい、エレオノーラ。殿方は言葉をご存じないだけである。この国の妹が兄と呼ぶのは、姉の夫となる方だけだ。殿方はそれをご存じないから「大丈夫」とおっしゃった。それだけのことである。
……それだけのことで、私の右手は3時間開かない。
ヴィオラは殿方の妹になったと信じている。では私は、妹の兄となる方の何なのか。
考えるな。数えなさい。初代様。2代目様。
3代目様が出てこない。出てくるのは、巻き尺の向こうで「よろしくお願いします」と笑っておられた殿方のお顔ばかりである。
訂正しなければならない。殿方とは、友として選んでいただいた間柄である。
中庭では言えなかった。58名の1年生の前で訂正すれば、婚約者の会の壇の上の話をすることになる。引き出しの紐の話もである。
今は妹しかいない。言える。
「……ヴィオラ」
「はいっ」
「入部、おめでとう」
言えなかった。
頭の中の画廊で、13代目のお祖母様の肖像が静かに横を向いた。
黙っているのは、嘘に入るのだろうか。……お祖母様なら、入れる。
訂正は明日にする。明日の私は、今日の私より少しだけ強いはずである。
さすが、明日の私である。
*
ヘルガが入ってきて、巻き尺を机に置いた。中庭で私が落としたものだ。帯はきれいに巻き直してある。
ヘルガはそれを引き出しにしまった。いちばん奥の、白い紐の隣に。
ヴィオラの目が引き出しを追う。目が追いつく前に、ヘルガは引き出しを閉めた。
それから私の右手を取って、親指から1本ずつ開いていく。いつもどおりである。
開き終えると、ヘルガはヴィオラの前に立った。左手を取り、小指から開いていく。左手なので逆からである。
「ヘルガ。わたしのは、ついでですか?」
「……ついでです」
ヴィオラの顔に「ついで」と出た。続けて「でも、うれしい」と出る。忙しい顔である。
「……終わりです」
ヘルガは私たちの2歩後ろに立った。
ヘルガの手は2本ある。
ブランシュ家の閉じる手も、今日から2本になった。
ちょうど、足りる。




