第22話 革命
【リツ視点】
王宮から帰ったその夜、僕は寮の部屋で厚紙を切っていた。
女王陛下の余興。故郷の遊戯を、何かひとつ。
帰りの馬車の中でずっと考えた。学園長に14回くらい相談した気がする。答えは14回とも「陛下にお聞きください」だった。
麻雀はもう王都じゅうで流行っている。陛下もきっと知っている。だったら、まだこの国にない遊びがいい。
部室の壁のやりたい遊びリストを思い出した。上から2番目。
トランプの、大富豪だ。
女王様に遊んでもらうなら、名前からしてぴったりだと思う。
*
トランプは54枚いる。
イルゼさんが厚紙を用意してくれた。麻雀牌を作ったときと同じ厚紙だ。今度も200枚あった。
「54枚でいいんです」
「予備です」
イルゼさんはそう言って定規で線を引いてくれた。剣を扱う人は刃物の扱いもうまい。切り口がまっすぐだった。
帰りの馬車では一言もしゃべらなかったイルゼさんが、定規を当てると少しだけ落ち着いた顔になる。
数字の札は僕が描いた。ハートとダイヤとスペードとクローバー。ハートは少しだけ四角くなった。
問題は絵札だった。
ジャックとクイーンとキング。僕は人の顔を描くのが下手だ。九筒の丸ですら四角くなる。
夜中に、ログイン50日目の手紙を書いた。
『アルフォンスさんへ。今日、女王様に会いました。「はい」を選ぶまで同じことを聞かれる、故郷のゲームと同じ王様でした。明日は大富豪をします。トランプは、今作ってます。 リツ』
押し花は、赤にした。王宮の馬車の色だ。
*
次の日の朝、教室でロジーナさんに頼んだ。
ロジーナさんは自分の席で、帳面に細い筆で何か描いていた。
「絵札を12枚、描いてもらえませんか。今日の昼までに」
ロジーナさんは3秒固まってから、小さくうなずいた。
「……どんな絵、ですか」
「ジャックは騎士で、クイーンは女王様で、キングは王様です」
「おうさま?」
「女王様の、男の人版です」
ぱきっ、と音がした。
ロジーナさんの手の中で、筆が2本になっていた。
「あっ、筆が」
「……だいじょうぶ、です。筆は、たくさん、あります」
ロジーナさんは折れた筆を両手で握ったまま、しばらく動かなかった。それから引き出しを開けた。中には筆が20本くらい並んでいる。
本当に、たくさんあった。
*
昼休み、部室で12枚の絵札を受け取った。
ジャックの騎士はどれも長い金髪をひとつに結んでいた。クイーンの女王様は、どれも凛々しい顔。
キングの王様は4枚とも、笑っている僕の顔だった。
「……ロジーナさん。これ、僕ですよね」
「お、男の人の、笑っている顔は……それしか、描いたことがなくて……」
ロジーナさんは両手で顔を覆った。
僕はジャックの札をもう一度見た。長い金髪のひとつ結び。まっすぐな背中。剣の柄に手をかけて、少しだけ横を向いている。
2歩後ろを振り返った。
「ジャック、イルゼさんに似てますね」
「似ておりません」
即答だった。
「でも、髪とか」
「似ておりません」
イルゼさんはまっすぐ前を見たまま答えた。ロジーナさんの手の隙間から、小さな声で「……つい」と聞こえた。
それから、部員の4人で試しに1回遊んだ。部室の中なら3mの決まりはお休みだ。
1番に上がったのはコルネリアさんだった。
「大富豪。わたくしに、ぴったりの名前ですわね」
コルネリアさんは上がるとすぐ、帳面に何か書きつけていた。リゼットさんは負けても字が大きかった。
僕は、大貧民。
「革命」と「都落ち」のルールは、本番まで取っておくことにした。説明が長くなるし、めったに出ない技だからだ。
ロジーナさんが立ち上がって、壁のリストの「大富豪」に丸をつけてくれた。
4つ目の丸だ。
午後の授業のあいだ、迎えの馬車が来るまでの2時間、イルゼさんは教室の外の廊下で剣を磨いていた。扉の窓から、ずっと見えていた。もう磨くところはないと思う。
*
午後、王宮の小さな広間に通された。
今日は最初から手袋をはめていった。昨日、帰りの馬車で学園長に3回言われたからだ。
昨日の謁見の間ではなく、窓の大きな部屋だった。真ん中に丸いテーブルが1つと椅子が4つ。
テーブルを囲んだのは4人だった。
女王陛下と学園長と僕。
それから近衛騎士団長のゲルトルートさん。
背が高くて、白髪まじりの短い髪の人だ。顔に古い傷がある。陛下に「卓が1人足りぬ。そなたが座れ」と言われて、剣を外して椅子に座った。座ってからもずっと背筋がまっすぐだ。
イルゼさんは僕の2歩後ろに立っている。ゲルトルートさんはイルゼさんの騎士学校の先生だったらしい。部屋に入ったとき、イルゼさんがいつもより深く頭を下げていた。
「では、遊び方を説明します!」
大富豪のルールはそんなに難しくない。
3が一番弱くて2が一番強い。ジョーカーは何よりも強い。前の人より強い札を出していって、最初に手札がなくなった人が勝ち。
「1番に上がった人が大富豪で、2番が富豪、3番が貧民、最後が大貧民です。次の回では、大貧民が一番強い札を2枚、大富豪に渡します。そのかわり、最初に札を出すのは大貧民です」
「……税であるな」
陛下が言った。
「はい。王様にぴったりのゲームなんです」
故郷には、8を出したら場を流せる「8切り」っていうルールもある。でも今日は入れなかった。王宮で「切り」なんて言ったら、たぶん剣が抜かれる。
僕もそれくらいは考えるのだ。
陛下は絵札の山からキングを1枚めくった。
笑っている、僕の顔だ。
陛下はしばらくその札を見ていた。それから何も言わずに伏せた。
ゲルトルートさんがテーブルの下で拳を握っていた。
*
1回目。陛下が1番に上がった。大富豪。
2回目も陛下が大富豪。僕は大貧民で、2とジョーカーを陛下に渡した。
3回目も陛下が大富豪。僕はまた大貧民で、今度は2を2枚渡した。
陛下は強い。札の切り方に迷いがない。学園長もほとんど表情を変えずに富豪を続けていた。ゲルトルートさんは札を出すたびに「失礼いたします」と言う。3が1枚でも、「失礼いたします」。
陛下は3回とも、上がったあとで少しだけ窓の外を見ていた。
勝ってうれしい顔ではなかった。前世の漫画で見たことがある顔だ。強すぎて、もう誰にも負けなくなった人の顔。
「陛下、『敗北を知りたい』って顔してます」
ゲルトルートさんの手から札が1枚落ちた。
陛下がこっちを見た。
「……そのような顔を、しておるか」
「してます」
「そのような顔を、しておるか」
2回聞かれた。昨日と同じだ。
「してます」
陛下は何も言わずに札を配り直した。
僕は3回続けて大貧民だった。
手札を見る。3と4と5ばかりだ。いい札は全部陛下のところに行っている。
でも前世で見たアニメの赤い人も言っていた。
「まだだ、まだ終わらんよ」
口に出ていたらしい。ゲルトルートさんの肩がびくっと跳ねた。
*
4回目。
配られた手札を見て、僕は息を止めた。
5が、4枚あった。
同じ数字の札が4枚そろったら、出せる技がある。大富豪で一番盛り上がる、あの技だ。
僕はまた2を2枚、陛下に渡した。陛下の手札はエースと2でいっぱいのはずだ。
大貧民なので、最初に札を出すのは僕だった。
僕は5を4枚、テーブルに並べた。
「革命!」
広間が凍った。
窓の外で鳥が飛び立つ。扉の外で、何か重いものが2つ倒れる音がした。
ゲルトルートさんが立ち上がっていた。右手が腰のあたりをつかんでいる。剣はさっき外したはずだ。
イルゼさんが2歩後ろで「リツ様」と言いかけて口を閉じた。昨日と同じだ。
あれ、と思った。
「切り」より、こっちのほうがまずかったかもしれない。
「あ、えっと、革命っていうのは札の強さが全部ひっくり返る技です。これから3が一番強くて、2が一番弱くなります」
誰も何も言わなかった。
ゲルトルートさんがゆっくり椅子に座り直した。座ってからも、右手はまだ腰のあたりにある。
僕は手札の3と4を出していった。陛下のエースと2は、もう誰の札にも勝てない。
僕が1番に上がった。
それからもう1つ大事なルールを思い出した。
「あと、大富豪だった人が1番に上がれなかったら、その場で大貧民になります。都落ちっていうんです」
陛下が自分の手札を見た。
エースと2ばかりが残っている。
陛下は手札をテーブルに置いた。
そして、声を出して笑った。
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【ゲルトルート視点】
近衛騎士団長、ゲルトルート。52歳。
近衛に入って27年。本日、私は丸腰で「革命」の一言を聞いた。
*
近衛の騎士がこの世で最も聞きたくない言葉がある。
謀反。暗殺。それから、革命。
王宮の中でその言葉を口にした者は、問答無用で取り押さえる。新人の近衛が最初に教わることだ。私も27年前に教わり、この20年は教える側にいる。
その言葉を、殿方が叫んだ。
陛下の真向かいで。両手を突き上げて。とても楽しそうに。
私は剣に手を伸ばしていた。
剣はなかった。
落ち着け、ゲルトルート。27年である。剣はどこだ。剣は壁だ。卓に着くとき、陛下に外せと言われて壁に立てかけた。壁に剣。剣は壁。
……壁はどこだ。
広間には壁が4つある。27年で初めて、剣のありかを忘れた。
右手は腰の、剣のあった場所をつかんでいる。つかんだまま座り直した。
扉の外では、見張りの近衛が2人倒れていた。あとで聞くと、2人とも剣は抜いていなかったという。抜く前に倒れたのだ。近衛としては、それで正しい。
*
思えば、最初から危うかった。
卓に着いてすぐ、陛下が絵札を1枚めくられた。王の札である。描かれていたのは、笑っている殿方の顔だった。
私は卓の下で拳を握った。
近衛の心得は全108条ある。すべて覚えている。札に描かれた殿方の笑顔への対処は、どこにも載っていない。
陛下はその札を、しばらくご覧になっていた。
それから、殿方は言った。
「陛下、『敗北を知りたい』って顔してます」
札が1枚、私の手から落ちた。
陛下に向かって、陛下のお顔のことを申し上げた者を、私は知らない。即位から20年、1人もいない。
そして陛下は2回聞き返された。
あれは、図星のときの癖である。
*
私は殿方の後ろに立つイルゼを見た。
騎士学校で教えた生徒である。首席で出た。私の教えた生徒の中で一番剣が速く、一番休まない子だった。
あの子は殿方の2歩後ろで、目を閉じて唇だけを動かしていた。
数を数えている。
素振りの数え方だった。剣を持たずに、頭の中で振っている。気が乱れたら数えろと、騎士学校で私が教えた。
あれは、何度も同じことを経験した者の顔である。
*
陛下が笑った。
声を出して肩を揺らし、手札を卓に放り出して。
即位から20年。私は陛下のそばに立ち続けてきた。陛下が笑うのは、執務室の扉に鍵をかけたあとだけだ。扉の外に立つ私には、いつも声だけが聞こえていた。
陛下の笑う顔を、私は初めて見た。
落ち着け、ゲルトルート。近衛の心得第1条。陛下のお顔を見つめるべからず。
見つめた。
「大貧民か」
陛下は笑いながら言った。
「余が、大貧民か」
「はい。次の回では、一番強い札を2枚、僕に渡してください」
「税であるな」
「税です」
陛下は涙をぬぐって、まっすぐ殿方を見た。
「生まれて初めて、負けた」
殿方は首をかしげた。
「え、でもさっきまで3回勝ってましたよね」
「勝ったことしかなかったのだ」
陛下は少しだけ黙られた。
「殿方。先ほど、余が敗北を知りたい顔をしておると申したな」
「はい」
「知った」
陛下はそれだけ言って、伏せてあった札を1枚表に返した。
王の札だった。笑っている殿方の顔が描いてある。
「この王も、革命のあとでは一番弱い」
「あ、そうですね。でも、次の回でまた革命が起きたら、元に戻りますよ」
陛下はしばらく黙っていた。
それからまた笑った。
私の手が、また腰をつかんでいた。剣はやはり壁である。
*
昨日の手のことは、まだ片づいていなかった。
この国の古い慣わしでは、殿方が素手で差し出した手を淑女が取れば、婚約の申し込みを受けたことになる。陛下がその手を取れば、陛下は殿方の53人目の婚約者になる。
かといって取らなければ、女王が殿方の手を払ったことになる。謁見の間の全員の前で差し出された手だ。殿方は二度と、誰にも手を差し出さなくなるかもしれない。
だから陛下は、昨日「預かる」とだけ言われたのだ。
取ることも、払うこともできなかったから。
*
5回目が始まる前に、陛下は侍女を呼んだ。
侍女が白い手袋を1組、盆に載せて持ってきた。陛下はそれをゆっくりはめた。
「昨日の手を、返す」
陛下は殿方に右手を差し出した。白い手袋の手だった。
殿方は自分の手袋を外しかけて、陛下に止められた。
「そなたは、はめたままでよい」
殿方は少し不思議そうな顔をしてから、陛下の手を握った。
手袋と、手袋だった。
素手ではない。だから、婚約の申し込みにはならない。それでも、手は取った。払ってはいない。
陛下は一晩かけて、この答えを考えておられたのだ。
「これから、よろしくお願いします!」
「うむ」
陛下はそれだけ言って手を離した。
私は見ていた。手を離したあとで、陛下の指先が少しだけ握られたのを。
*
5回目は、陛下が大貧民から始まった。
陛下は手札から一番強い2枚を選んで、殿方に渡した。
「税である」
「ありがとうございます」
それから陛下は手札を見つめて、小さく言われた。
「……余から、出すのか」
「はい。大貧民からです」
「余から、出すのか」
「はい」
陛下は3を1枚、卓に置かれた。
20年、陛下は何事も最後に決めてこられた。皆の言葉をすべて聞いてから、最後に1つだけ言う。それが女王の作法である。
一番先に札を出す陛下を、私は初めて見た。
その回、陛下は富豪だった。殿方は大富豪。私は大貧民だった。27年で一番弱い近衛騎士団長である。
「失礼いたします」
私は一番強い札を2枚、殿方に差し出した。
*
夕方、殿方を送り出す前に、私は廊下でイルゼを呼び止めた。
「イルゼ」
「はっ」
「今日、お前が笑うところを初めて見た」
イルゼは固まった。
「……笑っておりません」
「陛下が都落ちされたとき、口の端が1mm上がっていた」
「見間違いです」
「私の目は、まだ衰えておらん」
陛下のお顔を見つめていても、2歩後ろの気配くらいは見える。27年である。
イルゼは黙って深く頭を下げた。
騎士学校の3年間で、あの子が笑うのを私は一度も見なかった。休むところも見なかった。
殿方の2歩後ろで、あの子はどちらも覚えたらしい。
*
その夜、陛下は執務室で2通の布告に署名された。
布告(その1)
殿方と淑女の握手は、双方が手袋をはめている場合に限り、挨拶とみなす。
これを「殿方の握手」と称し、婚約の申し込みには当たらないものとする。
布告(その2)
殿方の遊戯「大富豪」における「革命」の語は、王宮の内に限り口にしてもよい。
ただし、近衛は剣を抜かぬこと。
「その2は、私どもへの布告でございますな」
「そなたは今日、抜こうとした」
「剣がございませんでした」
「だから、間に合った」
陛下は真顔でそう言われた。
「布告その1で、この国の淑女はみな、あの殿方と手袋ごしに握手ができるようになりますな」
私が言うと、陛下はペンを置かれた。
「あの者は、これからも誰にでも手を差し出す。差し出された者が、そのたびに婚約するか手を払うかを選ばねばならぬのは酷であろう」
「陛下ご自身も、そうでございました」
「そうだ。余も困った」
陛下は手袋を外して、机の上に置かれた。
「だから、手袋をはめれば挨拶になる国にした。今日から、あの者の手は誰でも取ってよい」
それから、少しだけ小さな声で言われた。
「……素手のほうを取りたくなかった、とは言わぬがな」
私は聞かなかったことにした。近衛の務めである。
それから陛下は、机の端の小さな箱を開けられた。
保留案件の箱である。
箱の隅に、小さな金色のかけらが転がっていた。謁見の間の玉座の、獅子の耳である。昨日の夕方から、王宮の職人が3人がかりで謁見の間の床を探していた。
見なかったことにした。これも近衛の務めである。
陛下は第2号の紙を取り出し、「決裁済み」と書き入れた。
第1号の紙は取り出さなかった。
草原で殿方が素手で騎士の手を握った日の件だ。手袋はなかった。どちらの手にも。
「第1号は」
私が尋ねると、陛下は箱のふたを閉めた。
「保留を続ける」
「理由を伺っても」
「あの騎士は、2歩後ろにいたいのであろう」
私は何も言えなかった。
男性保護法第21条。護衛官は、その護衛対象と婚姻の関係にあってはならない。
陛下は全部読んでおられたのだ。報告書の注記だけでなく、行間まで。
翌朝、私は騎士団本部経由でイルゼに短い書状を送った。
『第1号は、保留が続く。理由は書かぬ。素振りを怠るな。 ゲルトルート』
理由は書かなかった。あの子なら、書かずとも分かる。
*
3日後、ヴァーレン商会から王宮に申請書の束が届いた。
1通目は、殿方の遊戯「大富豪」の札を売り出したいので許可をいただきたい、という内容だった。
宰相は1行だけ返事を書いた。
『「革命」の語を、改めること』
束の一番下には、もう1通入っていた。
王国まーじゃん大会 後援のお願い
主催:ヴァーレン商会
会場:王都中央広場
見込み:1000名以上
宰相はそれを読んで、少し考えて、机の端の山に積んだ。
宰相の机の、保留の山である。陛下の箱ではない。宰相の山は、陛下の箱よりずっと高い。
さらに2日後、商会から返事が来た。
『「大逆転」に改めた見本を作りましたが、少しも盛り上がりませんでしたわ。 ヴァーレン商会 コルネリア』
宰相は返事を書かなかった。
陛下はその手紙を読んで、執務室の扉に鍵をかけた。
扉の外に立つ私には、声だけが聞こえていた。
顔はもう、知っている。




