第34話 羽根つき
【リツ視点】
入学して139日目。この国の新しい年が来た。今日は新年の休日だ。
朝に寮の部屋の扉を開けると、イルゼさんがいつもどおり2歩後ろの位置に立っていた。
「あけましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いします!」
イルゼさんは少し考えてから頭を下げた。
「……あけまして、おめでとうございます」
「故郷では、短くして『あけおめ』とも言います」
「……あけ、おめ」
イルゼさんの口から出ると、なんだか剣の型の名前みたいだった。
「『ことよろ』もあります。今年もよろしく、の短いのです」
「……ことよろ」
今度は盾の構えの名前みたいだった。
*
今日は王宮で新年の儀がある。
ロジーナさんの描いた女王様の肖像が、そこで初めて披露されるのだ。遊戯部のほかの3人は絵師の付き添いとして招かれていた。僕とコルネリアさんとリゼットさんだ。
ロジーナさんは朝早くお母さんのヘンリエッテさんと一緒に先に王宮へ向かった。ゆうべ部室で会ったときには、筆を握ったまま「……き、きんちょう、して、ます」と言っていた。言い終わらないうちに、ぽきっと筆の折れる音。
王宮に行く前に、王都の神殿に寄る。
前世の新年には、初詣というものがある。神社にお参りして、おみくじを引く。病室にいたころの僕は、テレビでしか見ていない。
神殿の入り口に運勢を占う札の箱があった。おみくじにそっくりだ。
僕は銅貨を1枚入れて、札を1枚引いた。
『大凶』
「やった!」
僕が両手を挙げると、神殿の巫女さんが青い顔をした。
「お、お取り替えいたします」
「だめです! 大凶ってすごく珍しいんですよ。故郷のガチャで言ったら、最高レアです!」
「が、ちゃ……」
「10連しても、なかなか出ないやつです」
巫女さんは何も言えなくなっていた。
後ろでコルネリアさんが帳面を開いて、何か書きかけてやめた。リゼットさんは帳面に見出しを書いている。字がだんだん大きくなっていく。
隣でイルゼさんが札を引いた。『大吉』だった。イルゼさんは自分の札を見て、それから僕の大凶を見た。
「……交換いたしましょうか」
「だめです。これは僕の宝物です」
巫女さんが小さな声で教えてくれた。悪い札は、神殿の木の枝に結んで置いていくものなのだそうだ。
僕は大凶の札を、上着の胸のポケットにしまった。いつも入れている手袋の隣だ。
*
王宮の大広間には偉い人たちがずらりと並んでいた。
正面の壁に、布をかけられた大きな絵がある。その横にロジーナさんが立っていた。いつもより背筋がまっすぐで、いつもよりずっと顔が白い。
女王様が玉座から立って、言った。
「あけおめ、である」
大広間の全員が同時に固まった。
僕がイルゼさんに教えてから、まだ半日もたっていない。2歩後ろを振り返ると、イルゼさんはまっすぐ前を向いていた。耳が少し赤い。今朝の報告書に書いたのかもしれない。
僕は小さく手を振った。女王様の口の端が少しだけ上がった。
布が外される。
絵の中で、女王様が笑っていた。
声を出して笑っている顔だった。肩が少し揺れていて、手が胸のあたりで止まっている。大富豪で都落ちしたときの顔に、少し似ていた。
大広間がしんとした。
ロジーナさんの手もとで、ぽき、と小さな音がした。胸に差していた筆が半分になっている。
それからロジーナさんは、両手で顔を覆った。
筆が折れて、顔を覆う。ロジーナさんはいつもこの順番だ。
「ロジーナさん、すごいです。女王様、こんな顔で笑うんですね」
「……は、い」
ロジーナさんの耳は、いつもより赤かった。
*
儀式のあとで、女王様に呼ばれた。
「リツ。そなたの故郷では、新年に何を食べる」
「お雑煮です! お餅の入った汁物で……あ、作りましょうか」
女王様は少し黙った。
「……作れるのか」
「作れます。小さいころ、母が毎年作ってくれました」
女王様の後ろでゲルトルートさんが口を開きかけた。「失礼いたします」の「し」の形だった。
それより先に、女王様が言った。
「厨房を使うがよい」
王宮の厨房は寮の厨房の10倍くらい広かった。
お餅はなかったので、小麦粉を練って丸めた。鶏肉と大根に似た白い根菜と青菜。お出汁は干した魚の骨で取った。母の味とは少し違う。でも湯気の匂いは同じだった。
大きな鍋いっぱいのお雑煮を、中庭まで運んだ。湯気が冬の空にのぼっていく。
「できました! みなさんの分もありますよ!」
大広間から出てきた人たちが、鍋の周りに集まってきた。コルネリアさんもリゼットさんも。女王様とゲルトルートさんも来ていた。ロジーナさんは女王様の1歩後ろに立っている。
僕がお玉を持ち上げた、そのときだった。
「……毒見です」
イルゼさんが鍋の取っ手を両手でつかんでいた。
いつ横に来たのか分からなかった。2歩後ろにいたはずなのに。
ゲルトルートさんの右手が宙で止まっている。イルゼさんより、ほんの1拍だけ遅かった。
「イルゼさん、毒見なら1杯で」
「念入りに」
イルゼさんは鍋ごと持ち上げて、中庭の隅の石の長椅子まで運んでいった。それから小さなお椀によそって、1杯ずつ食べ始めた。
「1杯。……2杯。……3杯」
朝の素振りを数えるときと同じ声だった。
勉強会の焼き菓子のときを思い出す。あのときは12個のうち7個が毒見で消えた。今日は鍋1つだ。
「騎士学校には、お腹がすく訓練もあるんでしょうか」
僕が聞くと、ゲルトルートさんが宙の右手をゆっくり下ろした。
「そのような訓練は、ございませんな」
女王様が何か小さくつぶやいた気がした。でも僕のところまでは聞こえない。女王様は、湯気の消えていく中庭の隅をじっと見ていた。
15杯目で、鍋は空っぽになる。
イルゼさんは空の鍋を持って戻ってくると、静かに言った。
「……毒は、ございませんでした」
「よかったです。どうでした?」
「……温まりました」
体育祭のはちみつレモン。殿方館の焼き菓子。それから今日のお雑煮。これで3回目だ。僕の作ったものはなかなかみんなのところまで届かない。
でもイルゼさんの耳がまた少し赤かったので、まあいいかと思った。
*
お雑煮のあとは、中庭で新年の遊びをすることになった。
僕が提案した。故郷の新年には羽根つきという遊びがある。羽子板という板で羽根を打ち合って、落としたほうが負け。負けたら顔に墨を塗られる。
羽子板はコルネリアさんの商会が年の暮れに試作したものだった。部室の壁のやりたい遊びリストに「羽根つき」とあるのを見て、黙って作っていたらしい。
「試作品ですわ。売れるかどうかは、本日の様子しだいですわね」
「顔に、墨?」
近衛騎士団長のゲルトルートさんが、ゆっくり繰り返した。
「陛下のお顔に、墨を」
「負けたらです」
「……陛下は、負けません」
女王様が羽子板を持って中庭に出てきた。
ドレスの袖をまくって、羽子板を構える。背筋がまっすぐで、目が鋭い。
ゲームで言うなら裏ボスだ。全部クリアしたあとで出てくる、いちばん強い人。
僕と女王様の羽根つきが始まった。
女王様は強かった。打ち返す角度に迷いがない。羽根が冬の空を行ったり来たりする。
でも前世の病室で、僕はこういう反射のゲームを何百回も遊んでいた。画面の中のテニスなら、いちばん強い相手にも勝ったことがある。
10回目を打ち返したとき、思わず口から出た。
「まだまだだね」
女王様の羽子板がほんの少しだけ止まった。
「……まだまだ、とは何か」
羽根が返ってくる。打ち返す。
「えっと、まだ本気じゃない、っていう意味です。故郷の、すごく強い男の子の決め台詞で」
羽根が返ってくる。さっきより速い。
「まだまだ、とは何か」
2回目だった。
そこから女王様の羽根はどんどん速くなった。ゲルトルートさんが「陛下」と小さく言った。たぶん本気を出してはいけません、という意味だと思う。
20回目の打ち合いで、女王様の羽根が地面に落ちた。
「落ちたか」
「落ちました」
「落ちたのか」
「……落ちました」
中庭が凍った。
ゲルトルートさんが剣の柄に手をかけていた。今日は剣を忘れていない。
女王様が僕のほうに顔を向けた。
「描け」
「えっ」
「負けた者は、顔に墨であろう。描け」
僕は筆を受け取って、女王様の前に立った。女王様はまっすぐ前を見ている。
何を描けばいいのか分からなかった。
だから右の頬に小さな丸を1つ描いた。
丸は、少しだけ四角い。
女王様はその丸を、その日一日消さなかった。
*
次はロジーナさんとやった。
ロジーナさんの羽根はいつも僕の羽子板のちょうど届かないところに落ちてくる。8回目で僕の羽根が落ちた。
「どうぞ! 何でも描いてください!」
僕は顔を差し出した。
ロジーナさんの筆はずいぶん長いあいだ空中で止まっていた。それから頬に、ひやりと筆先の感触。
手鏡を見ると、笑った顔が描いてあった。丸い顔に目が2つ。両端の上がった口。
「学園長の印だ!」
部室の古い机のあの印だった。
中庭の端のほうで、何かが落ちる音がした。
*
帰り際、女王様に呼び止められた。
「リツ。故郷の新年には、ほかに何がある」
「お年玉です。大人が子どもに、小さな袋に入れたお金を渡すんです」
女王様は少し考えてから侍女を呼んだ。
侍女が持ってきた小さな絹の袋を、女王様は僕の手に載せた。
「余から見れば、そなたは子どもである」
右の頬に九筒をつけたまま、女王様は真顔で言った。
袋の中には金貨が1枚入っていた。
隣でコルネリアさんが帳面を開かずに指を折っていた。たぶん金貨1枚で何を何袋作れるか数えていたのだと思う。
*
帰りの馬車の中で、イルゼさんが僕の胸のポケットをじっと見ていた。
「リツ様。その札を」
「大凶ですか?」
札を渡すと、イルゼさんはそれを細く折って、馬車の窓の格子に結びつけ始めた。
「念のため」
「だめです! 宝物です!」
「悪い札は結んで置いていくものだと、巫女殿が」
「ここ、馬車の窓です!」
イルゼさんは結びかけた手を止めて、窓の格子を見た。それから札を見た。
「……念のため、でございます」
2回目の「念のため」のところで、僕は札を取り返した。
頬の笑った顔を指でなぞると、指先に少しだけ墨がついた。
*
翌日、王宮から布告が出た。
『新年には、大人が子に小袋を渡すこと。名を、お年玉とする』
この国の子どもたちの新年の楽しみが、1つ増えた。
――――――――――――――――――
【ロジーナ視点】
1年A組、ロジーナ。ローデ家の四女。
本日、わたしの描いた陛下の肖像が、王宮の壁にかけられた。
それから、わたしは殿方の頬に墨を塗った。
折れた筆は2本。折れなかった筆が、1本。
*
陛下の肖像は、40日かけて描いたものだ。
毎日放課後に王宮へ通った。陛下の席は、玉座ではなく窓辺の椅子である。
最初の日、陛下は笑われなかった。
笑ってくださいとは言えなかった。言えるわけがない。ローデ家は写す家である。写す家が、写すものに注文をつけてどうする。
その日の帰り道に、筆箱の中で筆が1本折れていた。いつ折れたのかは覚えていない。
2日目も陛下は笑われなかった。筆が1本折れた。
3日目も。4日目も。
落ち着いて、ロジーナ。お前はローデ家の四女。何百人もの殿方を無表情に描いてきた家の娘だ。笑わない方を描くのは、家でいちばん得意なことのはず。
……得意なことを、わたしは何もしていない。笑っていない陛下の下絵を何枚描いても、線はどれも紙の端で止まってしまう。
10日目の帰り道、筆箱が空になった。
折れた筆は10本。1日に1本ずつ。筆箱の中身はきっかり10日でなくなった。
11日目の朝、お母さまが黙って新しい筆を1本くださった。お母さまの胸のポケットにも、折れた筆の先がのぞいている。
その日、陛下が聞かれた。
「ローデの娘。殿方を描くとき、どうやって笑わせた」
「……笑わせて、いません。殿方は、勝手に笑っておられます」
「余は、勝手には笑わぬ」
わたしは筆を止めて、少しだけ考えた。
それから聞いた。
「……陛下。展覧会で、殿方に『女王様に似てるって言われませんか』と聞かれたとき、何と、お答えになりましたか」
陛下は窓の外を見たまま答えられた。
「よく言われる、と言った」
それから笑われた。
声を出して肩を揺らして。
わたしは新しい筆を握ったまま、その顔を見ていた。
筆は、折れなかった。
折れている暇がなかったのだと思う。
わたしはその顔を残りの29日で描いた。大会の決勝の日に屋台に並んだ札の絵も、あの11日目の下絵から写したものである。
*
布が外されたとき、わたしは絵の横に立っていた。
大広間がしんとした。偉い方々が誰も何も言わない。
その「しん」が、10日分の折れた筆より長く感じられた。
胸に差していた筆が、ぽきりと鳴った。今日の1本目である。
それから両手で顔を覆った。
指の隙間から殿方が見えた。殿方は絵を見上げて、口を開けておられた。
「ロジーナさん、すごいです」
覆った手の中でわたしは「はい」と言おうとした。「は」と「い」の間に、40日分の息が入った。
*
儀式のあとで、殿方が「おぞうに」を作ってこられた。
王宮の厨房で1時間。鍋いっぱいの湯気を抱えて中庭に出てこられたとき、陛下の1歩後ろにいたのはわたしだった。肖像の絵師は披露の日は陛下のおそばに控えるものだと、お母さまに言われていたからである。
殿方がお玉を持ち上げた。
騎士殿はもう鍋の取っ手を握っていた。
「……毒見です」
近衛の団長様の手は、騎士殿より1拍遅かった。
騎士殿が鍋ごと中庭の隅へ運んでいく。殿方が「毒見なら1杯で」とおっしゃる。騎士殿は「念入りに」と答える。
陛下は一歩も前に出ておられなかった。
中庭の隅へ遠ざかっていく湯気を見ながら、陛下が小さく言われた。
「……惜しい」
わたしにしか聞こえない声だった。たぶん、わたしにも聞こえないはずの声だった。
婚姻法第3条のことは、この国の淑女なら誰でも知っている。殿方が手ずから作った食を淑女が口にして、返礼を献じる。
わたしは、たぶん誰よりもよく知っている。
陛下がご存じないはずがない。
ご存じだから、前に出られなかったのだ。前に出ないとご自分で決めておられた。それでも、惜しかったのだ。
わたしは聞かなかったことにした。絵師は見たものを写す。聞いたものは、写さない。
*
羽根つきは、殿方の勝ち。
殿方は陛下の頬に小さな丸を描かれた。少しだけ四角い丸である。
陛下はそれを手鏡で見て「九筒か」とおっしゃった。殿方の手描きの牌のことまで、陛下はご存じだった。
陛下はその九筒を消されなかった。新年の挨拶の残りを、頬に九筒をつけたまま全部お受けになる。挨拶に来た方々は全員、陛下の目だけをまっすぐ見ていた。
わたしの帳面の4冊目にも、最初のページの隅に同じ丸がある。
それから殿方はわたしに羽子板を差し出された。
「ロジーナさんも、やりましょう!」
わたしは打った。
絵を描く手は、狙ったところに線を置く手だ。羽根も狙ったところに置けた。殿方の羽子板のちょうど届かないところへ。
8回目で殿方の羽根が落ちた。
殿方はうれしそうにご自分の顔を差し出された。
「どうぞ! 何でも描いてください!」
何でも。
何でもとおっしゃった。
落ち着いて、ロジーナ。絵を描く手は、狙ったところに線を置く手。……狙ったところって、どこ。頬。殿方の、頬。筆先が触れる。触れるのは筆であって、わたしではない。
わたしではないのに。
わたしではないのに、なぜわたしの頬が熱いのか。
何でも、とは何。帳面4冊ぶんの笑った顔を、全部この頬に描けというのか。描ける。描けてしまう。描けてしまうのが、いちばん困る。
古い恋歌に、旅立つ殿方の頬に紅で小さな印をつけた淑女の歌がある。その続きは今は思い出さないことにする。
筆を持つ手が震えた。
筆は折れなかった。折れたら、殿方の頬に描けない。
少しだけ考えて、わたしは描いた。
丸い顔。目が2つ。口が1本。口の両端が、上がっている。
部室の古い机の角に彫ってある、あの印だ。昔この学園でいちばんよく笑った娘の印だと、おばあさまが教えてくれた。その隣の筆の印が、おばあさまの印である。
今は、この方がいちばんよく笑う。
殿方は手鏡を見て、声を出して笑われた。
「学園長の印だ!」
正しくは、机の印である。学園長室には本物の印があるけれど、その面は誰も見たことがないと聞く。わたしが描いたのは、机の角を写しただけの絵だ。
ただの絵を殿方は頬につけたまま、一日笑っておられた。
*
中庭の端の長椅子で、おばあさまが筆を落とす音がした。
おばあさまは筆を拾わなかった。隣のお母さまが拾って、おばあさまの手に戻した。
ローデ家の筆はだいたい誰かの手から落ちるか、折れる。
「ロジーナ」
おばあさまに呼ばれた。おばあさまの声を聞くのは、久しぶりだった。
「あの机の筆の印は、わたしが彫った。学生のころに」
「……はい」
「続きを、描きなさい」
おばあさまはそれだけ言って、また中庭のほうを向いた。
お母さまが小さな声で付け足した。
「今年から、ローデ家のお見合いの絵は、笑っていてもよいことにしました。当主の決定です」
わたしはお母さまの顔を見た。
お母さまは、少しだけ口の端を上げていた。
「最初の1枚は、殿方館のアルフォンス殿です。春の縁組みの絵。あなたが描きなさい」
手の中で、今日2本目の筆が折れた。
それから返事をする前に、両手で顔を覆った。
うれしいときの顔である。
*
最後に、殿方が「かきぞめ」をしようとおっしゃった。
新しい年の最初に、1文字だけ大きく書く。故郷の習わしだそうだ。
陛下は「笑」と書かれた。
コルネリアは「商」。リゼットは「記」。騎士殿は少し迷ってから、「護」。近衛の団長様は「失」と書いて、「失礼いたします、の失でございますな」とおっしゃった。
わたしは「描」と書いた。
殿方は「友」と書かれた。
大きな字。少しだけ右に傾いている。
「みんな、1文字で自己紹介みたいですね」
殿方は笑っておられた。
わたしは殿方の「友」の字を見ていた。
ずっと見ていた。
わたしは、あの卵焼きの日に申請書を出した19人のうちの1人だ。
殿方はそのことを知らない。殿方にとって、わたしは隣の席の友達だ。
殿方の書いた「友」の字は、きれいだった。
わたしはその字を、帳面の5冊目の最初のページに写した。
写しながら、少しだけ手が震えた。
*
帰りの馬車で、陛下からの書状が届いた。
騎士殿は窓の格子に何かを結ぼうとして、殿方に止められていた。殿方の頬には、まだ笑った顔が残っている。
書状は、女王の札の第56代の攻撃力と守備力が決まったという知らせだった。
第56代女王 エルフリーデ
攻撃力:1 守備力:1
効果:この女王は、殿方と同じ卓にいる限り、笑う。
コルネリアは書状を読んで、「売れますわ」とだけ言った。
殿方は札の写しを両手で持って、しばらく黙っておられた。
「シークレットレアの中身、出ました……!」
しーくれっとれあ。札の枠がまだ空いていたころに殿方がいちばん喜ばれた言葉だ。
「1と1なんですね。いちばん弱くて、いちばん強いやつだ」
意味は分からない。でもたぶん褒めておられた。
わたしは窓の外を見た。
新しい年の空は、よく晴れている。




