第45話 王様ゲーム
【リツ視点】
入学して170日目から173日目まで、僕は名前を呼んで回った。
1日目は学園の2年生。残りの3日は放課後に赤い馬車で王都へ通った。学園長の外出許可は3日分まとめて出た。理由の欄には学園長の字で『名前を呼ぶため』とだけ書いてあった。
登録簿の写しには名前しか載っていない。住所はコルネリアさんが商会の配達の帳簿から書き出してくれた。
「お得意様の住所でしたら、全部頭に入っておりますわ」
そう言って渡してくれた紙には、インクの染みが3つあった。
*
2年B組の先輩たちは、野営訓練で芋煮を食べた19人だ。
教室の扉の前で3m離れて順番に名前を呼んだ。
「アグネス先輩。芋煮のとき、木の実をくれましたよね」
アグネス先輩はさっと上着のポケットに手を入れた。
出てきたのは干し肉だった。
先輩は干し肉を両手で持ったまま固まる。それからものすごい速さでポケットに戻した。
「……今のは、なかったことに」
「はい」
次の先輩も、その次の先輩も同じだった。名前を呼ぶたびにポケットから干し肉が出てきて、引っこむ。19人目のときには、教室じゅうの先輩がポケットに手を入れたまま待っていた。
あとでイルゼさんが教えてくれた。野営訓練のあと、2年B組では干し肉を持ち歩くのがはやっているらしい。グンヒルト教官の真似だそうだ。
何かをもらったら、何かを返す。体がそう覚えてしまったのだと思う。
今日の僕は何も作っていないんだけど。
*
王都では、もっといろいろあった。
最初の1人は赤い馬車の御者さんだった。学園祭のお客さんで、刺繍のハンカチを置いていってくれた人だ。前に王都で「赤いんだから3倍で走りな」と叫んでいた人でもある。
「マルタさん!」
名前を呼んだ瞬間、マルタさんは手綱を振った。
「赤いんだから、3倍で!」
馬車ごと大通りの向こうへ消えていった。
呼んだだけなのに。
しばらく待っていると、大通りの反対側から同じ馬車が戻ってきた。王都をひと回りしてきたらしい。僕のちょうど3m手前でぴたりと止まる。
「……お呼びでしたか」
「はい。学園祭のハンカチ、ありがとうございました。今も使ってます」
マルタさんは返事の代わりに、もうひと回りしてきた。
花屋の姉妹は2人そろって返事をして、2人そろって固まった。鍛冶屋の娘さんは金づちを持ったまま泣き出す。毎朝婚姻院の行列に並んでいたという仕立屋さんは、名前を呼ぶと「はい」と答えて、自分の名前を3回つぶやいた。確かめるみたいに。
名前を呼ぶとだいたい3通りになる。返事をして固まる人。泣く人。ひと回りしてくる人。ひと回りしてくるのはマルタさんだけだった。
3日目の夕方、王都の最後の1人の名前を呼んだ。
登録簿の写しの最後のページに鉛筆で丸をつける。136個目の丸だ。
前世のゲームなら、ここでファンファーレが鳴るところだ。
何も鳴らなかった。代わりに丸をつけた鉛筆の先がちょっとだけ丸くなっていた。
*
入学して174日目の休日。僕は王宮の小さな広間にいた。
大富豪をした、窓の大きな部屋だ。丸いテーブルの椅子は、今日は6つある。女王様と学園長と婚姻院の院長さんが座っていた。ゲルトルートさんは入り口。イルゼさんは僕の2歩後ろだ。
ここに来たのは、通知の最後の1行があったからだ。
なお、ご不明の点は、何なりと尋ねられよ。答える者が、そばにおる。
あの1行だけ字が違っていた。誰の字かは部屋にこもっていたときに届いた書状で分かった。『余の箱は、気が長い』。同じ字だった。
だから手紙を書いた。ご相談したいことがあります、と。返事は1行だった。
『174日目、参れ』
*
「136人の名前は、覚えたか」
女王様が聞いた。
「はい。全員、会って名前を呼びました。王都の人も」
「全員か」
「全員です」
女王様は少しだけ目を細めた。それから、もう1回聞いた。
「全員か」
「全員です」
院長さんと学園長が少しだけ目を合わせた。昔から知っている癖を見る目だ。
*
「今日は、相談があって来ました」
僕が言うと、女王様はうなずいた。
「申せ」
でもうまく言葉が出てこなかった。
部屋の空気が硬い。女王様も学園長も院長さんも、全員まっすぐ前を見ている。真面目な話をするときの顔だ。
こういうとき、前世のネットの仲間たちはまず軽いゲームをした。いきなり本題に入ると、みんな固くなってしまうからだ。
「あの。先に、1回だけ遊んでもいいですか」
女王様の眉が少しだけ上がった。
「申せ」
「王様ゲームっていうんです」
入り口でゲルトルートさんの剣が鳴った。
「……王を遊戯に、でございますか」
「大丈夫です。革命は起きません。たぶん」
ゲルトルートさんの手が剣の柄から離れるまで、5秒かかった。
*
細い木の棒が6本要る。
そう言うと、イルゼさんが暖炉の横の薪を1本取って短剣で削り始めた。10分で6本できた。長さも太さも、全部同じだった。
「騎士学校で習いました」
「棒をですか」
「くじをです。砦では、夜の見張りの順番をくじで決めますので」
1本の先にだけ赤い印をつける。インクは学園長が貸してくれた。残りの5本には1から5までの数字を書く。
「みんなで1本ずつ引きます。赤い印を引いた人が王様です。王様は番号で命令を出します。『2番が3番の肩を叩く』とか。王様にも誰が何番かは分かりません。命令された人は、必ずやります」
「王様の命令は、絶対か」
「絶対です」
「よかろう」
女王様と学園長と院長さんと僕。それから入り口から呼ばれたゲルトルートさんと、2歩後ろから呼ばれたイルゼさん。6人で棒を握った。
「せーの。王様、だーれだ!」
女王様が棒を上げた。
赤い印がついていた。
「……余である」
「女王様が王様です」
「余は、いつも王様である」
部屋が静かになった。
女王様は少しだけ考えてから命令した。
「3番が、2番の肩を叩け」
3番はゲルトルートさんだった。2番は院長さんだった。
ゲルトルートさんは院長さんの後ろに回って、ものすごく静かに肩を叩いた。1回叩くたびに「失礼いたします」と言う。
院長さんは3回目で目を閉じた。
5回目で小さな声で言った。
「……もう少し、右を」
「失礼いたします」
ゲルトルートさんの手が右へずれた。
テーブルの上で学園長の指がとんとんと2回鳴った。
*
2回目。
「王様、だーれだ!」
赤い印はまた女王様だった。
「……余である」
3回目も女王様だった。
「余は、いつも王様である」
女王様は3本目の赤い印をじっと見ていた。少しだけつまらなそうだ。
「あの。これ、確率的におかしくないですか。乱数調整してませんか」
「らんすう?」
女王様が聞き返した。1回だけだった。
代わりに院長さんが答えた。
「陛下が引かれる棒は、昔から当たりです。即位の日のくじも、そうでした」
「くじ引きで即位したんですか」
「いいえ。即位の祝いの、福引きです。特等でした」
ガチャだったら運営に問い合わせが殺到するやつだ。
*
4回目にやっと学園長が王様になった。
「1番と5番が、握手をする」
1番は女王様で、5番はゲルトルートさんだった。
ゲルトルートさんは胸のポケットから手袋を出してはめた。女王様も手袋をはめた。布告どおりの、挨拶の握手だ。
「失礼いたします。失礼いたします。失礼いたします」
ゲルトルートさんは握手のあいだ、ずっと言っていた。女王様の手を上下に振るたびに1回。全部で5回だった。
「なんだか、握手会みたいですね」
「あくしゅかい、とは」
「故郷では、会いたい人と握手するために、何千人も列に並ぶ会があるんです。1人10秒くらいで」
女王様はゲルトルートさんの手を握ったまま院長さんのほうを向いた。
「……制度にできるか」
「婚姻院の管轄では、ございません」
「では、どこの管轄か」
学園長が少しだけ考えた。
「……遊戯部ではないでしょうか」
うちの部だった。
ゲルトルートさんは手を離してからも、手袋の右手をしばらく見ていた。
*
5回目にやっと僕が王様になった。
赤い印のついた棒を持って、少しだけ考えた。
前世の王様ゲームなら、ここはもっとくだらない命令をするところだ。変顔をするとか、好きな食べ物を叫ぶとか。
でも今日は、くだらないことを言いに来たんじゃない。
「1番の人は、本当の気持ちを1つだけ言ってください」
1番は女王様だった。
「余が、1番か」
「はい」
「余が、1番か」
「はい。女王様が、1番です」
2回聞かれた。
――――――――――――――――――
【女王視点】
ルーメリア女王国、第56代女王、エルフリーデ。
本日、余は王様げえむで3回王様になった。
4回目と5回目は、1番であった。
6回目は、5番であった。
*
王様とは命令する者である。
余は20年、王様であった。いや、女王である。違いは、余にもよく分からぬ。
3回続けて赤い印を引いたとき、余は退屈した。
つまらぬ。余はいつも王様である。即位の祝いの福引きも特等であった。たまには2番になりたい。2番は肩を叩かれる側である。
叩かれてみたい。
ブリギッテは目を閉じておった。「もう少し、右を」とまで申しておった。ずるい。余の母上の友であろうとも、ずるいものはずるい。
殿方は余の棒を見て「らんすうちょうせい」を疑った。意味は分からぬ。疑われたことだけは分かった。
女王の引いたくじを疑った者は、20年で殿方が初めてである。悪い気はしなかった。
*
4回目にようやく、1と書いた棒を引いた。
ゲルトルートと握手をした。余に仕えて20年、ゲルトルートが余の手を握ったのは初めてである。手袋の中がひどく湿っておった。
殿方はそれを「あくしゅかい」と呼んだ。民が列をなし、1人ずつ余と握手する会である。
悪くない。
ブリギッテは管轄外と申した。オティーリエ先生は遊戯部と申した。
余は遊戯部に入れるのであろうか。あとで殿方に聞かねばならぬ。
*
5回目も1であった。
命令される側になった。
殿方は「1番の人は、本当の気持ちを1つだけ言ってください」と言った。
1番は余である。
余である。
落ち着け、エルフリーデ。余は女王である。女王は本当の気持ちを言わぬものだと、母上は……
母上は、言っておらぬ。
言ったのは、母上の母上である。卒業の日の王女に、「女王は、笑わぬもの」と。あとでオティーリエ先生から聞いた。母上はそれを守った。余は母上が守っていたと思いこんで、守る必要のないものまで守ってきた。
笑わぬこと。本当の気持ちを言わぬこと。どちらも、誰にも命じられてはおらぬ。
今、命じられた。
殿方にである。棒切れ1本でである。
余は2回聞いた。図星のときの癖である。何かを決めるときの癖でもある。
今日は、両方であった。
王様の命令は絶対である。
*
余は少しだけ考えた。
それから、言った。
「余の保留の箱には、そなたの件が3つ入った。1つは騎士の握手。1つは余の握手で、これは手袋で返した。もう1つは、そなたの友の契りである」
殿方はうなずいた。
「友の契りを申しこまれたとき、余は嬉しかった。求婚だからではない」
広間が静かだった。
「そなたが、余を、友にしたいと言ったからだ。即位してから20年、余を友と呼ぼうとした者は1人もおらぬ」
オティーリエ先生が目を伏せた。ブリギッテは鞄の留め金に手を置いた。
「だが、その言葉は求婚の言葉である。余が受ければ、余は137人目の婚約者になる。余はそれを望んでおらぬ」
余は殿方を見た。
「余は、そなたの友になりたい。それが、本当の気持ちである」
*
殿方はしばらく何も言わなかった。
顔に、全部出ていた。
それから殿方は木の棒をテーブルに置いて、まっすぐ余を見た。
「僕の相談も、それなんです」
殿方は話し始めた。
「友の契りを、本当に友達になる約束にできませんか。婚約者になりたい人は、婚約者のままで。友達になりたい人は、友達に。1人ずつ、選べるようにしたいんです」
「136人、全員にか」
「全員です。全員の名前を呼んできました。だから、全員です」
殿方は少しだけ間をおいた。
「僕も、選びたいです。誰と友達になるか」
ブリギッテが口を開いた。
「婚姻法第3条は、400年変わっておりません。改めるには、陛下の勅令が要ります」
「出せるか」
「出せます。第3条のあとに、1条を足す形になります」
ブリギッテは鞄から紙を出してその場で書いた。386条をそらんじる女のペンは速い。
書き終えて読み上げた。
「第3条の2、案。第1項、第3条により婚約者となった淑女は、申し出により、婚約者に代えて友となることを選ぶことができる。第2項、友は、婚約者の数に数えない。第3項、殿方もまた、友を選ぶことができる。友の申し出は、殿方がその淑女の名を呼んで受けたときに成る」
ブリギッテはそこで紙を置いた。
余は紙をのぞきこんだ。字はもう1行あった。
「ブリギッテ」
「はい」
「4つ目を、言っておらぬ」
オティーリエ先生の指が、テーブルを2回叩いた。
ブリギッテは紙を見て、それから天井を見た。
「……あと1、でございました」
殿方が「あっ」という顔をした。19日前の遊戯部の部室でも、余は同じことを言うた。ブリギッテはあのときも同じ顔をして、2枚引いたのである。
紙には、こうあった。
婚姻法第3条の2(案)
1.第3条により婚約者となった淑女は、申し出により、婚約者に代えて「友」となることを選ぶことができる。
2.友は、婚約者の数に数えない。
3.殿方もまた、友を選ぶことができる。友の申し出は、殿方がその淑女の名を呼んで受けたときに成る。
4.殿方の心得第7条の「友の契り」は、殿方と淑女の間においても、文字どおりの友の約束とすることができる。
第3項の2つ目の文は、殿方がこの数日してきたことを、ブリギッテがそのまま条文にしたものである。
オティーリエ先生が紙を読んでうなずいた。
「第4項があれば、殿方の『友達になってください』は、もう求婚だけの言葉ではなくなりますね」
「求婚にもできる。友にもできる。決めるのは、言われた者だ」
余は言った。
*
殿方は紙を見ていた。
「これで、みんなが選べますか」
「選べる」
「僕も、選べますか」
「選べる。第3項である」
殿方の顔がゆっくり明るくなっていった。
余はペンを取った。
さきほど殿方は、王様の命令は「絶対です」と言った。殿方の故郷では、王様はそういうことを言うものらしい。
余は1つ間をおいた。
「……王の命令は」
広間の全員が余を見た。
「絶対である」
殿方が両手を握りしめた。ゲルトルートがなぜか椅子から立ち上がって、気をつけをした。
「勅令とする。公布は14日後。それまでに、136人の淑女に知らせよ」
「はい!」
殿方は1度目で「はい」と言った。謁見の日のように、2回聞く必要はなかった。
少しだけ、惜しかった。
*
最後に、もう1回だけ王様げえむをした。
余は5と書いた棒を引いた。王様は、殿方の騎士である。
騎士は赤い印をしばらく見つめている。それから小さな声で命令した。
「……5番は、笑ってください」
誰が何番かは、王様には分からぬ決まりである。騎士は分からぬまま命じた。分からぬまま、この部屋の誰かに笑えと言った。
余は笑った。
声を出して、肩を揺らして。鍵のかかっておらぬ部屋で、臣下と殿方の前で。
王様の命令は絶対である。
笑いながら騎士を見た。
騎士は真顔だった。ただ、右手が剣の柄を3回なでた。手入れのときの手つきである。命じ終えてから、その手は柄の上で止まったまま動かなかった。
余は気づいた。
記録はせぬ。あの騎士の報告書を余は全部読んでいる。だが報告書に書かれぬものも、あってよいのだ。
*
その夜、余は執務室で保留の箱を開けた。
箱の隅で、獅子の右耳が転がった。
第3号の紙を取り出した。
殿方による友の契りの申し出。対象、余。
余は紙の余白に小さく書いた。
『14日後、決裁』
決裁の答えは、もう決まっている。
余は箱のふたを閉めた。扉には、鍵をかけなかった。




