第21話 謁見
【リツ視点】
入学して70日目。学園祭から5日がたった。
昼休みに学園長室へ呼ばれた。
オティーリエ学園長の机の上に、1通の封筒が置いてある。白い封筒に金色の封蝋。封蝋には冠の模様が押されていた。
「王宮からの、召喚状です」
学園長はいつもと同じ顔で言った。
「明日、女王陛下がリツ殿に謁見を賜ります」
僕は封筒を見つめた。
王宮。女王陛下。謁見。
これは、あれだ。
RPGの最初のイベントだ。
村で目を覚ました主人公がお城に呼ばれる。玉座の王様が「おお、勇者よ」と言って、旅の資金と最初の装備をくれる。そこから冒険が始まるのだ。
病室で何十本もRPGを遊んだ。全部そこから始まった。
「……リツ殿」
「はい!」
「なぜ、そんなにうれしそうなのですか」
「故郷では、王様に呼ばれたら冒険が始まるので」
学園長はまばたきを1回した。
「冒険は始まりません」
始まらないらしい。
*
学園長は謁見の作法を3つだけ教えてくれた。
「1つ。陛下のお言葉には『はい』とお答えください。2つ。手袋は必ずはめていてください。3つ。玉座の前の白い線から先へは、進まないでください」
「はい!」
「……よろしい。1つ目は、もうできておりますね」
学園長の指が机の上の印をとんとんと2回叩いた。口の端が1mm上がった気がした。
学園長室を出ると、イルゼさんが2歩後ろで小さく息を吐いた。
「イルゼさん、女王様ってどんな人ですか」
「……お目にかかった、とは申せません。騎士の叙任の式で、遠くから1度」
「じゃあ、2人とも初めてですね。一緒にがんばりましょう」
「……はい」
イルゼさんの返事は、いつもより半拍遅かった。
その夜、ログイン49日目の手紙を書いた。
『アルフォンスさんへ。明日、女王様に会いに行きます。故郷だと王様に呼ばれたら冒険が始まるんですが、こっちでは始まらないそうです。残念です。 リツ』
押し花は、黄色にした。王冠の色だ。
*
次の日の朝、王宮から迎えの馬車が来た。
赤かった。
王宮の馬車まで、赤かった。
「イルゼさん。王宮も3倍なんですね」
「……そのようです」
イルゼさんは2歩後ろで、少しだけ遠い目をしていた。
門の前には、もう1人立っている人がいた。
リゼットさんだった。帳面を胸の前に構えて、ペンを耳にはさんでいる。授業が始まる前なのに、ずいぶん早い。
「リツ殿! おはようございます!」
「おはようございます。どうしたんですか?」
「記者は王宮に入れませんので、門まで来ました!」
リゼットさんはきっぱりと言った。門までなら入れる、ということらしい。
「陛下への第一声は、もうお決めですか!」
「えっと。『よろしくお願いします』にしようと思ってます」
リゼットさんのペンが帳面の上を走った。字がどんどん大きくなっていく。3m離れていても『よろしく』の4文字が読めた。
「お帰りは何時ごろに!」
「たぶん、お昼すぎです」
「では、お昼すぎもここにおります!」
「授業は……」
「記者ですので!」
学園長が馬車の中から1回だけ咳払いをした。リゼットさんは帳面を閉じて、教室のほうへ走っていった。
校舎の2階の窓から、コルネリアさんとロジーナさんがこっちを見ていた。手を振ると、2人とも窓の下にすっと沈んだ。
*
馬車には学園長も一緒に乗った。僕の保護責任者として付き添うのだそうだ。
赤い馬車は本当に速かった。窓の外の景色がどんどん後ろへ流れていく。
僕は膝の上で手を組んだ。王様に会う前の主人公は、だいたいこうして馬車に揺られている。
「学園長。王様に会うと、最初の装備がもらえるじゃないですか」
「もらえません」
「ひのきの棒とか」
「出ません」
「布の服とか」
「出ません」
「出ません」は、2回とも同じ速さだった。
隣でイルゼさんが窓の外を見ていた。肩が少しだけ揺れていた気がする。
王宮は王都の一番高い丘の上にあった。白い石の壁に青い屋根。門をくぐるたびに衛兵の人が槍を立てて、まっすぐ前を向く。3つ目の門で1人が槍を落とした。
*
謁見の間は、広かった。
入り口から玉座まで赤い絨毯がまっすぐ伸びている。絨毯の両側には鎧の騎士がずらりと並んでいた。その後ろに偉そうな服の女の人たちが何十人も立っている。
全員がまっすぐ前を見ていた。
誰も僕を見ない。
絨毯の一番奥、階段を5段上がったところに玉座があった。肘掛けの先に、金色の獅子の彫刻がついている。
女王陛下が座っていた。
思っていたより若い人だった。黒い髪を高く結い上げて、細い銀の冠を載せている。背筋がまっすぐで目が鋭い。学園長と同じくらい表情が動かない。
僕は床に引かれた白い線の手前で止まって、深くお辞儀をした。執事喫茶で練習した角度だ。
「よくぞ参った。野良の殿方、リツ」
低くて、よく通る声だった。
来た。
王様の最初の台詞だ。
「おお、勇者よ」ではなかったけれど、だいたい同じだと思う。
*
「面を上げよ」
僕は顔を上げた。
「そなたが、王都の馬車を赤く塗らせた殿方か」
「いいえ」
謁見の間の空気が少しだけ揺れた。
学園長に言われたことを思い出した。お言葉には「はい」と答える。でもこれは違う。
「僕は『赤いと3倍速い』って言っただけで、塗ったのは御者さんたちです。がんばったのは御者さんたちなので」
女王陛下は、しばらく黙っていた。
それから、まったく同じ声で言った。
「そなたが、王都の馬車を赤く塗らせた殿方か」
同じ質問だった。
一字一句同じだった。
僕は気がついた。
これ、「はい」を選ぶまで先に進まないやつだ。
RPGでよくあった。王様に「世界を救ってくれるか」と聞かれて「いいえ」を選ぶと、「そんなことを言わずに」と言われて同じ質問に戻される。何回「いいえ」を選んでも戻される。
まさか本物の王宮までそうなっているとは思わなかった。
「……はい」
「よろしい」
女王陛下はうなずいた。
「では。婚姻院に、天井なるものを持ちこんだのも、そなたか」
婚姻院。
コルネリアさんと王都に行った日、行列ができていた建物だ。役所だと教えてもらった。
その役所に、天井を持ちこむ。
僕は王都の婚姻院の建物を思い出した。白い石の、大きな建物だった。ちゃんと屋根がついていた。
「いいえ。婚姻院の天井は、最初からあったと思います」
謁見の間の空気が、さっきより大きく揺れた。
女王陛下はまた黙った。少しだけ長く。
「婚姻院に、天井なるものを持ちこんだのも、そなたか」
同じ質問だった。
あ、と思った。天井って、もしかして福引きのほうだ。
「あの、福引きの天井のことでしたら、あれは購買部の福引きの話で、婚姻院には入ったこともなくて……」
「婚姻院に、天井なるものを持ちこんだのも、そなたか」
3回目だった。
これはもう、何を言っても戻されるやつだ。
「……はい」
「よろしい」
後ろで学園長が小さく咳払いをした。もう1人、玉座の右のほうに立っている偉そうな服の女の人も咳払いをした。
*
女王陛下の目が、僕の後ろに動いた。
「そなたが、東部のイルゼか」
2歩後ろでイルゼさんが片膝をついた。
「はっ」
「報告書は、全部読んでおる」
イルゼさんの肩がぴくりと動いた。
「律儀の注記が、よい。毎回楽しみにしておる。休暇の報告書もな」
「……恐れ入ります」
律儀の注記。
何のことだろう。イルゼさんの報告書には僕の名前のことが書いてあるらしい。律儀の律だから、たぶん褒めてくれているのだと思う。
休暇の報告書、というのはもっと分からない。お休みの日にも、報告書を書いていたんだろうか。
イルゼさんの耳の後ろを、汗がひとすじ流れていった。
*
「最後に問う」
女王陛下が言った。
「此度、そなたは多くの者を笑わせ、走らせ、殿方館の扉を開けさせた。褒美を取らせる」
褒美。
僕は背筋を伸ばした。
RPGの王様が褒美の話をするときは気をつけないといけない。悪い王様の場合、「世界の半分をやろう」と言ってくる。そこで「はい」を選ぶと、全部おしまいになる。あれだけは「いいえ」を選ばないといけない。
でも、この王宮は「はい」を選ぶまで進まない。
世界の半分のときは、どうすればいいんだろう。
「望みを申せ」
世界の半分じゃなかった。
「……よかった。世界の半分じゃなかった」
声に出ていた。
謁見の間が、しんと静まる。女王陛下のまぶたが1回だけ動いた気がした。
僕はあわてて考えた。
RPGならここで旅の資金と最初の装備がもらえる。でも殿方は武器を持てない。男性保護法の第14条だ。ひのきの棒も、たぶんだめだ。
だったら、と僕は思った。
「殿方館のアルフォンスさんとエミールくんとノルベルトくんが、王都を自由に歩けるようにしてほしいです」
謁見の間が、静かになった。
「学園祭の日に、3人とも初めて王都の街を見たんです。赤い馬車ばっかりだって、ノルベルトくんがずっと言ってました。だから、また見せてあげたいんです」
女王陛下は何も言わなかった。
長い沈黙のあとで、一言だけ言った。
「……考えておく」
「ありがとうございます!」
僕はもう一度深くお辞儀をした。
それから、大事なことを思い出した。
初めて会った人とは握手をする。この世界に来た最初の日、イルゼさんともそうした。
それに前世の本で読んだことがある。偉い人と握手するときは手袋を外すのが礼儀なのだと。礼儀なら自信がある。律儀の律だ。
学園長は「手袋は必ず」と言っていた。でも握手のときまでとは言っていなかった。
僕は右手の手袋を外した。素手のほうが、気持ちがちゃんと伝わる。
白い線の手前から、玉座に向かってまっすぐ手を差し出した。
「これから、よろしくお願いします!」
玉座の右のほうで、何かが倒れる音がした。
続けて槍が落ちる音が3つ。
イルゼさんが後ろで「リツ様」と言いかけて、口を閉じた。
かつん、と小さな音もした。玉座のほうからだ。
女王陛下は玉座から僕の手をじっと見ていた。
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【女王視点】
ルーメリア女王国、第56代女王、エルフリーデ。
本日、余は生まれて初めて殿方から手を差し出された。
*
余の執務机の端に、小さな木の箱が置いてある。
保留案件の箱である。前例のない事柄や、余にも決めかねる事柄を入れておく。
中身はこの76日の間、1件しかなかった。
保留案件 第1号
件名:殿方による素手の握手
出所:東部警備隊 イルゼの報告書(騎士団本部経由)
備考:前例なし。婚約の申し込みに該当するか、判断を保留する
野良の殿方が草原で保護された日の報告書である。騎士団本部が判断を仰ぎ、余は保留した。
保留したまま、76日がたった。
その間に余はあの騎士の報告書を全部読んだ。
走行、発汗、腕の露出、友の契り、盾、卵焼き。殿方の名の横には毎回小さく注記が増えていく。「りちぎのりつ」を自称(※自称)(※本人談)(※要検証)。
半月ほど前には、書く決まりのない報告書まで届いた。件名は「休日のしおりの遂行について」。項目1、失敗。項目3、失敗。茶店にて匙による素振り37回。
所感:休暇、失敗。
余はあれで3日笑った。
笑うときは、毎回扉に鍵をかけた。女王は笑わぬものである。母上がそうであった。
*
召喚を決めたのは6日前、学園祭の日の夜である。
男性保護局長が書状を上げてきた。
『野良の殿方の行動、目に余る。殿方館への収容を進言する』
この局長は、ひと月ほど前にも殿方館の館長へ書状を出している。「然るべき措置を」と。その措置が庭の鍵であったことは、あとで知った。
添付の資料は分厚かった。学園新聞の号外が、第1号から第7号まで。ヴァーレン商会の売り上げ報告。王都の赤い塗料の流通量。
婚姻院長からの報告書もあった。登録された婚約者、29名。不受理306通。申請書用紙、追加で1万枚。窓口の貼り紙『当院に、天井はございません』の写し。その下に誰かが書き足した『まだ』の写し。
2日後、同じ院長から追って報告が来た。婚約者、52名。
それから、殿方館の館長からの報告書が1通あった。
『館の庭の扉を開けました。3人が走りました。責めは私が負います』
余は資料を全部読んでから、局長の書状の余白に1行だけ書いた。
『会ってから決める』
*
殿方は思っていたより小柄だった。
黒い髪に黒い目。絨毯の上をまっすぐ歩いてきて、白い線の手前で深くお辞儀をした。殿方館の殿方の誰よりも深い礼だった。
そして、余の最初の問いに「いいえ」と答えた。
謁見の間で余に「いいえ」と言った者は、この20年で1人もいない。
しかも理由が「がんばったのは御者さんたちなので」であった。
余はもう一度同じことを問うた。
聞き違いかと思ったのではない。
もう一度聞きたかったのである。
殿方の声をこの距離で聞くのは初めてだった。少し高くて、少しだけ早口で、語尾が上がる。
殿方は2回目で「はい」と答えた。なぜか、何かを悟ったような顔をしていた。
*
2つ目の問いは、謁見の前の晩に決めておいた。
婚姻院に、天井なるものを持ちこんだのも、そなたか。
殿方が自分の婚約者の数を知らされていないことは、知っている。婚姻院長の報告書に、学園長の返書の写しが添えてあった。だから問うた。知らぬ者がどう答えるのか、見たかったのである。
殿方は答えた。
「婚姻院の天井は、最初からあったと思います」
……それは、そうである。
婚姻院は建って何百年もたつ石造りである。天井は最初からある。余が問うたのはその天井ではない。
落ち着け、エルフリーデ。そなたは第56代である。笑うな。ここは謁見の間で、扉に鍵はかかっておらぬ。
余は同じことを問うた。
殿方は福引きの話をした。それも知っておる。号外第5号で読んだ。
余はまた同じことを問うた。
3回目である。3回目は、わざとである。
背後で宰相が小さく咳払いをした。学園長オティーリエも咳払いをした。この2人は余の悪い癖を知っている。同じことを2回聞く癖だ。母上もそうであった。2回までなら、癖で通る。
3回は、通らぬ。
女王の「もう一度申せ」は、年に何回まで許されるのか。たぶん、もう超えておる。今年の分も、来年の分も。
*
あの騎士には、ひとことだけ声をかけた。
膝をついた背中が、報告書の字と同じくらいまっすぐであった。「休暇の報告書もな」と言ったら、耳の後ろを汗が流れた。
あの騎士のことは、明日でよい。
*
褒美を申せと言った。
金貨でも屋敷でも称号でも、殿方が望めば何でも与えるつもりだった。
その前に、殿方は言った。
「……よかった。世界の半分じゃなかった」
世界の半分。
余の国は、世界のどのくらいであろうか。地図の上では、10分の1もない。その10分の1の、さらに半分。
この殿方は、それを望んでいたのか。望んでいて、言われなくて安心したのか。言われていたら、断るつもりだったのか。
分からぬ。分からぬが、断られたのだという気がした。まだ何も差し出しておらぬのに。
殿方は、殿方館の3人のことを言った。
自分のことは何ひとつ言わなかった。
余は「考えておく」とだけ答えた。それ以上を言えば声が平静でなくなる。女王の声は謁見の間の端まで届いてしまう。
保護局長の書状への答えは、そのとき決まった。
*
そして、殿方が手袋を外した。
余は玉座の上でそれを見ていた。
白い手袋が、白い線の手前の床に落ちる。素手の右手が、まっすぐ余に向けて差し出された。
「これから、よろしくお願いします!」
玉座の右で宰相が倒れた。近衛の槍が3本落ちる。男性保護局長は柱につかまっている。
学園長オティーリエだけがまっすぐ立っていた。口の端が1mm上がっている。
あの騎士は殿方の後ろで片膝をついたまま、目を閉じていた。
余はこの国で最も平静を保たねばならぬ淑女である。
だから、保った。
保ちながら、玉座の肘掛けを握りしめていた。
かつん、と音がした。
手の中に、小さな金色のかけらがある。肘掛けの獅子の、右の耳だった。
落ち着け、エルフリーデ。そなたは第56代である。初代ルーメリアは建国したのだぞ。第7代は城壁を築き、第31代は飢饉に芋を植えさせた。
余は今、獅子の耳を折った。
この獅子は何代もの女王に握られてきた。耳を折った者は1人もおらぬ。余の代で、耳が1つになった。後世の歴史書にどう書かれるのか。「第56代エルフリーデ、殿方の手を見て獅子の耳を折る」。
……落ち着け。耳のことは、あとでよい。
この手を取れば、どうなるか。
保留案件第1号に、余が自分で答えを出すことになる。余が取れば、草原の騎士の件も同じ答えになる。
取らねば、どうなるか。
謁見の間の全員の前で、殿方の手を払ったことになる。
余は玉座を立った。
獅子の耳は、袖の中に隠した。
階段を5段、下りた。
白い線の向こうに殿方の手がある。殿方は笑っていた。何も知らない顔で、まっすぐに。
余は言った。
「……その手、余が明日まで預かる」
殿方は首をかしげた。
「明日?」
「明日、もう一度参れ。余興を所望する。そなたの故郷の遊戯を、何かひとつ」
殿方の顔がぱっと明るくなった。
「はい!」
今度は1回目で「はい」と答えた。
少しだけ惜しかった。
*
夕方、殿方を学園へ送った御者から報告が上がってきた。
帰りの馬車の中で、あの騎士は剣の柄を握ったまま、学園に着くまで一言も話さなかったという。
殿方のほうは学園長に「余興って、何がいいですかね」と14回聞いたそうだ。学園長は14回とも「陛下にお聞きください」と答えたらしい。
余に聞かれても困る。余は余興を所望した側である。
学園の門の前では、制服の少女が帳面を構えて待っていたという。昼すぎから、ずっと。
*
その夜、執務机で保留案件の箱を開けた。
第1号の紙の下に、新しい紙を1枚足した。
保留案件 第2号
件名:殿方による素手の握手(対象:余)
期限:明日
箱の隅に、獅子の耳を入れた。どこにしまえばいいのか、ほかに分からなかった。
それから、保護局長の書状を取り出す。
余白の「会ってから決める」の下に、もう1行書き足した。
『会った。却下』
書状を閉じて扉に鍵をかけた。
それから、少しだけ笑った。
少しだけのつもりだった。




