第43話 ババ抜き
【リツ視点】
入学して167日目の休日。僕は殿方館の談話室で、トランプを切っていた。
「本日は、男子会です」
僕が言うとノルベルトくんが身を乗り出した。
「だんしかい?」
「男子だけで集まって、遊んだり、しゃべったりする会です。故郷の本で読みました」
「殿方会、ということか」
アルフォンスさんが言った。殿方会。そう言われると、急に格式が高くなる。
イルゼさんは今日、最後の門の外で待っている。男子会なので中には入らないでください、とお願いしたら条件を1つ出された。談話室の窓から門の鉄の格子ごしに姿が見える場所に立つこと。
窓の外を見ると、イルゼさんはちゃんとそこにいた。格子の向こうでまっすぐこっちを向いている。
男子会の見張りが、窓から丸見えだった。
*
今日の遊びはババ抜きだ。
札は大富豪のときの手作りのトランプを使う。秋の雨漏りで1度湿ったので、どの札も少しだけ反っている。数字の札は僕の字で、絵札はロジーナさん。キングの4枚は全部、笑っている僕の顔だ。
ジャックは1枚、イルゼさんに預けてある。だから相方のいなくなるジャックをもう1枚抜いておいた。代わりに、大富豪のときのジョーカーを1枚だけ入れる。2枚あるうちの1枚だ。
「この札が、ジョーカーです。故郷では、ババっていうんです」
「ばば」
アルフォンスさんが繰り返した。
僕が描いた道化師の札だ。目の丸は、やっぱり四角い。赤と黒のまだらの服に、先の曲がった帽子。道化師は口を大きく開けて笑っている。
「全部配って、同じ数字が2枚そろったら捨てます。それから隣の人の手札を1枚ずつ引いていって、最後までババを持っていた人の負けです」
「……誰も欲しがらぬ札か」
「はい。押しつけ合う札です」
談話室の扉が小さく鳴った。
館長さんが立っていた。お盆にお茶を4つのせている。
「……ばば、と聞こえましたが」
「札の名前です!」
僕とノルベルトくんが同時に言った。
「そうですか」
館長さんはお茶をテーブルに置いて出ていった。扉を閉める前に1度だけ道化師の札を見ていった。
今日はちゃんとお盆にお茶がのっていた。
*
1回目、ババは僕のところに来た。
僕はそれをすぐに手札の真ん中に入れた。顔には出さない。前世のネットのカードゲームで何百回も勝負してきたのだ。こういうのは得意だ。
ノルベルトくんが僕の手札に手を伸ばす。
真ん中の札に、指がかかる。
僕の口の端が、ぴくっと動いた。
ノルベルトくんは指をずらして隣の札を引いた。
「……リツ殿。顔に出てる」
「出てません」
「出てた。リツ殿、ばばを持ってると、悪い人みたいな顔で笑う」
「えっ」
前世のテレビで、毎週同じ時間に見ていた時代劇がある。悪代官が小判の入った菓子箱を受け取って「お主も悪よのう」と言う。そのときの、あの顔だ。
たぶん僕は今、あの顔をしていた。
僕は手札で顔を半分隠した。それでも目が笑っていたらしい。エミールくんも僕の手札から引くときは真ん中の札を避けた。アルフォンスさんは見もせずに避けた。
僕はババを持ったまま負けた。
「もう1回! もう1回だけ!」
2回目も負けた。
「もう1回だけ!」
3回目も負けた。
「もう1回、だけ……」
「3回目の、もう1回だけだ」
アルフォンスさんが静かに言った。
「リツ殿は、ばばを引くと顔が笑う。ばばを引かせたいときも、顔が笑う」
「故郷では、ポーカーフェイスって言われてたんですけど」
「ぽーかー?」
「顔に何も出さない人のことです。ネットの対戦で、ずっとそう言われてました」
「それは、顔の見えぬ者とばかり打っていたからであろう。大会の日に、そなたがそう申していた」
言われてみれば、そうだった。
画面の向こうの人たちは僕の顔を1回も見ていない。前世の僕のポーカーフェイスは、顔が見えないことでできていた。
ノルベルトくんがお腹を抱えて笑っている。エミールくんも口を押さえて笑っている。
負けているのに、悪い気はしなかった。
*
4回目の途中で、僕は手札を伏せた。
「あの。今日は、相談があって来たんです」
3人が僕を見た。
僕は全部話した。婚姻院からの通知のこと。136人のこと。友の契りのこと。卵焼きのこと。部屋から出られなかった3日間のこと。それから、伝言ゲームのこと。
ノルベルトくんは口を開けたまま聞いていた。エミールくんは途中から、膝の上の手をぎゅっと握っていた。
アルフォンスさんは、最後まで黙って聞いていた。
「……136人か」
「はい」
「私は、20人で、いやだと言った」
アルフォンスさんは自分の手札を見ていた。
「殿方は、選ばぬものだと教わった。縁組みは婚姻院が決める。殿方はそれを受ける。選ぶのは淑女のほうだ。淑女が申請し、婚姻院が受理する。殿方の心得にも、そう書いてある」
「はい」
「そなたは、知らぬうちに136人に選ばれた」
「……はい」
「それは、そなたが悪いのか」
僕は答えられなかった。
*
「でも、僕、友達になってくださいって言ったんです。いろんな人に」
「私にも言った」
「アルフォンスさんにも、言いました」
「その前に、もう1つ言った。最初の日に、一緒に走りませんか、と」
「……はい」
「そして私は、断った」
僕は殿方館に初めて来た日のことを思い出した。品位の指導を1時間受けて、最後に一緒に走ろうと言ったら即答で「断る」と言われた日のことを。
フレンド申請、拒否された。あの日の帰り道、僕はそう思っていた。
アルフォンスさんの口の端が、少しだけ上がった。
「1度目は断った。2度目に、そなたと庭を走った。3度目には、もう断る理由がなかった」
「……」
「友は、選ぶものだ。断ることもできる。断ったあとで、もう一度選び直すこともできる」
アルフォンスさんは、自分の手札から1枚を引き抜いた。
道化師の札だった。いつの間にかアルフォンスさんのところに来ていたらしい。全然気づかなかった。顔にも何も出ていなかった。
「この札のように、誰も欲しがらぬと決まっているものではない」
「……はい」
アルフォンスさんは道化師の札を、テーブルの端に伏せて置いた。
「136人に、会えばよい。1人ずつ。それで、そなたも選べばよい。向こうも、もう一度選べばよい」
ノルベルトくんが手を挙げた。
「ぼくは、リツ殿の友達だよ。選んだ」
エミールくんも小さな声で言った。
「……わたしも。選びました」
僕は手札を持ったまま、しばらく何も言えなかった。
顔に出ていたと思う。
*
ノルベルトくんが、ぱんと手を叩いた。
「じゃあさ、男子会の続き! リツ殿、男子会って、何をしゃべるの」
「えっと……故郷の本だと、だいたい夜に布団の上で好きな子の話をします。修学旅行の夜とかに。それで、枕が飛んできます」
前世の僕は修学旅行に行っていない。枕が飛んでくる夜も本の中でしか知らない。
「好きな子!」
ノルベルトくんの目が光った。
「じゃあ、136人の中で、リツ殿はだれが一番?」
頭が真っ白になった。
一番。
136人の中で。
そういう順番を僕はつけたことがない。つけていいのかどうかも分からない。コルネリアさんの顔が浮かんで、リゼットさんの顔が浮かんで、ロジーナさんとエレオノーラ先輩の顔が浮かんで、それから——
「……騎士殿?」
エミールくんが小さな声で言った。
僕の手から、札が全部落ちた。
数字の札も笑っている僕のキングも、床に散らばる。テーブルの端に伏せてあった道化師の札も僕の肘に当たって一緒に落ちた。
「ち、違います。イルゼさんは136人に入ってないです。申請してないって、本人が」
「入ってるかどうかは、聞いてない」
ノルベルトくんが言った。
エミールくんは自分の言ったことに自分で驚いたみたいに、両手で口を押さえている。
床を滑っていった道化師の札が、ちょうど扉の前で表を上にして止まった。
扉が開く。
館長さんだった。
「あっ! ばばが来た!」
ノルベルトくんが扉を指さして叫んだ。正確には、館長さんの足元の札を。
館長さんは止まった。
1秒。2秒。3秒。
「……札の名前ですね」
それだけ言って、館長さんは扉を閉めた。
お茶のおかわりを持ってきてくれたのだと思う。でも館長さんの手には、何ものっていなかった。
4回目のババ抜きは、床の上で終わった。勝ち負けは、誰も数えなかった。
――――――――――――――――――
【アルフォンス視点】
殿方館筆頭、アルフォンス。17歳。
本日、私はばば抜きで1度も負けなかった。
リツ殿が毎回、顔に出すからである。
*
リツ殿はばばを引くと口の端が上がる。ばばを持っていると、手札の真ん中を見ないようにする。見ないようにしているのが、全部顔に出ている。
ノルベルトが「顔に出てる」と言った。リツ殿は「出てません」と言った。
出ていた。
殿方館の殿方は顔に出さないように教わって育つ。品位の指導である。私は11年それを受けてきた。私の顔は、何も言わない。
4回目の途中で、ばばが私の手札に来た。リツ殿が相談を切り出すまで私は何も言わずに持っていた。リツ殿は最後まで気づかなかった。
リツ殿の顔は全部言う。
うれしいときも、困ったときも、ばばを持っているときも。
*
館長は今日、談話室に2度来た。
1度目は茶を4つ持ってきた。2度目は何も持っていなかった。
2度目のとき、ノルベルトが館長を指さして「ばばが来た」と叫んだ。指していたのは床の札だと本人は言う。私の座っていた場所からは、どちらとも言えなかった。
館長が、3秒止まる。
殿方館で館長が殿方の前で3秒止まるのを、私は初めて見た。見なかったことにした。殿方の品位である。
夕方、廊下で館長とすれ違った。館長は前を向いたまま「札の名前です」とだけ言った。私は何も聞いていない。
*
リツ殿が通知の話をしたとき、私は自分の縁組みのことを考えていた。
春の誕生日に、20人。
すごろくの日の夜、私は館長に「縁組みの前に会えぬか」と聞いた。館長は婚姻院の院長に手紙を書いた。
昨日、ようやく返事が届いた。かかったのは41日。この冬に婚姻院の窓口がこの国でいちばん忙しかったことは、館の中にいる私でも知っている。
殿方館館長殿
照会の件、前例はない。
よって、前例を作る。
縁組みの前に、殿方館の庭にて、相手の淑女20名と面会することを認める。
なお、すごろくの件は、遺憾として承った。
王都婚姻院長 ブリギッテ
前例を作る、と書いてある。
1度目に読んで手が止まった。2度目に読んで、少しだけ笑った。すごろくの件の1行は、館長が指で隠していた。
リツ殿のおかげである。
そのリツ殿が今、136人の前で何も選べずにいる。すごろくの日に「サイコロは自分で振るんです」と言った殿方が。
*
1つ、リツ殿に言っていないことがある。
私は知っていた。
リツ殿が初めてこの館に来た日、私の手元には婚姻院の写しが1枚あった。婚約者19名。理由は、手ずから作った食。卵焼きである。
あの日、私はリツ殿に品位を1時間説いた。婚約者のことは1度も口にしなかった。
言わなかったのは隠したからではない。殿方の婚約は殿方の知らぬところで決まるものだ。私の20人も私の知らぬところで決まった。当たり前のことをわざわざ口にする者はいない。
当たり前だと思っていた。
今日、リツ殿は「知らないうちに」と3回言った。そのたびに私の手札が少し重くなった。
ばばは1枚しかない。それでも、私の手の中にも1枚あった気がする。
*
私はリツ殿に、友は選ぶものだと言った。
言いながら思い出していた。
品位の指導の日のことだ。館長に言われて、私はリツ殿を1時間叱った。走るな。汗を見せるな。手袋を外すな。
リツ殿は全部聞いてから言った。「今度一緒に走りませんか、あの庭で」。
私は断った。
断ったのに、リツ殿は7日後にまた来た。庭を走った日の夜からは、毎日手紙を書いてきた。ログイン1日目。黄色い花。雑草。四つ葉。
断られても、もう一度来た。
だから私は、もう一度選び直すことができた。
*
ノルベルトが「ぼくは、リツ殿の友達だよ。選んだ」と言った。
エミールが「わたしも。選びました」と言った。
リツ殿の顔が、全部言っていた。
私は何も言わなかった。
言わなくても、たぶん伝わっている。私の顔は何も言わないが、リツ殿は前に私の口の端が上がるのを見つけたことがある。
そのあとでノルベルトが、136人の中で誰が一番かと聞いた。
リツ殿は答えなかった。答えの代わりに、札を全部床に落とした。
殿方の品位の指導には、問われて札を落とした殿方の扱いは書いていない。
*
エミールが「騎士殿」と言ったとき、私は窓の外を見た。
鉄の格子の向こうに、騎士殿が立っている。
騎士殿は待つ間、剣を抜いて素振りをしていた。1振りごとに切っ先が同じ高さで止まる。1度も乱れない。格子ごしでも振るたびに口が動いているのが見える。数を数えているらしい。
談話室の窓辺には、侍女が3人並んでいた。茶の盆を下げに来てそのまま窓辺から離れない。
3人目は侍女長のテクラだった。
テクラは30年間、盆を持ったまま立ち止まったことがない。その盆の上で、空の茶碗が少しだけ鳴っていた。
リツ殿の札が床に落ちたとき、騎士殿の素振りが1度だけ止まった。窓の外にまで音が届いたはずはない。それでも止まった。
それからまた振り始めた。口の動きからすると数が1つ飛んでいた。
*
帰り際に、リツ殿は友達帳を出して見せた。
商会の娘が贈った帳面だそうだ。最初のページに私とエミールとノルベルトの名前が書いてあった。
その下が空いていた。
「4人目を書いていいのか、分からなかったんです」
リツ殿はそう言った。
「誰を書くつもりだった」
リツ殿は答えなかった。
ただ、門の外で待っている騎士殿のほうをちらりと見た。
顔に出ていた。
エミールが、もう1度両手で口を押さえている。
*
夜、私はリツ殿に手紙を書いた。
殿方館の殿方から出す手紙は、館長が検める決まりである。かまわなかった。
『リツ殿へ。今日のばば抜きは、そなたの3連敗である。4回目は床の上で終わったので、数えぬ。そなたは顔に出る。直さなくてよい。顔に出る者のほうが、友は選びやすい。 アルフォンス』
書き終えて少し考えてから、もう1行足した。
『春の庭に来い。20人に会う日だ。1人では、少しいやだ』
封をして窓辺の花瓶を見た。押し花はもう140枚を超えている。2日だけ途切れて、また届くようになった。
明日の朝も、1枚届く。
封筒を館長の机に置きに行くと、館長はまだ起きていた。手紙を検めて最後の1行のところで少しだけ目を止めた。
「……ばば、と書いてありますね」
「札の名前だ」
「存じております」
館長は封筒に検めの印を押した。いつもより、少しだけまっすぐだった。




