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前世で友達0人だった僕、男女比1:100の異世界で友達を作ろうとしたら婚約者が100人を超えていた ~淑女たちはクール(※内心は絶叫)~  作者: 中原九尾


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第2話 殿方の心得

【リツ視点】


 砦の2日目の朝、イルゼさんが朝ごはんと一緒に分厚い本を持ってきた。


 革の表紙に金の文字が押してある。


『殿方の心得 全312条』


「王都から迎えが来るまで3日かかります。それまでにお読みください」


「これ、僕が読んでいいんですか」


「リツ様のための本です。殿方館で、殿方が最初に学ぶものです」


 殿方館というのはこの国の男の人たちが暮らす場所らしい。昨日の夜にイルゼさんが少しだけ説明してくれた。この国では男の人がとても少なくて、国が大切に守っているのだそうだ。


 つまりこれは、この世界の生活マニュアルだ。


 僕は本を両手で受け取った。ずっしりと重い。


「ありがとうございます。本、大好きなんです」


「それから、もう1つ」


 イルゼさんは背筋を伸ばした。


「男性保護法第9条に基づき、本日より私がリツ様の専属護衛官となります。王都でも、その先でも、おそばにおります」


「え、ずっと一緒にいてくれるんですか」


「任務ですので」


 すごい。この世界に来て2日目で、固定パーティができた。


「よろしくお願いします、イルゼさん!」


「……はい」


 イルゼさんは無表情のまま、なぜか部屋の扉を2回確かめてから出ていった。


 *


 その日は一日中本を読んだ。


 病室では1日に3冊読んでいた。312条くらいなら軽いものだ。ただ、文章がかなり古めかしくて、古文の教科書みたいだった。


 たとえば第1条はこうだ。


『殿方は、みだりに肌を天日に晒すべからず』


 なるほど。日焼けに気をつけろということだ。紫外線は肌に悪い。この世界にも日焼け止めがあるといいな。


『第7条 殿方は、みだりに友の契りを口にすべからず』


 友達は慎重に選べという意味だろう。深い。前世のネトゲでも、誰とでもフレンドになると後で困ったことがあった。


『第12条 殿方の汗は、妻となる者のみが拭うべし』


 汗は人に拭かせず自分で拭けということだ。つまりハンカチを持ち歩けと。身だしなみの基本だ。


『第23条 殿方は、女性の名を軽々しく呼ぶべからず』


 呼び捨てはだめで、ちゃんと「さん」をつけろということだと思う。僕はイルゼさんを「イルゼさん」と呼んでいる。完璧だ。


『第41条 殿方の手料理は、生涯を共にすると定めた者にのみ振る舞うべし』


 ここは少し悩んだ。たぶん料理を人に出すなら一生懸命に作れという意味だ。生涯を共にするくらいの気持ちで。料理人の心構えみたいなものだろう。


 そして第88条。


『殿方は、殿方館の外にて走ることを禁ず』


 これはすぐに分かった。廊下を走るな、みたいなやつだ。つまり館の中では走っちゃいけない。


 ということは、外なら走っていい。


 読み終えたのは、窓の外が白くなり始めたころだった。


 徹夜なんて、前世では看護師さんに怒られるのでできなかった。目がしょぼしょぼする。でも頭の中はこの世界の決まりごとでいっぱいになっていた。


 この国の人たちは礼儀をとても大切にしている。


 僕と気が合いそうだ。律儀の律なので。


 *


 朝、イルゼさんが迎えに来た。


「全部読みました!」


 僕が本を掲げると、イルゼさんの目がほんの少しだけ大きくなった。


「全部、ですか」


「312条、ほぼ覚えました。これでもう大丈夫です」


 イルゼさんが小さく息を吐いた。無表情なのは変わらないけれど、肩の力が抜けたように見える。


 よかった。安心してもらえたみたいだ。


 僕は自分がどれだけちゃんと理解したかを伝えることにした。


「まず第1条ですね。日焼けに気をつける」


「……日焼け」


「第12条は、汗を自分で拭くためにハンカチを持ち歩く。第23条は、女の人の名前には『さん』をつける」


 イルゼさんは黙って聞いていた。すごく真剣な顔だ。たぶんちゃんと読めているか確かめてくれている。


「それから第88条。館の中では走らない。外ならいいってことですよね」


 イルゼさんが目を閉じた。


 きっと合っていたのだと思う。


「あと、第7条がいちばん心に残りました。友達は慎重に選べって」


「……リツ様。第7条の、友の契りというのは」


「はい」


「その……生涯にわたる、たいへん重いものでして」


「ですよね!」


 僕は大きくうなずいた。


「一生の友達ってことですよね。だから友達になってほしい人には、ちゃんと自分から言おうと思うんです。慎重に選んで、この人だと思ったらはっきり『友達になってください』って」


 イルゼさんは何も言わなかった。


 右手がゆっくりと額に当てられた。頭が痛いのかもしれない。徹夜したのは僕のほうなのに。


「イルゼさん、大丈夫ですか」


「……問題ありません」


「よかった。じゃあ僕、ちょっと外を走ってきますね。館の外なので」


 僕は本をイルゼさんに預けると、ハンカチを握って部屋を飛び出した。


 背後で何か重いものが床に落ちる音がした。たぶん本だ。


――――――――――――――――――

【イルゼ視点】


 殿方の心得、全312条。


 殿方館の殿方が5歳で学び始め、15歳で修める教本である。これさえ読めばこの国の殿方としてのふるまいは自然と身につく。


 私はあの本に賭けていた。


 昨日1日でリツ様がやらかしたことを数えてみる。走行、発汗、腕の露出、鎖骨の露出、素手の握手、名前の呼び捨て(「さん」付けだが呼んだ時点で同じことである)、騎乗中の抱擁。


 7つ。


 1日で7つ。殿方館の記録では、最も奔放と言われた殿方でも生涯で3つである。


 だが本さえ読んでいただければ。


 ちなみに朝、専属護衛官の任を伝えたときのことは、報告書には書かないつもりでいる。


「え、ずっと一緒にいてくれるんですか」


 あの一言のあと、私は部屋を出ようとして、扉の取っ手を2回つかみ損ねた。リツ様には、扉を念入りに確かめたように見えたはずだ。そう見えていてほしい。


 夜中に客間の前を見回ると、扉の隙間から灯りが漏れていた。紙をめくる音が朝まで途切れなかった。殿方の夜更かしも本来ははしたないことである。だがその夜ばかりは見逃すことにした。


 この夜更かしが明日の平和につながるのだから。


 *


 朝、リツ様は本を掲げて「全部読みました」とおっしゃった。


 全部。


 私は思わず目を見開いた。平静の型が崩れかけたが、今回は喜びによるものなので問題はない。


「312条、ほぼ覚えました。これでもう大丈夫です」


 大丈夫。


 なんと頼もしい響きだろう。私は胸の奥に溜めていた息をようやく吐き出した。


 昨日までのことは心得を知らなかったがゆえの過ちだったのだ。これからは——。


「まず第1条ですね。日焼けに気をつける」


 日焼け。


 違う。


 第1条は殿方の肌を人目に晒すなという意味である。日焼けは関係ない。天日の下だろうが月夜だろうが、腕を出してはいけない。


「第12条は、汗を自分で拭くためにハンカチを持ち歩く」


 違う。


 そもそも汗をかかないでいただきたい。第12条が言っているのは、殿方の汗に触れてよいのは妻だけということである。そしてリツ様は、その汗を一昨日の草原でまき散らしていた。


「第23条は、女の人の名前には『さん』をつける」


 違う。


 「さん」をつけても呼べば同じである。むしろ「さん」がつくことで何か親しげな響きが増している。昨夜は訓練生のミアが「ミアさん、と呼ばれてみたい」とつぶやいて壁と一体化していた。


「それから第88条。館の中では走らない。外ならいいってことですよね」


 私は目を閉じた。


 逆である。


 館の外で走るのを禁ずると書いてあるのだ。館の中で走ってはいけないとは、どこにも書いていない。書く必要がないからだ。殿方は館の中でも走らない。


 リツ様は312条を全部読んだうえで、最も守っていただきたかった1条を真逆に覚えられた。


 平静の型その1。4つ数えて吸い、4つ数えて吐く。


 吐き終わる前に、リツ様が次の条文に進んだ。


「あと、第7条がいちばん心に残りました。友達は慎重に選べって」


 第7条。


 友の契り。


 男女の友情という言葉はこの国にはない。殿方が女性に「友になってほしい」と告げるのは、婚姻院に届け出る前の古い求婚の決まり文句である。「生涯そばにいてほしい」と同じ意味だ。


 お伝えしなければならない。


 今ここで、はっきりと。


「……リツ様。第7条の、友の契りというのは」


「はい」


 私は口を開いて止まった。


 求婚、と言わなければならない。


 だが淑女が殿方の前で婚姻にまつわる言葉を口にするのは、たいへんはしたないことである。心得の対になる『淑女の心得』第3条にそう定められている。騎士学校で3年間叩き込まれた。


 口が動かない。


「その……生涯にわたる、たいへん重いものでして」


 精一杯だった。これ以上は淑女として言えない。


「ですよね!」


 リツ様は目を輝かせた。


「一生の友達ってことですよね。だから友達になってほしい人には、ちゃんと自分から言おうと思うんです。慎重に選んで、この人だと思ったらはっきり『友達になってください』って」


 私の右手が勝手に額へ向かった。


 伝わっていない。


 いや、ある意味では完璧に伝わっている。生涯にわたる重いものだと正しく理解されている。そのうえでご自分から、はっきりと言うおつもりなのだ。


 慎重に選んだ、この人だと思った相手に。


 求婚を。


「イルゼさん、大丈夫ですか」


「……問題ありません」


 問題しかない。


「よかった。じゃあ僕、ちょっと外を走ってきますね。館の外なので」


 リツ様はハンカチを握りしめて、部屋を飛び出していった。


 私の手から殿方の心得が滑り落ちた。


 全312条の重みが床に響いた。


 *


 昼過ぎに王都から早馬が来た。


 私の報告書への返書である。


  返書

  宛先:東部警備隊 イルゼ

  差出人:王都騎士団本部

  1.保護された殿方リツは、王立セレスタ学園にて保護観察とする。学園長オティーリエ殿の強い希望による。

  2.護衛官イルゼは、引き続きリツの専属護衛の任に当たること。

  3.素手による握手の件は、前例がないため判断を保留する。

  4.当該殿方が「心得」を修めるまで、人目につく行動は控えさせること。


 私は4項目めを3回読んだ。


 窓の外で、リツ様が中庭を走っていた。


 ハンカチで汗を拭きながら、とても律儀に館の外を。


 中庭の部下たちは全員が規律正しく壁のほうを向いていた。


 私は新しい報告書を取り出した。


  報告書(第2報)

  件名:保護中の殿方の近況について

  備考1:本人は「りちぎのりつ」を自称。(※自称)

  備考2:「殿方の心得」全312条を一晩で読了。

  備考3:修めてはいない。

  備考4:第7条につき、本人は「はっきり言う」と明言。婚姻院への事前の連絡を強く勧める。


 書き終えて、私はもう一度窓の外を見た。


 リツ様がこちらに気づいて手を振った。


 袖は、まくってあった。

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