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前世で友達0人だった僕、男女比1:100の異世界で友達を作ろうとしたら婚約者が100人を超えていた ~淑女たちはクール(※内心は絶叫)~  作者: 中原九尾


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第17話 ノルベルトの脱走

【ノルベルト視点】


 殿方館、ノルベルト。15歳。


 庭に鍵がかかって、今日で22日目になる。


 *


 あの日まで、ぼくは毎朝庭を5周走っていた。アルフォンス様が8周で、エミールが3周。ぼくは真ん中だ。


 転んだのは、噴水の角を曲がるときだった。膝をすりむいて血がにじんだ。痛い。でもアルフォンス様が隣にしゃがんで「私も6歳のとき、ここで同じように転んだ」と言ってくれた。


 同じ場所で転んだのが、なんだかうれしかった。


 その夜から、庭には鍵がかかっている。館長がかけた。


 エミールは泣いた。ぼくは泣かない。泣いたら、鍵が本当に開かなくなる気がしたから。


 代わりに、毎日窓から門を見ている。


 *


 リツ殿からの手紙は、今も毎朝届く。


 宛名はアルフォンス様だけど、読み終えるとぼくとエミールにも回してくれる。朝ごはんの前に3人で1通を読むのが、ぼくたちの決まりだ。


 ログイン25日目の手紙には、こう書いてあった。


『故郷の遊びに、敵の城に1人で忍びこむ話があります。主人公は見つかりそうになると、大きな箱をかぶって隠れるんです。なぜか誰にも気づかれません。見つかると、敵の頭の上に大きな「!」が出ます。箱から出たときの決め台詞は「待たせたな」です』


 ぼくはその手紙を3回読んだ。


 箱。


 箱をかぶれば、誰にも気づかれない。


 殿方館には毎朝、学園の事務室から荷車が来る。リツ殿の手紙を届けて、館からの返事を空の木箱に入れて持ち帰る荷車だ。


 その木箱を、ぼくは毎朝窓から見ていた。22日間、毎朝。


 ちょうどぼくが丸まって入れるくらいの大きさだと思う。測ったことはない。でも毎朝見ていれば分かる。


 *


 その朝、朝ごはんの席でエミールにだけ言った。


「行ってくる」


「どこに」


「リツ殿のところ」


 エミールは「うわ」と言いかけて、自分の口を両手でふさいだ。それから自分のパンを半分に割って、ぼくの手に押しつけた。


「……おなか、すくから」


 ぼくはパンを懐に入れて、廊下を早歩きで抜けた。


 走らない。館の中で走るのは禁じられていないけれど、足音がしたら見つかる。それに外に出たら走れない。殿方の心得、第88条。殿方は、殿方館の外にて走ることを禁ず。


 だから早歩きだ。早歩きは312条のどこにも禁じられていない。全部読んで確かめた。3回。


 *


 荷車は裏口に止まっていた。御者の女の人は侍女と話していて、こっちを見ていない。


 一番後ろの木箱に入って、膝を抱えて丸まる。


 入れた。毎朝見ていた目は正しかった。


 ふたを閉めると真っ暗だった。心臓がどくどく鳴っている。庭を5周走ったあとより速い。走っていないのに。


 荷車が動き出した。がたん、ごとん。


 1つ目の門。


「荷改めは」


 ぼくは息を止めた。出ませんように。衛兵の頭の上に「!」が出ませんように。


「学園の事務の荷です。空き箱だけです」


「よし、通れ」


 2つ目の門も、3つ目の門も、同じだった。


 門の外の音は、館の中とまるで違う。何かを売る声。笑う声。車輪の音があちこちから来て、あちこちへ行く。


 ぼくはふたを指1本ぶんだけ持ち上げた。


 外の馬車が本当に赤いのか、確かめたかったのだ。


 見えたのは、灰色の石畳だけだった。


 荷車はまっすぐ学園には行かず、7回止まった。そのたびに息を止める。箱の中では時間が分からない。おなかがすいたので、エミールのパンを少しかじった。もう少しかじって、半分の半分になった。残りは取っておく。


 物心ついてから初めて、ぼくは殿方館の外にいる。真っ暗な箱の中で、パンをかじりながら。


 思っていたのとは少し違う。でも悪くない。


 *


 8回目に止まったとき、箱がどこかの床に下ろされた。足音が遠ざかる。


 そっとふたを押し上げた。


 書類の棚と机の並んだ部屋だった。机には女の人が3人いて、こっちを見て固まっている。


 学園の事務室だ。


 ぼくは箱から立ち上がって、手紙の決め台詞を言った。


「……待たせたな」


 3人のうち、2人が椅子ごと後ろに倒れた。残りの1人は倒れずに、目の前の書類に判を押し始めた。判の音が、ずっと続いていた。


 *


 廊下に出ると、女の人がたくさん歩いていた。ぼくを見て、全員がぴたりと止まる。


 まずい。


 隅に置いてあった別の木箱を、頭からかぶった。


 ふたの隙間から外をうかがう。女の人たちは、全員こっちを見ていた。


 下を見た。箱から、ぼくの足が2本出ていた。


 それでも、誰も何も言わない。全員がまっすぐ前を向いて、見なかったことにしてくれた。淑女の平静、というやつだと思う。


 ずりずり。ずりずり。


 女の人たちは両側の壁にぴったり張りついて、道を開けてくれた。頭の上に「!」が出ている人は1人もいない。たぶん出さないようにがんばってくれているのだ。


 手紙には、寮の物置を部室にしたと書いてあった。寮というのは、たぶん人が寝る建物だ。ふたの隙間から、洗濯物の見える建物を探して進んだ。


 その裏手に、小さな建物があった。入り口の札に、きれいな字。


『遊戯部』


 中から声が聞こえた。


「角、いただきます!」


 リツ殿の声だった。


 何の角かは分からない。でも楽しそうな声だ。


 ぼくは箱をかぶったまま、扉を押した。


――――――――――――――――――

【リツ視点】


 入学して54日目の放課後。部室で僕は角を取った。


「角、いただきます!」


「どうぞ、ですわ」


 そこから10手で、僕は負けた。


 リバーシだ。8×8のます目を厚紙に引いて、石は物置の奥から出てきた古い丸い棒を輪切りにした。64個。片面を墨で黒く塗ってある。壁の「やりたい遊び」のリストでリバーシに丸がついたのは3日前。それから一度もコルネリアさんに勝てていない。教えたのは僕なのに。


「リツ殿は、角がお好きですのね。ですから、取りたくなるように置いておきましたの」


 置いて、おいた。


 商人の娘は、角まで仕入れてから売るらしい。


 そのとき、部室の扉がゆっくり開いた。


 入ってきたのは、木の箱だった。


 箱が床をずりずりと滑ってくる。下から、白い靴下の足が2本出ている。


 ミミックだ。ゲームの宝箱に混ざっていて、開けるとかみついてくるやつ。でもミミックは自分から歩いてこないし、足も生えていない。たぶん。


 コルネリアさんが石を1つ落とした。落としたまま、盤の石を目で数え始めた。リゼットさんの帳面の字が、急に大きくなる。ここからでも読めた。『箱』。ロジーナさんは筆を持ったまま固まっている。部室の隅で、イルゼさんが剣の柄に手をかけた。


 箱が机の前で止まり、ぱかっと持ち上がった。


 中から立ち上がったのは、少し背の高い男の子。白い手袋に、高い襟。ちょっと得意そうな顔。


「……待たせたな」


 ノルベルトくんだった。


「それ! 僕が手紙に書いたやつ!」


「うん。箱をかぶったら、本当に誰にも気づかれなかった」


 たぶん、気づかれてはいたと思う。


 でもそんなことはどうでもよかった。


「どうやってここまで来たんですか」


「学園の荷車の、空き箱に入ってきた。門を3つくぐって、7回止まって、事務室で『待たせたな』って言った。2人倒れた」


 イルゼさんが剣の柄から手を離した。


「……殿方館からの、脱走でございますか」


「脱走じゃない。早歩きで出てきただけ。第88条。外では走ってない。箱の中では座ってた」


 ノルベルトくんは胸を張った。


 僕は笑ってしまった。ノルベルトくんは、僕よりずっとちゃんと心得を読んでいる。僕なんて4週間も逆に覚えていた。


 イルゼさんは何か言いかけて、やめた。それから隅で剣を抜いて、布で刃を拭き始めた。


 え、今?


 イルゼさんは何もすることがないときに剣の手入れを始める癖があるらしい。脱走してきた殿方が目の前にいても、護衛官にできることは特にない、ということなのかもしれない。


 *


 ノルベルトくんは懐から小さなパンのかけらを出した。エミールくんがくれたらしい。かじろうとしてやめて、机の端にそっと置いた。


「庭に鍵がかかってから、ずっと窓から門を見てた。リツ殿の手紙に、学園で毎朝走ってるって書いてあったから。見たかったんだ。リツ殿が走ってるところ。それと、走れる場所」


 それだけのために、箱に入って3つの門をくぐってきた。


 胸の奥がぎゅっとなる。前世の病室で、僕も窓の外ばかり見ていた。走っている人を見るのが、一番うらやましかった。


「じゃあ、走りましょう! 学園は僕の館の中だから……」


 言いかけて、止まった。


 アルフォンスさんの解釈では、学園は僕の館の中だ。でも、ノルベルトくんの館じゃない。


「……だめだよ。ぼくの館じゃない」


 ノルベルトくんも気づいていた。少しだけうつむいた。


「あ、じゃあ麻雀は! 牌、ありますよ!」


「麻雀は、館で毎晩打ってる」


 ノルベルトくんが顔を上げた。


「アルフォンス様とエミールと、ぼく。牌は館長が商会から取り寄せた。4人目の侍女は毎回途中で倒れるから、最後はいつも3人。だから今日は、館にないのがいい」


 館長さんが、牌を。庭に鍵をかけた人が。


 僕が部室を見回したとき、ロジーナさんが小さな声で言った。


「……リバーシ、なら。走らなくても、できます」


 言い終えたとたん、ロジーナさんは両手で顔を覆った。耳が真っ赤だった。ロジーナさんが自分から何かを言い出すのを聞いたのは、たぶん初めてだ。


「白と黒で相手の石を挟んで、ひっくり返す遊びです。最後に多いほうが勝ちです」


「ぼく、白がいい」


 ノルベルトくんは即答した。


 *


 相手はコルネリアさんになった。部で一番強い人だ。常設許可証があるので、遊戯部の活動中なら3mの決まりはない。コルネリアさんは盤の向こうに座って、背筋を伸ばした。商談の前みたいな顔だ。


 ノルベルトくんは覚えるのが早かった。どんどん石をひっくり返して、中盤には盤の真ん中がほとんど白になった。


「見て、リツ殿。庭の花と同じ色だ」


 白い花ばかりの、鍵のかかった庭。


 僕は一瞬、何と言えばいいのか分からなくなった。ノルベルトくんは、ただ楽しそうだった。


 ただ、僕は知っている。リバーシは途中で石を取りすぎるとあとで困るゲームだ。コルネリアさんはさっきからほとんど石を取っていない。盤の端で、黙って何かを待っている。安いときに買う、商人の顔。


 終盤、コルネリアさんが左上の角に黒を置いた。白がぱたぱたと黒に返る。次の手で右上。その次で右下。最後に左下。


 4つの角が全部黒になった。


「33対31ですわ」


 盤を一目見ただけだった。僕は念のため指で数えた。33対31。


 ノルベルトくんは盤をじっと見ていた。


「……角を取られると、だめなんだ」


「そうなんです。角は、ひっくり返されないので」


「噴水の角でも、転んだ」


 そう言って、ノルベルトくんは笑った。負けたのに楽しそうに。膝をすりむいたときもきっとこういう顔をしていたのだ。


 コルネリアさんは帳面に勝ち負けを書きこんでいた。「33」の数字のところでペン先が止まって、なぜかインクがじわっと広がっていく。


 それから5人で交代しながら打った。リゼットさんは帳面に書きながら打つので、置く場所を3回間違えた。ロジーナさんの石はノルベルトくんと打つときだけよく転がる。そして僕はノルベルトくんに負けた。教えた人が教わった人に負けるのは、ゲームあるあるだ。悔しいけれど、うれしい。


「リツ殿。じーじー」


「GG!」


 殿方同士は反応を表に出せる。ノルベルトくんは勝つたびに声を出して笑い、負けるたびに「あー!」と頭を抱えた。


 部室の隅のイルゼさんは、同じところを何十回も拭いていた。


 *


 夕方、部室の扉が叩かれた。


 殿方館の館長さんだった。灰色の髪をひとつにまとめた、痩せた背の高い女の人だ。後ろに侍女の人が4人と、騎士が2人。


 ノルベルトくんが白い石を持ったまま動きを止めた。


 館長さんは部室の中を見た。古い四角い机。白と黒の石が並んだ盤。机の端の、小さなパンのかけら。


 それから、ノルベルトくんを見た。


「……ノルベルト」


「はい」


 館長さんは何か言いかけて、やめた。もう一度言いかけて、またやめた。


「楽しかったですか」


 ノルベルトくんは少しだけ迷ってから、まっすぐ答えた。


「うん。すごく」


 館長さんはしばらく何も言わなかった。


「帰りますよ」


 叱る声ではなかった。


 ノルベルトくんは立ち上がって、木箱を抱えた。


「それは置いていきなさい」


「……はい」


 ノルベルトくんは箱を床に置いて、2回なでた。


 部室を出る前に、ノルベルトくんは振り返った。


「リツ殿。GG」


「GG! ノルベルトくん、こういうとき、故郷では『アイルビーバック』って言うんです。また来るぞ、っていう意味です」


 ノルベルトくんは口の中で何回か転がしてから、館長さんの隣で言った。


「……あいる、びー、ばっく」


 館長さんの肩が、ほんの少しだけ動いた。何か言いかけて、やっぱりやめた。


 僕は館長さんの前に出た。


「あの、館長さん。今度、学園祭があるんです。殿方館のみなさんで来てくれませんか。アルフォンスさんも、エミールくんも、ノルベルトくんも」


 上着のポケットから、今朝ハイデマリー先生に配られた案内を出した。


 館長さんは答えない。


 ただ、案内を受け取って、たたんで、胸のポケットにしまった。


 捨てなかった。


 僕は、それで十分だと思った。


 *


 殿方館の白い馬車は、学園の門の内側に止まっていた。


 ノルベルトくんが乗りこむと、窓のカーテンが少しだけ開いた。


 そのとき思い出した。ノルベルトくんは僕が走っているところを見に来たのだ。今日の僕は、1回も走っていない。


 馬車が動き出す。


 僕は馬車の横を走り出した。


「リツ様! 車輪に近すぎます!」


 後ろでイルゼさんが叫んだ。


 大丈夫。ここは学園の敷地の中、僕の館の中だ。アルフォンスさんの解釈で、学園長の「異議なし」つき。僕は走っていい。


 門までの石畳を馬車と並んで全力で走った。風が顔に当たる。心臓がどくどく鳴る。


 カーテンの隙間からノルベルトくんが身を乗り出して、手袋の手を大きく振っていた。口が動いている。声は聞こえなかったけれど、たぶん「速い」と言っていた。


 門のところで僕は止まった。ここから先は、僕にとっても館の外だ。


 馬車は門を出て、赤い馬車の行き交う通りへ消えていった。ノルベルトくんにも見えたかな。たぶん見えていない。手を振るのに忙しかったから。


 膝に手をついて息を整えていると、イルゼさんが2歩後ろで息を切らしていた。


 *


 夜、ログイン33日目の手紙を書いた。


『アルフォンスさんへ。今日、ノルベルトくんが箱に入って遊びに来てくれました。待たせたな、って言ってました。完璧でした。リバーシという遊びで、コルネリアさんに33対31で負けて、そのあと僕に勝ちました。また来るそうです。アイルビーバックです。 リツ』


 押し花は少し悩んでから白い花にした。


 殿方館の庭に咲いている花だ。あの庭にいくらでもあるから、今までは入れなかった。


 でも今日、ノルベルトくんは白い石で盤を埋めて、「庭の花と同じ色だ」と笑っていた。


 だから、今日だけは白でいいと思った。


――――――――――――――――――

【館長視点】


 ——同じ日の朝、殿方館では。


 殿方館館長、ヴィルヘルミーネ。58歳。


 朝食のあとの点呼は、館長の務めである。


 40名のはずが、39名だった。3度数えて、3度とも39名。数え方の問題ではないらしい。


 欠けているのは、ノルベルトである。


 侍女たちが館じゅうを探しに走った。どこにもいない。


 エミールが私の前に立っていた。手に、半分のパンを持っている。


「エミール。パンが、半分ですね」


「……はい」


「ノルベルトは、どこです」


 エミールは「うわ」と言いかけて、のみこんだ。


「ノルベルトは……箱、です」


 箱。


 殿方館に届く手紙はすべて私が検める。7日前のログイン25日目も検めた。箱をかぶると誰にも気づかれない、という遊びの話。毒も刃物も入っていない。だから通した。


 手紙には続きがあった。見つかると、頭の上に大きな「!」が出る。


 今、私の頭の上に何かが出た気がした。


 *


 落ち着きなさい、ヴィルヘルミーネ。


 整理する。今朝も学園の荷車が来て、空き箱を積んで帰った。門番は荷を改め、御者は「空き箱だけです」と答え、門番はそれを信じた。


 私も信じたい。


 信じたいが、エミールのパンが半分である。


 この館が建ってから何百年、1人の殿方も勝手には通さなかった3重の門を、箱が通った。中身ごと。


 私は茶を飲もうとして、手を伸ばした。机の上に茶はない。侍女長が館じゅうを走り回っているからである。何も持っていない自分の手を、私はしばらく見ていた。


 昼前に、学園の事務室から使いが来た。木箱から殿方がお出になった。お怪我はない。「待たせたな」とおっしゃった。事務員が2名、椅子ごと倒れた。


 待たせたな。それも、手紙に書いてあった。


 私は男性保護局への報告書の用紙を出した。殿方の御身に関わる出来事は、ただちに報告する決まりである。


  報告書

  宛先:王宮 男性保護局

  件名:殿方1名の館外への


 ペンが止まった。


 館外への、何と書けばいい。脱走ではない。あの子は走っていない。逃亡でもない。あの子は逃げたのではなく、行きたいところへ行ったのだ。


 22日間、窓から門を見ていた子である。私は毎朝、廊下の窓辺に立つあの子の背中を見ていた。見ていて、何もしなかった。


 私はペンを置いた。


 *


 机の上に、庭の鍵がある。22日前にかけてから、引き出しに戻せずにいる鍵だ。


 11年前、泣いているアルフォンスを抱き上げて、私は庭に札を立てた。22日前は、笑っているノルベルトを見て庭に鍵をかけた。泣いていても笑っていても、私は閉じる。閉じた代わりに、まーじゃんの牌を商会から取り寄せもした。代わりにならないことは分かっていたのに。


 あの子は自分で代わりを見つけた。箱である。


 叱らなければならない。館長として。


 叱れば、あの子は二度と箱には入らないだろう。素直な子だ。そして、窓から門を見ることもやめるだろう。


 11年前のアルフォンスがそうだった。札を立てた日から、あの子は庭に下りなくなった。窓から見るだけの子になって、11年。


 私はそれを、品位と呼んできた。


 ……落ち着きなさい。落ち着いて、もう一度、鍵を見なさい。


 私は侍女長を呼んだ。


「迎えの馬車を」


「すぐに支度を」


「……支度には、時間がかかります」


 30年この館に勤めている侍女長は、私の顔を3秒見て、深く頭を下げた。


「はい。夕方まで、かかるかと存じます」


「そうですか。では、仕方がありません」


 仕方がない。迎えは夕方になる。


 馬車の中で、叱る言葉を3つ用意した。部室の扉を開けて、白と黒の石の盤と、半分の半分になったパンを見た。3つとも出てこなかった。代わりに出たのは、用意していなかった言葉である。


 楽しかったですか、と。


 *


 その夜、胸のポケットから学園祭の案内を出した。読んで、たたんで、また開く。


 引き出しにはしまわない。鍵も机の上に置いたままだ。


 翌朝、ログイン33日目の手紙が届いた。決まりなので検める。


 便箋の間に、白い押し花が1枚挟まっていた。


 この館の庭に咲いている花である。手紙の主はこれまで、一度も白い花を入れてこなかった。


 鍵のかかった庭と、同じ色だ。


 私はその花をアルフォンスの部屋に届けさせた。窓辺の白い花瓶に、白い花が1枚増えた。

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