第40話 通知
【リツ視点】
入学して156日目。帰りのホームルームが終わると、ハイデマリー先生に呼び止められた。
「リツ殿。放課後、学園長室へ」
それだけ言って、先生は教室を出ていった。
放課後に、学園長室に、呼び出し。
これは、あれだ。
告白イベントか退学イベントの、どっちかだ。
前世で遊んだ学園もののゲームでは、だいたいそうだった。放課後の呼び出しには、その2つしかない。
まず、告白の線を考えた。学園長は、この学園に何十年もいる人だ。……この線は薄い。
じゃあ、退学。
心当たりを数えてみる。歴史のテストは12点だった。魔法基礎は0点。昨日、女王様が部室で「革命である」と言った。あれは僕のせいじゃない。たぶん。
ちなみに、今朝の小テストはなかった。昨日の夜はあると思っていたのに、なかった。それなのに、みんなは今日も少し静かだった。
「イルゼさん。僕、何かしましたか」
2歩後ろのイルゼさんは、答えなかった。
廊下に響く足音が、いつもより少しだけ重かった。
*
学園長室には学園長と、もう1人いた。
眼鏡をかけた、きちんとした服の女の人だった。
「あ」
思い出した。
「学園祭で、何も置いていかなかった人だ」
女の人の眼鏡が少しだけずれた。
「……王都婚姻院、申請受付係のクラリッサと申します」
「クラリッサさん……あ、大会の掲示板で見た名前です。アルフォンスさんと同じ卓の」
「はい。御無礼と言われました」
クラリッサさんは眼鏡を直して、1通の封書を机の上に置いた。
「本日は婚姻院より、リツ殿に通知を持ってまいりました」
イルゼさんは扉の横に立った。2歩後ろの位置だ。学園長は机の向こうで、両手を膝の上に置いていた。いつもなら印を叩いている指が、今日は動いていない。
*
封書には婚姻院の印が押してあった。
開けると、短い文が書いてあった。
通知
宛先:殿方リツ殿
婚姻法第100条に基づき、通知いたします。
貴殿の婚約者は、136名です。
王都婚姻院
その下に、少し違う字で1行。
なお、ご不明の点は、何なりと尋ねられよ。答える者が、そばにおる。
僕は文を3回読んだ。
「……婚約者」
声に出してみた。
「136名」
部屋が静かだった。
僕は顔を上げて学園長を見た。学園長はいつもと同じ顔だ。イルゼさんを見た。イルゼさんは扉の横で、まっすぐ前を見ていた。
前世のテレビで、こういうのを見たことがある。
ありえないことが起きて驚いている人のところに、看板を持った人が出てくるのだ。看板には「大成功」と書いてある。驚いた人は、笑ってその場に座りこむ。
「……これ、ドッキリですよね」
扉のほうを見た。窓のほうも見た。
誰も看板を持って出てこなかった。
「嘘だって、言ってください」
誰も言わなかった。
*
「ご説明いたします」
クラリッサさんが言った。仕事の声だった。
「殿方の心得、第7条。友の契り。殿方が淑女に『友に』と申し出るのは、古い求婚の定型句です」
僕は入学の日の自己紹介を思い出した。
この学園で友達を作りたいです。いつでも声をかけてください。
「婚姻法第3条。殿方が友を求めることを公に表し、手ずから作った食を分け与え、淑女がそれを口にして返礼を献じたとき。淑女の申請により、その者を婚約者とみなします」
卵焼き。
入学12日目の昼。31人で、同じ時間に食べた。誰も「おいしい」と言わなかった。その代わりに、みんなが何かを1つずつ僕にくれた。
ハム。ゆで卵。焼き菓子。砂糖菓子。
小さな丸いパン。誰がくれたのか、僕は覚えていなかった。
あれは返礼だった。
交換だと思っていた。等価交換です、なんて言って、僕は笑っていた。
「入学12日目、19名。以後、数日おきに数名。学園祭の日、23名。野営訓練の日、19名。大会の閉会の日、28名。雪灯り祭りの翌朝、37名」
クラリッサさんは紙を見ずに言った。
学園祭の卵焼き。雨上がりの芋煮。閉会の挨拶。星の形の焼き菓子。
全部、覚えている。全部、楽しかった。
全部、僕がやったことだった。
「……全部、僕がやったことなんですね」
声に出すと、本当のことになった気がした。
「100人目は」
僕は聞いた。声が少しかすれた。
クラリッサさんは少しだけ迷ってから答えた。
「ヴァーレン商会の、コルネリア殿です。夜明け前に、ご自分で馬車を走らせてこられました」
コルネリアさん。
『借り:0』と刺繍した表紙を、胸に抱えていたコルネリアさん。
昨日、「4枚引け」を「5枚ですわ」と言ったコルネリアさん。
*
僕は手の中の通知を見ていた。
「じゃあ、『友達になってください』っていうのは」
「求婚の、言葉です」
「女王様にも、言いました」
「存じております。保留とされたと」
僕はアルフォンスさんの顔を思い出した。お茶の席で、「断る」と言ったアルフォンスさん。そのあとで、噴水の角を一緒に走ってくれたアルフォンスさん。
「アルフォンスさんにも、言いました」
学園長が初めて口を開いた。
「殿方どうしの友の契りは、文字どおりの友の契りです。アルフォンス殿と、エミール殿と、ノルベルト殿は、リツ殿の友です」
3人。
友達は、3人。
婚約者は、136人。
前世では、友達は0人だった。
この世界では、友達は3人で、婚約者が136人いた。
*
僕はゆっくり振り返った。
「イルゼさんは」
イルゼさんは前を向いたまま答えた。
「私は、申請しておりません」
「……そうですか」
何と言えばいいのか分からなかった。
よかった、と言いそうになった。言ったらいけない気がした。何がいけないのかは、分からなかった。
*
みんな、知っていたのだ。
コルネリアさんもリゼットさんも、ロジーナさんも、エレオノーラ先輩も。1年A組のみんなも。
昨日のコルネリアさんの5枚。リゼットさんの白いページ。入り口で動かなかったイルゼさん。
小テストじゃなかった。
みんな知っていて、僕だけ知らなかった。それは合っていた。
僕が「友達」と言うたびに、みんなは何を思っていたんだろう。淑女の平静を保って、何も言わずに僕に付き合ってくれていた。僕が友達だと思っているあいだ、ずっと。
僕はひどいことをしていた。
知らないうちに、136人の人生の大事なところに勝手に名前を書いていた。
僕は立ち上がって、クラリッサさんに深く頭を下げた。
「お仕事、たくさん増やしてしまって。ごめんなさい」
クラリッサさんの眼鏡が、また少しずれた。
クラリッサさんは何も言わなかった。
*
学園長室を出て、寮へ戻った。
部室は寮の旧物置だ。僕の部屋へ行くには、その前の廊下を通る。
部室の扉が少しだけ開いていた。
隙間から中が見えた。
古い机のまわりに、3人が座っていた。
コルネリアさんは『借り:0』の表紙の帳面を閉じたまま、両手を上に置いていた。リゼットさんは帳面を開いていた。ページは白いまま。ロジーナさんは筆を握っていた。紙の上には、まだ何もない。
誰も、しゃべっていない。
机の上には、昨日の「あと1」の札が出しっぱなしになっていた。鍵の印の上に、赤の7が1枚だけ置いてある。
扉の取っ手に手を伸ばした。
届かなかった。
届く距離なのに、手が動かなかった。
何て言って入ればいいのか、分からなかった。「ただいま」も「お疲れさまです」も、今日の僕が言っていい言葉なのか分からない。
中で、小さな音がした。
ぱきり。
ロジーナさんの筆が折れる音だった。
3人とも、顔を上げなかった。
僕は扉の前を通り過ぎた。2歩後ろで、イルゼさんの足音もついてきた。止まらなかった。
*
部屋に戻って扉を閉めた。
机の上に、コルネリアさんにもらった『友達帳』があった。
開いた。最初のページの、コルネリアさんの字。
『ここに、殿方のお友達の名前をお書きください』
僕はペンを取った。
アルフォンスさん。エミールくん。ノルベルトくん。
3人の名前を書いて、ペンが止まった。
4人目を書いていいのか、分からなかった。
書きたい名前は、いくつも浮かんだ。どの名前も、書いていいのか分からなかった。
ペンを置いた。友達帳は、開いたままにした。
*
夜になった。
風邪をひいた日から、寝る前に扉越しにしりとりをするのが、なんとなく続いている。
扉の向こうにイルゼさんの気配がした。
今夜は、布の音がしなかった。
「……イルゼさん」
「はい」
「今日は、しりとり、なしでいいですか」
少しの沈黙があった。
「……はい」
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【クラリッサ視点】
王都婚姻院、申請受付係。クラリッサ。
本日、私は殿方に謝られた。
受付の仕事を12年と5か月して、初めてのことである。
想定問答47問の、どこにも入っていなかった。
*
昨夜、窓口を閉めたあとで院長室に呼ばれた。
院長は学園から戻られたばかりだった。いつもより髪が少しだけ乱れている。札遊びをしてきた、とおっしゃった。院長の口から「遊び」という言葉を聞いたのは、12年で初めてである。
机の上に、1通の通知があった。
「届けるのは、お前だ。クラリッサ」
文面は院長と学園長と、ローデ家の隠居と陛下の4人で決めたという。最後の1行は陛下の字だった。
私は通知の写しを持って、自分の部屋に戻った。
*
文面を100回読んだ。
10回目で暗記した。30回目には読点の数も言える。55回目で、陛下の1行の「おる」の払いが少し長いことに気づいた。80回目で、院長の「136」の6が一度書き直してあることに気づいた。
100回目で、文面が短いことに気づいた。
最初から気づいていた。
それから、殿方に聞かれそうなことを全部書き出した。答えも全部書いて、全部覚えた。
想定問答(抄)
問1 婚約者とは何か。 答 婚姻法第3条により、婚約者とみなされた淑女のこと。
問7 なぜ今まで知らされなかったのか。 答 保護責任者の判断による。(学園長殿に振る)
問12 何人まで婚約できるのか。 答 上限はございません。
問13 天井は。 答 ございません。
問31 受付係も申請しているのか。 答 しておりません。
問46 騎士殿は。 答 受付係からは答えない。
問47 100人目は誰か。 答 聞かれたら答える。聞かれなかったら答えない。
問13は、書いてから少し迷った。消さなかった。
全部で47問。夜が明けるまでに、紙が5枚になった。
*
最後に、鏡の前に立った。
受付係には「仕事の声」がある。窓口で申請者に向かって出す声だ。高すぎず、低すぎず、震えない。12年かけて作った声である。
「本日は、婚姻院より、通知を持ってまいりました」
1回目。問題ない。
「貴殿の婚約者は、136名です」
声が裏返った。
落ち着きなさい、クラリッサ。受付係は動じない。12年動じなかった(暇だったからである)。
2回目。「136」で裏返った。3回目も裏返った。
6回目で、「136」の前に息を4つ数えればいいと分かった。学園長殿の教本の、型その1である。12回目で、裏返らなくなった。
鏡の中の受付係は、いつもと同じ顔をしていた。
いつもと同じ顔を作るのに、ひと晩かかった。
*
学園の門をくぐったのは、午後の授業が終わるころだった。
鐘が鳴って、中庭に生徒がたくさん出てきた。
1人が私に気づいた。
「あ。あの、不受理の印の人」
その声で、中庭じゅうが私を見た。
それから全員が、そろって下がった。
私の前に、きれいな円ができた。どこから測っても、ちょうど3mである。
殿方のための決まりを、受付係に使わないでいただきたい。
円の中を歩いた。私が進むと、円も一緒に動いた。窓口に並ぶ側の気持ちが、少しだけ分かった気がした。
*
学園長室で、学園長殿がお茶を出してくださった。
私はそれを持ったまま待った。一度も口をつけなかった。
扉が開いて、殿方が入ってこられた。殿方は私の顔を見て、すぐにおっしゃった。
「学園祭で、何も置いていかなかった人だ」
問1から問47まで、どこにも入っていない。
問0である。
眼鏡がずれた。
あの日、私は殿方の卵焼きを1切れ食べた。お代だけ払って、何も置かずに一礼した。置けば返礼になる。返礼をすれば、私は自分の窓口に自分の申請書を出せてしまう。だから何も置かなかった。
殿方は、何も置かなかった客の顔を覚えておられた。
*
通知をお渡しした。
殿方は文面を3回読まれた。それから「これ、どっきりですよね」とおっしゃった。
どっきり、の意味は分からない。47問のどこにもない。
ただ殿方は、扉と窓を順番にご覧になった。誰かが入ってきて「嘘です」と言ってくれるのを、待っておられたのだと思う。
誰も入ってこなかった。
殿方は「嘘だって、言ってください」とおっしゃった。
私は言えなかった。
受付係は嘘を受理しない。
*
説明は、47問のとおりに進んだ。
第7条。第3条。登録の日付。人数。
殿方は途中で一度だけ、「全部、僕がやったことなんですね」と小さな声でおっしゃった。
それから問47が来た。
「100人目は」
聞かれたら、答える。
昨夜決めたことを、私は1秒だけ迷った。迷ってから、答えた。
問46は、来なかった。
殿方は騎士殿に、ご自分で尋ねられた。騎士殿は前を向いたまま、ご自分で答えられた。
「私は、申請しておりません」
婚姻院の記録とも合っている。取り下げられた申請は、申請ではない。
*
説明のあいだ、殿方は一度も怒らなかった。
誰も責めなかった。騙したとも言わなかった。
最後に立ち上がって、私に深く頭を下げられた。
「お仕事、たくさん増やしてしまって。ごめんなさい」
48問目だった。
47問のどこにもない。問0でもない。答えの欄が、紙のどこにもない。
私は何も言えなかった。
淑女の平静を保ったわけではない。
言えば、声が震えると分かっていたからだ。息を4つ数える型は、「136」のためにしか練習していなかった。
12年、私の窓口は暇だった。受け付けた件数は7件。用紙の在庫を数えるのが仕事だった。
この5か月で136件を受理した。不受理は、数えるたびに増えた。印の柄には、ひびが入っている。用紙を1万枚発注した。毎朝、行列ができる。
忙しかった。
うれしかった。
それを、殿方に言いたかった。
言えなかった。
*
殿方と騎士殿が出ていかれたあと、学園長殿がぽつりとおっしゃった。
「46年、淑女の平静を教えてまいりましたが」
学園長殿の指は、机の上の印に触れたまま動いていなかった。
「型が、2つでは足りませんね」
私は冷めたお茶を、ようやく一口飲んだ。
*
門の前で、騎士殿が私を待っていた。殿方を寮に送り届けてから、来られたのだと思う。
「クラリッサ殿」
「はい」
「殿方の謝罪は、受理されますか」
私は少しだけ考えた。
それから、答えた。
「……申請の書式が、ございません」
騎士殿は小さくうなずいた。
「では、保留ですね」
「はい。保留です」
騎士殿は2歩下がって一礼し、殿方の部屋のほうへ歩いていった。
中庭の円は、もうなかった。
*
婚姻院に戻って、婚約者登録簿を開いた。
婚約者登録簿
殿方:リツ殿
登録された婚約者:136名
根拠:婚姻法第3条
備考の欄に、私は書いた。
備考:本日、婚姻法第100条に基づく通知、完了。
書き終えてから、もう1行だけ足した。
受付係として12年、備考の欄に事実以外のことを書いたことはない。
これも事実である。
備考2:殿方は、謝られた。受付係に。
登録簿を閉じて、窓の外を見た。
王都の空に、白い大きな鳥が1羽飛んでいた。
何も運んでいなかった。
殿方の友達は、3人である。
婚約者は、100人を超えていた。




