第27話 ダイスを振ってください
【リツ視点】
入学して92日目。1年A組と2年B組の合同で、野営訓練があった。
演習林の奥の広場に天幕を張って一晩泊まる。魔法の実技と野営のやり方を覚える訓練だ。演習林は学園の敷地の中なので、僕の館の中でもある。
2年B組の先輩たちと一緒になるのは初めてだった。前の野外実習で同じ班だったエレオノーラ先輩とヘルガさんは2年A組で、今日は学園に残って生徒会の仕事をしているらしい。
殿方は見学である。
「天幕の中にいてください。外に出るときは必ず護衛官と一緒に。よろしいですね」
「はい」
「必ず、です」
グンヒルト教官は今日も声が大きかった。天幕の布がびりびり震えている。
*
昼過ぎに雨が降り出した。
実技は中止になって、全員がいちばん大きな天幕に集まった。生徒が60人、ぎゅうぎゅうに座っている。僕の周りだけきれいに3m空いていた。
雨の日の天幕で僕のところだけ広い。ちょっと申し訳ない。
「雨の間は、座学とします」
教官が演習林の地図を広げた。
「仮に、この洞窟に魔物の群れがいたとします。どう攻めるか、班ごとに考えなさい」
机上演習というらしい。地図の上に小石を置いて、ここから回りこむ、ここで待ち伏せる、と話し合う。
聞いているうちに、僕はうずうずしてきた。
これ、知ってる。
「あの、教官。それ、もっと楽しくできる方法があります」
*
前世でTRPGという遊びをしたことがある。
ネットのチャットに何人かが集まる。1人がゲームマスターになって物語を語り、ほかの人は冒険者になって何をするかを言う。うまくいくかどうかはサイコロで決める。
病室のベッドの上で、僕は何度も竜を倒した。顔も知らない仲間と、言葉だけで。
「サイコロを2つ振って、大きい数が出たら成功です。12が出たら大成功、2が出たら大失敗。故郷ではクリティカルとファンブルって言います」
教官は腕を組んで聞いていた。
「……机上演習としては、面白い」
サイコロはイルゼさんが作ってくれた。薪の切れ端を短剣で削って、10分で2つ。目は焼いた釘で点を打ってある。
「イルゼさん、サイコロも作れるんですか」
「騎士学校で習いました」
「サイコロの作り方をですか」
「砦では、よく賭け事が」
イルゼさんは言いかけて口を閉じた。たぶん、聞かなかったことにしたほうがいい。
*
冒険者は5人になった。
グンヒルト教官は大剣の戦士。コルネリアさんは商人。リゼットさんは記者。ロジーナさんは絵描き。
イルゼさんは騎士だった。
「イルゼさんの騎士は、どこにいますか」
「ゲームマスターの2歩後ろに立ちます」
「ゲームマスターは物語の中にいないんですけど」
「それでも立ちます」
ほかの56人は3m離れたところからじっと見学していた。
*
冒険者たちは洞窟へ向かう途中の門に着いた。
僕は門番の役をやった。声を少し低くして、遠い目をする。
「ここから先は危ないぞ。わしも昔は、お前たちのような冒険者だった」
前世のゲームで何百回も聞いた台詞だ。
「だが、膝に矢を受けてしまってな」
天幕の中が静かになった。
グンヒルト教官が自分の膝を見ていた。
……ウケなかったのかな。
*
洞窟の入り口の扉は閉まっていた。
「扉を蹴破ります」
教官が言った。ものすごく本気の声だ。
「じゃあ、サイコロを振ってください」
教官はサイコロを2つ握って、地図の上に叩きつけた。
1と1。
「……ファンブルです。足が滑って転びます。おお戦士よ、転んでしまうとは情けない」
「なぜだ!」
天幕が揺れた。見学の子が3人、耳を押さえた。
次の場面で、教官は大剣で岩を斬ろうとして1と1を出した。剣が折れる。その次は落とし穴を飛び越えようとして、また1と1。
「教官の戦士は、穴の底で膝を抱えています」
「なぜだ!」
3回続けてファンブル。36分の1が3回だ。計算するとものすごい数になる。
「教官、出目がすごいです」
「……物欲、とやらですか」
教官は僕が福引きで言った言葉を知っていた。号外で読んだらしい。勝ちたいと思うほど、いい目は出ない。たぶん合っている。
*
洞窟の奥ではツノイノシシの王が待っていた。
最初はコルネリアさんの商人だった。
「わたくしは、王の財宝の値段を交渉いたしますわ」
「じゃあ、7以上で成功です」
「お待ちを」
コルネリアさんは帳面を開いて、すごい速さでペンを走らせた。
「サイコロ2つで7以上が出る見込みは、36のうち21。8以上なら15。目標を8に上げる代わりに、財宝をただで、ということでいかが」
「えっと……いいですよ」
商人は勝負となると強気だ。
3と4。
7だった。サイコロ2つで、いちばん出やすい目だ。
「……計算違い、ですわ」
コルネリアさんの帳面に、インクの染みが1つ広がった。
次はリゼットさんの記者。
「王に、取材を申しこみます」
5と5。成功だ。僕は王の声で、低く語った。
「……わしは、ただ、森の奥で静かに芋を食べていたかったのだ」
リゼットさんがものすごい勢いで帳面に書き始めた。見出しが見える。
『王、語る』
字がだんだん大きくなって、最後の「る」が帳面からはみ出していた。
ロジーナさんの絵描きは、王の似顔絵を描いておとなしくさせることにした。
ロジーナさんは本当に鉛筆で描き始めた。サイコロを振る前に。描いている途中で、鉛筆の先がぽきんと折れた。
折れたところの線が、ちょうど王の牙みたいに見えた。
「会心の一筆です! サイコロは……9! 成功です。王は自分の似顔絵を見て、少しだけおとなしくなりました」
ロジーナさんは折れた鉛筆を握ったまま、両手で顔を覆った。
王が怒って突進してくる。イルゼさんが言った。
「ゲームマスターの前に出て、身を挺して守ります」
「ゲームマスターは襲われないので、大丈夫です」
「それでも守ります。サイコロを」
6と6だった。
「……クリティカルです。でも、何も起きません」
「承知しております」
イルゼさんは満足そうに2歩後ろへ戻った。見学の子が何人か、下を向いて肩を震わせている。
最後に教官の番が来た。
教官はサイコロを両手で包んで、しばらく目を閉じた。天幕の中の60人が、息を止める。
それから、静かに振った。
6と6。
「クリティカルです!」
僕はゲームマスターの声で語った。
「その日、戦士は思い出した……自分が、戦士だったことを!」
教官が立ち上がった。
天幕の真ん中で、ものすごい声で叫ぶ。
「うおおおおおっ!」
天幕の外で、木の枝から鳥が全部飛び立った。
ツノイノシシの王は倒れた。冒険者の勝ちだ。
「教官、最高です! GG!」
*
夕方、雨が上がった。
野営の夕食は班ごとに作る決まりで、殿方は見学だ。
でも僕には、ずっと作ってみたいものがあった。故郷の秋に、外でみんなで食べるあれだ。前世の本で何度も読んだ。河原で大きな鍋を囲んで、芋を煮る。
大鍋を借りに行く前に、自分の手を見た。
胸のポケットには白い手袋が1組入っている。殿方館で素手の握手の意味を知ってから、握手の前には必ずはめることにした。
握手は、気をつけてる。
料理は……大丈夫、だよね。卵焼きのときも学園祭のときも、みんな食べてくれただけだし。
僕は胸のポケットの手袋を上から1回押さえて、大鍋の前に立った。
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【グンヒルト視点】
王立セレスタ学園、実技教官、グンヒルト。44歳。
元は騎士団の前衛である。
12年前、膝に矢を受けた。
*
国境の峠で盗賊の一団とやり合ったときだった。
右膝に矢が1本。騎士団の治癒師が抜いてくれたが、前のようには走れなくなった。
前衛は走れなければ務まらない。私は剣を置き、この学園の教官になった。
そのことを学園で話したことは一度もない。
だから殿方が門番の声色で「膝に矢を受けてしまってな」とおっしゃったとき、私は自分の膝を見た。
なぜ、ご存じなのか。
落ち着け、グンヒルト。殿方が騎士団の記録など読まれるはずがない。峠の報告書は12年前に棚の奥へ入った。……では、なぜ。
ご存じではなかった。殿方の故郷の遊戯の決まり文句なのだと、休憩のときに教わった。
知らずに言い当てられたのだ。12年分を、1行で。
*
ふぁんぶる、という言葉を覚えた。出目が悪くて何もかもうまくいかないことを言うらしい。
私はそれを3回続けて出した。
扉を蹴破ろうとして転んだ。岩を斬ろうとして剣を折った。落とし穴を飛び越えようとして、落ちた。
そのたびに、殿方が真剣な顔で結果を読み上げられる。
「おお戦士よ、転んでしまうとは情けない」
情けない。殿方に、情けないと言われた。
落ち着け、グンヒルト。前衛は落ち着かぬ。前衛は突っ込む。突っ込んで、転んだ。サイコロ2つにだ。
私は「なぜだ」と叫んだ。生徒が3人、耳を押さえた。教官としてあるまじきことである。3回目には、生徒の前であることも忘れていた。
本気で悔しかった。
剣を置いてから12年。何かで本気で悔しがったことは、一度もなかった。
殿方の故郷では、欲しいと思うほど出ない仕組みを「物欲センサー」と呼ぶのだと号外で読んだ。
では、私は欲しかったのか。何を。サイコロの目をか。
……前に出る機会を、だ。
*
ほかの冒険者の番を、私は戦士として見ていた。
商会の娘は自分で目標を上げて、いちばん出やすい目を出した。帳面に染みが広がっていた。商人も、負ければ悔しいらしい。
新聞部の娘は王の声を聞き取って、見出しを書いた。殿方の演じる王は、芋を食べたかったそうだ。
ローデ家の娘は鉛筆を折って、王を黙らせた。
騎士殿は殿方の2歩後ろで、くりてぃかるを出して何も起こさなかった。あれほど見事な6と6の無駄遣いを、私は見たことがない。本人は満足そうであった。
*
最後の1回、私はサイコロを両手で包んだ。
騎士団にいたころ、出陣の前にはこうして剣の柄を握ったものだ。
6と6が出た。
「その日、戦士は思い出した……」
殿方の声が天幕に響いた。
思い出した。峠の朝の、冷たい空気。隊の先頭。後ろには仲間の足音があって、前には誰もいない。前衛だけが見る景色だ。
「……自分が、戦士だったことを!」
叫んだ。
腹の底から声が出た。教官になってから12年、一度も出していない声だった。
見学の生徒が全員こちらを見ている。外で鳥の飛び立つ音がした。
殿方は手を叩いて笑っておられた。
「教官、最高です! GG!」
じーじー。意味は分からない。ただ、悪い言葉ではないと思った。
*
夕方、雨が上がった。
殿方が天幕の外の大鍋の前に立っておられた。
「教官。僕も作っていいですか。故郷の秋は、外でみんなで芋を煮るんです」
殿方は見学です、と言うべきだった。
だが私の頭は、まだ洞窟の中にあった。王を倒した戦士は寛大になるものである。
「……許可します」
許可してしまった。
芋。第31代、芋の女王陛下の芋である。商会の娘が売り出した札のおかげで、近ごろは生徒の誰もが知っている。
商会の娘が「リツ殿、その鍋は……」と言いかけた。
「大丈夫です、たくさん作りますから」
量の話ではない。たぶん、量の話ではない。
商会の娘は黙って帳面を開いた。鍋をのぞき、生徒の数を数え、ペンを走らせる。帳面の上でインクがゆっくりとにじんでいった。
騎士殿は無言で剣の柄の紐をほどき、巻き直し始めた。きっちり巻いてあった紐を、である。
殿方は大鍋いっぱいに芋と肉と根菜を煮て、豆の練り物で味をつけられた。故郷の「みそ」というものに似ているそうだ。芋煮、とおっしゃった。
それから椀に1杯ずつ注いで回られた。
「みんなで食べると、おいしいんです」
騎士殿は「任務中ですので」と椀を受け取らなかった。
1年A組の生徒は黙って受け取り、黙って食べる。
2年B組の生徒は椀を受け取って固まった。それから1人、また1人と口をつけた。
食べ終えた2年生たちが、殿方の前に何かを置いていく。木の実。髪のリボン。摘んだばかりの野の花。
「お気持ちです」
殿方は「ありがとうございます」と言って、全部受け取られた。
私も椀を受け取った。
熱い。甘くて、少しだけしょっぱい。
峠の野営で食べる騎士団の汁物は、しょっぱいだけだ。
気がつくと、私は腰の袋から干し肉を1枚出して、殿方の前に置いていた。
置いた。
置いてしまった。腰の袋から。騎士団の非常食を。殿方の前に。
第3条。殿方が友を求めることを公に表し、手ずから作った食を分け与え、淑女が口にして返礼を献じたとき。
落ち着け——いや、もう遅い。返礼は置いた。前衛は退かぬ。退かぬが、今のは退くべきだった。
商会の娘がこちらを見ている。騎士殿の紐を巻く手も止まっていた。
殿方だけが干し肉を両手で受け取って、うれしそうにおっしゃった。
「ありがとうございます、教官! あとでいただきます!」
私は椀を持ったまま、膝から崩れた。
矢を受けた右膝ではなく、左の膝だった。
*
3日後、学園長室へ野営訓練の報告書を出しに行った。
学園長の机の上に、婚姻院からの通知が置いてあった。見るつもりはなかったが、見えてしまった。
通知
友の契りの申請、新たに19件受理。
申請者:王立セレスタ学園 2年B組(19名)
婚約者は計71名となった。
学園長は通知を伏せた。
「グンヒルト教官」
「はっ」
「あなたの申請は、届いておりませんね」
「……教官ですので」
「そうですか」
学園長はそれ以上何も言わなかった。机の上の印を、指でとんとんと2回叩いただけである。口の端が1mmだけ上がっていた気がする。
*
学園長室を出て、廊下の窓から演習場を見た。
殿方が走っておられた。騎士殿が2歩後ろを追っている。
私は自分の右膝に手を当てた。
前のようには走れない。それでもあの天幕の中で、私は12年ぶりに戦った。サイコロ2つで。
殿方が部の顧問を探しておられたとき、私は「実技の準備がございますので」と言って断った。9人のうちの1人である。あのとき廊下の角で壁に手をついたのは、殿方と毎日同じ部屋にいて平静を保てる自信がなかったからだ。
今なら、少しは保てる気がする。
ふぁんぶるを3回出しても、叫ぶだけで済んだのだから。
干し肉の件は、数えないことにする。
私は学園長室に引き返して、一言だけ申し出た。
「次の実技の日に雨が降ったら、また机上演習をしてもよろしいでしょうか」
学園長は窓の外の空を見た。
「天気ばかりは、サイコロでは決まりませんね」
その日から、私は毎朝空を見るようになった。
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【リゼット視点】
学園新聞部、部長。部員1名。
野営から帰った夜、わたしは新聞部の部室で記事を書いていた。
見出しは決まっている。
『教官、叫ぶ』
くりてぃかる、の瞬間の声。天幕の外で鳥が全部飛び立った。帳面には、あの場で書いた見出しも残っている。『王、語る』。字が大きすぎて、2ページ使っていた。
*
書けないことが1つある。
芋煮のあとで2年B組の先輩たちが殿方の前に置いていったもの。木の実、リボン、野の花。最後に干し肉が1枚。
返礼である。
わたしは記者だ。婚姻法の第3条くらい読んでいる。あの場で置かれたものを数えた。2年B組が19。干し肉を入れて、20。
殿方は1つずつ「ありがとうございます」と受け取っておられた。お気持ちを大事にする方なのだ。何のお気持ちなのかは、ご存じないまま。
落ち着け、わたし。
頭の中で見出しが立つ。『殿方、芋にて求婚さる』。ちがう。『2年B組、返礼す』。ちがう。『教官、干し肉を置く』。それはもう、教官がかわいそうだ。
記者は、見たことを書く。
でも、殿方がご存じないことを殿方より先に書くのは、記者の仕事ではない気がした。
入学初日の夜に書いた第1号の見出しを、ふと思い出した。あの夜のわたしは、殿方のおっしゃった言葉をそのまま書いただろうか。
……今夜は、考えないことにした。
*
記事は号外にしないことにした。来週の学園新聞の、隅の小さな欄に載せる。
教官が叫んだこと。サイコロが薪でできていたこと。騎士の6と6が何も起こさなかったこと。王が芋を食べたかったこと。
芋煮はおいしかった。それも書いた。
それ以外は、書かなかった。




