第24話 僕、占い師です
【リツ視点】
入学して82日目は朝から雨だった。
放課後に遊戯部の部室へ行くと、入り口にはエレオノーラ先輩とヘルガさんが立っていた。今日は生徒会の監査の日だ。月に1度のはずが今月はもう3回目になる。生徒会はよっぽど遊戯部が心配らしい。
扉を開けると天井から水が落ちていた。
古い物置なので屋根のどこかに穴があいていたらしい。遊戯部の古い机の真ん中に、ぽたん、ぽたんと水たまりができていく。
僕が「あっ」と言うより先に、ヘルガさんが動いた。
どこからかバケツを3つ持ってきて、水の落ちるところに1つずつ置く。指を広げてバケツとバケツの間を測り、少しずらしてまた測る。それから1歩下がって、小さくうなずいた。
ぽたん、ぽたん、ぽたん。3つのバケツが順番に鳴った。
ヘルガさんは2年生で、いつも先輩の隣にいる人だ。野外実習で同じ班になったとき、凍ったツノイノシシを1人で担いで運んでいった。その日の夕食にはツノイノシシの煮込みが出た。学園祭の前の日には、先輩の監査にもついてきていた。
背が高くて、ほとんどしゃべらない。でも気がつくと、いつも何かを片づけている。
棚の道具はイルゼさんとヘルガさんが2人で運び出してくれた。
でも、遅かった。
麻雀の牌は箱の中で湿ってくっついていた。王宮から持ち帰った大富豪の札は端から反り返って、配る前から全員の手札が見えそうだ。リバーシの盤は厚紙なので、持ち上げたらふにゃりと曲がった。
全滅だった。
イルゼさんは天井の穴をしばらく見上げていた。何かを測っているような目だった。
先輩は入り口で天井を見上げてから言った。
「……本日の活動は、生徒会室で行ってください」
*
生徒会室は広くて、長い机が1つあった。先輩がその場で許可証を書いてくれたので、今日だけはここでも3mの決まりがない。
机の端に「書記」と書いた小さな札があって、ヘルガさんがその前に座った。ヘルガさんは生徒会の書記らしい。今日初めて知った。
ヘルガさんは丸めた紙を広げて生徒会室の壁に黙って貼った。部室の壁にあった、やりたい遊びのリストだ。いつの間に持ってきたんだろう。
道具は全部湿っている。6人で何をしよう。
リストを上から順に見ていって思いついた。
「人狼をやりましょう! 道具がほとんどいらない遊びなんです」
「……じんろう?」
「村人の中に、人狼が隠れているんです。夜になると人狼が1人ずつ村人を襲って、昼になるとみんなで話し合って、怪しい人を1人追放します。人狼を追放できたら村人の勝ち。人狼と村人が同じ数になったら、人狼の勝ちです」
前世ではネットで何百回も遊んだ。顔の見えないチャットで、誰が嘘をついているのかを言葉だけで探す遊びだ。
僕は人と面と向かって話すのは苦手だった。でもチャットの人狼だけは得意だった。
「故郷で何百回も遊んだので、ちょっとだけ得意なんです」
*
役の札は紙で作ることにした。ヘルガさんが黙って紙と鋏を出してくれた。
人狼が1枚、占い師が1枚、村人が4枚。占い師は夜に1人だけ、「人狼かどうか」を調べられる。
ゲームマスターはイルゼさんにお願いした。
「夜になったら『全員、目を閉じてください』って言うんです。それから人狼だけ目を開けてもらって、誰を襲うか指でさしてもらいます」
「……全員が、目を閉じる」
「はい」
「その間、リツ様を見張る者がいなくなります」
「イルゼさんがいるじゃないですか」
イルゼさんは少し考えてうなずいた。
「……私だけが、見張ります」
なぜか少しうれしそうに見えた。
*
1回目。僕の札は占い師だった。
「夜になりました。全員、目を閉じてください」
イルゼさんの声は本物のゲームマスターみたいに落ち着いていた。
目を閉じる。雨の音がする。
しばらくして、どこかでかすかにペンが紙をこする音がした。
「占い師は、目を開けてください」
目を開けるとイルゼさんと目が合った。ずっとこっちを見ていたみたいだ。ゲームマスターだから当然だ。
僕はエレオノーラ先輩を指さした。イルゼさんが小さく首を横に振る。人狼ではない、という合図だ。
朝になった。
「昨夜、ヘルガ殿が無残な姿で発見されました」
ヘルガさんは音もなく椅子から下りて、床に仰向けになった。両手を胸の上で組んで、目を閉じる。
ちゃんと死んだふりをしてくれる。いい人だ。
*
話し合いの時間だ。
人狼で一番大事なのは、占い師が名乗り出ることだ。
僕は手を挙げた。
「僕、占い師です!」
次の瞬間、3つの手が同時に挙がった。
「わたくしも、占い師ですわ」
「わたしも占い師です」
「……わ、わたしも、です」
コルネリアさんとリゼットさんとロジーナさん。少し遅れて、エレオノーラ先輩まで手を挙げた。
「私も、占い師です」
占い師は1人しかいない。
5人いた。
占い師のバーゲンセールだ。
「あの、占い師の札は1枚しかないんですけど」
「存じておりますわ」
「存じています」
「……ぞんじて、ます」
全員がまっすぐ前を見ていた。
これは手ごわい。前世のチャットでもこんな村は見たことがない。
僕は立ち上がった。こういうときは、まず空気を変えるのが大事だ。
「犯人は……いや、人狼は、この中にいる!」
生徒会室が静かになった。
リゼットさんの帳面に大きな字で『この中にいる』と書かれた。
この部屋には7人しかいないので、それはそうだ。言ってから気づいた。
「……じゃあ、僕の占い結果を言います。エレオノーラ先輩は、人狼じゃありませんでした」
先輩の肩が少しだけ動いた。
「でも先輩、何か隠してる顔ですね」
人狼でよく使う、揺さぶりの台詞だ。
先輩は監査記録を書いていたペンを右手でぎゅっと握りしめた。指の関節が白くなっている。
「先輩、手、つりました?」
「……つって、おりません」
*
僕は夜の間に聞こえた音を思い出した。
ペンが紙をこする音。目を閉じている間に何かを書けるのは、目を開けていた人だけだ。
ペンを持っているのは先輩だ。でも先輩は占いで人狼じゃなかったし、そもそも握ったままぴくりとも動いていない。あれでは字は書けない。
この中で、いつも帳面を持っているのは。
音がしたのは窓のほうからだった。
僕は人差し指をまっすぐ伸ばして、前世のゲームで覚えた台詞を言った。
「異議あり!」
コルネリアさんがびくっとした。
「夜の間にペンの音がしたのは、コルネリアさんの席からでした」
コルネリアさんはしばらく黙ってから、膝の上の帳面をそっと閉じた。
「……人狼の遊戯を購買部で売る場合の値段を、書いておりましたの」
「人狼の夜に?」
「目を閉じると、商いのことがよく見えるのですわ」
コルネリアさんが人狼だった。
投票は指でさして決めた。全員がコルネリアさんを指さした。先輩だけは左手だった。右手はまだペンを握っている。
コルネリアさんが追放されて、村人の勝ちになった。コルネリアさんは帳面に「計算外」と書いていた。
床のヘルガさんが起き上がって、黙って椅子に戻った。
ロジーナさんが筆箱から鉛筆を出して、壁のリストの「人狼」に丸をつけてくれた。福引きの4等の、あの鉛筆だ。
丸が、また1つ増えた。
部室じゃなくても、遊戯部は遊戯部だ。帰りにヘルガさんが、リストを丸めて部室の壁に戻してくれた。
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【エレオノーラ視点】
ブランシュ公爵家の長女、エレオノーラ。
本日、私は生まれて初めて、手のこと以外で嘘をついた。
殿方の前で。
ブランシュ家の13代目のお祖母様は、生涯に一度も嘘をつかなかったと聞く。お祖母様の肖像は、今日は額縁ごと横を向いている。
*
占い師を名乗った5人のうち、4人は嘘である。
私たちは誰も示し合わせていなかった。
それでも4人が手を挙げた理由は、たぶん同じだと思う。
殿方が「僕、占い師です」とおっしゃった。
殿方と同じ役を名乗れる機会など、この先の人生に二度とないかもしれない。
お揃いである。
落ち着きなさい。お揃いである。お揃い。恋歌に「同じ星の名を口にした2人」という一節がある。夜空の同じ星を殿方と淑女が同時に指さして、同じ名で呼ぶ。あれは、つまり——落ち着きなさい。これは遊戯だ。星ではない。札である。
遊戯の勝ち負けより、そちらのほうがずっと大事だった。少なくとも私にとっては。
*
殿方の占いの結果は正しかった。私は村人だった。
そのあとで殿方はおっしゃった。
「でも先輩、何か隠してる顔ですね」
右手が、ペンを握ったまま閉じた。
遊戯の台詞だと分かっている。人狼でよく使う揺さぶりだと、殿方ご本人があとで説明された。
それでも右手は開かなかった。
私には隠し事がある。
1つだけ。
*
2回目の前に、ヘルガが無言で紙を6枚に切った。投票の札である。指でさすより公平だと、殿方がおっしゃったからだ。
ヘルガは配って回り、私の前で一度だけ止まった。それから私の拳の親指と人差し指の隙間に、札を1枚差しこんだ。
ペンと札。右手の中に、2つになった。
2回目の遊戯で、殿方は人狼を引かれた。
札を見た瞬間、殿方の口の端がほんの少しだけ上がったのを私は見た。
朝になって話し合いが始まると、殿方は真っ先におっしゃった。
「僕は悪い人狼じゃ……いえ、村人です。悪くない村人です」
生徒会室の全員が、まっすぐ前を見た。
殿方は隠し事が下手である。
ところがそこからが別人のようだった。
落ち着いた声で、少しだけ困った顔をして、まっすぐ前を見て話される。疑われそうになると、別の誰かの発言の矛盾をやわらかく指摘される。故郷で何百回も遊んだので「ちょっとだけ得意」だとおっしゃっていた。ちょっとだけ、ではなかった。
最初の夜に襲われたのはリゼットだった。
「昨夜、リゼット殿が無残な姿で発見されました」
イルゼ殿がそう告げると、リゼットは帳面を胸に抱えたまま静かに椅子から滑り落ちた。
床の上でペンを拾い、帳面に何かを書いている。字がどんどん大きくなっていく。のぞきこむと、こうあった。
『殿方に、噛まれた(遊戯にて)』
1行でページが埋まっていた。
ロジーナは両手で顔を覆った。商会の娘は帳面を開いて何かを計算し始めた。たぶん次の夜に自分が噛まれる確率である。
*
1日目の昼の投票で、ヘルガは自分の前に札を置いた。
殿方もヘルガに入れられた。「ずっと黙っているのが、怪しいです」とのことである。ヘルガはいつも黙っている。
商会の娘とロジーナは、互いに入れ合った。
私の札は出てこなかった。右手の拳の中から。棄権である。
ヘルガは2票で追放された。
理由は言わなかった。
追放されたヘルガは黙って部屋を出ていき、しばらくして戻ってきた。袖が濡れていた。部室のバケツを空けてきたらしい。死者の務めとしては、たいへん勤勉である。
2日目の夜には商会の娘が襲われた。商会の娘は帳面に「計算どおり」と書いてから、机に突っ伏した。
残ったのは殿方とロジーナと私の3人だった。
*
2日目の昼の投票になった。
ここで人狼を当てられなければ、村人の負けである。
誰が人狼か、私には分かっていた。
最初の朝に目を開けると、リゼットのペンは床に落ちていた。リゼットが椅子から滑り落ちたときに一緒に落ちたのだと、私たちは思った。床には敷物がある。音はしなかった。
殿方は話し合いの途中でこうおっしゃった。
「リゼットさんのペン、夜のうちに落ちてましたよね」
夜のうちに。
目を閉じていた村人には、いつ落ちたのかは分からない。分かるのは、夜に目を開けていた者だけである。
拾って差し上げようとする、親切な声だった。
ロジーナもたぶん気づいている。机に突っ伏したままの商会の娘も気づいている。あの娘は1回目で自分が追放されてから、殿方の発言を全部帳面に書き取っていた。
それでもロジーナは殿方に票を入れなかった。
殿方を、追放する。
遊戯の中の言葉だと分かっていても、その札を殿方の前に置ける淑女はこの国にいない。
ロジーナは自分に入れた。殿方は少し申し訳なさそうな顔で、ロジーナに入れた。
私の番が来た。
右手は、ペンと札を握ったまま閉じている。
私は少しだけ考えた。
学園長通達の第1項を起草したのは私である。殿方の3m以内に近づかぬこと。私たちは殿方を守るために、殿方から距離を取ってきた。
そして殿方はその距離の向こうで、ずっと「友達」を探しておられた。
遊戯の中で殿方を疑わないことは、殿方を遊び相手として見ていないということだ。
いつもなら、指を開くのはヘルガの役目である。ヘルガは今、追放されている。
私は左手で右手の指を1本ずつはがした。
親指。人差し指。中指。薬指。小指。
まずペンが机の上に転がった。
それから私は札を殿方の前に置いた。
部屋が静まり返った。
殿方は自分の前の札を見つめておられた。
それから、ぱっと顔を上げて笑われた。
「先輩、僕に入れてくれたんですね!」
「……人狼は、リツ殿だと思いましたので」
「正解です! ちゃんと疑ってくれて、うれしいです」
うれしい、と殿方はおっしゃった。
疑われて、うれしい。
殿方に入った票は、私の1票だけだった。ロジーナに2票。ロジーナが追放されて、殿方と私の2人が残った。
「人狼と村人が、同じ数になりました。人狼の勝ちです」
イルゼ殿の声は最後まで落ち着いていた。私たちが目を閉じている夜の間も、イルゼ殿だけはずっと殿方を見ておられたのだと思う。
*
遊戯が終わると殿方はおっしゃった。
「次は、みんなも僕に投票してくださいね。じゃないと、人狼のとき絶対勝っちゃうので」
誰も返事をしなかった。
ただ帰り際に、ロジーナが小さな声で「……がんばります」と言った。
殿方は「よろしくお願いします」と頭を下げられた。
何をがんばるのかは、聞かないことにした。
*
夜、生徒会室で1人になってから引き出しを開けた。
号外60部。ハンカチ。殿方館の館長の書状の写し。監査記録。
その下に、封筒が1通ある。
婚姻院の申請書だ。
卵焼きをいただいた日の夜に書きかけたものだ。申請者の欄には私の名前が書いてある。理由の欄は空いたままだ。
婚姻法第3条の条件は、あの昼休みからそろっている。殿方は友を求めておられた。手ずから卵焼きを作って分け与えてくださった。私はそれを口にして、砂糖菓子を返した。
あとは出すだけである。
噂では、あの昼休みに卵焼きを口にした31人のうち、申請していない者が2人いるという。
1人は、私である。
もう1人が誰なのかは知らない。
出さない理由を、私はまだうまく言葉にできない。
ただ、今日1つだけ分かったことがある。
殿方は、疑われてうれしいとおっしゃった。殿方が欲しいのは、黙って名を連ねる婚約者の1人ではないのかもしれない。
私は封筒を引き出しの一番奥に戻した。
「でも先輩、何か隠してる顔ですね」
殿方の声を思い出した。
占い師の札は本当に殿方が引いておられた。
右手を見た。手のひらに爪の跡が5つと、ペンの軸の跡が1本残っていた。
私は引き出しを閉めた。
隠し事は、まだ1つある。




