第38話 プレゼント交換
【リツ視点】
入学して153日目の休日。この国の冬の祭りの日だった。
雪灯り祭りというらしい。冬のいちばん深い夜に窓辺にろうそくを灯して、大切な人に小さな贈り物をする。新年が明けて2週間。寮の窓にも気の早い人の灯りがもういくつか並んでいた。
前世にも似た日があった。
冬のいちばん寒いころに、赤い服の人がプレゼントを配る日だ。病室の僕のところにも、毎年看護師さんが赤い帽子をかぶってお菓子を1つ持ってきてくれた。
友達とプレゼントを交換したことは、一度もない。
毎年、1人だった。
*
「プレゼント交換をしましょう!」
祭りの10日前。部室で言うと、コルネリアさんの手が止まった。
「みんなで1つずつ贈り物を持ってきて輪になって、歌に合わせて隣に回すんです。歌が止まったときに持っていたのが、自分のものになります」
「……どなたの贈り物がどなたに届くか、分からない」
「はい。だから楽しいんです」
「福袋と、同じですわね」
「そうです! 夢を交換するんです」
コルネリアさんは帳面を開きかけて、閉じた。今回は売らないらしい。
*
話はあっという間に広がった。
学園の大広間で雪灯り祭りのプレゼント交換会をすることになった。参加したい人は誰でも、贈り物を1つ持ってくる。
許可証はエレオノーラ先輩がその場で書いてくれた。今夜に限って3mの決まりはお休みだそうだ。書き終わったあとも先輩の右手はしばらくペンを握ったままだった。
僕の贈り物は、帳面の表紙にした。
コルネリアさんはいつも同じ大きさの帳面を使っている。角がすり切れて、表紙の端がめくれていた。革で包む表紙があれば長持ちすると思ったのだ。
革は王都の革屋さんで買った。購買部で買うと、コルネリアさんに筒抜けになるからだ。
表紙の裏には刺繍を入れることにした。この国では刺繍は殿方の教養らしい。アルフォンスさんに手紙でコツを聞くと、返事は1行だった。
『針は、自分のほうへ向けるな』
3日で指に11回刺した。
刺すたびに2歩後ろでイルゼさんの手袋の革がきゅっと鳴る。11回目には「……代わりましょうか」と言われた。それでは贈り物にならないので断った。
できあがった刺繍は、教養というより事故の跡みたいだ。でも、ちゃんと読める。
*
祭りの当日、僕は寮の厨房で焼き菓子をたくさん焼いた。星の形の小さな焼き菓子だ。来てくれた人みんなに1つずつ配るつもりだった。
焼いている途中で、コルネリアさんが厨房の入り口に来た。
「リツ殿」
「はい!」
「その焼き菓子を、どなたに」
「来てくれた人、全員です」
コルネリアさんは何か言いかけて、口を閉じた。
それから、もう一度口を開いた。
「……おいしそうですわね」
それだけ言って帰っていった。
コルネリアさんは、僕が何か作ろうとすると少し困った顔をする。学園祭の卵焼きのときも、野営訓練の芋煮のときもそうだった。
今日は、その顔をしなかった。
窯の前で、この冬のことを思い出す。
体育祭のはちみつレモンは、王都のレモンが品切れで作れずじまい。殿方館に持っていった焼き菓子は、侍女さんたちに配ろうとしたら館長さんに「侍女は勤務中です」と言われて殿方4人で食べた。新年のお雑煮はイルゼさんが「毒見です」と言って鍋ごと持っていった。雪合戦のあとの鍋は、グンヒルト教官に「お玉!」と止められた。
今日は誰も止めに来ない。
2歩後ろのイルゼさんも、今日は毒見をしなかった。焼き上がった星を見ている目が、いつもより静かだ。
みんな、お腹がすいていたのかもしれない。
*
夜の大広間には、ろうそくが何百本も灯っていた。百物語の夜の何倍もある。今夜のろうそくは1本も消さなくていい。
参加した人は学園の生徒の半分くらいだった。
僕は赤い上着を着ていった。前世の、プレゼントを配る人の真似だ。綿で白いひげもつけた。
「イルゼさん、どうですか」
「……不審者かと思い、剣に手をかけました」
イルゼさんの手は大広間の扉の前まで剣の柄から離れなかった。
扉を開けて、僕は両手を広げた。
「冬のイベントです! 衣装も用意しました!」
大広間に入った瞬間、半分くらいの人が座りこんだ。赤い服に白いひげの殿方は、刺激が強かったらしい。
「メリー……じゃなくて、雪灯りおめでとうございます!」
残りの半分も座りこんだ。
*
10人ずつ輪になった。大広間に輪が9つできた。
僕の輪は遊戯部の4人とエレオノーラ先輩とヘルガさん、それから1年A組の3人。
イルゼさんは輪の中でも僕の2歩後ろに立とうとして、輪が1か所だけへこんだ。
「イルゼさん、輪なので。隣に」
「……隣、で、ございますか」
イルゼさんは僕の右隣に立った。2歩後ろより、ずっと近い。イルゼさんはまっすぐ前だけを見ていた。左隣はコルネリアさんだ。
僕が歌を歌う。前世の冬の歌だ。この国の人は誰も知らない。でも、みんなちゃんと拍子に合わせて回してくれた。3番の終わりで止める約束にした。
包みがぐるぐる回る。
僕の包みは青い紙に、少しゆるい蝶結び。それが輪の向こうへ行って、また近づいてきて、また遠ざかる。エレオノーラ先輩は包みを受け取るたびに右手が固まりかけて、ヘルガさんが横から包みだけを抜いて次へ回していた。
3番の最後の1行の手前で、輪が止まった。
コルネリアさんが金色のリボンの包みを両手で持ったまま、僕のほうへ回さずにいる。目は包みを見ていた。
前世のテレビでこういうときに聞く台詞を覚えている。
「……ファイナルアンサー?」
コルネリアさんがびくっとした。
包みを見て、僕を見て、もう一度包みを見る。
「……ふぁいなる、あんさー、ですわ」
コルネリアさんが手を離した。金色のリボンの包みが僕の手に移る。ちょうど同じとき、コルネリアさんの左からも包みが1つ回ってきた。
僕は最後の1行を歌った。
歌が止まった。
*
僕の手の中に、小さな帳面があった。
革の表紙に金の糸で文字が刺繍してある。
『友達帳』
中は白紙だった。最初のページにだけ、1行書いてあった。
『ここに、殿方のお友達の名前をお書きください』
コルネリアさんの字だ。
顔を上げると、コルネリアさんは自分の手の中の包みを見たまま動かなかった。
*
輪のあちこちで包みが開いていった。
エレオノーラ先輩に届いたのは、リゼットさんの贈り物だった。号外の第1号から第13号までを紐で綴じたものだ。先輩はそれを見て小さく「……61部目」とつぶやいた。何の数だろう。
リゼットさんにはロジーナさんの絵が届いた。部室の古い机を4人で囲んでいる絵だ。リゼットさんはすぐに帳面を開いて何か書こうとしたけれど、字が大きくなりすぎて途中でやめていた。
ロジーナさんは、先輩の贈り物の新しい巻き尺を両手でそっと持っている。
イルゼさんの贈り物は、ヘルガさんに届いた。包みを開けると小さな砥石が出てきた。真ん中が少しへこんでいる。
「……剣の手入れに。いちばん使った砥石です」
イルゼさんが小さな声で説明した。
風邪で寝ていた夜に扉の向こうでずっと鳴っていた音を思い出した。しゃり、しゃり、と。咳をするたびに、あの音が止まった。
ヘルガさんは砥石を両手で持って、黙って深く頭を下げた。剣は持っていないはずなのに。
ヘルガさんは胸のポケットから生徒会の紙切り用の小刀を出すと、その場で黙って研ぎ始めた。
*
隣で、コルネリアさんが小さな包みを開けていた。
青い紙に、少しゆるい蝶結び。
それは僕が持ってきた贈り物だった。
帳面の表紙だ。コルネリアさんがいつも使っている帳面の大きさに合わせて革で作った。裏に僕が刺繍をした。下手だけれど読める。
『借り:0』
コルネリアさんはその刺繍をずっと見ていた。
「コルネリアさん、帳面にいつも『借り』って書いてるので。僕からは、借りなんて1つもないです」
コルネリアさんは何も言わなかった。
表紙を胸に抱えて、うつむいていた。
肩が少しだけ震えている。
*
交換が終わると、僕の前に人が並び始めた。
「焼き菓子の、お礼です」
1人目の人は白いリボンを1本置いていった。2人目は小さなろうそく。3人目は刺繍のハンカチ。そのあとも、ずっと続いた。
プレゼント交換なのに、僕だけたくさんもらってしまった。
雪灯り祭りは、大切な人に小さな贈り物をする日だ。この国の人は本当に律儀だと思う。
両手がいっぱいになって、イルゼさんが黙って籠を持ってきてくれた。
籠がいっぱいになるまで、列は終わらなかった。
――――――――――――――――――
【コルネリア視点】
ヴァーレン商会の三女、コルネリア。
本日、わたくしは借りを返すのをやめた。
*
百物語の夜、わたくしは帳面を部室に忘れた。
銀貨1枚の繰り上がりを、寝る前にもう一度確かめたかった。取りに戻って廊下に出ると、少し先に殿方と騎士様とリゼットの背中が見えた。
騎士様の声は小さい。でも寮の廊下は、夜になるとよく響く。
「婚約者が100名を超えたときです。婚姻院は3日以内に殿方ご本人へ通知せねばならない、と定められております」
「……今は」
「99名です」
わたくしの足音が、1つだけ遅れた。
リゼットは振り返らなかった。騎士様も振り返らなかった。騎士様は気づいていたと思う。2歩後ろの気配を数える方なのだから。
*
殿方が焼き菓子を焼いておられると聞いて、わたくしは厨房へ向かった。
止めるつもりで。
学園祭の卵焼きのときも、野営訓練の芋煮のときも、わたくしは止めようとした。殿方は止まらなかった。
体育祭の日には、王都のレモンを全部買い占めた。殿方の「はちみつレモン」を止めるためにである。商会の帳簿には今も『レモン、全量(私費)』と書いてあって、その横の染みは乾いても消えない。
止めていたのは、わたくしだけではない。この冬、殿方が鍋やお玉に手を伸ばすたびに、誰かが前に立った。
それでも止めようとするのがわたくしの務めだと思っていた。
でも、今日は事情が違った。
今、99名。
殿方がこの焼き菓子を配れば、100名を超える。
そして、殿方は知ることになる。
白い部屋で7年、友達が1人もいなかった殿方が。この国で友達を作りたかったとおっしゃった殿方が。友達だと思っていた淑女たちが、全員、婚約者だったと。
止めなければ、と思った。
止めてもいつかは同じだ、とも思った。
100名に届くのが今日でなくても、春か夏かには必ず来る。殿方は鍋を作るし、焼き菓子を焼くし、来てくれた人全員に配る。それが殿方だからだ。それを止め続けるのは、殿方を白い部屋に戻すのと同じことではないのか。
窓は、開きます。
生徒会長の声がまだ耳に残っていた。
わたくしは厨房の入り口で「おいしそうですわね」とだけ言って帰った。
*
大広間の輪で、わたくしは殿方の左隣に立った。
くじではない。殿方の右隣に騎士様が立たれたので、左が空いていた。空いている場所に立つのは、商人の当然の動きである。
歌が始まった。
包みが回ってきては、右へ送る。回ってきては、送る。
2番の途中でわたくしの手に自分の包みが戻ってきた。金色のリボン。中身は友達帳である。
3番に入っても包みは輪を回った。そして最後の1行の手前で、もう一度わたくしの手に戻ってきた。
右隣は殿方だ。
ここで送れば、この包みは殿方の手の中で止まる。
送らなければ、わたくしの手の中で止まる。自分の贈り物を自分で受け取ることになる。
手が動かなかった。
狙って届けるのは、プレゼント交換ではない。殿方は「どなたに届くか分からないから楽しい」とおっしゃった。けれど送らずに抱えていれば、それも狙ったことになる。
どちらに転んでも、わたくしが選んだことになる。
商人は値をつけるときに迷わない。迷うのは、本当に欲しいものの前だけだ。
「……ファイナルアンサー?」
殿方の声だった。
ふぁいなる、あんさー。殿方の故郷の言葉だろう。意味は知らない。
ただ殿方の目は、「それで、いいですか」と聞いていた。決めるのは、あなたです、と。
「……ふぁいなる、あんさー、ですわ」
わたくしは手を離した。
同じとき、左から包みが1つ回ってきた。
青い紙に、少しゆるい蝶結び。
福袋の栞の紐と同じ結び方だった。殿方の結び目である。わたくしは見ただけで分かってしまった。
歌が止まった。
*
帳面の表紙だった。裏に、殿方の下手な刺繍があった。
『借り:0』
殿方は「僕からは、借りなんて1つもないです」とおっしゃった。
落ち着きなさい、コルネリア。
計算しなさい。それしかできないのだから。
わたくしは自分の帳面を開いた。借りの欄。
借り6。返済0。差し引き6。
ちがう。殿方は、借りは0だとおっしゃった。
では、借り0。返済0。差し引き0。
借り6のはずのものが、0。
計算が合わない。もう一度足す。0。
もう一度。0。
何度足しても0になる。わたくしの帳面で、0がこんなに重かったことはない。商会の三女に生まれて15年、帳簿の0はいつも「何もない」という意味だった。今夜の0には、殿方の針の跡が入っている。
ペン先が紙に触れたまま動かなくなった。
インクの染みがじわじわ広がっていく。
広がりきって止まった染みは丸い形をしていた。真ん中だけが白く抜けている。
0の形だった。
わたくしは表紙を抱えて、うつむいた。
6つの借りは、殿方にとっては最初から0だったのだ。
商いでは返せない、と思っていた。
返す必要がなかった。
*
交換のあと、殿方の前に列ができた。
「焼き菓子の、お礼です」
リボン。ろうそく。ハンカチ。押し花。
わたくしは数えた。商人は数えるのをやめられない。
36人。
99に36を足せば、135。明日の朝、婚姻院の窓口が開けば、この36人が並ぶ。
条文は「100名を超えたとき」。100人目では、まだ通知は出ない。101人目で出る。誰が100人目になっても、殿方が知る日は1日も遅れないし、早まりもしない。
だから、これは損得の話ではない。
100人目は、天井だ。
殿方がいつかご自分の婚約者の数を知る日に、その天井のところに書いてあるのが、殿方のことを何も知らない誰かの名前だったら。
それはいやだった。
商人としての損得の話ではない。わたくし自身として、いやだった。
殿方が知る日に隣にいる者でありたい。
白い部屋の話を聞いた者として。
殿方の焼き菓子は、包みのまま帳面の間にはさんだ。食べてしまえば、わたくしの理由が焼き菓子になる。わたくしの理由は、入学して12日目の昼から始まっている。
*
その夜、わたくしは引き出しを開けた。
白紙の申請書の封筒が、赤い飴の隣にある。
封筒を開けた。入学2日目に婚姻院の窓口でもらってきてから、初めてである。
申請書を机に広げて、ペンを取った。
申請者:ヴァーレン商会三女 コルネリア
対象の殿方:リツ殿
理由の欄で手が止まった。
殿方の卵焼きを口にしたのは、入学して12日目の昼だった。ハムを3枚返した。条件は、そのときからそろっている。
わたくしは理由の欄に1行だけ書いた。
『借りを返すためではありません。わたくしが、そうしたいからです』
帳面の表紙を、新しい革のものに替えた。
*
夜明け前、わたくしは商会の厩舎に行った。
赤い早馬車を出した。御者は起こさず、手綱はわたくしが取った。
ヴァーレン商会の早馬車は、4倍を目指している。
まだ3倍にも届いていないことは、わたくしがいちばんよく知っている。
手綱を握る手が冷たい。吐く息が白い。王都の窓という窓に、雪灯りのろうそくがまだ燃え残っていた。
4倍。
せめて今夜だけ、4倍。
商人は根拠のない数字を口にしない。わたくしは生まれて初めて根拠のない数字を声に出して、馬に頼んだ。
夜明けの王都の大通りを、赤い馬車が1台だけ走っていった。
殿方の焼き菓子を食べた淑女たちは、今朝婚姻院に並ぶだろう。
その誰よりも先に。
――――――――――――――――――
【クラリッサ視点】
王都婚姻院、申請受付係。クラリッサ。
本日、私は婚約者登録簿に3桁目の数字を書いた。
*
夜明け前、私は鍵を開けに婚姻院へ来た。
窓口の奥の棚には、簿冊が2冊並んでいる。
1冊はリツ殿の登録簿。番号の欄は2桁しかない。最後の行は99で、ちょうど埋まっている。
もう1冊は、新年の2日目に院長にお願いした新しい簿冊だ。
あの日、院長は「3桁の欄の簿冊は、400年作られていない」とおっしゃった。それから「……頼んでおこう」とだけおっしゃって、その場で製本屋への書状を書かれた。届いてから今日まで表紙を一度も開いていない。
開く日が来なければいい、と思っていたわけではない。開く日が来たら、私の手が震えると思っていただけである。
*
門の前に赤い馬車が止まった。
手綱を握っていたのは、淑女だった。セレスタ学園の制服を着ている。息が切れている。
まだ窓口は開いていない。
「申請を、1通」
淑女は封筒を差し出した。
封筒は古かった。角が柔らかくなっていた。何度も出して、何度もしまったのだと思う。
申請書を開いた。条件は全部そろっていた。殿方の手料理を口にした日付は、入学して12日目の昼。卵焼きと、返礼のハム3枚。
理由の欄に1行だけあった。
『借りを返すためではありません。わたくしが、そうしたいからです』
落ち着きなさい、クラリッサ。
12年かけて極めた角度である。
私は受理の印を押した。まっすぐ押せた。
棚から新しい簿冊を下ろして、初めて表紙を開いた。真っ白なページの、いちばん上の行。番号の欄が1つ広い。
ペン先が少しだけ迷ってから、3つ目の数字を書いた。
100 コルネリア(ヴァーレン商会三女)
手は、震えなかった。
商会の娘は、その数字をじっと見ている。
それから、深く一礼して帰っていった。赤い馬車はゆっくり走っていった。行きより、ずっとゆっくり。
*
馬車が見えなくなってから、私は棚の奥から古い法典を取り出した。
婚姻法、全386条。
第100条のページを開いた。
『婚約者が100名を超えたときは、婚姻院は3日以内に、殿方本人にその旨を通知しなければならない』
受付係として条文は全部覚えている。覚えていても読み直した。
超えたとき。
100名は、まだ超えていない。
私は法典を窓口の机の端に置いた。閉じずに、そのページを開いたまま。
*
朝、窓口を開けると行列ができていた。
セレスタ学園の生徒たちだ。全員、星の形の焼き菓子の包み紙を持っている。
窓口の上の貼り紙が目に入った。
『当院に、天井はございません』
その下に誰かが小さく書き足した『まだ』の2文字。秋からずっと貼ったままになっている。
1人目の淑女が申請書を差し出した。
条件はそろっていた。昨夜、殿方の焼き菓子を口にして、白いリボンを返している。
私は受理の印を押した。
新しい簿冊の2行目に書いた。
101
ペンが止まった。
超えた。
私は「少々お待ちください」と言った。窓口でその言葉を言うのは、12年で初めてだ。法典をつかんで立ち上がる。
廊下を走った。
婚姻院の廊下を走る職員は、私の知るかぎり1人もいない。走ってはならないという規則もない。誰も走る用事がなかっただけである。
院長室の扉を叩いた。
「101名です」
院長は法典の開いたページと私の顔を見比べた。それから、しばらく窓の外を見ておられた。
「……受け付けを、続けなさい。窓口を閉めてはならぬ」
「はい」
「昼までの数を、持ってきなさい」
法典は院長の机に置いてきた。
*
窓口に戻ると、行列の淑女たちは誰も文句を言わずに待っていた。全員、淑女の平静を保っていた。
昼までに36通を受理した。
婚約者登録簿
殿方:リツ殿
登録された婚約者:136名
根拠:婚姻法第3条
備考:本日、新しい簿冊を使用開始。100番目以降はこちらに記す。
昼の鐘が鳴ってから、私は院長室へ数を届けた。
院長は数を聞いてうなずき、古い鞄に法典をしまわれた。
窓口へ戻る途中で、もう一度貼り紙の前を通った。
『当院に、天井はございません』
『まだ』
今日、分かったことがある。
この院には、本当に天井がなかった。100の次にも、ちゃんと101の行があった。
私は貼り紙をはがさなかった。




